□第十三話□ 勉強は大変です
新たに始まった王宮での暮らし。
ティナに与えられた王族としての仕事はまだない。
だが、王太子になるにあたり、必要な授業は山のようにあった。
他国の歴史や文化、この国との関わりを学ぶ歴史の授業。
自国の政務を行う機構についてと、各官僚たちの役割。
貴族たちの勢力図。
そういった座学のほかに、最低限身を守れるように、と行われる剣術と魔術の授業。
はっきり言って、ティナには腕力がない。
骨格が男に見えるように幻を纏ってはいるが、内実はティナのままだ。
おかげで、せっかく剣術の師範となってくれたサウロは、その技術を活かせていない。剣術以前の基礎体力向上と、小剣での護身術の授業に切り替えざるを得なかった。
「すまないね。サウロの腕が、これじゃ持ち腐れだ」
ティナがしゅんとして肩を落とすと、サウロは練習用の木剣を壁に立て掛け、膝をついた。
「殿下が剣を必要とすることがないよう努めるのが私の役目。
この授業はあくまでも万一に備えてです。第一、国王陛下だって剣をつけていないでしょう? つけられない、とも言いますが」
悪戯っぽく肩をすくめる。
ティナは、先日会ったきりの国王の姿を思い浮かべてみた。確かに、剣はなかった。というか、腰に剣があっても、あのお腹では手が剣に回らないのではないか。
ぷぷっと吹き出し、慌てて口を押さえる。サウロの言わんとしていることが理解できてしまったのだ。
見れば、サウロの口元も笑いをこらえてひきつっている。
それを確認すると、笑わないでいることはできなかった。
「ひ、ひどいよ、サウロ! こ、これじゃぁ、俺が不敬罪になっちゃう!」
笑いすぎてお腹がよじれる。
うっかり、「あの」国王が剣を鞘から抜こうとして、手が届かず、怒っている様を思い浮かべてしまったのだ。
立っていられず、壁に手をついて体を支えた。
「殿下こそ! 何もそれほどに笑わずとも!」
つられてサウロまで笑い出す。
笑いというのは、堪えなければならない、と思っているときほど止められないものだ。
しまいには、二人で土が敷き詰められている練兵場の床に寝転がって、体をよじった。
「殿下?」
冷水を浴びせるような冷たい声が二人に降りかかる。
ティナもサウロも、ピッタリと笑いが止み、体を強張らせた。
ここ数日の間に、サウロはすっかりルシオが苦手になっていた。
何かにつけ難癖をつけてきた挙句に、それがいちいち正しいものだから反論できない。しかも侍従とはいえ、ルシオは王族だ。
サウロの上下関係の感覚が、ルシオに反抗するのをよしとしなかった。
「このあとは魔法の授業が控えていると、何度も申し上げていたはずですが?
頭から爪先まで土で汚れて、そのまま講義に出られるとでも?」
静かに抑揚もなく叱られると、返って恐怖が募るものだとティナは学習しつつあった。
「ご、ごめん。サウロは悪くないよ。俺が……笑いすぎたから」
土を払って立ち上がったティナは、サウロをかばうように前に出て、素直にルシオに頭を下げた。
ルシオの眉間に寄るしわが深くなる。
「王太子たるもの、目下の者に軽々しく頭を下げるものではありません。
サウロを叱られたくないのであれば、最初からそのような行動をなされなければいいのです。
今後、サウロをかばうことを禁じます。
サウロも、王太子に頭を下げさせることの意味を考えろ」
すっかり、サウロが呼び捨てになっている。
サウロは大きな体躯を小さくして、頭を上げられないでいる。眉尻も下がって、主人に叱られた大型犬のようになっていた。
二人の上下関係は今や、誰が見ても強固に出来上がっている。
はっきり言って、ティナは王太子にも関わらずこの関係の中では蚊帳の外だ。ルシオとサウロが親密になったように見えて、ちょっと疎外感も感じる。
「そうだとしても、剣術の授業なんだから、少しくらい汚れたってしかたないじゃないか! 汗だってかくし!
ルシオのいけず!」
ルシオに詰め寄って、いーっと舌を出す。
「殿下、どうかそこまでに。ルシオ殿の仰ることも尤もです。
ルシオ殿、思いいたらず申し訳ない。今後、肝に銘じます」
サウロは膝をついたまま、さらに深々と頭を垂れる。土で汚れていても、その下の銀髪は陽の光にきらめいていた。
その美しさがそのまま魂の高潔さを表しているようだ、とティナは眩しく感じた。
潔く非を認められると、さすがのルシオもそれ以上、非難を続けることはできない。
きつく組んでいた腕を解き、大きなため息をついた。
「二人共湯浴みを。殿下の用意はできております。
サウロは兵舎の湯場を借りて、泥だけ落としてくるように」
それだけを告げると、ルシオはティナの腕を引いて歩き出す。ティナは手を振ってサウロに一時的な別れを告げた。サウロは爽やかに微笑んで、再度頭を垂れた。
レスリーの部屋までは他の近衛二人を護衛にして急ぐ。
王太子棟に到着すると、ティナは早速風呂場に向かう。
部屋にも備え付けのバスルームがあったが、お湯を何度も変えねばならず、ルシオ一人では水の運搬が大変だ。
その点、浴場は、ティナが一人で入るには大きすぎるものの、水が使い放題だ。新しい水さえあれば、ティナにはそれをすぐに沸かせるだけの能力がある。王太子棟に務める者たちも、そのことに慣れ、かつ、王太子の力の大きさを誇らしく思っているようだった。
近衛二人を通路に置き、ティナとルシオは大きな浴場に足を踏み入れる。
まずは小部屋があり、通常であればここで召使たちに衣装を剥ぎ取られ、隣室の浴室に裸のまま向かうことになる。
「お兄ちゃんも一緒に入る?」
小首を傾げて問うと、ルシオから丸めたバスタオルを顔面にぶつけられた。
「これ以上頭の悪い発言を繰り返すなら、明日の朝まで終わらない宿題を出すぞ」
「兄上に対し大変な無礼でございました。大変申し訳なく……」
「これ以上僕にくだらないことを言い続けるなら……」
ルシオの声が一層低くなったところで、ティナはバスタオルを抱えて、慌てて浴場に駆け入った。
皆には、ルシオ一人が王太子の面倒を見ている、と思わせている。
実態としては、様々な手配はルシオがしているが、自分の身支度をしているのはティナ自身だ。貧乏が役に立ったというべきか。
ティナは自分のことはおおよそ全て自分でできる。
装飾の多い複雑な衣装を着るのも脱ぐのも慣れたものだ。
女性のドレスであれば、誰かの補助がなければウェストを絞ることなどできなかったであろうが、幸い、ティナが来ているのは男物。
衣装を脱ぎ、胸を押さえているさらしを解く。
ペンダントが突然機能しなくなった場合も考え、王城に来てからずっとかぶっているカツラもはずす。
カツラは盥に入れた水の中で乱暴に揺らして泥を落とした。
開放感に大きく呼吸を繰り返し、亜麻色の髪を揺らしてから、右手をまだ水でしかない湯船に浸す。
意識を集中して、指先に火花を出す。
生まれ来る火花は水の中で次々と消えていくが、一つ消える度に温度も上がっていく。
適温になったところで、ティナはお湯の中に体を滑り込ませた。
孤児院ではこの能力を恐れられ、ティナも嫌い、ないものとして振る舞っていた。しかし、無視すれば無視するほど、ティナの感情に共鳴するように炎が現れる。
化け物と罵られる中で、ティナ自身も自分の能力を「化け物」だと思っていた。
だが、ここでは違う。
それは類希なる素晴らしい能力であり、誰もが憧れうらやむ能力なのだ。
ずっと頭に乗せられていた重石をはずされたような爽快感。
隠す必要がないから日常的に魔力を使うようになると、徐々にコントロール方法も身についてくる。
ティナはお湯から指先だけを出し、爪の先に小さな明かりを灯してみた。
炎はゆらゆらと揺れ、今にも消えそうだ。
小さい炎を持続的に出し続ける方が難しい。
ちょっと気を散らした隙に炎はあっという間に消えてしまう。
ティナは苦笑して湯船に頭ごと潜ると、一度ガシガシと湯の中で髪をかき混ぜ、風呂から上がった。
「随分、早かったんだな」
タオルで頭を拭いながら出てきたティナに、ルシオは驚いて本を置く。
「ちゃんと洗ったのか?」
また眉間にしわを寄せ、ティナのそばによると亜麻色の髪をわしわしとかき混ぜてくる。
「急ぐんでしょ? 髪を乾かす時間もあるから」
どうしてもカツラの下の髪が濡れていると蒸れてかゆくなる。
そう主張して、ティナはいすに座ると、自分の周りに拳くらいの火をいくつか灯す。
少し暑いくらいの中で、髪を乱暴にわしわししていると、徐々に水分が飛んでいった。
ちなみに、カツラはルシオが丁寧にブラッシングしながら、同じように暖気に当てている。
「……君ががさつなのは、生まれつきなのか?」
「失礼な。これは必要に迫られてこうなったんです。私は元々は大人しくて目立たない繊細な人間です」
むっとして言い返すと、ルシオがうろんな眼差しで見返してきた。
「大人しくて、目立たない、繊細な……」
何故か、一言一言を強く区切って発音するルシオ。示された意図はあからさまだ。
「異論があるなら言ってみなさいよ」
手のひらにやや大きめの火球を作ってルシオを睨みつけると、ルシオは怯んだように後ずさった。
「図星を指されたからと言って、暴力に訴えるのは野蛮人がすることだ」
「何が暴力? これはこの後に控える魔術の授業の予習よ!」
ティナは意気揚々と言い切り、手のひらの火球をより一層大きくした。
ルシオの顔がひきつり、これ以上後がないところまで来たとき、救いの手が差し伸べられた。
「殿下、ルシオ殿、用意は調いましたか?」
サウロが驚異のスピードで戻ってきたらしい。
近衛騎士には、非常時以外、許諾がなければ部屋にはいることは許さない、と言いつけてある。
ティナはいつもの調子でサウロを呼ぼうとし、慌てたルシオに口をふさがれた。
「サウロ、殿下は今、お召し替えの最中だ。暫し待て」
「かしこまりました」
そのまま扉の前で直立不動となっているのだろう、気配がする。
意味が分からず、ルシオに抱きしめられたままのティナも、硬直している。
外に声が漏れないよう耳元に唇を寄せ、ルシオが囁いた。
「君はどうしようもないバカだな。さっさとカツラをかぶるんだ。
君の頭は魔法で黒く見えているかもしれないが、僕が手にカツラを持っているのは明らかに変だろう?
……ん? 聞いているのか?」
いつの間にか、風呂上がりにも負けないほど真っ赤になっているティナに、ルシオは小首を傾げた。
一方、花のような顔と艶っぽい声の両方を間近に感じ、ティナは大いに焦っていた。
「ち、近いって! ……その、わかった、から。カツラ、すぐにつけるから」
カツラを奪い取り、すかさず距離をとって、ルシオの方を見ないようにしてカツラをつける。
ルシオの不思議そうな視線を感じつつも、ティナはそれ以上の追求をすべて無視して、さっさと廊下に出た。
魔術とは、選ばれたものだけが行使することを許された、神から与えられた能力である。
身のうちに宿る魔力量は生涯変わらないと言われ、この内蔵する魔力量で行使する魔術の規模が変わった。
下級貴族は、小さな炎を灯すとか、ちょろちょろと水を出すとか、夜道を少し照らす程度の明かりを出すとか、その程度が関の山と言われている。
たが、その程度の力が使える下級貴族の数は多く、そういった者たちが城のあちこちを便利にしてくれていた。
一方、中級貴族以上は数がぐっと減るが、出来ることもその規模も多彩だ。
そして、中級以上の貴族に課せられているのが、効率の良い力の発現方法を学ぶこと、いわゆる魔術の授業になる。
呪文や魔方陣を駆使して発現する魔術は確かに桁違いで、その授業の必要性は、勉強嫌いのティナであっても認めざるを得ない。
これまで、能力に頼ってなんとなく発現させてきた魔力を、理論に則って行使するのは、新鮮な驚きと挫折の繰り返しだった。
魔術の勉強部屋は特別に作られたドーム状の建物になる。ティナのためだけに作られたそこは、魔術の影響を宮殿に与えないよう、何重もの封印を施されていた。
馬で駆け回っても大丈夫そうな広さで、地面には石畳が敷かれている。
「サウロは柵の外で待っているように。
では、殿下」
ルシオが鉄柵でできた扉を開き、ティナはそこに踏み入った。
「殿下、ルシオ殿、お待ちしておりました」
長い髭をしごきながら、小柄な老人がにこやかに微笑む。
「ラングリッジ師、待たせてしまったようだね、すまない。どうも剣術が苦手でね、時間がおしてしまった」
ティナがなるべく上からな謝罪をすると、老人は首を横に振った。
「いやいや、王太子たるもの、お忙しいのは当然のこと。こちらも用意がありましたので、渡りに船でございましたよ」
「用意?」
ティナが小首を傾げると、ラングリッジは両手をパンパン、と叩いた。
反対側の鉄柵扉から、見慣れない人物が姿を現す。すかさず、ルシオがティナの前に進み出た。
「何者か聞いても?」
ルシオは鋭い視線をその人物から離さないまま、老人に問いかける。
老人は苦笑して、そばまで来た人物と一緒に深く頭を垂れた。
「儂の孫にあたります、ロイド・コルボーンと申します。
殿下との相性を見る必要はございますが、今後、魔術分野での殿下の右腕となる者でございます」
「コルボーンと言うと……」
なけなしの記憶を絞り出そうとすると、すぐさまルシオがフォローしてくる。
「コルボーン伯爵家は最近、代替わりされたそうですね。三十代の当主と伺っています」
目の前の人物は、三十代と言うほどの年齢には到底見えない。寧ろ、ティナ達よりも一つ二つ年下ではなかろうか。
背はティナの目の高さ程度、榛色の大きな瞳が、ふわふわの茶色い癖っ毛の下からティナを睨みあげている。バラ色の頬に、紅を落としたかのようなふっくらとした赤い唇。
明らかに男性名だから男性なのだろうと思われるが、その顔立ちは美少女のようで、険悪な表情にも関わらず、大変愛らしかった。
「この子はその伯爵家の跡取り息子でしてな。母親が儂の娘になります」
自慢したくて仕方ないと言った風情のラングリッジは、孫に邪険にされつつも頭をなで回している。見事な爺バカだった。
「えぇと、ロイド? 俺はレスリーと言う」
歩み寄って手の甲を相手に見せる。
本来であれば、ロイドはティナの手の甲を自身の額に押し当て、出会えたことの感謝を伝えるべきシーンだ。
身分の高低として、当たり前の所作である。
まぁ、希に、そこに接吻してしまう騎士もいるが、それは通常、高位の女性に行うべき仕草で、王太子であるレスリーに行うべきではない。サウロのあれは、行き過ぎた忠誠心の現れだと思うことにした。
先日のワンシーンを思い出し、ちょっと気を抜いている間に、乾いたパシン、という音がして、ティナの気持ちが引き戻された。
ひきつるラングリッジ、鉄柵越しには腰の剣を今にも引き抜こうとしているサウロ。
そして、ティナをぐいっと後ろに引っ張り、ロイドと距離をとらせるルシオ。
ティナは、どうやらはたき落とされたらしい自身の右手と、愛らしい天使のような顔をゆがめて睨みつけてくるロイドを見比べた。
「どういうつもりだ、ロイド・コルボーン? 覚悟があっての所行だろうな」
ルシオの声が地を這うように低い。
だがその眉間にしわはなくて、きれいに整った冷たい表情を浮かべるばかりだ。
ティナはその一瞬で、ルシオが本当に怒っているわけではないことを悟った。
伊達に寝食を共にしているわけではない。ルシオのちょっとした表情や感情の動きを、ティナはかなり読みとることができるようになっていたのである。
「ロイド、俺は君に嫌われるようなことをしたかな?」
ルシオが鞭を演じるなら、ティナは飴となるべきだろう。
ティナはそう思って、気さくな雰囲気を心がけながら、全身の毛を逆立てている子猫のようなロイドに向き合う。
ロイドは、少し戸惑ったようにルシオとティナを見比べていたが、しばしの逡巡の後、はっきりとティナを見据えて言い放った。
「俺は、あんたの下につくつもりはない。
俺が崇拝するのは、ウィンベリー公、おひとりだ!」
まさかの敵対宣言に、温厚な魔術の先生が卒倒した。




