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王子殿下は従者様  作者: 東風
第三章 王太子として
10/33

□第十話□ 母

 どこよりも高い塔を擁する王城は、堅固な城壁に囲まれている。

 この城壁こそが、当時の人々の最後の砦であり、大国でさえ抜くことのかなわなかった、不落の壁なのである。

 時代を経て、王宮の拡大とともにいくつもの新しい壁を増築しているが、それでも、この国にとっての文字通り最後の砦であり、希望の壁なのである。

 伝説に残る、聖女が身を投げた鐘楼も現存し、聖女の御霊はそこから王都ローウィンを見守っていると言われていた。


 王都に入ると、どこからでも王城と聖女の鐘楼が見える。

 王都はこれまで何度か外国に襲われたことがあり、そのため城下町は迷路のようになっていた。大路に差し掛かっても真っ直ぐに王城にたどり着くことはない。王城を真横に見たり、ある時などは後ろに見たりなどして、ようやく王城の城門にたどり着いた。

 その間、ティナは紗の引かれた窓から外を飽きることなく眺めていた。

 市の日でもないのに、これほどの人とこれほどの店が出ているなど、ティナの常識の中には存在しない。本当は駆けだしていって、あの人混みの中に紛れ、一緒に騒ぎたくなる。

 肌の色や眼の色、髪の色、体型も様々で、漏れ聞こえてくる言語も異なって、どこかお祭りのような雰囲気があった。

 ティナがそわそわする一方、ルシオは王城を睨みつけ、溢れだす嫌な予測の数々に胃が痛む思いをしていた。

 脳天気に、「わぁ、すごい!」だの、「なんだろ、あれ!」だの、しまいには「あそこに行っていい? ちょっとだけ」だの言われては、彼のイライラが最高潮に達するのも、むべなるかな、であった。


 「君には繊細な感性が備わってないことだけは十分に理解した」

 窓枠を細い指で神経質にトトトっと叩く。

 わかっていたこととはいえ、お祭りのような騒ぎに参加することができず、ティナの機嫌も底辺だ。

 「その繊細な感性とやらで、これからの荒波が越えられるものなのか? 考えても仕方ないことをぐじぐじと思い悩むなんて、兄君はずいぶん女々しいようで」

 狭い馬車の中で真っ向からにらみ合う。

 「前々から思っていたが、君はもう少し慎重さを覚えた方がいい! 綴りがわからないなら、教えてやろうか?」

 口火を切ったのはルシオだった。

 対するティナも負けてはいない。

 「奇遇ね! 私も言いたいことがあったのよ! 考えすぎて食欲がないとか、夜眠れないとか、それって自慢すること? あなたみたいなのは頭がいいって言うんじゃなくて、気弱で女々しいって言うのよ! 私のお古でよければ、スカートを差し上げましょうか? 殿下?」

 「様々な角度から考察することの重要性も理解できないなんて、君は野生の動物か? いや、野生動物だって、捕まえてきたら何も食べられなくて弱っていくそうだったな。君よりよほど繊細だ!」

 (主にティナが)掴みかからんばかりに顔をつき合わせて怒鳴りあっていると、馬車が唐突に止まった。

 半ば立ち上がっていたティナがバランスを崩し、窓ガラスに突っ込みそうになる。

 ルシオは慌ててティナの腕を掴み、自分の方に引き寄せた。


 「両殿下、……仲がよいのもよろしいですが、お声が少々大きいようです。ご注意を」

 リヒトは開けた扉の奥をちらっと見ると、目を細めて冷ややかに笑う。

 狭い馬車の中で、ティナはルシオをイスの座面に押し倒し、ルシオはティナの細い腰をしっかりと抱きしめ、二人そろって驚きの面もちでリヒトを見返していた。

 そして、リヒトの言葉に我に返ると、二人とも顔を真っ赤に染めて、バネ仕掛けの人形のように互いを突き飛ばしてぎこちなく離れる。

 リヒトは軽くため息をついた。

 「もう間もなく王城です。緊張しすぎるのもよいことではありませんが、気を抜きすぎてもよいことはありません。

 体の力は抜き、心は引き締めて参りましょう」

 うり二つの黒い頭がそろって垂れ、「はい」と小さく答える。

 リヒトは笑いたくなるのをこらえて渋面を作ったまま、扉を締め直した。


 王城を抜け、大きな中庭を抜け、車止めに馬車を止める。

 ここからは、例え王太子候補と言えど、歩いて進むことになる。今はまだ。

 先にルシオが降り、渋面のまま手をさしのべてくれた。

 ティナがその手を握ってタラップを降りると、周囲のものが皆、固唾を飲んでこちらを伺っていることに気づいた。

 数多の官僚、召使い達、そして居合わせた貴族。音にならないどよめきが周囲に満ちた。

 その視線は実際の圧力を伴っているかのように重苦しくティナに降りかかる。

 俯き、自分の足しか見えなくなると、ホッとしたが、今度は頭が上げられない。

 立ちすくんでいると、まだルシオに預けたままだった手が、ぎゅっと握り込まれた。

 「殿下、参りましょう」

 顔を上げると、いつもと同じ無表情で見下ろしてくるルシオがいて、いつもと同じように小馬鹿にしたふうにフンと鼻で笑われる。

 ティナはルシオをキッと見返すと、頭をぐんと持ち上げ、背を伸ばした。

 「あぁ、行こう」

 ルシオの手をぎゅっと握り返してから、離す。

 リヒトが恭しく頭を垂れて見送る中、ティナはルシオに先導されて、王宮に一歩踏み出したのであった。


 途中、従僕と見られる青年が近づいてくる。彼はルシオとレスリーを見ると顔を赤らめ、逡巡した。仕方なく、ルシオが彼に近づく。ルシオに促され、青年は真っ赤になったまま、ルシオに耳打ちする。

 ルシオはティナを振り返って目を合わせると、従僕に頷いてみせた。

 「陛下に先触れを頼もう。殿下は僕がお連れする」

 従僕はティナに向かって深く頭を下ろした後、早歩きで去っていった。


 「道案内、いなくてもいいの?」

 ルシオもここに来るのは初めてのはずだ。

 小声で問うと、ルシオは厭味ったらしく目を細める。

 「城の地図は頭に入っている。君は僕の後を歩きつつ、道を覚えるといい」

 頭がいい、という主張に物申したのがよほどお気に召さなかったのだろう。

 ルシオは振り返ることなく、まっすぐに廊下を突き進む。ティナがはぐれたら、会心の笑みを浮かべそうな勢いだ。

 こんな速度で歩かれて、周りの景色から経路を覚えるなど、到底無理な話だ。

 せめて置いていかれないように、と小走りになってついていく。


 王宮の広さは、離宮の比ではなく、そこにいる人々の多さも比ではない。

 行っている仕事の種類で、お仕着せの色や装飾も異なっているようで、それはそのまま階級を表すものでもあった。

 ルシオからは、離宮の時のように、気安く使用人に話しかけることを禁止されている。ボロを出さないように、ということもあるが、階級のある日常を体が覚えるように努力しろ、という意味合いが強い。

 階級底辺にいたティナには、単に召使に喋りかけるなと言われるよりも難しいことであった。

 先日も、落としたスプーンを拾って、大目玉を食らったばかりだ。

 そんなことを考えつつも、ルシオを見失わないよう気をつけていると、視界の端で何かがひらりと舞った。

 誘われるように視線をやると、回廊に繋がる中庭で、色鮮やかな緑色のスカーフが木に引っかかってしまっている。風に煽られ、手が届かないところにあるようだ。背の低い侍女が手を伸ばしてジャンプしているが、一向に届かない。

 派手な羽扇で顔を隠している貴婦人は、苛立ちを隠そうともせず、空いている手を振り回していた。

 ティナは迷わず中庭に降り、木に近づいた。

 驚きで固まる貴婦人の主従ににこやかに微笑み、一度身を低くしてから、一気に跳躍する。

 ティナはもともと女性にしては長身な方だったが、衣食住が安定したことで、ますます背が伸びている。しかも、背を高く見せるシークレットブーツつき。

 スカーフを引っ張ることは躊躇われたので、枝に手を引っ掛けて着地する。

 枝は大きくたわみ、主従の前にスカーフが降りてきた。

 侍女の方が喜色に顔をほころばせる。

 「まぁ、なんて優しくて可愛らしい方かしら。ありがとうございます。よろしゅうございましたね」

 侍女はにこやかに笑って、主を振り返る。

 「俺が外したら破いてしまいそうです。はずしていただけますか?」

 レスリーらしいと評された笑顔を見せると、ポカンとしていた貴婦人は目元を赤く染め、乱暴にスカーフを引っ張った。

 ビリビリッと嫌な音を響かせ、スカーフは真っ二つになる。

 今度、驚いたのはティナの方だ。

 ブン! と音を立てて跳ね上がる枝に危うく殴られそうになりながらも、呆然と立ち尽くす。

 殺意すら感じるほど、強く睨みつけられ、ティナには対処方法が検討もつかない。

 そこにルシオが駆けつけてきた。

 「レディ・レディントン?」

 ルシオは、ティナと貴婦人の間に割って入り、それからマジマジと貴婦人を見て、いぶかしそうに眉根を寄せた。

 レディントンの名は、最近怠けてばかりいると称されるティナの頭でも覚えていた。


 ティナは正面にいる貴婦人を凝視した。

 ここに来る直前の勉強で、その名を聞いた記憶があった。


 王位をねらう候補は現在三人。

 その魔力故に頭一つ抜きんでているのがレスリー。

 レスリーが現れるまでの最有力候補がウィンベリー公クラレンス。

 そして、三番手に位置するのが国王の長子だが、魔力がほかの二名に及ばないという、プルデンシオ・レディントン。


 目の前にいるのは、そのプルデンシオの関係者なのだろう。

 レディと呼ばれているから、てっきり母親なのかと思ったのだが、それにしては若い。

 プルデンシオはレスリーよりも十歳は上のはずだ。

 聞いてはいないが、姉でもいたのだろうか?

 だとしても、キツく睨みつけられる理由は明らかで、ティナは困ったように笑い返すしかなかった。


 「マリサ、あなたがさっさととらないから、お気に入りのスカーフを一枚、ダメにしてしまったわ」

 ティナを未だに睨みつけながら、貴婦人が言う。

 貴婦人と同じ年頃の侍女は、慚愧に耐えない、というふうに頭を下げる。

 「申し訳ございません、アデリタ様。私がいたらぬばかりに」

 アデリタと呼ばれた貴婦人がさらに何かを言っていたが、内容が耳を素通りする。ティナはその名前に衝撃を受けていた。

 アデリタは、プルデンシオの母の名だ。プルデンシオ王子は現在二六歳。

 ……軽く見積もっても、この貴婦人は、孤児院の院長と同年代。

 輝く金髪と深く青い瞳、石膏像のようなシミ一つない白い肌。広くあいた胸元からは、こぼれんばかりの果実が二つ。

 王城には、魑魅魍魎が跋扈している、というルシオの説明があったが、ティナは明後日の方向に理解しつつあった。

 これは確かに、魑魅魍魎のたぐいだ、と。


 ティナがじっと自分を凝視していることに気づいたアデリタは柳眉を逆立て、扇をパチンと閉じた。

 「名乗りもせずに、淑女を凝視するなんて、どちらの身分低き方かしら?」

 いらだちを隠しもせず、同時に嫌みをまぶして、ティナに扇の先を突きつける。

 ルシオが間に入ろうとしたが、ティナはそれを手を振って止めた。

 片手を自分の胸に置き、片膝をつく。

 「失礼いたしました。レディ・レディントン。

 あまりの美しさに、言葉を失っておりました。お許しください。

 私はレスリーと申します、美しい方」

 崇拝の念がこもったまなざしに、さすがのアデリタも少し機嫌を直したようだ。

 扇を持たない手をティナの面前にさしのべてくるから、ティナはその手袋に包まれた手に自らの手をそっと添え、恭しくキスした。

 「と、取り繕うのは上手なようね」

 アデリタはほころんだ唇を隠すように扇をまた開く。

 ティナはそっとルシオに目配せする。ルシオは苦笑して、頷いてくれた。


 「具合はよろしいの? しばらく伏せってらしたようだけど?」

 これには、ティナよりも先に、ルシオが答える。

 「殿下は、池に落ちた際に頭を強打したらしく、しばらく起きあがれずにおりましたが、今は何とか。

 あの日はお待たせしていたにも関わらずお会いできず、申し訳ございませんでした」

 ティナは驚きに息をのんだが、何とか気づかれないよう、感情を押し殺すことに成功する。

 なるほど、ルシオとアデリタには面識があるのだ。

 それも、あの事件の日に。

 だからこそ、アデリタはレスリーの姿を一目見て誰なのか悟ったのだろう。ルシオを見たことがあれば、レスリーをわからないはずがない。

 「そう、そうなのね。……事故なら仕方ありませんわ。お気になさらずに」

 アデリタは優雅に微笑み、扇の陰からレスリーを見やる。色鮮やかな瞼の下で、青い瞳が細められた。

 「でも、無理なさらない方がよろしいわ。これほど長く伏せってらしたのですもの。

 体に不安のある方が、これからの重責を担えるなど、誰も考えないわ。

 離宮に戻られて、ゆるりと静養なさればよいのに。世界の終わりの鐘が鳴るまで」

 扇から覗く艶やかに赤く輝く唇が笑みに歪む。

 息をのむほどの美しさに、言葉を失う。これほどに美しい女性を、ティナは見たことがなかった。そして、これほどに苛烈な印象の女性も。

 ルシオも眉間にしわを刻みながら、アデリタを睨みつけるばかりだ。

 双子王子をやりこめることに成功したと知ったアデリタは、豊かな声量を中庭中に響かせた。

 「おほほほ……。そんな怖い目で淑女を睨むものではなくてよ。殺されるんじゃないかと、夜も眠れなくなるわ!

 本当に、田舎暮らしで染み着いた程度の低さがあからさまになるわね。

 さぁ、マリサ、わたくしの機嫌がよいうちに行くわよ。

 双子王子が思ったよりも田舎ものであることは、お茶会のいい話の種になりそうだわ」

 薄い緑色のドレスを翻し、アデリタは小首を傾げて双子に余裕の笑みを見せると、その小さくとがった顎をつんとそらして歩き出す。

 マリサは去っていく主とティナを交互に見やり、困ったように微笑んで軽く会釈する。

 「あ、あの……新しい王太子様でいらっしゃいましたのね、ごきげんよう」

 「えぇ、ごきげんよう。ご主人の機嫌が損なわれないうちに、お急ぎなさい」

 ティナが言い添えると、マリサは主によく似た金髪を揺らして、小走りで去っていった。


 「ルシオ……何か、俺に言うことがないかな」

 にこやかに二人を見送りつつ、低く横に問う。

 ルシオは軽く肩をすくめた。

 「君が予想外に美女の心をくすぐるすべを知っていて助かった。ゴシップと架空に彩られた歴史ファンタジー小説とやらも、役に立つものなんだな。感心した」

 「そうじゃないだろう?」

 じと目で睨みつけると、ルシオは降参とばかりに両手を上にあげる。

 「すまなかった。彼女が離宮に来ていたことは、折を見て話すつもりだった。

 まさか、今日、出会うとはな」

 「あの日に?」

 言葉少なく問うと、ルシオはこっくりと頷き、アデリタが去っていったほうに視線を向ける。

 「あの調子で、王太子になるのはふさわしくない、辞退しろ、と、さっき見た侍女の他に四人もつれて乗り込んできた。

 リヒトに彼女を任せ、僕はレスリーを探しに離れたんだ。

 リヒトの話では、アデリタは田舎くさい香草茶が口に合わない、と仰って、気分が悪いと言い出した。

 侍医を呼んで診せていたらしい。だが、田舎の医者に何がわかるのか、とそこでも一悶着、起こしていた。

 結局、が倒れているのが見つかり、アデリタには早々にお帰り願った」


 ティナは知らなかったが、この国の上層部はアグレッシブな人材がそろっているらしい。

 側妃も宰相も、随分とフットワークが軽かった。

 そういえば、これからその宰相とやらに会うのだった、と唐突に思い出す。

 うんざりしていると、ルシオがすでに姿が見えないアデリタから視線をはがし、ティナを見返した。

 「君は池で頭を打っている。当日の記憶はおぼろげだろう。そのあたりの話は僕が受け持つから、君は黙って笑っていろ」

 「ありがたいお申し出だね。それを実行したあげくに、笑顔がバカっぽいとか言われなきゃいいんだけど?」

 「そうだな。頑張って、賢そうに笑え」

 「賢そうな笑いってあれのことかな? 君がいつも浮かべている、人を小馬鹿にした冷笑って奴。

 あんなの浮かべてたら、友達一人もいなくなるよ」

 ルシオが言葉に詰まって眉間のしわがいっそう深くなる。

 ティナは、ルシオに対してまた一つわかったことが増えた。

 ルシオは対人関係のスキルが低い。リヒトが、ルシオは人見知りだ、と心配していたが、それだけじゃなかったのだ。

 ルシオは恐らく、人と話すことも苦手なのだ。

 「冗談だよ。大丈夫、その分、俺が兄上につき合ってあげるからさ。何と言っても兄弟だし」

 だから気楽に甘えてよ、と付け加えると、ルシオに激しく額を小突かれた。

 これがベレンの言っていた「兄弟喧嘩」と言う奴なのか、と痛みとともに実感するティナであった。


 廊下を進んでいくと、ルシオは珍しく迷う素振りを見せる。

 枝分かれした廊下。

 真っ直ぐ行くのかと思っていたが、ルシオはちらっとティナを振り返ってから、廊下を曲がった。

 途中、二人の衛兵が守る大きな扉が現れる。

 いよいよ謁見室かと思ったが、扉を開けてまた廊下が続いているのを確認し、ティナはため息をついた。

 頭を深く垂れる衛兵に鷹揚に視線だけをやり、ルシオについて行く。

 だが、これまで通ってきた区画とは、どこか傾向が異なる。

 威圧的で整然としていたこれまでの区画に対し、先ほどの扉をくぐってからは、柔らかなカーテンもいろいろな色があり、統一感がない。

 飾られた絵画も、愛らしい子供と遊ぶ母親や、小動物などだ。

 違和感を感じていると、ルシオは廊下に並んでいる扉を数え、一つの扉の前で止まった。

 そこには衛兵はいない。

 ルシオが厳しい表情でドアノブを握るので、ティナも一緒になって緊張をみなぎらせた。


 そこは貴人の生活の場と思われる部屋だった。

 広々とした部屋の一面はガラス窓で覆われ、レースのカーテンがかかっていて、部屋の中は薄暗い。

 イスやテーブルには、白いシーツがかけられている。

 奥にあるベッドルームや書斎の扉も開かれていて、中のあちこちを白いシーツが埋め尽くしていた。

 誰も住まなくなった部屋、ということだろうか。

 ここで呼び出しを待つのか?

 ルシオの意図が読めず首を傾げていると、ルシオは部屋の中にさっさと入っていき、立てかけてあった大きな板のようなものの前で立ち止まった。

 その板にも白い布がかかっている。

 いつまでも廊下に立っているのも周囲の目が厳しい。

 ティナは部屋にはいると、後ろ手に扉を閉め、ルシオの横に並んだ。

 「ここ、誰の部屋?」

 沈黙を続けるルシオにしびれを切らし、問いかける。

 ルシオは、無言のまま、白い布を引き抜いた。

 ティナは息をのみ、呼吸も忘れて、目を見開いた。


 そこにあったのは、大きな一枚の絵だ。

 豊かな黒髪を緩く結った美しい女性が、淡く微笑みながら両腕に赤ん坊を抱いている。

 年若い女性だ。少女と言っても過言ではない。美しさに惑わされそうだが、その表情や赤ん坊を抱く腕のぎこちなさが、まだ十代ではないかとさえ思わせる。

 両腕の赤ん坊は、二人ともよく似た黒髪の、少女によく似た双子のようだった。


 「城の地図は随分昔に手に入れていた。ここは、母の部屋だったんだ。

 幼い頃から、僕とレスリーはここに来るのを思い描き、空想の中で何度も部屋を訪れた。

 レスリーは地図を覚えるのが苦手だったから、いつも僕が正しい経路を指摘していた。

 僕らの想像の中では、……母が生きていて、ここで両手を広げて待ってくれていた」

 がらんとした部屋だが、そこかしこに、少女らしい可愛らしい小物がまだ残されていた。

 「……お母様は?」

 双子王子の母に当たる側妃が亡くなっていることは知っている。だが、それがこんなに年若く、美しい少女とは結びつかなくて、ティナは辺りを見回しながら尋ねた。

 「双子は縁起が悪いと言い、片方が殺されそうになったらしい。どちらかはわからない。

 母はそれを嫌い、命だけはと国王に請願した。

 命だけは助けられた僕らは離宮に閉じこめられ、母は……」

 ルシオは静かな表情のまま、絵の中の少女の輪郭に指を沿わせる。

 「次の妊娠の時に、お腹の中の子供ともども亡くなられた。元々体の弱い方だったらしい、二度目の妊娠に耐えられなかった、と聞いている」

 妊婦や新生児の死亡率は大変高い。

 ティナは、貴族達に魔法の力があるのであれば、もっと快適に暮らしているのではないか、と思っていた。

 だが、王城、王子といえども、それほど状況は変わらなかったらしい。

 子供を産むと言うことは、階級を問わず、生死を賭けた作業であった。

 増えたかもしれない家族と、あったはずの温かい腕を一度に失い、双子王子はどれほど辛かっただろうか。

 夢に描く、両腕を広げたお母さん。

 ティナの脳裏に、うっかりおぼろげな母の姿がよみがえる。

 優しく名を呼ぶ声。温かくて大きな腕。白くておいしいにおいのいっぱいするエプロン。

 ティナは慌てて涙を飲み込んだ。


 「母の細密画が離宮にはあって、それで母の顔は知っていたけど。それの感じはもっと落ち着いた雰囲気があった。

 この絵は、まるで少女だな。年の離れた弟二人を抱く姉のようだ」

 だが、今や王子は少女の年齢に迫っている。違っていたとしても、一、二歳程度だろう。

 絵と見比べると、本当の姉弟のようだった。何とも美しい姉弟だ。

 「どうしてここに連れてきたの?」

 いつもの冷笑ではなく、優しく、光に溶けていきそうな笑みを浮かべているルシオを見ていると、居たたまれなくなる。

 ティナはルシオから視線をはがして、いささかこわばった声でそう問いかけた。

 「僕らの母だろ? 君もここに来ることを夢見ていたはずだ、レスリー」

 「……あぁ、そうだな」

 胸にとげが突き刺さったように痛みが走ったが、声に動揺が出ないように答える。

 ここにいていいのは、ティナではなく、レスリーだ。

 「やっと……来ることができた」

 「あぁ、本当に」

 ティナは努めて低い声で、そう答えた。


 ティナが静かに瞑目している間、ルシオは立ち尽くしていたようだった。

 しばらくして身じろぎの気配があり、ティナはそっと目を開いた。

 さっぱりした表情のルシオは、ティナに苦笑を向けていた。

 「茶番につき合わせたな。すまない」

 ティナは小さく首を振った。

 疎外感という名の棘は深く刺さったが、それを言ったところで何になるだろう。

 無言のままここから出ようとしたところで、ティナは袖を引かれて、振り返る。

 ルシオは真剣な面もちでティナを見つめていた。

 「本当に、いいんだな? これが最後の確認だ」

 ルシオは本当にまじめで優しい。

 こんなに何度も聞かれては、気持ちがぐらついてしまいそうだ。

 ティナは肩をすくめた。

 「何とかなるわよ。今までも、これからも。全部、めでたしめでたし、になる予定だから大丈夫」

 ルシオは小さくため息をついて、ティナを謁見室へと導くのであった。

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