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王子殿下は従者様  作者: 東風
第一章 回り始めた歯車
1/33

□第一話□ 知らないことが多すぎる

展開遅めです。

ヒロイン、ヒーローともに口が悪いです。お気をつけください。

 鈍い空の色はどこまでも憂鬱で、ティナは大きくため息をついて、洗濯物を取り込む手を早める。

 あまりにも冷たい感触に、指先の感覚がなくなったような気がする。

 眉をしかめ、指先を温めようと息を吹きかけたところで、突然背中を激しく押された。

 ティナは、身体を支えようと伸ばした手が洗濯物に引っかかるのを見た。

 瞬間、腕を引っ込めようとしたが間に合わない。

 大きなシーツを何枚もかけたロープは、ティナの身体に押されて大きくたわむ。

 悲鳴を上げる暇もなかった。


 気がつくと、白かったシーツは泥にまみれ、ティナはそこに転がり、それを少し離れたところから幾人かの子供たちが指をさして笑っていた。

 「どんくせぇな!」

 「おい、怒ってみろよ! ま、俺たちに手を出せば、院長が今度こそ、お前を追い出すだろうけどな!」

 「あんたみたいなのがいるから、あたし達全員が町の人から嫌われるのよ、わかってる?」

 「もうすぐ成人なんだろう? さっさと出て行けよ!」

 「あら、こんな子を雇おうって人、いるわけないじゃない。どうせ、院を出た後はどこかで身を持ち崩してのたれ死ぬのがオチよ。

 ねぇ、どうなるかなんて分かってるんだから、少し早まってもいいんじゃない?

 察しなさいよ」


 ティナは何も言わずにむっくりと起きあがる。

 地面に強打した膝が痛かったが、それだっていつものことだ。

 汚れたシーツを集め、再度、井戸の方に向かう。

 反応がないことにじれた子供達は、地面にあった小石を拾って投げつける。

 背中に当たって息が止まった。

 ざわっと空気が揺らめき、ティナの周りでかげろうが揺れる。

 ティナは慌てたが、幾度も背を打つ小石が、しつこく彼女の理性を取り払おうとしてくるので、気を落ち着けることもできない。

 目の前の空間に、炎がともったのが見えた。

 ティナは嫌々をする幼子のように、頭を振ってうずくまった。


 「やめろ!」

 ティナがうずくまったところで、割ってはいる人影が現れた。

 「ティナ、大丈夫か?」

 頼もしい声に、ホッとして声を返す。

 「……ベレン、ありがとう。大丈夫、大したことないわ」

 ティナと同い年の少年は、ティナをかばうように立つと、後ろにいた子供達を振り返った。

 「ティナが何をしたんだ? お前等いつも集団でティナをいじめやがって!」

 「ベレンこそ、どうかしてるわよ! そんな化け物をかばっちゃって!」

 ベレンに気がある、と言われている少女は、顔を真っ赤にしてティナを指さす。

 その指から放たれた言葉が真っ直ぐに胸に刺さった。

 「ティナ!」

 ベレンの呼ぶ声も振り切り、ティナは走り出す。


 ここは教会が運営する孤児院で、ティナは親に捨てられた子供だった。

 親は、田舎では名の知れた豪農だったらしい。

 らしい、というのは、ティナはそのことを、この孤児院に来てから知ったからだ。

 七才までしか住んでいなかった家の記憶も、家族の記憶も曖昧だ。

 覚えているのは、燃えさかる炎と、父親と思われる男性がティナを怯えた目で見つめる姿。そして……。

 「化け物……か」


 何故なのかは分からない。

 ティナには不思議な力があった。

 ものを浮かせたり、炎を出したり。

 いつからあったのかは覚えていない。

 ただ、ティナの感情の高まりにあわせて現れ、その力の強さは年々増していた。

 それが爆発したのが、母を病で亡くしたあの夜。

 寂しさと切なさから、ティナは周りに当たり散らし、そこから生まれた炎が家を焼いた。

 人的被害はなかったものの、今思えば家を丸ごと焼いてしまったのだ、かなりの財産を失っただろう。

 父はティナを化け物と呼び、孤児院に捨てた。


 「そう呼ばれる度に、あなたは自暴自棄になり、うずくまって泣くんですか?」

 根菜の入った木箱の陰に座り込んでいたティナに、冷たい声が振ってくる。

 誰の声かなど、見上げずとも分かった。

 「シスターソフィア……。泣いていません」

 「自暴自棄になっていることは認めるんですね」

 突き放した言い方に、のろのろと視線をあげる。

 背の高い、凛とした姿のシスターが、腕を組んで見下ろしていた。

 まだ若いだろうに、そうやって威圧的に見下ろす様には、どうにもあらがいがたい貫禄がある。

 そして、シスター達の中でも、ソフィアは特別ティナに厳しい人だ。

 いつもこうやって、落ち込んでいるティナを探し出しては、厳しい言葉をかけ、無理矢理にでも立ち上がらせる。

 「あなたも四日後には十六才です。独り立ちする時は間近に迫っています。これからはもっとひどいことだって、あなたに降りかかるでしょう。その度にうずくまって泣くだけなら、確かにあなたのいく末は知れていますね」

 「あ、あなたに私の何が分かるって言うんですか! なんなの! 化け物には、落ち込むことだって許されないの?」

 さすがに立ち上がり、シスターに向かって叫ぶ。

 ソフィアはその様を見て、薄く笑った。

 「私はあなたとは違う人間です。あなたの何を分かるっていうんですか? あなたのことは、あなた自身が考えなさい。

 ……まぁ、立ち上がる元気があるのであれば、先ほどの落ち込みだって、その程度だったってことでしょう?

 シーツの洗濯がまだ途中ですよ。なすべきことをなしなさい」

 「冷血シスター!」

 「あなたからいただけるなら、誉め言葉です」

 シスターは整った顔に綺麗な笑みを浮かべ、優雅に去っていく。

 ティナは、シスターが去っていった方向とは正反対の方向へ、猛然と歩き出す。

 「腹立つ、腹立つ、腹立つ、腹立つ、あぁ、腹立つ!」

 シスター達は皆、ティナに近づこうとしない。

 その中で唯一、ティナに近づいてくるのは、わざわざ嫌みを言いにくるソフィアだ。何がおもしろいのか、ティナに厳しいことばかり言って、命じて、冷笑しながら去っていく。

 「嫌いなら、近づいてこなければいいのに!」

 ほかのシスターのように。

 いかにも田舎のオバチャン的なほかのシスターも、やはり田舎のオバチャン的な院長も、決してティナに近づいてはこない。彼女たちは何か仕事を命じるときでさえ、ソフィアを通じるようになっている。

 ティナに関わりたくない、という様子は見え見えだ。

 それも勿論、腹立たしいのだが、だからといって、積極的に関わってきてくれたとしても、口を開けば嫌みと蔑みに満ちているソフィアの態度が嬉しいとはかけらも思わない。

 寧ろ、日増しにいらだちが募り、怒りがわいてくるばかりだった。

 その怒りを糧に、日々過ごしていると言っても、過言ではなかった。


 今も、足音も高く元の場所に戻る。

 だが、洗濯物が散らばった場所に来ても、シーツもかごもどこにもない。

 ティナは井戸に向かった。

 井戸では、ベレンが洗濯物をたらいに入れ、冷水をものともせず、シーツを両足で踏んでいた。

 「ベレン! ごめんなさい、私!」

 ベレンは肩をすくめて、笑った。


 この孤児院で、ティナにわざわざ近づいてくるのは、シスターソフィアともう一人、このベレンだ。

 ベレンは、やはり親に捨てられた子供だった。

 孤児院に来たのもティナと同じ頃。

 食いつめた親が、孤児院の前にベレンを置き去りにしたのだ。

 「俺の場合はさ、ティナとは違って、親は泣きながら謝ってたし。気にしてないって言えば嘘になるけど。気にしないようにしてる。ティナとは状況が違うよ」

 親に愛情を持って、真っ直ぐに育てられてきたベレンは、最初からティナにも物怖じしなかった。ティナの持て余した感情により、怪我をしたことも何度もあったが、ベレンは気にしなかった。

 「兄弟喧嘩の方がひどかったよ。俺、チビだった頃は怪我ばっかりだったもん。気にすんなって」

 ベレンの笑顔は、ティナに、既におぼろげだった母の笑顔を思い出させてくれて、いつも気持ちを落ち着けてくれる。


 「後は絞るだけなんだけど、来てくれて助かった。やっぱ、二人いないと、絞りづらい」

 ベレンは冷えて真っ赤になった足をこすり合わせながら盥から出て、シーツの片方をティナに差し出す。

 「ごめんなさい。私の仕事なのに……」

 「この間、ソーセージくれたろ? 俺の好物。アレのお礼」

 二人で反対方向にシーツをねじり、水を落とす。

 孤児達のベッドシーツを全部干し終わり、気づくとお昼だ。

 孤児院は基本一日二食なので、夕方まではこの空きっ腹を抱えていなければならない。運が良ければ、篤実家とやらの差し入れた、軽食が発生することもあるが。そんなものは稀だ。


 教会のてっぺんにある鐘が鳴る。

 昼の礼拝と、その後はシスターソフィアによる勉強の時間が待っている。

 算術と読み書きを教えてくれるシスターソフィアは、この孤児院のシスターの中では抜きん出て教養がある。

 彼女の発案で、黒板とチョークも何とか工面し、子供達に教育が与えられるようになった。この教育を受けた子供の中には、よい商会に就職できた者もいる。

 それはそれで良いことだと思うのだが……。


 「ティナ、この程度の算術もできないのでは、この先が思いやられます。何のために、読み書きと算術が必要なのか、覚えていますか?」

 早朝から働いていた子供達にとって、ソフィアの授業は昼寝の時間にもなる。

 ティナも例に漏れず、うとうとしていたところで、ソフィアに計算の答えを求められ、わからない、と答えるしかなかった。

 「あの……私、そういうところには就職できそうにないし、別にいらない……」

 パシン!

 ソフィアの手が、教壇をたたく。ティナはすくみ上がった。

 「算術も読み書きも、あなたがたがこれからの生活を送るに当たって、損をしないように、効率よく物事を行えるように、非常に重要です。

 これまで教えてきたことを、何も覚えていないようですね、ティナ。

 思い出すまで、この問題を解いていなさい」

 ソフィアは凄まじい勢いで教壇の後ろにあった黒板に、いくつもの式を書いていく。

 そして、ティナを黒板の前に立たせると、ほかの子供達には黒板の半分を使って、読み書きの勉強に入る。


 結局ティナは、夕食終了ぎりぎりの時間まで問題を解き続けることになった。

 ソフィアの冷たい「良いでしょう」という台詞とともに、お腹がぐぅ~と鳴ったのは必然だった。

 ティナは食堂に駆け込み、何とかベレンが残してくれていた、冷たいスープとパンを空きっ腹に流し込んだ。

 「何よ、あのばばぁ! 嫌がらせばっかり! ……さっさと、ここを出て行きたい」

 「……でも、行く宛なんてないじゃないか」

 子供をあやすように、ティナの頭をぽんぽんとなでるベレン。

 ティナはその手を邪険に払った。

 分かっている。ここを追い出されれば、その日の食べるものにも困る日々が待っているのだ。

 悔し涙が浮かんだが、目を強く瞑って我慢する。

 「俺と一緒に、遠くの街に行く? ティナのことを知ってる奴なんて誰もいないところ。そこで二人で商売でも始めよっか」

 「ベレンが成人する半年もの間、私はどうするのよ」

 鼻をすすりながら聞き返すと、ベレンは自分の皿を片づけながら、天井を見上げた。

 「院長に泣きついて、雑用でここにおいてもらう?」

 「冗談じゃないわ! こんなところ、もうたくさん!」

 ベレンが彼なりの優しさから言ってくれていることは十分分かる。

 しかし、彼の言うことは所詮、夢物語にしか聞こえない。

 ティナは残ったパンでスープをさらって、しばらく喋らずにすむよう、口をいっぱいにした。


 粗末なベッドに入って、天井をにらみつける。

 今日が終われば、成人まで三日。

 実際、ベレンの言うことも一理ある。

 孤児院でも、街でも、ティナのことは有名だ。有名すぎた。

 誰も彼女のことを知らない場所まで行ければ。

 それはどこだろう? 隣町程度ではダメだ。

 もっと遠く。もっと人の多いところ。

 ……例えば、王都ローウィン。


 不毛な考え事に没頭し、うとうとしかけたところで、馬車の音を聞いたような気がして、目が覚める。

 こんな夜更けに訪問者など、滅多にあることではない。

 孤児院は教会が運営しているから、教会もすぐ隣にある。

 教区長に緊急の用事でもできたのだろうか?

 好奇心がティナを動かした。

 冷たい床に裸足をおろし、ぺたぺたと廊下にでる。

 誰かに見つかったら、「喉が渇いた」と言い訳しようと決めていた。

 息を殺して、そっと進む。

 「ティナ、危ないよ」

 「きゃぁ!」

 背後から急に肩をつかまれ、ティナは悲鳴を上げた。

 「しー! 静かに! 見つかったら、朝食抜きになる!」

 ベレンはティナの口をふさいで、辺りを見回す。幸い、飛び出てくるシスターは誰もいなかった。

 「びっくりするじゃない! ひどいわ、ベレン!」

 「これからは、声をかける前に、「声をかけます」って声をかけるよ」

 うんざりしたようにベレンが言い返す。

 ティナはその言葉の意味を考え、からかわれたと知り、ベレンの背中を強かに叩いた。

 「ひどいのはティナだよ。暴力女め」

 「そんなことより、こんな夜中にどんなお客様かしら。教会のお偉いさんとかかな」

 「こういう夜中にくるってことは、すごく急なことか、人に知られたくないか、どちらかだよ。部屋に戻ろう?」

 不安顔のベレンを無視して、ティナは教会へ続く渡り廊下に足を踏み出す。

 ティナとしては、教区長への客だとしたら、結構遠いところから来たのではないか、と考えていたのだ。

 うまく面識を得られれば、ここから出られるかも知れない。

 遠い教会に行ければ、自分はもっと「普通に」生きていけるかも知れない。

 それは、差し迫った希望であり、焦りでもあった。

 「ベレンは戻っていなさいよ。私一人で行くから」

 「女の子一人で行かせられるわけ、ないだろう? もう。一度言い出したら、聞かないんだから」

 ベレンが深くため息をつくのをよそに、ティナは確実に歩んでいく。


 院長の部屋にもうすぐ、というところだった。

 目指す部屋のドアがいきなり大きく開け放たれ、シスターソフィアが飛び出てきた。

 「私は反対です! ティナはまだ成人前の子供ですよ! それを、高額の寄付と引き替えに渡すなんて、野蛮にもほどがあります!」

 ソフィアは廊下で呆然とする二人に気づくこともなく、部屋の中の人物を怒鳴りつける。ソフィアの腕を、続いて出てきた院長が掴んだ。

 「シスターソフィア! あの子は厄介者で、もう間もなく成人なのです。第一、あなたがどれほど探しても、就職先は見つからないではありませんか!」

 「だったら! この教会に置いてあげれば良いではありませんか!」

 院長が何事かを言うよりも先に、部屋の奥から、底冷えのする男性の声が聞こえた。

 「シスターソフィアとやら、これは決定事項だ。貴様など及びもしない、いと高きお方からのご命令だ」

 温度も感情も、何も感じさせない淡々とした声。

 ソフィアは憎々しげに顔をゆがめ、そして、やっと座り込んでいる二人に気づいた。

 「二人とも、すぐに部屋に戻りなさい!」

 悲鳴のように、ソフィアの声が響く。

 院長もその声で、すぐにティナに気づいたようだった。

 「この子です。この少女がティナですよ」

 ソフィアを押し退けて、院長はティナの腕を掴み、部屋の中に強引に引き込む。

 「院長! 私はまだ、納得しておりません!」

 「院長はこの私です!」

 院長はソフィアに言い返しながらも、乱暴にティナを絨毯の上に転がす。

 さすがに、ここまで乱雑に扱われたのは初めてだった。

 ティナは何が起こっているのか全く分からないまま、恐る恐る視線をあげた。

 そこには、黒装束を身にまとい、顔もほとんど判別つかないほど帽子を目深にかぶった、痩せぎすの背の高い男が立っていた。

 目の前の靴はぴかぴかで、服の仕立ても良い。

 男の奥には、似たような風体の男がもう一人立っていたが、そちらは値踏みするようにティナを見下ろすばかりだ。

 「貴様がティナか。この石を持ってみろ」

 ソフィアとは比べものにならない威圧感を纏った目前の男が、ティナの前に真っ青な半透明の石を差し出してくる。

 有無を言わせぬ雰囲気に気圧されて、ティナは震えながら石を手に持った。


 手にその重さを感じた瞬間、まばゆい光が石から溢れ、部屋中を照らす。

 青い石は、ティナの手の中で真紅に輝き、まるで踊る炎のような光を漏らしていた。

 それと同時に、体中の何かを強引に引き出されるのを感じ、急速に頭に霞がかかっていく。ティナは目眩を感じ、石を床に落とした。

 光は消え、元の青い石に戻る。

 「こ、これは?」

 「あなた達、ティナをいったい、どうするおつもり?!」

 院長の戸惑いも、ソフィアの詰問にも答えない。

 素早く落ちた石を拾った男は、黙って奥に立っている男を振り返り、見つめる。

 それまで黙っていた男が囁くように言った。

 「合格じゃ」

 それを合図にしたように、ティナは強引に立ち上がらされ、引っ張るように部屋から出される。

 まだ廊下にいたベレンは慌てて立ち上がると、ティナに向かって手を伸ばした。しかしそれも、黒ずくめの男によって邪険に払われるしかなかった。

 「この娘はもらっていく。他言は無用。寄付金は満額だ。いいな、院長。そいつ等にも言い聞かせておけ。不要な不幸を避けたければな」

 「ティナ、ティナ!」

 ソフィアとベレンの追いすがる声が聞こえる。

 だが二人とも、院長やほかのシスターによって引き留められていた。


 あれ、と思う。

 ソフィアは、自分を嫌いなのだとばかり、思っていた。

 だが、ベレンにも増して、何とか追いつこうとするソフィアの姿に、ティナは混乱した。

 「ティナを返しなさい、ティナ!」

 「……ソフィア!」

 ソフィアの名を呼び、手を伸ばす。

 聞きたいことがあった。聞かなければならないことがあった。

 男の体が、二人を遮る。

 「ソフィア! ベレン!」

 「ティナ!」


 教会の前には、黒い箱馬車が一行を待っていた。

 窓もすべてつぶされ、棺桶が入っていてもおかしくないような、不吉な印象。

 その中にたたき込まれて、ティナはようやく我に返った。

 「やめて、離して! あんた達、誰よ! 私をどうしようっての?!」

 「なるほど、気も強いか。その方が、大舞台には良かろう」

 嗄れた声が、喉の奥で笑う。あの一言以外、ずっと部屋の奥で黙っていた方の男だ。

 「この!」

 ティナは感情の高まりを感じていたが、いつもなら感じるはずの力の気配が感じられない。

 「あ、あれ? この! この!」

 「無駄じゃ、小娘。そなたの力は先ほどの石で放出されておる。しばし、力は使えぬであろうな」

 覆面をとったそこには、枯れたような老人がいた。

 だが、鋭い眼光が、ティナを射竦める。何か、ティナの知らない圧倒的な力が、老人にはあるような気がした。

 「私の……力のこと、知ってるのね? 何なの? これはどういう力なの!」

 狭い馬車の中で、ティナは老人に近づこうとし、まだ彼女の腕を掴んでいた男に床に打ち付けられる。

 あまりの勢いに息が止まった。

 ついで、馬車が既に走り出していることに、ティナはこのときにようやく気づいた。

 「館についたところで、教えてやろう。今はその臭い体を、これ以上こちらに近づけるな。よいな」

 以降、ティナは馬車の中の端に鎖でつながれ、屈辱とともに運ばれた。


 館という場所がこれほど遠いとは、ティナは思わなかった。

 連れてこられたお屋敷で体中を洗われ、街娘のような真新しいワンピースに着替えさせられ、ここがあの老人が言っていた「館」なのだろうと思っていたら、違った。

 結局、ティナは更に五日間、馬車で揺られ続け、その間ずっと鎖でつながれた状態になった。

 あれほど来るのを待ち遠しく、また恐ろしく感じていた成人の日も、あっさりと馬車の中で迎えた。

 老人は途中から別の馬車に乗っている。ティナと一緒に乗るのは、無口な壮年の男のみ。

 鎖には何か特殊な力もあるらしく、それをつけている間、ティナはティナ自身の力を使えなくなる。

 そのための拘束具なのだろうが、扱いも、何もかも、ティナは気にくわなかった。


 この老人達は、明らかにティナの力を知っている。

 ティナですら知らない、ティナの力のことを。

 その上で、奴隷のように扱っているのだ。


 ティナの体中から、ふつふつと怒りがわき上がってくるのを感じる。

 鎖がほどかれた瞬間に、すべてを焼き尽くしてやろうか、と。

 だが、そうする度に何故か、シスターソフィアの声が脳裏によみがえった。

 「すべてを燃やし尽くして、その後、どうするんですか?」

 冷たくも、突き放しているようにも聞こえていたソフィアの言葉達。

 それが何故か、優しくティナを包み込み、怒りを氷解させる。

 「自分のことは自分で考えなさい。そして、なすべきことをなしなさい」

 燃やし尽くして、追われて、本物の化け物になるのか? それが自分の望んだことなのか?

 ティナは首を横に振り、無言で自分を観察する男を見返す。

 ティナはここに来て、自分がどれほど無知であったのかを噛みしめていた。

 少なくとも、このいけ好かない男達は、ティナの知らないことを知っている。館に着けば、それを教えて貰えるかも知れない。

 今後を判断するのは、それからでも良いように思えた。

 「いろいろ知ってて損はないよ。商売を始めるのは、いつでもできるでしょ?」

 ベレンの笑った顔を思い出す。

 「そうね。私はまだ、大丈夫。見違えるような成長をして、ソフィアをぎゃふんと言わせてやるわよ、ベレン!」

 堂々と天に向かって独り言を言い放つ少女を、男はうろんな目つきで見ていた。

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