気づいたら、豪傑系悪役令嬢になっていた
悪役令嬢は好きなジャンルなので、いつか書きたいなと思いつつ話が思い浮かばず、思い浮かんだと思えばこんな奇妙な話になってしまいました。
多くの方に楽しんでいただけたようで、嬉しいです。ありがとうございます。
クロエ・ビッテンフェルトという悪役令嬢について説明しよう。
彼女は、そこそこにコアな人気のある乙女ゲーム「ヴィーナスファンタジア 〜愛しき我が女神〜」に出てくる主人公のライバル。
俗に言う悪役令嬢というポジションのキャラクターである。
このゲームは剣と魔法のファンタジックな世界を舞台に、平民出身の主人公が学園生活を通じてキラキラと美しい上流階級の男性達のハートを射止め、恋に落ちる事を目的としたものだ。
そして五人いる男性達のシナリオにはそれぞれ主人公のライバルとなる令嬢がいて、あらゆる分野で競い合って男性の愛を奪い合うのである。
クロエはそのライバル令嬢の一人なのだが、彼女は少しばかり他のライバル達と毛色が違っていた。
他の令嬢が、絵画、料理、舞踏、チェスなどの令嬢らしき華やかな特技で主人公と渡り合うのに対し、クロエだけは得意な分野が闘技なのである。
見た目だって美少女というよりもイケメンと形容すべき容姿だ。
それだけでこのゲームにおいて彼女が異彩を放っている事にお気づきいただけるだろう。
が、彼女の特異性はそれだけに留まらない。
攻略対象を巡る対決はミニゲーム仕様になっているのだが、このゲームの製作スタッフはミニゲームに力を入れすぎており、彼女との戦いは本格的な2D格闘ゲームとなっている。
他の令嬢の対決ミニゲームも音ゲーやらパズルやらとかなり本格的な作りになっているのだが、この格闘ゲームは特に作りこみが異常だった。
クリアすると2P対戦ができ、作中の攻略対象とライバル令嬢が全員使えるという仕様である。
誰得であろうか。
だがその格闘ゲームのバランスはとてもよく、格ゲーを買ったら乙女ゲーがついてきたと言われる程である。
ちなみに私がこのゲームを買ったのは、格ゲーの方が目当てだった。
基本、私はアクションか対戦格闘ジャンルのゲームしかやらない。
そのついでに本来の乙女ゲーにもハマってしまったクチだ。
と、それを聞けばこのゲームがコアな人気を誇る理由がお解かりいただけるだろう。
とにかく異色の乙女ゲームなのだ。
そして彼女の出るルートシナリオだが、とてつもなく暑苦しい。
まず主人公との出会いからして他と一線を画している。「お前は強いな。だが、まだ私には遠く及ばない」という強キャラ臭のする言い回しと共に現れるのだ。
そして再びまみえた時の戦いで、特訓した主人公にあっさりと敗れる。
なんやかんやで、攻略対象と仲良くしていると妨害してくる(ミニゲーム)。
その後、何故か隣国との戦争へ発展する(戦争が起きるのは彼女がライバルになるルートだけ)。
本来魔力は貴族しか持っていないが、平民でありながら貴族以上の魔力を持つと言われる主人公は戦争への参加を促され、クロエは主人公を追う形で志願して参戦する。
敵国との戦いの最中、主人公のピンチに颯爽と現れて「お前を倒していいのは私だけだ」とか言い出す。
最終的に、軍事作戦の最中に攻略対象の男性を見届け人として主人公へ決闘を申し込み、破れた後に敵の部隊から襲撃される。
「ここは私に任せておけ。お前達は逃げろ」と言って主人公達を逃す。
援軍を連れて戻ってきた主人公が目にしたのは、百を超える敵の死体の中心で立ったまま息絶えているクロエだった。
と、乙女ゲーにあるまじき壮絶な死に様を見せる。
なおかつ、攻略対象の男性とは婚約関係があるだけで別に恋愛感情を持っているわけではない。
妨害してくるのは、単に主人公への対抗心からだけだ。
もはや攻略対象のルートではなく、彼女のルートと言っても過言ではない目立ちようだ。
というわけわからん仕様だ。
正直、恋のライバルではなくただのライバルである。
そもそも乙女ゲームのシナリオではない。
シナリオライターに少年漫画家を起用したのではないか? という疑惑が沸く程の熱々ぶりだ。
このゲームの異彩さ、その全てを担っているかのような彼女。
クロエ・ビッテンフェルト。
一部のファンからは、豪傑系悪役令嬢という肩書きをいただいている。
実は、私の事である。
それらの知識を私が思い出したのは、自宅の庭で父親との稽古中に投げ飛ばされて頭を打った時だった。
ガチンと後頭部を石にぶつけてしまい、同時に生前の記憶がシナプスを駆け巡った。
「大丈夫か?」
「お、思い出した」
「大丈夫そうだな」
私の容態を見るために駆け寄った父が、淡々と告げる。
「なら早く立て。稽古を続けるぞ」
一人娘が強かに頭を打ったのだから、もう少し労わってくれてもいいと思うのだけど。
まぁ、そんな理屈が通じない人間だという事は、この十二年でよくわかっているが。
「はい、父上」
反論しても無駄な事はわかっているので、私は素直に従った。
父との稽古を再開する。
その間に、私は思い出した事、今の状況の整理を始めた。
まず、今現在の私。
十二歳。貴族令嬢。
名前はクロエ。
次にかつての私。
十七歳。ゲーマー。
名前は同じく黒恵。
若干キラキラしているね。
学校の屋上でフェンスに寄りかかり、そのままフェンスごと体が傾き、視界が反転した所まで憶えている。
そこから先はどうなったのか憶えていない。
状況から考えて、屋上のフェンスが外れて落ちてしまったのだろう。
私はあの時に命を落として、どういうわけかゲームの世界のキャラクターに生まれ変わったという事だろうか?
よりによって、かの悪名高いクロエ・ビッテンフェルトに。
実は病院のベッドで見ている夢だったりして。
まぁ、この世界が現実でも夢でもこの際どちらでもいいけどね。
こうして生きている事を実感できるなら、生きられる限り生きていきたい。
さて、前世を思い出した私だが、クロエが体験してきた十二年間も全て憶えている。
ほとんど父から地獄の特訓を受けていた記憶ぐらいしかないが。
両親共に遊んでもらった記憶がないというちょっと悲しい記憶だ。
前世でのゲームからして、彼女の父親がろくでもないという事はわかっていたのだが、実際にどう育てられたのか体験すると本当にろくでもない事がわかった。
ビッテンフェルト家は武門の家系であり、父親は国一番の武芸者であると言われていた。
そのせいもあって、私は幼少時代から父に鍛えられているわけだ。
こんな育てられ方をしたから、主人公への接し方がおかしくなってしまい、最終的にあんな死に方をしてしまうのだ。
そう、あんな……。
「ボーっとするな!」
窘める怒鳴り声と共に、私は再び父に投げ飛ばされていた。
庭の木に激突する。
打った背中がジンジンと痛む。
だが、今の私はそれどころじゃなかった。
このままゲーム通りに進み、主人公が私の婚約者と恋にでも落ちた場合、私は若くしてあんな壮絶な死に方をするはめになるかもしれないのだった。
「これは大変だ……。絶対に回避しなくちゃ……」
私は数年後の未来に起こるであろう自分の死を回避するため、尽力する覚悟を決めた。
さて、死の運命を回避するとして具体的にどうすればいいのでしょうか?
ちょっと状況を整理しつつ方法を探ってみよう。
クロエの直接的な死因は隣国の兵士と戦って力尽きたという物。
敵兵は全員倒していた所から見るに、これは事前の主人公との決闘をせず、万全の体勢で戦えば生き残れる可能性あり。
ただ、ちょっと正確性に欠ける。
それならば、そもそもの原因である戦争を回避する方がまだ確実だ。
では何故、根本的な原因である戦争が起きたのか?
ゲーム的な話でいうと主人公と我が婚約者様の恋愛フラグが原因。
戦争に至る詳細な背景は不明。
とんだバタフライエフェクトである。
少なくとも、ゲーム知識だけでは解決案が出ない。
ならば、今は主人公と我が婚約者様の恋愛が原因と仮定しておく。
具体的な対応策としては、二人の仲を妨害すればいいのか?
いやいや、それはゲームの展開と同じだ。
主人公に勝てばいいが、負ければデッドエンドへ一歩踏み入る事となる。
格ゲーマーとしてはちょっと主人公と戦ってみたい気も……。
いや、ダメだダメだ。
死活問題なんだぞ!
でも、二人の恋愛フラグを折るという考えは間違ってないかもしれない。
ただ妨害するという方法がリスキーなだけだ。
もっと安全で、確実な方法があればこの部分の改変がもっとも正解に近いと思う。
うーんそうだな、たとえば……。
その日、我が家には来客があった。
当家の玄関先で迎え入れたその人物の名は、アルディリア・ラーゼンフォルト。
私の婚約者様その人である。
くるくるとした栗色の巻き毛。ブラウンの瞳。小柄で華奢な印象の少年だ。
全てが曲線でデザインされたかのような丸みのある顔立ちは、女の子のように可愛らしい。
ゲームをプレイした私は、彼がこの容姿を維持したままサイズアップする事を知っている。
それに比例して私も同じように大きくなるわけだ。
多分、私のデザインがイケメン寄りなのは彼との対比だ。
どうだ、似合わんだろう?
だから奪って救い出してやれ、という意図でもあったのかもしれない。
生前の私は、なんとなくそう思っていた。実際は知らん。
彼は自分の父親と共に訪れた。
彼の父親がアルディリアの背中を軽く押す。
それが合図だったのか、アルディリアが口を開いた。
「お、お招きに預かり、光栄です。クロエ様」
おどおどとした口調でたどたどしくアルディリアは口上を述べる。
前もって言う事を決められていたのか、アルディリアは言い終えると露骨にホッとした表情になった。
「こちらこそ、光栄です。アルディリア様」
返すと、ホッとした表情が消え、再び緊張の色を見せる。
私の前だと、基本おどおどしてるんだよねぇ。
こっちの方が身長高いから、ちょっと威圧感を覚えちゃうのかな?
怖くないよー?
私はにっこりと笑いかけた。
アルディリアはビクリと身を震わせた。
何でや? 怖くないやろ? 女の子やぞ。
女の子に笑いかけられたら、男としては喜ぶ所やで。
心の中でおちゃらけてみても、理不尽に怖がられたショックと計画初手の失敗は取り返せない。
いかんな。
これが死亡ルート回避策。その一。
アルディリアと婚約者としての関係を強めよう作戦だ。
ゲームの彼はクロエに苦手意識を持っていて、彼女を避けていた。
クロエがアルディリアの事を「軟弱者」と蔑んでいた事が原因だ。
それがトラウマとなっていて、主人公はその心の隙間に付け込むわけなのだが……。
まぁ、とにかくその苦手意識を無くして、あわよくば私に恋でもしてもらえば一発逆転で死のルートが消えると考えたわけだ。
いや、さっきは理不尽に怖がられていると言ったけど、本当の所は理由もわかってるんだよね。
実は記憶を取り戻す前にやっちゃったんだ。「軟弱者」発言。
「ホニャララついてんのか?」とか乙女が口にするべきではない事も言った気がする。
まったく、クロエのやんちゃには困ったもんだぜ。
それでも定期的に来るのは、彼の父親に私と仲良くするよう言い含められているからなのだろうか?
「では、私は君のお父上と話があるので、アルディリアと二人で話をしていてくれるかい?」
アルディリアの父親は優しく私に言うが、それを聞いたアルディリアは絶望的な表情になった。
間違いなく父親に無理やり連れられてきているな。
二人っきりは嫌、と顔に書いてある。
こんな彼が自主的に私と会おうとするなんて考えられない。
「はい。わかりました」
「では、よろしく頼むよ」
アルディリアの父親が去り、私は彼を見た。
怯えた小動物を思わせる濡れた瞳が私を捉えていた。
酷い事しないで。と言葉にせず語っているようだ。
もう、やめてよ。
何だかすごく悪い事してる気分になる。
ホラホラ、私が来たからあーんしん。
「とりあえず、庭にでも行きましょうか」
「は、はい」
大丈夫だって。
別に大人の目のない所でイジメるわけでもないんだからさ。
私は彼を半ば強制的に外へ連れ出した。
何とか仲良くなりたい。
というか、せめて「軟弱者」発言を帳消しにできる程度には関係を修復したい所である。
こいつ、何が好きだったっけなぁ?
何をすれば喜ぶんだろう?
私のゲーム知識に彼の詳細なデータなんてない。
憶えている事なんて、格闘ゲーム内での性能ぐらい。
積極的に自分では手を出さず、どこからともなくリス、小鳥、モグラの小動物三種を召喚して攻撃する。
三つのしもべに命令だ。
召喚攻撃はわずかなモーションしかなくて、召喚してすぐに本体を動かせる。
地面に設置した中段判定のあるモグラを任意のタイミングで出現させ、ガードさせながら本体の下段攻撃で崩す事ができる。
つまり相手にガードさせると有利になる「固め」に優れている。
ゲームの性格に見合わず攻撃的な運用が必要なキャラクターだ。
相手にする分には一番嫌いなキャラクターだったりする。
ただしクロエ自身には当身技があるので、比較的対処は楽。
私の愛用キャラクターが彼女では無いので嫌いなだけだ。
まぁとにかく、今は全然役に立たない情報だ。
「あっ」
ふいに、彼は声をあげた。
そちらを見ると、彼は足元を見て硬直していた。
その視線の先には、一匹のリスがいた。
彼を慕うように、前足を彼の足にかけて顔を見上げていた。
鼻をヒコヒコ動かしているさまが可愛らしい。
「リスだね」
私が言うと、彼は焦った表情で私を見た。
だから、そんなこの世の終わりみたいな顔をするな。
そういえば、クロエが「軟弱者」って口走った時もアルディリアはリスを可愛がっていたんだったっけ。
また同じ事を言われると思ったのかな。
私は言わんよ。言ったのはクロエだから。
私じゃないよ?
「あ、あっちいけ!」
アルディリアは軽く足を動かして、リスを追い払った。
リスはアルディリアから離れ、名残惜しそうに彼へ振り返ってから近くの木へよじ登った。
「あ、あの……」
アルディリアが上目遣いで私を見上げる。大変可愛らしい。
けどな。
確かに、君は軟弱者かもしれないな。
「アルディリア。私は前に、あなたの事を「軟弱者」と罵った。それは謝ります」
「クロエ様?」
「クロエでよろしい。一応、婚約者ですからね。それより、私が気になっているのはあなたの自主性の無さです」
「自主性、ですか?」
「私が言うのも横暴に思えるかもしれませんけどね。人の言葉で自分の行動を変える人間は「軟弱者」と謗られても仕方がないものなのですよ。嫌な事は嫌なのだと口にしなさい」
「で、でも……」
何かを口にしようとして、彼は口ごもる。
「言いたい事があれば言ってもいいのですよ。周りを見てみなさい。自分の言いたい事を言う人間ばかりでしょう。だったらあなただって、言いたい事を好き勝手に言ってもいいと思いませんか?」
「それは、クロエみたいにって事、ですか?」
早速言うようになりやがったな。
「そうですね。アルディリアは、周りの言葉に振り回されすぎです。私に「軟弱者」と謗られたってリスを可愛がってもいいし、私に会いたくないならお父様にも抗ってみなさい。そんなあなたなら、きっと誰も「軟弱者」などと謗る事はないでしょう」
気付けば、アルディリアはじっと私の顔を見上げていた。
何だよ? その不思議そうな顔は?
脳筋だと思った? 残念、前世の記憶が蘇ったクロエちゃんでした!
「何だか、クロエは変わりましたね。言葉遣いも話の内容も変わって、頭が良さそうに見えます」
あれ? 本気で脳筋だと思われてた感がある?
「でもクロエは、前に「お前は私の言う事だけ聞いていればいい。口答えするな」って言ってませんでした?」
言いましたね……。
くそ、クロエめ。足を引っ張りやがって。
あいつはクロエの中でも一番残念な子。
クロエの面汚しよ。
「それも謝ります」
「ふふふ」
アルディリアが笑う。女の子みたいに可愛い笑顔だ。
これはクロエじゃなくても「ついてんのか?」とか言っちゃうわ。
しかし、彼の体を蝕んでいた緊張が取れた気がする。
前の彼は、私にこんな笑顔を向ける事なんてなかったから。
ちょっと、変わったかな? 私達の関係も。
これで仲良くなれたのなら、嬉しいけれど。
父上から虐待寸前の訓練を受け続けてきた人生だが、それも悪い事ばかりではなかった。
何より、その厳しさがあったからこそもたらされた物もあるわけで……。
私は今、裏庭で丸太を相手に剣の稽古をしていた。
「ヘイ!」
叫び、剣で丸太を切り上げる。丸太は易々と宙に浮く。
私は飛び上がり、空中で丸太を乱れ切りにする。この間、魔力を駆使して滞空時間を延ばす事も忘れない。
途中で手を指鉄砲の形にして、指先から魔力の弾を連射。最後に剣で叩き落す。
「クレイズィッ!」
着地と同時に叫びを上げる。
「OKッ!」
これは違ったかな?
地獄の特訓によって、私の体は前世ではありえない程の身体能力を有していた。
体が軽く、思い描いた通りに動く。
その上、魔力を使う事もできるのでさらにやりたい放題できた。
まるでアクションゲームで見る事ができるようなトンデモアクションが現実に、しかも自分の体でできるようになったのだ。
そして今の私は、スタイリッシュアクションごっこをしている。
正直、超楽しい。
お父様ありがとう! ろくでもないなんて思ってごめんね。
と、私はここ最近、父との稽古の後に毎日アクションゲームの主人公ゴッコをして遊んでいる。
今日はスタイリッシュ。明日はヤクザ。明後日はニンジャかなぁ。
などと毎日楽しく過ごしていた。
のだが……。
ある日、父上からの呼び出しがあった。
「クロエ。お前は最近、稽古の後で自己流の鍛錬をしているようだな」
「はい。もっと強くなりたかったので!」
ごめんなさい。普通に遊んでただけです。
叱られたくなくて、ちょっとカッコイイ事を言ってみました。
偽りのストイックさを褒めてください。
「馬鹿者!」
「え?」
叱られたし。
何で?
「私が教えるならまだしも、自分で考えた鍛錬をするなど何事だ! 馬鹿者め!」
何事で怒っておるのかわからんのですが?
「何故、いけないのですか?」
「そんな事もわからんのか! 馬鹿者め! その性根を叩き直してやる。外へ出ろ!」
お父様、ちょっと言葉が足りません。
考えるに、成長しきっていない体で素人考えの鍛錬をすれば、体を痛めるとかそういった意味だろうか。
それか、自分を蔑ろにされたと思って怒っているだけだったりして。
私は父上に連れられて、庭に出た。
木剣を渡される。
「さぁ、かかってこい。お前の浅知恵がどれ程に愚かな事か証明してやろう」
考えようによっては、いい機会なのかもしれない。
この父上は脳筋ではあるが、その実力だけは確かだ。
アルディリアのルートでも彼は戦争中に大活躍している。
二、三行程度の表記で立ち絵も台詞もないが、敵の兵士を千切っては投げ千切っては投げしていたようだ。
正直、設定上は作中最強の存在かもしれない。
だったら、私の愛するトンデモアクションが現実にどれだけ通用するのか試せるかもしれない。
「わかりました。いきます!」
私が構えると、父も同じく木剣を構えた。
おっと、父の教えで戦っては試せない。
あくまでも私は、私が培ってきた動きが通用するのかを確かめたいのだ。
私は構えを解いて、ぶらりと剣を持った。
「構えろ」
「必要ありません」
答えると、父上は表情を一層険しくした。
剣を振り上げて迫ってくる。
さぁ父上、たまには私の遊びに付き合ってもらいましょう。
かいつまんで話せば、結果的に私は父上に勝利した。
あまりにも見せ場のない泥仕合だったので、特筆すべき事があまりない戦いだった。
基本に忠実で愚直なまでに正攻法の父上に対し、私はゲームキャラクターをトレースしたトリッキーな動きで対応した。
指鉄砲をガードさせて固めたり、突進突きで奇襲してみたり、魔力の足場を作って二段ジャンプしてみたり、離れて挑発してみたり。
そのどれにも父上は驚いていたが、それでもちゃんと対応していた。
対して私は父上の攻撃を防いでも受けきれないので、まともに打ち合わず逃げながら戦っていた。
決して動きを読まれないようパターンを変えながら、それでいて相手のパターンを読みながら慎重に攻め立てた。
幸い、私は長年の稽古で父上のパターンをある程度理解していたので、それほど動きを読む事に苦労しなかった。
ここらあたりは、前世での格ゲー経験が役立ってもいたのだろう。
最終的に、父上は私の振った剣を受けきれず、自分の剣を叩き飛ばされてしまった。
「参った」
剣の切っ先を突きつけると、父上はあっさりと降参した。
「強くなったな。間違っていたのは、私だったようだ」
プライドの高い父上の事。
てっきり、とても怒られるのではないかと思っていたが、意外な事に父上は素直に自分の非を詫びた。
「ありがとうございました」
父上はそれ以上何も言わず、私に背を向けて屋敷の方へ歩いていった。
その背中には、哀愁が漂っているように見えた。
やっぱり、プライドは傷ついてしまっているのかもしれない。
悪い事をしたな。
あとで、慰めてあげようかな。
パパ、だーい好き! なんて可愛らしい愛娘から慰められれば、きっとプライドなんて一瞬で回復するよ。
しかし父上に勝てたという事は、今の私はこのゲーム内で最強の存在になってしまったという事なのだろうか?
ちなみに、私が父上を慰める機会はなかった。
何故なら父上はその後、「旅に出る」という短い書置きを残して家を出て行ったからだ。
いい歳して家出なんて、娘として超恥ずかしいよ。パパン。
それから三年経った。
父上は帰って来ていない。
そしてついに私はゲームの舞台へ上がる事となる。
というのも、ゲームの舞台である国立魔法学園に入学する事となったからだ。
そして早速、私は私の運命を握る人物との邂逅を果たした。
「どーも、カナリオ・ロレンスさん。クロエ・ビッテンフェルトです」
「ど、どうも、ご丁寧に、クロエ・ビッテンフェルト様? カナリオ・ロレンスと申します。どうしてあたしの名前を?」
学校の敷地内、校舎の裏で私はこのゲームの主人公であるカナリオ・ロレンスと遭遇した。
彼女と私の初遭遇は、アルディリアが校舎裏にある木の木陰でリスと戯れている所をカナリオが目撃し、声をかけた事がきっかけで起こる。
どうしてお前、いつもリスと絡んでるの? とアルディリアに言いたい所だが、彼のデザインモデルがリスなのだから仕方が無い。
小さい所や髪の色なんかにその片鱗が見える。
名前だって、そのまま「リス」という意味だし。
だからと言って、安易にリスと絡めるのは脚本家の怠慢と言わざるを得ないか……。
そして、ゲームと同じ展開が今起こり、カナリオとアルディリアが楽しげに話していたので、私もゲーム通りに挨拶しようと思ったのだ。
ただ本来ならばもっと挑発的な所ちょっと台詞を変えて、丁寧に対応してみた。
本当は原作通りに進めてみたいとも思い、本来の台詞が口を衝いて出かけたけど我慢した。
「有名ですよ。平民出身の入学者は」
私が言うと、カナリオは見るからに警戒した。
早速、誰かに何か言われたかな?
お里が知れましてよ。とか。
ああ、そういえばゲームではこの時すでに他の悪役令嬢には会っているんだ。
すごい嫌味を言われていた気がする。警戒するのも無理ないね。
でもなんで、お前もちょっと緊張してるの? アルディリア。
私達の会話に割り込んでくれてもいいのよ?
「怖がらなくてもよろしい。私を階級だけで実力のない貴族令嬢と同じに見ないでいただきたい。そういう連中は平民でありながら優れた魔力資質を持つあなたを恐れているのでしょうが、私にとってあなたは敵になりえないのですから」
ちょっとカッコつけた物言いになってしまった。
何だか知らないけれど、カナリオと話そうとすると言葉が挑発的になる。
ゲーム補正というやつだろうか?
イジメないから安心してほしいという意味だったんだけど。
でも、私の言いたい事は伝わったのか、カナリオはホッとして警戒を解いた。
「わかっていただけましたか?」
「はい。こちらこそ、失礼な態度をとりました」
素直な子。
私はホッコリと笑う。
「さて、それよりなんでアルディリアはまだビクビクしているのですか?」
「え、あ、うん。なんでもないよ。僕は、カナリオさんと話をしていただけだからね」
それは見ればわかる。
何を話していたのかも知ってるよ。ゲームプレイの時に見聞きしたから。
私の悪口を言っていたわけでもないんだから、そんなに怖がる事ないでしょ。
いや、ゲームでも怖がっていたか。なら、これもゲーム補正かな?
その後少しの雑談をして、私はカナリオと仲良くなる事に成功した。
最初から記憶ありだったから、アルディリアみたいな事にならなくてよかった。
これでまた一歩、私の死亡フラグ回避に近付いたかな。
カナリオ・ロレンスは主人公。
流石に主人公の情報は知っている。
というかシナリオ冒頭に一人称でだいたいの事を語ってくれる。
簡単にまとめると――
平民出身だけど魔力があったので魔法学校へ入学する事になった十五歳のどこにでもいる女の子。
好きな食べ物はリンゴ。
貴族ばかりの学園でやっていけるかすっごく不安。
でも私は前向きだから大丈夫。
うろ覚えだが、そんな感じだったと思う。
各ルートはそれぞれ別のライターが書いているらしいので、相手によって性格がころころ変わる。
アルディリアのルートでは言葉の最後に「ッッッ!」をよくつけたりする。
ちなみにクロエもよく使う語尾(?)だ。
アルディリアは使わない。
ちなみに、この国で崇められている女神を祭る巫女の血を引いている。
が、それは一部のルートでしか明かされない。
神聖な血筋なので、皇族とも釣り合いが取れるという話だ。
格闘ゲームの性能はスタンダード。
飛び道具と無敵対空技を持っていて使いやすい。
クセがなくて、誰が使ってもある程度強い感じのキャラクターである。
と、ゲームの設定を語ってみたが、実際に付き合ってみると主人公だけあってとても魅力のある人間である事がわかった。
能力云々何よりも、人当たりが誰に対してもいいのだ。
そりゃ、みんな好きになるよ。納得だ。
それから数日後。
場所は校舎内。
廊下の真ん中で人だかりができていた。廊下の人の流れが完全に止まっていた。
どうやら彼らはギャラリーのようで、人だかりの中心にいる何かを見ているようだ。
怒鳴る女性の声が聞こえる。
お、喧嘩かい? いいねぇ、俺も俺も、というつもりで私は人垣を掻き分けていったわけなのだが、そこにいたのはカナリオともう一人の令嬢だった。
そのもう一人なのだが、実は私が一番好きな悪役令嬢だったのである。
イメージカラーの赤をそのままに映した真紅のドレス。切れ長の怜悧な瞳。そして先端の鋭利な黒髪の立派なドリル。
彼女こそ、ゲーム中で一番悪役令嬢らしい悪役令嬢、アードラー・フェルディウスその人である。
彼女はファンの間でテンプレートな悪役令嬢と呼ばれている。
主人公につっかかり意地悪な事を言って、悪質な嫌がらせをする。
足を引っ掛ける事に始まり、教科書をため池に投棄、実技服(体操服みたいなもの)を切り刻む、おめーの席ねーから、とさまざまな嫌がらせを主人公に加えるのだ。
「どうして? どうしていつも私にそんな意地悪をするんですか!」
普段、余程の事がないと怒鳴る事のないカナリオが声を荒らげて激怒していた。
「あなたは、自分自身を顧みる事があって?」
対してアードラーは、あくまでも静かな口調で返す。
ああ、思い出した。
このシーンは、度重なるアードラーの嫌がらせにカナリオが怒りを爆発させるシーンだ。
という事は、私の出る幕じゃないな。
「っ……! どういう意味です?」
「わからない?」
「わからないから聞いているんです!」
「この場に相応しくない大声ね。本当に、相応しくないわ」
アードラーは冷笑する。
「わかりやすく言ってあげるなら、似つかわしくないのよ。あなた」
「何に似つかわしくないと言うんです?」
「……さぁ、何かしらね。真っ当な考えを持つ人間なら、自分で気付けるのではなくて? 自分自身が恥ずかしい人間だと」
「私は何にも恥ずかしい生き方はしていません!」
アードラーはカナリオに一歩近寄った。
身長差の関係で若干カナリオの顔を見上げながら、アードラーは睨みつける。
「本来なら貴族の学び舎であるこの場所に、あなたのような平民が恥ずかしげもなくいる事が問題なのよ!」
アードラーはカナリオを突き飛ばした。カナリオはその場で尻餅を着く形で倒れる。
今度はカナリオが見上げる形となり、それでも怯む事無く彼女はアードラーと睨み合う。
「自分がこの場に相応しくないと認識なさい。そして、この場から去るがいいわ」
冷ややかに言い放つアードラー。
そんな時、ギャラリーが割れた。
割れてできた人垣の道を通り、一人の男性が登場する。
彼はリオン・アールネス。
この国の第一王子様で、攻略対象の一人だ。
そしてアードラーの婚約者であり、作中のメイン攻略対象でもある。
彼のルートこそが、このゲームの本筋となるシナリオなのである。
だって「君は我が女神だ」という台詞は彼しか言わないしね。
カナリオの出自がわかるのも彼のルートだけ。
つまりゲームのタイトルを反映しているのは彼のシナリオぐらいだ。
それに名前からして百獣の王とスペシャルだ。
キラキラツヤツヤした金髪に、空の青を映したような爽やかな青い瞳。
立ち居振る舞いも王族らしい堂々としたものだ。
うちのリスちゃんとはえらい違いである。
「アードラー。何をしているんだ?」
リオンは場を見て、すぐに状況を察したらしい。
アードラーを咎めるように詰問する。
問われた彼女はリオンに背を向ける。
「わたくしは道理を弁えない平民に、身分によった渡世という物を説いただけですわ」
「暴力に訴える事が、高い身分の者のする事か?」
「少し押しただけではありませんか。それくらいで尻餅をつくなんて、思いもしなかったわ。それより……」
アードラーは首と視線を巡らせて、リオンに目を向ける。
「リオン様こそ、えらくその平民にご執心ではございませんか」
「……私は、王になる身として、民一人一人を大事にしていきたいと思っているだけだ」
「そう……。ならそれもいいでしょう。ただし、自分に相応しき立場と行いは、何もその平民だけに限った話だけではないのですよ。あなたも王なのでしたら、身分に見合った振舞いをなさいませ。では、ごきげんよう」
その言葉を残して、アードラーは去って行った。
彼女の行く先で、ギャラリーが割れる。彼女はその道を悠然と歩いていく。
「あの、よかったのですか?」
「構わない」
「でも……私は……」
「あれは王としての私しか見ていない。嫉妬ではないさ」
このイベントが起きるという事は、ある程度リオンのフラグが成立しているという事だ。
まだルートには入っていないが、心は通い合っている。
ただ、身分に邪魔されて二人とも恋の相手になる覚悟ができていない状態だ。
ま、シナリオが進めばそんな物ポンと放り投げてしまうが。
おほっ、もしかしてもう私の死亡ルート回避できたんじゃねぇ?
リオンのルートに入れば、戦争は起きないのだから。
と、それよりも今は気になる事がある。
せっかく、アードラーを見つけたのだ。
好きなキャラクターと会えたのだから、お近づきになっておきたい。
私は彼女の背中を追って歩き出した。
ストーキングとちゃうで?
好きな子の事はなんでも知りたいだけなんや、ゲヘゲヘ。
アードラー・フェルディウスは公爵家の令嬢だ。
父親が大臣をしており、家の格と幼少の頃よりの美貌からリオンの婚約者に選ばれた。
そして、彼女とクロエにはある共通点がある。
婚約者を愛していない事だ。
正確には、婚約者を愛している描写がないのだ。
アードラーはリオンに近付くカナリオへ嫌がらせをするが、感情的になる事は一切ない。
嘲っているわけでもなく、怒っているでもなく、ただ淡々と義務のように、カナリオをリオンから遠ざけようとしているように見える。
あくまでも淑女であるという体裁を崩さないまま、彼女はカナリオと向かい合うのである。
それはリオンがさっき言ったように、愛情ではなく地位を欲しての事なのかもしれない。
でも欲望まみれな様子ではなく、プロフェッショナルとかストイックとかいう言葉が似合う立ち居振る舞いなのだ。
彼女は最後、カナリオへの行き過ぎた嫌がらせを断罪される。
そして、国外へ追放されるのだ。
その時に彼女は言う。
「では、ごきげんよう」
悔しさはなく、悲嘆もなく、恨むようでもなく、晴れやかでもなく、ただ一言。
普段通りの調子で彼女は一礼し、学園の外へ歩いていく。
校門の外に待つ馬車と半身を向けてこちらへ上品な笑顔を送る彼女。
それが彼女の最後のスチル、一枚絵だ。
そのスチルが、私には強く印象に残っていた。
最後の言葉を聞く限り、彼女にリオンへの執着はない。
もしかしたら彼女は平民と王族の婚姻を貴族としての義務から妨害していたのではないか、とも思えてしまう。
その義務から解放された事で、笑みを浮かべたのではないかと思えてしまう。
本当の所はわからない。
ただ彼女が心を隠す事に長けていただけかもしれない。
でもその姿が、私には格好良く見えた。
だからそんな彼女と友達になりたいと思った。
彼女がいったいどんな人間なのか、知りたいと思った。
彼女の後を気付かれずについていくと、そのまま人気のない校舎裏へ向かった。
何をするつもりだろうか?
もしかして次の嫌がらせの準備だろうか?
仲良くなるためには私も手伝うべき?
いや、でも私カナリオも嫌いじゃないしなぁ。
とか考えながら彼女の様子を眺めていると、彼女はおもむろに地面の上へ座り込んだ。
膝を抱えた三角座りだ。
「はぁ……」
彼女にあるまじき深い溜息を吐く。表情もどこか儚げだ。
「何であんな事言っちゃったんだろ……。あんな事言ったら、嫌われちゃうだけなのに……」
そんな彼女の元に、リスが走り寄って来た。
この国のリスの分布はどうなっているんだろう?
天敵がいなくて増えすぎている事とかないか?
「ふふ、またあなたなの?」
どうやら知り合いらしい。
動物の知り合いがいるなんて、なんという乙女力だろう。
アードラーはリスの頭を優しく撫でた。
「あなたはいいわねぇ……。何も言わなくても、いるだけで可愛いんだから……。私もそうなりたい……。私だって本当は、リオン様に愛されたいのに……」
何だろう、見ていて切ないぞ。
ていうか、誰だよお前は。
しかしおかしい。
あまりにも私の知っている彼女じゃない。
いつも毅然と淑女然としていた彼女とまったくの別人だ。
……ああ、わかってる。
こういう人間をなんと言うのか。
お前、コミュ障だったのかっ!
そういえば、リオンルートのバッドエンドでは彼女がリオンの相手になるのだが、その時にこんな事を言っていた。
「彼は私だけの物。誰にも触れさせないわ」
エンディングに比べて、執着心丸出しの台詞だったからちょっと違和感があったけどあれはそういう事だったのか。
「どーも! アードラー・フェルディウス様! クロエ・ビッテンフェルトです!」
「きゃっ、誰あなた!」
私は彼女の前に飛び出した。アードラーが驚いて小さく飛び上がる。
リスが逃げていった。ごめんね。驚かせて。
「あなた、ビッテンフェルト家の令嬢?」
「如何にも、その通りです」
「当主が出奔したまま何年も帰って来ないという、あの?」
ああああぁぁ……っ! 父上の馬鹿! 恥ずかしい思いをしたじゃないか!
「そうです。笑ってくださってもよろしいのですよ」
「……いいえ、家にはそれぞれの事情がありましょう」
アードラーはスカートについた砂を払いながら立ち上がり、普段通りの口調で応じた。
そこに先ほどまでの儚さはない。
「普通に話してくださってもよろしいのですよ?」
「……何の事かしら?」
見られていた事をなかった事にして、そのまま取り繕うつもりらしいな。
こういう時は、私も自分をさらけ出した方がいいかな?
ほら、怖くなーい怖くなーい。
「まぁ、そう言わず、腹を割って話そうジャン」
「馴れ馴れしいわよ、あなた」
失敗か。
かと思った時、彼女は不意に顔を歪めた。
「……何よ! 馬鹿みたいだと思ってるんでしょ! 笑いたきゃ笑えばいいじゃない!」
何故か急に怒り出した。
今まで溜め込んできた事が、こうしてバレてしまった事で堰を切ったのかもしれない。
激昂する彼女の目じりには、涙が浮かんでいた。
でも、彼女の抱えている物はそうなってしまうくらいに大きな物だったのだろう。
彼女がどれだけ愛情を向けても、相手には伝わらない。
そうして、どんどん自分が好きになった相手を遠ざけていってしまう。
そして、そのまま最後には悲しく国を追われてしまう。
その際になっても、彼女は自分の心を隠し通すのだ。
他人に理解されないという事は、とても辛い事だ。
彼女は、悲しい生き物だな。
「いや、笑わないさ。悲しくて泣いている人間を私は笑えない」
アードラーはじんわりと涙の滲む目で私を睨み付けた。
怒ったかな?
そうだね。
私の薄っぺらい言葉なんて、きっと彼女の心を逆撫でしてしまうだけだな。
「ごめんなさい。無遠慮に踏み込み過ぎましたね」
私は背を向ける。
「待って」
引き止める声があった。
振り返る。
「……あなたは、ちょっと変わっているわ。私が自分の気持ちを話して、慰めてくれた人はあなたが始めてだもの」
「助けを求めれば、応えてくれる人の一人や二人はいるものですよ。ご両親とか適任だと思いますよ」
親は子供が可愛いものだと相場が決まっている。
「お父様もお母様も、私が我儘なのが悪いと、そう言って叱るだけだった」
どこの親もろくでもねぇなぁ、おい。
でも……。
心の苦しみって他人から見ればわからないものだからね。
彼女はその苦しみに真剣に悩んでいた。
それを伝えて助けを求め、拒否される事はどれだけ辛い事だろう。
「誰にだって悩みはあります。それはえてして、誰かに言い難いものですね」
「あなたにも、そういう悩みはあるの?」
「ええ。誰だって悩みはありますよ」
数年後に壮絶な死が待っている、とかね。
「そう……。だったら、余計に人へ言い難いわね。同じ悩みを与えてしまうかもしれないから」
「いえいえ、誰が何を抱えていようと遠慮する事なんてありません。
自分にとって重大な悩みでも、他人にとってどうでもいいかもしれませんし。そういう人の意見を聞けば、案外すぐ悩みが消える事だってあります。
まぁ、人は選らんだ方がいいと思いますけどね。でなければ、秘密の悩みを言いふらされたりしますよ」
「あなたは?」
「ん?」
「あなたは、信用してもいい人かしら? 私の悩み、話してしまっても大丈夫な人かしら?」
視線をそらしつつちらちらと私を見ながら、アードラーはおずおずと訊ねてくる。
ちょっと顔が赤い。
やだ、可愛いじゃない……!
こんな姿を見ていると、どの辺りが悪役令嬢らしい悪役令嬢だと言われていたのかわからなくなる。
「さあねぇ。それはあなたが判断してください」
私とアードラーはこうして友達になった。
それから毎日、アードラーが休み時間に私の教室まで来るようになった。
同時に、カナリオへの嫌がらせが無くなったらしい。
嫌がらせよりも私を優先してくれているという事だろうか?
友達だと思ってくれているなら嬉しいね。
休日にも私の家へ遊びに着たり、私がお呼ばれされたりするようにもなった。
「ねぇ、私にもちょっと闘技を教えてくれないかしら? 代わりに舞踊を教えるから」
アードラーがそう言ってきたのは、彼女が私の家で私の鍛錬を眺めている時だ。
鍛錬の途中で彼女が遊びに来て、メイドに連れられて庭まで来たのだ。
すぐに中断しようと思ったが、彼女が続けてもいいと言ったから一区切りするまで鍛錬を続けていた。
今日は無双の日。
頭に触覚を付けたつもりで槍を振り回していた。
その時に、彼女はそんな事を切り出したのだ。
「ダメかしら?」
「別にいいよ。教えるくらい」
舞踏は彼女の最も得意とする分野だ。
実際にゲームでは主人公と競い合うミニゲームが舞踏だった。
音ゲーみたいなやつでしたけど。
でもアードラーは舞踊よりも闘技の才能の方がある気がする。
何せ彼女は強キャラの一人なのだから。
格闘ゲームでの彼女は、無敵の特殊ステップと強い対空攻撃を持つキャラクターだった。
特殊ステップは強弱で前後距離調節のできる無敵移動ができ、使いこなせれば間合いが自由自在に調節できる。熟練者になればなるほど攻撃が当たりにくくなる。
6P(相手方向入れパンチ)が踊りのポーズみたいに手を斜め上に突き上げる技で、その間は上半身無敵である。
だから相手のジャンプ攻撃に合わせれば、だいたい打ち勝てる。
しかも、空中で当てるともれなくゲージ消費の超必殺技へと繋がるのだ。
始動モーションが、前後に開脚したような蹴りを上空へ見舞う様から、パンモロキックと呼ばれていた。
ちなみに、私の愛用キャラは彼女だ。
別に強キャラだったから使っていたわけじゃないよ?
好きで使っていたキャラがたまたま強キャラだっただけだよ。
嘘じゃないよ。本当だよ。
「教えるのはいいけど、別に舞踏は教えてもらわなくていいよ。似合わないし」
私が言うと、アードラーはムッとする。
「それじゃあ、一方的じゃない。あなたに利がないでしょう?」
「別にいいと思うけどな。友達ってのは、そういった損得の部分も友情で補う物だと思うよ」
「私とは考え方が違うわね。互いに負い目を作らないから、対等に接する事ができるんじゃない」
それがアードラーの持つ友人観というものらしい。
彼女は私以外に親しい人間がいないという。
友達と呼べる者も当然いなかった。
それでもそんな考えを持っているという事は、ずっとこういう友人関係を持ちたいとずっと夢見ていたからなのかもしれない。
ああ、いじらしい。
「それに、あなたはスタイルがいいからきっと舞踏も似合うわ。女性向けのパートが難しくても、男性向けのパートは馴染むと思うし……」
それって、結局似合ってないって話じゃないの?
言葉が尻すぼみよ?
でも、折角のお勧めだしね。
「わかった。じゃあ、それでいいや。それで貸し借りなし。私達は対等だ」
私が言うと、満面の笑みを浮かべる。
喜色満面。その言葉通りの表情だ。
そんなに喜んでくれたなら、私も嬉しい。
その日から私は彼女に闘技を教え、代わりに舞踏を教えてもらう事になった。
それから私は、アルディリアやカナリオ、それにアードラー達と交友を深めて何事も無く学園生活を過ごした。
私はアードラーに教えてもらって踊りが上手くなった。
最近では踊る楽しさという物にも目覚め、たまにうろ覚えで前世の知識にあったダンスとかしてる。
歩いているように見せかけて後ろに進むやつとか、アードラーが驚いていた。
たまに「ポウ」とか叫ぶよ。
アードラーも最近は闘技の才能を開花させつつある。
元々舞踊を嗜んでいたので基礎体力には申し分もなく、踊りを覚える事にも慣れていたから型を憶えるのも得意だしね。
まだ負けないけれど、もう少ししたら一本取られる日が来るかもしれない。
正直、アルディリアより強い。
カナリオはアルディリアとくっつかず、リオン王子と仲睦まじくしている。
アードラーの妨害がなくなったおかげもあり、カナリオとリオン王子はゲーム以上の急速さで心を通わせるようになったらしい。
間違いなくこれは、リオンルートに入ったという事だろう。
もう、私の死亡フラグは折れた。
そう見て間違いない。
だから、私はこれからの人生を何の憂いもなく生きていける。
これからが、私の本当の人生だ。
楽しんでやるぞ! うおおおおぉっ!
なんて思っていた時期が私にもありました。
でもそれは間違いだったのだ。
何故かと言えば、なんと隣国が宣戦布告をしてきたからだった。
何でこうなったんだろうなぁ。
私は作戦行動中、山道を歩きながらそんな事を考える。
少数の人員で山中にある相手の砦へ潜入し、破壊工作を行うという作戦だ。
メンバーは私とアルディリアだけ。
本来なら戦に向いていない彼だが、婚約者である私に同行するという名目で参戦する事になっていた。これはゲームでも同じだ。
ただ、あの時はそれを建前にしてカナリオについていっていたみたいだけど。
私達は二人でこの作戦を行っていた。
本来ならばこの場に、カナリオもいたのだけどね。
リオン王子の差し金でカナリオは戦争自体に参加していない。
だって、次期王の第一王妃になるかもしれん人だしね。
絶えたと思われていた巫女の家系でもある事だし。
そう、私は今、自分の死ぬイベントを行っている最中だった。
本来、このまま行けばカナリオに決闘を申し込んで負け、敵兵に囲まれるはずだ。
それがこの作戦なのである。
戦争のフラグは、完全に折ったと思ったのに何故こんな事になってしまったのだろうか?
もしかして、戦争のフラグはアルディリアルートとはまた別の場所にあったという事なのだろうか?
うーん、考えてもわからない。
本当なら私も参加したくなかったが、今現在我が家では当主が不在だ。
国は父の戦力をあてにしており、その穴埋めとして私は強制的に参戦させられた。
元々ゲームでも、カナリオを参戦させるくらいに切羽詰っていたのだから、戦力に余裕がないのも仕方がない。
父の出奔した理由が私に負けたから、という話が出回っている事も理由かな。
でも、たとえあのイベントが起きても私は死なないんじゃないかとも思える。
だって今の私、この世界で最強だし?
何より、カナリオとは物理的にここでは戦えないし?
消耗がないから、兵士の百人くらいならちょちょいのちょいだよ。
なんて楽観視しながら山中を歩いていたのだが、開けた岩場の道へと差し掛かった時、敵兵士から待ち伏せされた。
戦隊ヒーローがよく戦っていそうな場所だ。
岩の物陰に隠れていた兵士達が、私達を囲い込むように飛び出してきたのだ。
「クロエ!」
「わかってる」
叫ぶアルディリアに答える。二人して剣を抜く。
数は百人とちょっとぐらい。
多分、ゲーム通りだろう。
これならなんとかなる。
「ふふふふふ」
すると、兵士の囲みが割れて黒い鎧を着た怪しい男が現れた。
その顔は黒い兜に覆われ、その下にはいったいどんなおぞましい顔が隠されている事だろう。
奴はいったい、何者なんだ……?
まぁ、声で気付いているんだけどね。
「久し振りだな。クロエ」
「お久し振りです、父上」
私が答えると、黒い鎧の男は兜を取った。
思った通り、そこには三年前に家出した恥ずかしいうちの親父様がいた。
「何故、敵国にいるのですか?」
「それはお前と再びまみえ、真剣勝負の中で次こそは勝つためよ。そのために私はこの三年間を修行に費やし、戦争を仕掛けようか迷っていた王の背中を押してやったのだからな」
テメェのせいか!
この馬鹿親父ぃ!
「そんな事のために戦争を起こしたのですか?」
「そんな事だと? 貴様にはわかるまい。実の娘に完膚無きまでの敗北を喫した男の屈辱など……。この屈辱を雪ぐためなら、私は実の娘の命すら散らせて見せよう」
……本当に、ろくでもない。
っていうか、これって私が父上に勝ってしまった事が原因で起こったという事なのか?
ゲームとは関係の無い、私が新しく開拓してしまったルートという事になるのだろうか?
くそ、迂闊だった。
「さぁ、一対一で戦え! そして我が人生の汚点を消してやる!」
「仕方ないですねぇ……。その間、手出しさせないって事でいいですよね?」
「無論だ」
一度、アルディリアを振り返る。
「クロエ……」
「手出し無用、ですよ?」
心配そうなアルディリアに言い、私は父上と向き直った。
「じゃあ久し振りに、親子の語らいでもしましょうか」
私は剣の切っ先を父上に向けた。
それが、戦いの合図となった。
私と父上の戦いは数十合の打ち合いに及んだ。
互いに振った一撃を凌ぎ合う。
私の体は前とは違う。
戦い方も前のような飛び回ってばかりのトリッキーな物じゃない。
身長が伸び、体力を培い、筋肉量も増えた。
ゲームキャラクターのトレースばかりじゃなく、さらに実戦向きに進化させた自分なりの闘技になっていた。
私は前に父上と戦った時以上に強くなっている。
だが、それでも父上と私は互角だった。
どれだけの修行を積んできたのか、その一撃一撃を受けるたびにわかった。
その一撃一撃を以って、伝えてくるようだった。
私の力を見ろ。
これがお前の父親の本当の力なのだ、と。
でも、そんな事は言われなくてもわかっている。
父上は信じないかもしれないけれど、私は父上の事を馬鹿にした事なんてないんだよ。
父上の強さは知っているし、ずっと誇らしいと思っていた。
今もそれは変わらない。
闘いの末、私達は互いに傷だらけだった。
おびただしい量の血が体中から流れ出ている。
それでも、致命傷は一つとしてなかった。
傷つき、血を流す度、少しずつ命を磨耗させていくような感覚を私は味わった。
父上もまた同じだろう。
そして決着の時は訪れる。
父上の剣に切り払われ、私の持つ剣が根元から折れた。
刃が宙を舞い、くるりくるりと回りながら飛んでいく。
父上は笑みを作った。
勝利を確信した笑みだ。
私の顔先へと、刃を突きつけようとする。
あの時と同じ。
あの時、私が父上を打ち負かし、切っ先を突きつけ、降参を促した時と同じだ。
でもこれは、あの時の稽古ではないんだよ。父上。
私は折れた剣を手放し、目前の刃先に向けて一歩踏み出した。
剣の刃が私の頬を掠め、切り裂いて通り過ぎる。
驚く父上の顔。
その真ん中に、私は力の限り拳を振り抜いた。
倒れる父上に馬乗りとなって、そのまま何度も殴りつけた。
父上の顔がみるみる内に腫れ上がり、口の中が切れたのか血が口からあふれ出していた。
息も絶え絶えだ。
「家出はおしまいです。父上」
「くっ……!」
私は拳を振り上げて、最後の一撃を父上に見舞った。
父上は拳を受け、気を失った。
まったく、手間のかかるパパンだよ。
それより……。
私は辺りを見回した。
周りを囲む兵士達が殺気立っている。
今にも襲い掛かってこようとしていた。
決着はついた。
なら、もう別に手出ししないという約束は切れたって事だろう。
勝てば逃してもらえるなんて、そんな都合の良い事はないだろう。
体はもうふらふらだった。
妙に重くて、動きにくい。
こんなんじゃ、満足に戦う事もできないだろう。
カナリオとの戦いを回避できた代わりに、こんな激しい戦いが用意されているなんて思いもしなかった。
はぁ、結局一緒か。
私の運命は、どう足掻いてもここで終わりだったようだ。
いや、ちょっと本来の運命よりも悪いかな。
アルディリアを見る。
彼は私に走り寄ってきていた。
私が下手に運命を変えようとしなければ、アルディリアはここにいなかった。
敵兵に見つかる前に、逃げられるはずだったんだ。
それなのに私が下手に運命を変えたせいで待ち伏せされて、逃げられなくなってしまった。
彼の命も私の運命に巻き込んでしまったのだ。
「ごめんなさい。アルディリア」
「何を謝る事があるのさ?」
「私が婚約者だったばっかりに、こんな所まで来てしまう事になったから」
「ふふ」
「何がおかしいの?」
「僕はね、君に相応しい人間になりたいんだ。婚約者らしい事を今までできなかったけれど、ようやくそれができそうで僕は今嬉しいんだ。同じ方向を見て、並び立っている。それだけで嬉しいんだ」
物好きだなぁ、アルディリアは。
まぁ、でも二人ならやれるかもしれないしね。
彼のためにも、最後まで諦めないようにしなくちゃな。
その時だった。
後方の兵士達から悲鳴が上がった。
見ると囲みを破ってこちらに走り寄る少女の姿があった。
「間に合ったみたいね」
その少女は、軽装の鎧に身を包んだアードラーだった。
「アードラー? どうしてここに?」
「たまたま通りかかっただけよ」
嘘吐け。
「何よ? ……本当よ。それよりこれ」
アードラーが剣を一本投げて寄越す。
空中で受け取る。
「ありがとう」
「二人だけじゃ難しいかもしれないけれど、三人ならなんとかなると思わなくって?」
結局は助けに来てくれたって事か。
もう、あなたまで少年漫画のライバルみたいになっちゃって。
私はこちらを囲む兵士達を見回した。
しかし、アードラーの言葉は正しい気がする。
三人ならやれる。
そんな気がしてきた。
せっかく、友達が助けにきてくれたんだ。
ここで生き残れないなんて事あるわけない。
「そうだね。私達なら、やれるね」
何だか心に余裕ができた。
少し前までの絶望的な気分が消え失せていた。
なら少し、格好をつけてみるか。
一世一代の大見得だ。
敵兵士へ向けて手招きする。
「お前ら全員相手になってやる。死にたい奴からかかってこい!」
私は全ての兵士に届くよう、大音声で見得を切った。
次いで、敵兵達の怒号が一斉に発せられた。
「案外、やれるものだね」
一刻後、私達三人は敵兵士の倒れる岩場の中央で立っていた。
みんな満身創痍で体中ボロボロだ。
私は立っていたが、二人は最後の敵を倒した時に膝を折ってしまった。
「二人とも、大丈夫?」
「大丈夫。でも、ちょっと疲れたかな……」
本当に疲れきった声でアルディリアが返す。
よく頑張ったね。
「その貧弱っ子よりは余裕があるわよ」
「酷いや……」
アードラーが何でもない調子で返し、アルディリアが悲しそうに呟く。
彼女も大丈夫そうだ。
みんな命に別状はなさそうだ。
私は今度こそ、死の運命を退けたのだろう。
二人のおかげだ。
どちらかがいなくても、きっと私は助からなかった。
しかし、どうしてアードラーはここに居たんだろう?
「ねぇ、どうしてアードラーは助けに来てくれたの?」
「言ったでしょう? 通りがかっただけよ」
「本当は?」
「ええっ?」
追求されるとは思わなかったのか、アードラーは大仰に驚く。
いやいや、納得するわけないでしょう?
さっきは切羽詰っていたから追及しなかっただけだよ。
「何で何で?」
何でかなー?
私には見当もつかないなー。
知りたいなー。
ニヤニヤ。
ぐぬぬ、と苦悩の表情を作るアードラー。
しかしやがて、彼女は顔を真っ赤にしながら呟くように答えた。
「あなたの助けになりたかったから……」
「ん? 何て?」
「助けになりたかったから、志願してクロエの部隊に合流させてもらったの」
ふぅん。
本当なら戦争にも参加しなくてよかったのに、わざわざ志願までして来てくれたんだ。
いやぁ、友情って本当にいいものですよね。
「ありがとう」
「ふん、当然よ。あなたは私の物なんだから、誰にも触れさせないわ。たとえ相手が死神だったとしてもね」
いやぁ、本当に友情っていいね。
ん? 今の台詞って……。
えーと、本当に友情だよね?
アクションゲームはともかく、格闘ゲームの知識は聞きかじり程度なのでアードラーが実際に強キャラ足りえるのかはわかりません。
ところで、連載版などは興味がございますか?