#5 死の湖
街の出入口付近。その側で、出街の手続きをしている大きなほろ付き運搬馬車が止まっている。それを引く馬は一本のツノが生えている事から察するに、一角馬と言ったところだろうか。ちなみに、普通の馬一頭の力を一馬力と言い、一角馬は大体四馬力だそうだ。カツラペディア参照。
「あれが、僕の護衛する商業隊ですか?」
「隣町まで約五時間程度だが、賊が出ないとも限らんのだ。本当はもう少し護衛人数を増やしたいのだが…」
ちらりと、僕と桂さんを見て小さく溜息をつく。
「依頼料が足りないのだ」
「世知辛い世の中ですね…」
「どこの世界でも、お金が大事なんだよ」
「うむ、その通りだ。それでは、改めてよろしくお願いする。荷台の後ろに少し空きを設けたから、そこで待機してほしい。それから、自己紹介が遅れたね…私は〈シンバ〉という者だ」
「…これはどうも。優川彦星です」
「せんせ…ヒコボシの妻です。優川小子と申します」
「ふむふむ、夫婦でギルド会員なのかね。色々大変だろうが、仲良くやりなさい」
道中何かあるといけないから嘘を言ったのだろうが、果たしてこれもいつまで持つか。
指示された場所に座り、間もなくして僕達は街を出る。
出てすぐ、街の外は小さな人工林が広がっていた。
「こうして見ると、本当にここって異世界なんだよなぁ」
「どうしたんですか、急に。先生はまだ、夢だと疑ってたんですか?」
「可能性として、な…でも、街から出たらそんな考え消えた」
街にいた時は気付かなかったが、僕達のいた街は五メートル程の壁で囲まれている。門兵がいる時点で気付けよって話だが、気付かなかったものは仕方がない。それで、どうしてこんな壁があるかと言われれば、外の驚異から護るためだ。
「ほら、あそこ…見えるか?」
「…どれです?」
「あの茂みだよ。棍棒を持った緑色の生き物…おそらく、ゴブリンだ。他にも、スライムやらファンタジック生物が沢山いるだろ?」
「……どれです?」
「見えてないのか?ほら、今度は木の上…」
目線を桂さんと同じ高さにし、ついでに目視精度を上げるために顔を限りなく近づける。
「…あぁ、あれですか。見えました」
「あんな異形の生物を見たら、信じるしかないかなって」
「そうですね」
ちなみに、茂みの中の生物はこちらに興味が無いようで、襲ってくる気配は微塵も感じられない。
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そうして人工林を抜け、草原の道無き道を商業隊は進む。荷台のほろからは青臭い風が吹き込み、顔を出せば心なしか夏休みの思い出が蘇る。
「…まて、なんで今夏休みのフレーズが出てくる」
「どうかしました?」
「いや、なんか……」
ほろから顔を突き出し、軽く深呼吸する。鼻の奥をツンと突くような鋭い香りがし、そしてそれは間もなく確認する事が出来た。
「…あれ、海じゃね?」
「先生、海の対岸が見えるんですか?」
「…いや……でも、この潮の香りはどうしたって誤魔化せないぞ?」
「…でしたら、シンバさんに聞けば良いじゃないですか」
まぁ、それはわかっていた事だ。異世界召喚されて一週間も経って無いのに、周りの地形情報を知るはずもない。こういうのは、シンバさんみたいな現地の人に聞くのが一番早い。
「え、あの湖の事かね?」
「えぇ、最近この辺に来たもんですから、周囲の土地情報を知りたくて」
「……ヒコボシ君、キミは他国の間者かね?」
「ち、違いますよ!なんとなく、故郷と同じ風が吹いたもんですから、気になっただけです」
「そういう事なら……」
シンバさんが言うには、あの湖には魚が一匹も住んでおらず、呪われた湖とも、死の湖とも言われているらしい。また、この辺りでは子供の脅し文句に使ったりしているとの事。湖に入ろうものなら酷い脱力感や意識が途切れたりするので、湖の精霊が入水を拒んでいるとの伝承もあるそうな。
「私も、子供の頃に親に内緒で行ったことがあるのだが、あれほど恐ろしいものは見たことが無い」
「そうなんですか…今、寄ってもらう事は出来ますか?僕も行ってみたいです」
「…今から行く街で、その湖の話を聞いた上で、それでも行きたければ寄ろう。ただし、私は近くまで送るだけだ」
そう言って、シンバさんはいっそう馬車の足を速める。よほどあの湖が怖いんだろう…まぁ、僕はあの湖の正体を半分くらいは理解しているのだけど、な。
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道中、特に何事も無く、比較的短時間で目的の街に辿り着いた。シンバさん曰く、
「街の中は安全だから、しばらくは自由に観光して来るといい」
との名目の元、休憩時間を三時間程貰ったので例の湖の情報を集めつつ、桂さんと一緒にぶらぶらと街の中を歩く。
「私達二人の時は何も言いませんけど、一歩外に出たら私の事を “ 桂さん ” なんて呼ばないでくださいね。嘘は、身近な所からバレますから」
「うん、わかった」
「私も、先生とは呼ばずに名前で呼びます。いいですね、彦星さん?」
「…お、おぅ」
とかなんとか表向きの顔を作りながら、桂さん……もとい、小子と大通りを練り歩く。
しかし、観光と言っても別段何か珍しいわけでもなくて、僕達のいた街とそんなに変わらなかった。表通りも裏通りも活気に満ち溢れ、実に雰囲気の良い街並みだ。
あえて僕達のいた街との違いを挙げるとするならば、街の中心に王城が建っているのと、元の世界で見慣れた白い教会が建っている事くらいだ。
「この教会であの神様を崇めているのか…」
「彦星さん、この辺ではあまり言わない方が良いですよ。変な目で見られて、私達の素性がバレるといけませんから」
「そうだな」
世界の創造主をアレ呼ばわりとは、またまた失礼な彦星だが、実際にあの神様には貫禄が無いのだから仕方がない。
「どうしますか?ちょっと覗いて行きます?」
「うーん、そうだなぁ……中にいる神父様にあの湖について聞いてみるかな」
そう思い至り、教会の白い扉に手をかけると、鉄と鉄が擦れる鈍い音と共に重く開いた。
中では、数人があの神様の神像に祈りを捧げたり、格子の付いた小さな個室で懺悔をしたり。まぁ、いわゆる一般的な教会のイメージそのものの光景だった。
「あなたも、神に祈りを捧げに来たのですか?」
「…は?」
教会の中を散策して、辺りを見回しているのがキョドっているように見えたのか、神官の一人に声をかけられた。
「いえ、私達は少し神父様にお尋ねしたい事がありまして…神父様はどちらに?」
「あぁ、そうそう。うん、神父様はどこに?」
「神父様は現在外出しておりまして。あと半刻で戻られるかと」
対応に困った僕に対して、小子のフォローっぷりはもう一級品だ。これまで、何度救われた事かわからない。作者の仕事をクビになりかけた時も、小子がいなければ首の皮一枚残らなかったはずだから。
「半刻……一時間程ですね…わかりました。ありがとうございます」
「いえいえ、例には及びませんよ」
…だろうな。神官サマよ、目線がちぃとばかし低すぎやしませんかね?そこに成るはダブルパイナポーですぜ?顔はもう少し上だ。
「あー、それじゃ小子。どっか座って待ってようか?それとも街をまだ見に行くか?」
「私、お腹すきました。どこか食べに行きましょう」
「…携帯食料はどうするんだよ」
「それは、今日の夜食です」
……と、またもや教会を後にして街中を散策する。レストラン的な店を探そうとも考えたのだが、それならいっそギルドホールの食堂が手っ取り早いとの事で、そこを目指す。
案の定、この街にもギルドホールは存在し、間取りに少々の違いはあるものの基本的には依頼を受ける依頼受理センター、宿泊施設、食堂、トレーニングから日向ぼっこまで使える中庭がある。今回は食堂が目的なので、壁に立てかけてある館内地図を確認しながらギルドホールの中を歩く。
ギルドホールの食堂は一般客も利用しており、中には子どもも含まれる。そんな中、きちんと列に並んで厨房に料理を注文し、会員証を見せて整理券を入手。料理が出来上がると整理券が青く発光するので、今度はそれを持って厨房へ行き、料理の乗ったトレイと整理券を交換して席に着く。
「「いただきます」」
僕はナポリタンに似た何か、小子は炒飯に似た何かを食べる。
「…やっぱり、あんまり美味くない」
「素材の味を大切にしているんですよ、きっと」
「…素材の味が全部自己主張しすぎなんですがそれは」
ま、それも多分あと一カ月で終わるだろうけど。
そうして、一口二口と食べ始めた時。食堂内の空気が一変し、こころなしか重くなった。
「…なんだ?一体」
「彦星さんは知らないんですよね。ほら、今入ってきたあの人…わかりますか?」
「あの、黒甲冑に黒剣の全身黒の大柄な野郎か?」
「野郎って……ええ。あの人、勇者なんです」
「…勇者?」
「今から二十年くらい前…突如として現れた闇の軍勢を殲滅させ、世界を救った人です。私達と同じ、神様に召喚された人です」
魔王もう倒されたのかよ。なおさら、僕達がやるべき事がわからん。
「へぇ……それにしては、歓迎されてないっぽいけど?」
「それは……」
その先は聞かずとも、行動を見ていれば分かる事だった。まず、食堂で整理券の列に並ばず、その中を堂々と突っ切って料理を注文。整理券を受け取ってそのまま料理が出るまでその場に居座り、出された料理を見た瞬間に作り直させる。
つまり、マナーも何も常識が存在していないのだ。
「ひでぇな」
「あの人は、小さな頃に神の使いとして地方の教会に召喚されたんです。それからは、ただひたすらに戦闘技術を叩き込まれたそうで…」
「中身はガキかよ。世話ねぇぜ」
「周囲の人はそれを知っていますし、おまけに神託付きの救世主ですから…言いにくいんです」
「まぁ、そうだろうなぁ…あの様子じゃ、思春期もまともにすごして無さそうだし」
しかし、だからと言って注意しないのは、悪循環が止まる事を知らないだろう。ここはひとつ、田舎者のふりをしつつ一言いってやるか…。
「ちょ、彦星さん?どこに行くんですか?」
「あの子どもに説教してくる」
「あぁ、そうですか………って!いいわけないでしょ!!」
小子の指示を聞いていたら日が暮れるので、全てを聞かないことに。今もなお列の先頭で動かない大人に近づいた。
「おい」
「ん?なんだおまえ。おれにようか?」
「そこに居座られたら周りが迷惑だろう。整理券取ったらさっさとどけ」
「はぁ?なんで?めいわくってなに?」
…気持ち悪っ!僕と同い年くらいの大人が、らしくない口調をっ…読みにくい上に字数の無駄だ!せめて一人称くらいは漢字を使え!
「迷惑ってのはな、お前以外の人が嫌な気分になる事だ。お前の後ろの人が困っているだろう」
「…ふ、ふんっ!しらないね。それからおまえ、おれのことしらないのか?おれはゆうしゃだ!しかもかみさまにえらばれたとくべつな」
「なげぇよ。漢字使って喋れ。それから、僕は彦星だ。精神年齢ガキのくせしてお前お前言うんじゃねーよ」
「…おれのはなしをわるなっ!……じゃあひこぼし!おそれおののけ、いまにひこぼしのあたまにかみのてっついが…ひでぶっ!」
いけない、いけない。つい勢い余って拳で平手打ちしてしまった。一旦落ち着こう、僕。
「ありゃー、神の鉄槌の前に俺の鉄槌が落ちたわーないわー。それからな、ついさっき教会に行ったけどあの神像は実物を百二十パーセント美化しねぇと釣り合わん」
「…っつぅ……ちくしょう、おぼえてろっ!」
そう言って、勇者は一目散にその場を去り、後にはただ静かな空間が広がっているだけだった。
…あ、勇者の名前聞きそびれた。まぁ、別にいいか。さっさと戻って昼食の続きをしよう。
「…彦星さん」
「おぅ?」
「なん…て言うか、その……とんでもない事しましたね」
「何が?」
「これで私が赤の他人なら、二度と関わりたくないです」
ふと、刺さる視線感じて辺りを見回すと、歓喜の視線が全体の一パーセントで、残る九十九パーセントは全て非難の目だった。この環境下で食事をしても味が分かるわけがなく、ただでさえ味がしないのに、なおさらわからなくなって、もう小麦粉を練り込んだ細い管にしか感じられなかった。
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やっとの事であの痛い空気を脱し、教会からギルドホールへの道をさかのぼる。
「酷い目にあった」
「それは私の台詞です。よりによってあの勇者に説教なんて……」
「そう言っても、中身はまだ子どもだぞ?大人がそれを正さないでどうする」
「世界と場合が異例中の異例ですっ!これからまた教会に行くんですよ?勇者は教会にコネがあるんですから有る事無い事喋られて、困るのは彦星さんなんですからね?」
「それは…困るな。確かに」
「せめて、教会内ではおとなしくしていて下さい。言いふらされる前に私達の好感度を上げれば、回避できるかもしれないですから」
「そうだな」
その、教会へ向かう途中の道で、さっきの勇者を見つけた。あいつ、まだこの辺をうろついていたのか。
「…あのガキ、また何かおかしな事をしてんじゃねーだろうな」
「やけに、あの勇者を気にするんですね」
「人として当然だ。勇者だろうがなんだろうが、悪い事をしたら言ってやらなきゃなんねぇ」
「その精神論のおかげで、彦星さんが社会不適合者だってことを、忘れないでください」
「…友人ほぼゼロ人が果たして社会不適合者なのか、永遠の謎だな」
兎にも角にも、勇者が変なことをしないように、後をつける。教会は…まぁ、少し遅れても大丈夫だろう。
勇者は、終始不機嫌なオーラを出しながら表通りを歩く。しかし、ただそれだけで特に何か起こすわけでも無さそうだった。
「杞憂だったかな」
「…彦星さんは、一体どんなトラブルを想像したんですか」
そんな時だった。ちょうど勇者の前方から客車を引いた一角馬…つまり、馬車が来たのだ。
別段、馬車が珍しいわけではない。数こそ少ないものの、表通りには駐馬場が点在しているし、重い荷物を運ぶ小型一角馬も良く見かける。ならばなぜ、その馬車に目が行ったのかと言うと。
「なんか、様子がおかしいな」
「あれ、暴れ馬じゃないでしょうか?」
「おいおい、こんな街中で操縦ミスったのか?」
「彦星さん、あの馬車…御者が乗ってません!あああ、しかも、王家の紋章が入ってますよ!?」
「クーデターでも起きたか、はたまたただの事故か…」
「冷静に分析している場合ではありませんっ!早くなんとかしないと…」
「まぁまて、あの勇者がどう出るか……見よう。な?ヤバそうだったら、なんとかするから」
勇者にバレないように、物陰に隠れて見守る。いざという時のために、万年筆は準備しておいた。
「ちなみに、ですけど。もしもの事は考えてるんですよね?」
「全然」
「不安要素しかないですよ本当に……」
さて、問題の勇者だが…どうやら真正面から止めるらしい。
背中の黒剣を両手で持ち、重心を低くして剣身は肩の横で水平に構える。西洋版の牙突と言った所だろうか。さらにその剣に魔力を溜めて………。
おいおい、まさかあのまま振るんじゃねーだろうな。そんなに威力を上げたら周りにも被害が出るだろうが。
「あんのバカやろう…」
「彦星さん?」
「小子は、範囲回復魔法を展開しててくれ。そういう系の魔法くらい、あるだろ?僕は、あの馬車勇者を止めてくる」
小子の返事を聞かずに勇者の元に走る。後ろで何か呪文を唱えているから、要求通りの魔法は存在したのだろう。
走りながら策を考える。まずは、勇者の力を打ち消すか反らすかしないといけない。その上で、馬車を止めるから………。そして、それを同時に行わなければ間に合わない。
「…間に合えッ!ーー“軽”量化」
勇者が剣を振る直前、馬車と勇者の装備を全て軽くする。
剣に溜められた魔力はそのほとんどを明後日の方向に散らし、馬車は一角馬の脚力だけで宙を舞う。まるでそこだけ、重力が無いようだった。
「…ふぅ…なんとか、なったな……これで、仮に誰か怪我をしても小子の魔法で治るし、問題ないだろ」
「お、おまえ…」
…ミスった。仮にも神託の目の前で僕の魔法を見せてしまった。もし、ここで気付かれたらこの後の行動に支障が出るかもしれない。
「まてまて、これは、その…あれだ……僕は別に…」
「ひこぼし、おまえつよいな!」
「…おう?」
「すっげー!な、な、いまのどうやったんだ?なんかこう、わぁーってなったけど、どうやったんだ?」
「…えぇと、魔法でこの一帯を軽量化?」
「すっげー!ちょーすげー!おれにも、おしえてくれ!あ、それと…さっきはごめんなさい」
「…う、うん……」
なんか分からんが、うまい具合に誤魔化せたのか?とりあえず、バレなくて良かった。
「…あー、悪い。僕、これから用事があるから。お前、勇者だろ?後の事は任せたからな」
「あ、まって。おれのなまえは、トウガキ・リンだ。もしかしたら、そのうちあうかもしれないから、おぼえといて」
「おぅ、リン。じゃあな」
それ以上散策される前に、適当に返事をしてその場を離れる。今もなお回復魔法を展開し続けている小子と合流し、魔法を解かせてから教会に向かう。
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「お待ちしておりました。神父様は戻られておりますよ」
「ありがとうございます、神官様」
「小子、気をつけろよ」
「何がです?」
「……いや、なんでもない。それで、神父様はどこにいるんだ?」
「ご案内いたします」
案内されるまま、奥の部屋に導かれる。そこからさらにキッチン、休憩室、裏口を通り、教会の裏手に出た。
外からは見えないように、低い壁で囲まれている。その壁際に小さな建物が見えた。
「…ここは?」
「中庭…と、言ったところでしょうか。離れに小さな建物がありますでしょう?神父様はあそこにおられます」
近づくにつれ、その建物はかなりの大きさを誇っていた。
「それでは、私はこれで失礼いたします。中に入れば、小さな案内人が神父様の場所を教えてくださるでしょう」
そう言い残して、神官様は再び裏口から教会の中に戻っていく。あとは、自分で行けということらしい。
「小さな案内人ってなんだろ」
「妖精じゃないですかね?私、妖精を見た事がないんです」
「……僕はもう何も言わないぞ」
閑話休題。
建物の扉に手をかけ、ノックを一応する。すると、中から小さな足音が沢山聞こえて……勢いよく、扉が外開きに開いた。
もちろん、僕の全身に多大なダメージを残して。
「…………っ痛ぅ」
「うわぁ、みんな可愛いですね」
開け放たれた扉の内側には、沢山の子ども達がいた。
「「ようこそ、おきゃくさま!」」
「あら、これはご丁寧にどうも」
「…なぁ、小子。少しは心配してくれてもいいんじゃないですかね?」
「…おじさん、だいじょうぶ?」
「…あぁ、ありがとう。大丈夫だよ」
子どものうち一人に心配される僕って一体なんなんだろ。
まぁ、それはそれとして。
一番後ろから、初老の男性が出てきた。多分、この人が神父なんだろう。
「これこれ。お客様が困っておられるじゃろ。戻りなされ」
「「はい、神父様」」
「いやはや、すまんかったの。さぁさ、そんな所で溜まっとらんで、入りなされ」
そう言って、僕と小子を中へ案内した。最初に出てきた子ども達は物陰に隠れながら、僕達の様子を見ている。
「あの、神父様。今日は……」
「聞きたいことがあるんじゃろ?」
「……っ。どうしてそれを?」
「ほっほっほ。なぁに、神様は全てお見通しなんじゃ」
「えっ!」
「うそじゃ。神父に用があるのは、大抵が聞きたい事なんじゃよ」
「えっ…」
「じゃあ、神父さんよ。街の外に湖があるだろ?あそこについて詳しく教えてくれ」
話が進まないので、やや強引に話題を切り替える。
「ふむ、死の湖の事じゃな?」
「多分そうだ」
「…あの湖には、魚が一匹も住んでおらんのは、知っておるじゃろ?」
「あぁ」
「それはの、湖に精霊が住み着いたからなのじゃ」
「精霊、ですか?」
「そうじゃ。太古の時代、そこには数多くの神々がおったそうじゃが、ある時一人の神が他の神に戦争を仕掛けたのじゃ。幸い、人間に直接的な被害は出なかったのじゃが、代わりに直接的な被害を受けたのが、精霊じゃった」
「どうして、精霊が……」
「それは分からぬ。世界七不思議の一つとも言われる、永遠の謎じゃ。とにかく、被害を受けた精霊はことごとく魔力を奪われ、消え去り、絶滅もしかけたそうじゃ。しかし稀に、魔力を失っても存在が消えぬ精霊が出たのじゃ」
「……覚醒、かな?」
「じゃろうな。人もごく稀に突然、異種能力が目覚める事があるからの……。そしてその精霊の一霊が、あの湖に住み着いたのじゃ」
なるほど、誕生した経緯は分かった。
「その、死の湖に入ったら、どうなるんだ?」
「しばらくは大丈夫じゃろうが、いずれは魔力を奪われ、死ぬじゃろう。じゃから、魚がおらんのじゃ」
「じゃあ、今は誰が所有しているんだ?精霊が住んでるって言ったって、土地なんだろ?」
「誰も所有しとらんよ。形式上は、この教会じゃ……誰も、欲しがらんのでな」
「……もし、誰か欲しいって人が現れたら?」
「…やらんでもないが、あまりすすめはせん」
……なるほど。所有者は無し、と。つまり、僕が貰っても何ら問題は無いわけだ。
思わず、笑みがこぼれる。誰も、あの湖の使用方法に気が付いていないか、それとも知らないか……どちらにせよ、結局は覚醒した精霊が怖いのだろう。
「…彦星さん、悪いと考えてません?」
「いや、全然。むしろ、この世界が変わるかもって思って…ちょっと笑えただけだ」
「…はぁ。まさかとは思いますけど」
「なんだよ」
「食事の改善を考えてます?」
「当然だ。人間の三大欲求が何か知ってるか?睡眠欲と食欲と性欲なんだぜ?」
「そこに私が入ってる事に一番ツッコミを入れたいですけど、なんだかもういつもの事ですのでやめます」
「なんの話をしておるんじゃ?」
「いや、別に大した事じゃない。それで、だ……神父さん、あの湖一帯の土地、僕に譲ってくれ」
「…………なんじゃと?」
ご愛読ありがとうございます。