#26 死の泉開拓 後編
廊下から慌ただしい音が聞こえ、しかし礼儀作法に則って、部屋の扉がノックされる。
「入れ」
「失礼します!」
焦りながらも開けた扉を音も無く閉める所を見れば、目の前の男は優秀と言えた。
「旦那様に書簡です」
「そうか。誰からだ?」
各地の商業施設、輸入品、輸出品、それらの調整をしながら、オットーは差出人を尋ねた。
「……国王陛下より、書簡です」
「…っ、な、っはぁあ!?」
執務机の書類が、音を立てて床に散らばる。書状をひったくり、その内容に目を通した。
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ディートリッヒ・オットー・ヴェン殿
突然、この様な書簡が届き混乱しておるだろう。
しかし、事は急を要するので、直ぐに明確な返答を聞かせてもらいたい。
死の泉より生産された物体を、全都市に売り歩いて欲しいのだ。
君を知る変わった男の推薦だが、受けてくれれば助かる。
君の意思を尊重する。
第十三代イマニティア国王シン・ドバッド
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「……あのバカ野郎…」
「いかがなさいますか?」
「…今すぐ返状を。内容は…………」
従者はオットーの答えを聞き、すぐさま部屋を飛び出す。
部屋の中が一人きりになり、オットーは深いため息を吐く。
「……次に会ったらぶん殴ってやる」
確固たる決意と共に。
その後、オットーはまず商隊に死の泉を調べさせた。書簡の具体性を確かめるためだ。
「報告します。死の泉から南部へ、街道沿いに集落が設置されていました」
「あのバカ野郎は?」
「……私が見た限りは確認しておりませんが、集落民に事情聴取いたしました結果、ほぼ間違いないかと」
「…わかった。下がれ」
これで、この件にヒコボシが絡んでいるのが確定した。あの自分勝手な奴は、市場が荒れるとわかっているのだろうか?否、わかるハズがない。何しろ、後先を考えない馬鹿だからだ。
「……行くしかないか」
その翌日、オットーはこっそり死の泉へと向かった。なぜこっそりかと言えば、それはオットーが商人貴族だからだ。そもそも商人とは国の経済を回し、各都市の太いパイプを繋ぎ、国が危機に陥った時それを助ける役目を持っている。
その商人に貴族の地位を与え、財力、人脈、軍事力を管理、統率、指示を出す権限を押し付けた。
そんな商人達の間で信じられる迷信や言い伝えなどの総本山と言っても過言では無い場所を堂々と視察に行けば、外聞も何もありはしない。ゆえに、オットーは最愛の妻にすら黙ってこの場所にやってきたのだった。
「…流石、と言うべきか…はたまた愚か、と言うべきか………」
その場所は、施設として相応の生産力を持ち、従業員は誰も不満を漏らさず、秘密保持の徹底っぷりには、思わず脱帽しそうになる程だ。ただ一点、その原料に死の泉が使われている事を除けば。
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シンバ国王は、僕の目の前で書簡の封を解く。丸まった紙を真っ直ぐ伸ば……そうとしたその時。
「失礼いたします!」
部屋の扉が勢いよく開かれ、メイドや騎士が制止するのを鬱陶しそうに払いのけて。
「この……クソヤロウがあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「ぶほあぁ!?」
オットー渾身の右ストレートが、僕の顔面にクリーンヒットした。その光景に、小子もメイドも騎士もシンバ国王も、ついでにクラリッサさんも、スローに見える世界の中で呆然としており、僕は消える意識のなかで「あ、テーブルの下に落書き発見」などと思いながら目を閉じる。
次に目を覚ましたのは小子の膝の上で、十数分ほど、僕は目覚めなかったらしい。
「……ぅ」
「あ、彦星さん、おはようございます」
「あ、あぁ……なんか柔らかくていい匂いがする…」
「ひゃっ!?どこを触ってるんですか!」
膝から落とされ、僕は頭を強く打った。その衝撃で、まどろみは彼方に飛んで行く。
「いっ!?……てめぇゴルァ!いきなり殴るってのはどういう了見だ!事と次第によっちゃあタダじゃおかねぇぞ!」
「それはこっちのセリフだ!視察、書簡、国王様に聞いた話じゃ、お前のやろうとしているのは市場をひっくり返す案件なんだよ!せめて料金をタウロスと同額にしなきゃならねんだよ、タコ!」
「あー!あー!タコって言った、タコって言った!もうゆるさねぇ!クラリッサさんにオットーの有る事無い事吹き込んでやるよ、バーカ!」
「バカって言った奴がバカなんだよ!」
「じゃあてめぇもバカだな!」
「バーカバーカ!」
「バーカバーカ!」
「「子どもじみた喧嘩はやめてください!国王様の前ですよ!!」」
「アッハッハッハッハ!!それくらい単純な方が信頼できるんじゃよ」
それから王室では現国王、没落貴族、不審者による、なんとも奇妙で冒涜的な宇宙的恐怖すら感じる極秘会議が行われる事になった。
同席していたメイドは、その様子を後にこう語る。
「…あ、あれは、人間が関わってはいけない泉です。そんな事をするなんて想像もできません。今にきっと、精霊様のお怒りが……!ぁ、ぁあ…!窓に!窓に!」
半狂乱に陥ったメイドは、なにも無い窓を見て騒ぎ立て、その後、城から姿を消した。
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もぐもぐもぐ、もぐもぐもぐもぐ、もぐ、ごくん。
まぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐ、ごくん。
もぐまぐもぐまぐもぐまぐもぐまぐもぐまぐもぐまぐもぐまぐもぐまぐもぐまぐもぐまぐ、ぺろり。
「食べ過ぎですよ?」
「久々に美味い飯なんだから、食いたいだけ食わせろよ」
「特盛ステーキ五皿食べて食べ過ぎじゃないって、私が悪いんですかね?」
「さぁーって、デザートはなににしようかな」
「聞いてます!?」
都市レオンの『普通』の食堂で、僕は長旅の疲れを取っていた。この数ヶ月で死の泉から取れた塩は全都市に浸透し、おかげさまでタウロス以外の食堂でも美味しい料理が食べられるようになった。
まぁ、僕とオットーが駆けずり回って販売と告知をしまくったおかげなんだろうけど。一番最初にシンバ国王が食べなきゃ、広がらなかっただろうな。
「はぁ……まったく、たまには外食じゃない料理も食べようとか思わないんですかね」
「ん?なんか言った?」
「なんでも無いです!」
小子が何か言ってるけど気にしない。
…そうそう、今僕と小子はレオンにいるけど、泉の集落に建てたコテージはしっかりした実物を建築して、別荘という事にしている。理由はいくつかあるが、大きな理由として「あそこに住んでると世界が救えないのでは?」という指摘を女神様に受けたというのがある。そのため、面倒……安定した職をエイビルに押し付……任命して、不安定で楽しげな冒険者稼業に戻ったわけだ。
「さぁ、食ったから早く家探すぞ」
「あ、待ってください!」
さっさと会計を済ませ、僕と小子はレオンの中をぶらつく。金欠な僕達だったけど、この泉の件でシンバ国王から多額の報酬を貰った。それに、提案者の一人として僕のギルドカードに(このカードにお金が貯まっていくらしい。電子マネーみたいだ)塩の売り上げ一割が入ってくる。もうほとんど、お金に困ることはないだろうね。
ともかく、僕は不動産という不動産をハシゴし、二人で住める家を探すことになった。お、こんな所にも不動産屋が。
「なぁ小子、次はここに……あれ?」
後ろに付いてきたはずの、小子の姿が見当たらない。そういえば、なんだか薄暗くて日の光は入ってないし、不動産屋もよく見ればつぶれてるし、空気もイケナイ植物の燃えたような匂いがする。
こんな所で迷子になったら、さぞ大変な事になるだろう。
「……はぁ、まったく小子のやつは…なにをどうすれば迷うんだよ」
………迷子になったのは、彦星の方だったようだが。本人にその自覚は無い。
「えぇっと、来た道を戻って……いや、小子を探すから小道を覗きつつ…」
そう言いながら、彦星は目的の大通りと反対の方向に歩き出す。もちろん、そのまま行っても小子は見つからないし、戻れるはずもない。
「…なんだ、アレ」
そう、大通りに出るはずはない。しかし目の前で行われている『競り』は、黒い熱狂の渦に飲まれていた。
「さぁ、今日の最後にしめ最大の目玉はコイツ!世にも珍しい少女の獣人だ!愛でて良し、辱めて良し、壊れるまで遊んで良しの一品!」
……もう、おわかりだろう。目の前で行われている競りは『奴隷競り』だ。
「価格は三百万Yから!落とすやつはいるか?」
正直、見ていていい気分にはならなかったし、元の世界でも僕の国では無かっただけで外国では当たり前に存在していたうえ、時代も違えば当たり前のように存在を許されていた事だ。
「三百五十!」
「四百!」
まして、異世界なんて所なんだから、時代も外国も関係無いし、元の世界の常識を持ち出す気にもならない。
「五百!」
「七百!」
「さぁさぁ出揃いましたかな?七百以上の方はいらっしゃいませんかな?」
奴隷ってのがこの世界でどんな存在か知らないけど、その実態は大体身売りがほとんどだって聞いたりもするし、そこに僕の感情を介入させる筋合いもない。
だから、ここはなにも見なかった事にして立ち去った方が無難なんだ。
「三千」
……本当に、偶然だった。
立ち去ろうと後ろを向いた事。
その男が粘っこい笑顔で値段を言った事。
ふいに、獣人の方を見直してしまった事。
その獣人が、本意でその場に立っている顔をしていなかった事。
「……くそっ」
例えば獣人が、堂々とその場に立っていたら、僕はこんな事をしなかった。
例えば僕が、獣人の方を見なかったら、こんな事も起きなかった。
例えばその男が、粘っこい笑顔でその獣人を買おうとしなかったら、こんな気分にもならなかった。
例えば僕が、その場に居合わせなかったら……どうなっていたんだろうか。
「さぁ、本当に出揃いましたかな?それでは、三千万で…」
「三千百」
ざわり、と値段を吊り上げた人物に、周囲は目を向ける。その人物は他ならない、僕だ。
「……三千二百」
「三千三百」
粘っこい男が一瞬、顔をしかめて値段を上げたが、僕もすかさず上げる。
「…三千四百」
「三千五百」
「三千六百」
「三千七百」
「四千」
粘男が『どうだ』とドヤ顔をして、僕の足元を見た値段を言い切った。だが。
「四千百」
「なっ…!」
ここまで来て引き下がるのは、男がすたるって事だ。さらに畳み掛ける。
「四千二百、四千三百、四千四百、四千五百」
「………」
ア然として、値段を上げる事すら忘れて僕の方をまじまじと見た。それは粘男以外の周囲の人間からも向けられる。
「倍プッシュだ、五千」
「……お手上げだ」
「で、出揃いましたかな?出揃いましたよね?もうおられませんか?………では、獣人の落札価格は五千万となりました!落札者の方は後ほどスタッフルームまでどうぞ」
そして僕はなぜか勇者と称えられ、家を買うはずだった金を全部使い、獣人の少女を買った。
余談だが、スタッフルームで僕は怒られた。本当はさっきの粘男が買えるようにサクラを何人か忍ばせていたそうだが、僕が買ってしまったのでクレームになるそうだ。
「まぁ、高く売れればこちらは何の問題も無いんですがね?っと、こちらが契約書類になります。サインをしていただければ、コイツは貴方に絶対服従の呪いがかけられます」
「解く方法は?」
「ほぼ、ございません。解放の契約にサインをするか、強力な解術でないと無理です」
よし、後で解こう。とりあえず、僕を見てぷるぷる震えるこの子をどうにかしないとな。
「……ねぇ、君」
「…………ころさ……で」
「あぁ、うん、別に何もしないけど。名前は?」
「………り…め」
「あー……聞こえなかったけど、まぁいいや。とりあえず金は払ったからな。行くよ」
「………」
少女を連れ、僕は競り場を後にした。
なんだか大変な事になりそうだけど、今は小子と合流しよう、ウン。
…………あ、そういえば小子になんて言い訳するか考えてなかった。
ご愛読ありがとうございます。
次回は小子に呆れられそうですね。
(^ω^)




