#25 死の泉開拓 中編
彦星はとても悩んでいた。
「売り手がいない!」
「うるさいですよ、彦星さん。国王様だって必死に探しているんですから黙ってあげてください」
泉の水を塩にするのには成功した。が、それを売る商人がいないのだ。
「まぁ、物が物だからのう……気味悪がって誰も手は付けん」
王室に届けられた大量の書簡には、商人貴族特有の遠回しな言い方で断られていた。
「都市からほとんど出ない市民はともかく、都市間を繋ぐ商人らは迷信や噂話も運んでおる。加えてゲン担ぎも含めて旅の祈りを信じるのも特徴じゃから…」
「秘密保持の信頼性が高い商人ほど、言い伝えや古い習慣が根強いって話だろ?この前も聞いたっての」
国が秘密裏に進めているプロジェクトなだけに、商品を広める業者には特に注意を払わなければならない。だからこそ、僕は従業員の権限だけを貰い、面倒そうな商人の選別はシンバ国王に丸投げしたのだが。
「この際、引退した古株も使うべきだと思うぜ?ツテのツテって事だが」
「それではダメだ。あまりにも危険すぎる」
そうカタイ事言わずにと、美味を求める欲望が言っているが、情報こそ特に注意して守るものだと理性がささやく。
「………秘密を漏らさないっていうだけなら、僕にも一人アテがあるんだがな…」
「ほう、それは誰なのだ?」
「いやぁ………この話に乗るかもわからないし、そもそも『あいつ』が商人貴族かどうかも微妙なんだよなぁ…」
賢明な読者諸君には分かると思うが、僕の知っている貴族なんて一人しかいない。通称「市民」と呼んでいた「ディートリッヒ・オットー・ヴェン」だ。この数ヶ月の間にフラリと立ち寄った都市で偶然再会したのだ。
あの時、オットーは自分の嫁と休日を満喫していたようで、それを茶化すのはとても面白かった。
「ディートリッヒ・オットー・ヴェンだ。あいつなら、僕は任せてもいいと思ってる。商人貴族なら、だが」
「ふぅむ……」
シンバ国王が、一つの冊子をパラパラとめくり始める。何度も見た、貴族と実績を記録した一覧表だ。
「………その者なら、商人貴族として存在しておる。しておるが…ここ数年、悪評が絶えておらん。任せられるとはとても思えんが…」
「シンバ国王は知らないか。オットーは数年前に自分の存在を盗まれてたんだ。そいつがオットーとして存在していた時は、散々だったらしいぜ?」
エセ貴族こと〈ヘルフリード〉は豪遊に豪遊を重ね、貯蓄をどんどん消費していたらしい。仕事もしないでよくもまぁ貴族剥奪されなかったものだ。
「まぁそういう事だから、今は回復に向かっているらしい。直に会って話した事もあるし、悪評が出る前の実績に問題がなければ任せられると思うんだけどなぁ」
「………にわかには信じられんが、その話が本当なら依頼書を送っておこう。受けるか否かはディートリッヒ次第だが」
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オットーに書簡を送った後、僕らは泉に戻る。商人がいなくても作る物はあるし、塩だけでなく漬物や生活の知恵を取り入れなければ始まらない。国中に広まった時、活用法を知らなければ一時の流行で終わるからだ。
「た、大変だダンナ!アネキ!」
「いやいや、空気読めよ。今から僕が新たな塩の使い方を教えてやろうとな……」
「精霊が出たっ!」
「………本当ですか?」
大急ぎで採掘元となる泉の方へ向かう。すると、なるほどこれは巨大な大蛇が出現していた。しかし、その体は大量の水で出来ている。
「タチサレ……タチサレ……」
「あんたが泉の精霊か?」
「タチサレ……タチサレ……」
「彦星さん、聞いてませんよ?」
「というより、戦う気とか話す気が感じられんな」
殺意が無いならば、相手をする必要は無い。この蛇がずっと居座っても、塩化作業は滞りなく進められるからだ。
「タチサレ……タチサレ……」
「よし、怯えて誰も働けなくなったら困るからな。存在を消しておこう」
万年筆で“消”を書いて発動。水で出来た大蛇は溶けて水に戻る。
「…さ、これで作業再開だな」
「そうですね。実害が無かったですからその様に説明もしておきましょう」
「あぁ、頼む」
『いやいやいや!アタシ言ったよね!立ち去れってさ!』
突然、泉の中から美少女が出現した。その声も、耳からでは無く魂に語りかけられる様な声で、ヘルフリードの使う兎の力と似たような聞こえ方だった。
「………新ヒロインには遠いかな。両極端の方が需要あるし、イマイチなら個性が強く無いとモブキャラと変わらないからな」
「……どこ見て言っているんですか」
「エベレストでも平原でもない胸板」
『問題はそこじゃ無いでしょぉ!』
何が問題あると言うんだ?精霊はいてもいなくても関係無いし、エイビル達が怖がるから仕方なく処理しているだけなんだがなぁ。
『アタシ、本物!伝説!超すごいの!』
「あーはいはいすごいですね。引っ込んでてください」
『軽い!?』
「両極端ってどういう事ですか、彦星さん?バカにしてるんですか?」
「……あっれまさか怒ってらっしゃる?」
「…絶対にオチョクってはりますよねぇ?」
「地が出てるぞ、怖い」
『さらに無視とかありえない……』
これ以上話すと小子がガチギレするので、早々に精霊と対話する事にする。殴って解決出来る相手とも思えないからな。
「んで、精霊様はどうして僕らを追い出したいワケ?実害はあるのか?」
『アタシはね、この静かな泉を気に入ってるのよ。今時生物のいない場所なんて何処にもありはしないもの』
「……ん、まぁ、騒がしくしたのは悪かった」
『あら?意外に聞き分けがいいのね』
「事実だからな。僕だって頑固じゃ無い、悪いと思ってるから謝ったんだ」
『でも、立ち去らないんでしょ?』
「あぁ、それは僕の目的のためだからな。絶対に出て行かない」
せっかく塩を見つけたのに、手放すなんて出来るものか。説得して居座ってやる。
「そもそも騒がしいと何が問題なんだ?」
『簡単よ。落ち着いて本が読めないじゃない』
「あ、それは分かる」
僕だって本を読んでいる側から騒がれたり邪魔されたりすると怒る。邪魔すんじゃねぇってマジギレするわ。
『本を読んでいる時に聞こえる、紙をめくる音とか古い紙の匂いとか……そそるでしょう?』
「…いや、そこまで変態的では無いけどな。つまり、精霊様にとっては静かな場所が欲しいわけだ」
『そうよ』
「なるほど……」
平和的解決方法として、精霊様に“静”の字を書こうと思ったが、それは本人の出す音が消えて、さらに周囲の音は聞こえるという字なだけに、選択肢はない。
とどのつまり、防音効果がある空間に精霊様を入れるのが一番なのだが。
「………二文字で意味を成す単語には、挑戦した事無かったなぁ」
『何をブツブツ言っているのかしら。ねぇ?』
「私に聞かないでください。知るわけ無いじゃないですか」
『え?でも貴女の体から彼の一部が見えるんだけど?それだけ仲が良いって事じゃないの?』
「…………」
隣で盛り上がる精霊を横目に、彦星は二文字単語に挑戦していた。しかし予想した通り、二文字目を書こうとすると目眩がしてまっすぐ立つのがやっと…という状態になる。
『まぁ、貴女がとてもイジメたくなるのはよく分かったわ。それで、貴方はさっきから何をしようとしているのかしら?』
「………精霊様の望む空間を作ろうと思って頑張ってるんですけどね。中々上手くいかないんですわ」
『……もしかして今やろうとしてるの、複合魔法かしら?』
「複合?」
『えぇ、例えば火魔法に風魔法を合わせて威力を上げるとか。知らない?』
「やった事はあるが……」
今までも文字の重ね書きはしてきたが、それらは全て性質の変換や重ねがけ。それも後出しや擬似効果を狙ったやり方だ。
流石の万能万年筆でも、そこまでは出来た事が無い。
『だったら簡単でしょう?その「/〒€#」なら貴方の魔力を使うだけでいいのだから』
「………ちょっと待て、今なんて言った?」
『だから貴方の魔力を……』
「違う、その前」
『/〒€#?』
「その……発音出来ない言葉はなんだ」
『………』
すると、精霊は一瞬考える素振りを見せた後、とある確認をしてくる。
『………ねぇ、ちょっと聞きたいんだけど…アタシが引きこもってから何年経ってるの?』
「さぁ?僕は知らない。かなり昔って聞いてるけどなぁ……小子は知ってるか?」
「えっとですね………人類歴で約六千年前ですね。ほらここ…女神の書にも書いてあります」
女神の書を開き、死の泉に関する情報を指差す。すると、確かに六千年ほど前に精霊が住み着いたと記載されていた。
『えっ?えっ?本当にそんなに経ってる?うそ、なんで教えてくれなかったの?』
「怖がって近づく人はいないし、近づく人を追い返してるんだから、教えようにも教えられないだろ」
『……それもそうね』
はぁ、と大きなため息を吐き、精霊は現実を受け入れる。そして、空間から一冊の本を取り出すと、あるページを彦星に見せた。
『説明するのが面倒だから、これを見て知りなさい』
「……なっ!?」
ぐらりと、僕は頭痛がしてその場に手を着く。頭でガンガン鳴り響く警報を理解しながら、知識と経験と身体が作り変えられていくのを感じた。
「頭が……っ!割れるっ!」
『我慢しなさいよね。貴女の持ってる女神の書より上位の、女神の書なんだから……教えるだけの劣化品より、訓えるアタシの方が強いんだから』
「はぁ………はぁ……はぁ…っ!」
頭痛が治ると、僕は何故か二文字単語の書き方を知っていた。同時に、純粋な体の魔力を使う事も出来るようになっている。
「…はぁ……この感覚は…刷り込みか………」
『さぁ、早くしなさいよ。もう読みたくて読みたくて読みたくて読みたくて読みたくて読みたくて読みたくて読みたくて読みたくて読みたくて読みたくて読みたくて読みたくて読みたくて読みたくて読みたくて読みたくてたまらないのようへへ』
「怖えよ!やるから黙ってくれ!」
目は虚ろ、恍惚の表情を浮かべ始めた精霊様が怖いので、さっさと文字の結界を張る事にした。まず、万年筆で“防”と書き続けて「自分の魔力」で“音”と書く。
ムカつく刷り込みによれば、複数の効果を持つ魔法を行使するには、やり方があるそうだ。
そもそも一度の魔力行使で発動する効果は一種類だけで、同時に違う効果を発動させる場合は一度目と違う魔力を使う必要がある。太古の昔は、人間は複数の魔力を持っていたが、長い歴史の中で技術は廃れ、不必要な物は無くなり、加えて一つの物体には一つしか魔力付与できないという一般常識から、人々の記憶からこぼれ落ちていったのだ。
「……これでもう聞こえないだろ」
『………え?何か言った?あ、聞こえたらマズイのか』
「もういいから帰れ。二度と出てくんな」
そう言いながら、僕は精霊様にジェスチャーを送る。意味を理解したのかはわからないが、とても嬉しそうに泉の中へと戻っていった。
「……結局、何がしたかったんでしょうね」
「さぁ?ぶーぶー文句だけ言って帰ったけどな。暇なんだろ」
そう言って、体内の魔力に意識を向ける。練習は必要だが、血液のように体を巡るのを感じ取れた。
「さ、帰るぞ小子。腹減った」
「新しい塩の使い方はどうするんですか?」
「そんなもの飯の後でいいだろ。急ぐ事でもないし」
「…………そうですか」
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数日後の都市ジュゴス、王城。
「……ってなワケで、泉に住んでた精霊はなんとかした」
「………精霊は迷信では無かったのか…」
結局のところ、精霊様にはお帰り願って、もう二度と出てくる事は無いだろう。というか、出て来られると面倒だから出て来て欲しくない。
…しかしあの精霊………どうも精霊じゃなさそうなんだよなぁ………本人も、自分の事を精霊だとは言ってないし。
「何を考えておるのだ?」
「……何でもない。まぁそういう事だから、今後精霊について議論する必要は無いぞ」
「うむ、助かった、礼を言うぞ。元老院が何か言う前で本当に良かった」
国王が頭を下げるのは、結構少ないはずなんだが。その辺、シンバ国王は律儀だよな……僕的には、好感が持てる所だ。
「……そうだ、オットーに出した依頼書はどうなった?そろそろ返事が来る頃だろ?」
「ふむ、ショウコ殿がいる時にと思ってはいたが……よかろう。先刻、商人貴族〈ディートリッヒ・オットー・ヴェン〉より書簡が届いた」
懐から取り出したのを見るに、本当につい先程届いたのがわかる。押印を外し、丸まった書簡を解いた。
閑章は次で最後です。
ご愛読ありがとうございます。




