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#20 決勝戦

 準決勝が行われた、その日の夜。


「クソッ!クソがッ!ふざけやがって……野郎ぶっ殺してやるぁぁぁぁッ!」


 貴族は、リビングの中を暴れまわっている。原因は、私だ。


「私の、私の私の私の私の嫁に手を出しやがって!」


 ソファーを、クッションを、床を、壁を、椅子を、テーブルを。

 掴んで、投げて、叩いて、殴って、裂いて、壊して。


「あのクソ野郎!絶対に許さない…どんな手を使っても私の前にひれ伏させて、目の前で最高の屈辱と絶望を味あわせてやる……ッ!」

「……落ち着いたか?」

「あぁ!?」


 不意に、その声の主は現れる。

 小子は驚き、声を出そうとするが……呼吸も、目線も、何も動かない。

 意識だけが、そこに存在していた。


「……あんたか」

「ふむ、ちょっと特殊な人材が紛れ込んでいるな。この時の止まった空間で覚醒状態の女か……」


 黒いローブで身を包み、話す人のような者。まるでそこに実体の無い、影みたいな人物だ。


「彼女には手を出すな」

「ふ、怖い怖い…警戒しなくても出さんよ」


 音も無く、ぬらりとした風に移動し、貴族の顔をまじまじと見た。


「どうだ、調子は」

「良いように使わせてもらっている」

「そうか」


 そう言って、貴族の顔からまたぬらりと首を動かし、動かない私の方を見る。


「……」

「……っは!」


 途端、全身の拘束が解けたような感覚に襲われ、体が呼吸を始めた。


「…あなたは、一体……」

「私はお前の味方だ………っと、不思議な女だ。その名も、野望も、欲も、見えないとは。これは一体……?」

「何を言って……」


 小子が言葉を言い終わるより早く、隣の部屋から何かが飛んで、二人の間に割って入る。


「女神の書…?」

「っちぃ!」


 光る玉の中に本が浮かび、誰も触れていないのにページがめくられ……刹那。


『悪いけど、この子は私のお気に入りなのよ。ちょっかい出さないでくれるかしら?』

「この声は……女神様?」


 本の中から、聞きなれない聴きなれた声が発せられた。


『はぁい、ショウコちゃん。元気?』

「え、えぇ、攫われてますけど元気です」

『あら、かなり物騒な事になってるわね。まぁそれは自分でなんとかなるでしょ』


 誘拐が大したこと無いとはどういう事なのか。不謹慎だが、相手は神だ……普通の道理は通じない。


『さてと、本題はこっちね。この子の内部に干渉するのはやめてもらえる?』


 女神の声は、もう小子には向けられていない。


「…もし、干渉すれば?」

『不本意だけど、乗っ取るかしらね』

「……なに、手は出さんよ。『五人目様』の命令でもあるし」

『そ。ならいいわ』


 ふわりと、女神の書が小子の手元にやってくる。


『じゃあねん』


 それきり本の光は消えて、女神様の声も聞こえなくなった。


「じゃ、私もお暇するとしよう。次に会うときは、敵にならない事を祈ろうか。お互いの為にもね」


 そい言って、黒いローブを着た者は、瞬きをする瞬間に消え去った。


「……あなたは、どうするんですか?私を解放します?」

「バカを言うな。私の目的の為にも、クソ野郎への復讐の為にも、手放すわけ無いだろう」

「…そうですか」


 落ち着いた貴族は荒れたリビングを後に、自室へ戻った。


 ▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎


 さて、噂のクソ野郎は。


「…………」


 牢の中で一人、日本式座禅を組んで精神統一を………。


「…………っんが?…やべぇ、寝てた」


 してません。

 器用に座ったまま眠りこけ、絵に描いたようなクソ野郎でした、とさ。


「あぁちくしょう、ヒマだな」

「本気で言ってるから、こっちは眠れねぇったらねぇよ。ダンナ」


 彦星と対面するような、向かいの牢から声が届く。


「……そっちは楽しそうだよな、エイビル」

「まさか、今だって緊迫した空気が漂ってますよーっと……ツインペア!」


 一人で牢にいる彦星と違い、エイビル達は他の囚人数人と同じ牢に入れられている。

 僕も最初はあちら側だった事を考えると、隔離されたのは僕の方だとも言えた。


「…んで?そっちは何をしてんですかね?」

「ありゃ?もしかしてダンナ、知らないんですかい?フェイスですよ……って何ぃっ!?オールハウスだとぉ!?」

「……あ、ごめん。なんか、ごめん」


 勝負に負け、夕食のオカズが一品減ったエイビルは、そのゲームについて説明してくれた。

 ……つまりは、ポーカーだ。


「…たまにですけどね、こうやって夕飯の一品を賭けて勝負してるんですよ。イカサマが判明したらそこで敗北、勝負の勝ち負けは絶対、恨みっこなしの条件で、ね………」

「…それで、エイビルはパン以外全部取られたと」

「……終わった…」


 なるほど。

 ならば、先程の一言は撤回せねばならない。

 ……僕だって『タウロス産』肉のスープや温かいお茶、干しぶどうを取られたら嫌だもの!

 今日のオカズはかなり人気のある一品だから欲しがってもいいじゃ無いの!


「ってわけで勝負だ、てめぇら!」


 鍵を開けて隣の牢に殴り込み……もとい、賭け込みだっ!


「………やめときましょう」

「なんでっ!?」

「…ヒコボシのダンナ、試合の時も思ったんですけどね?顔に出すぎなんですよ……特に、ダンナは何か秘め事をしたり、嘘をつく時に首の後ろに手を回すクセがあるんですよ」

「そうか?」


 ふぅ、とため息をつき、話を続けた。


「……今日も、奥さんと『した』時に観客席を見て…誰に隠そうとしてるのか、首の後ろに手を回してましたね。さて『誰に』『何を』隠そうとしてたんです?奥さんの右肩に『妙な字』を書いて」


 気付いてたのか。


「…別に、大した事は無いよ。今後の為に、布石を打っただけだ」


 そう言って、彦星は自分の手を首の後ろに……回そうとして、行き場の無い手で口元を覆った。


「まぁ、関係の無い事ですけどね」

「……は?」

「なんです?まさか、あっしらが何か企んでるとでも?」

「……いや、その…」

「フフフ……名も無き一般冒険者が、決勝まで進んだ。それ以上に、何を不安になり、何に誑かせられ、何と画策しろと?」

「………」

「…それでもまだ、信用してもらえないなら……そうですね」


 エイビルを負かした男は、何も無い手のひらからカードを取り出し、左手で隠して一組のデッキを作り、もう一度握って夕食のスプーンを取り出した。


「……同じ術を持つ者としての、情けってやつですよ」

「……さいでっか」


 どこからどう見ても、手品だ。

 もしかすると、僕はとんでもない人に……それこそ、歴史に名を残すような……そんな雰囲気が、僕を包み込む。


「まぁ、ダンナがあっしと同じ詐欺師だとは思えないですけどね」

「すごいと思った僕の心を返して!つか、さっきの勝負もしかしてイカサマか!」

「勝負は終わった。見抜けない方が悪い。勝てばいいんよ」

「確信犯だコレ!」

「………」

「静かに笑ってんな!怖ぇよ!」

「勝負、しますか?」

「おうおうやってやろうじゃんか。敵討ちじゃオラァ!」

「……では、互いに賭ける物を。こちらは、夕食の一品ですね」

「こっちもな。ついでに暗黙の了解ってルールにもアッシェントだ」


 そして行われる異世界版ポーカーは翌朝まで続き、勝敗は彦星一人分のメニューしか守れなかった。というか、一人分だけ残された。


 ▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎


 決勝戦当日。

 試合は夕方からだが、付属闘技場の周囲はその限りではない。


「さぁマダム。何が欲しい?」

「……静かな一人の時間ですね」

「ははっ、上手いことを言う」


 あれからというもの、小子には一人の時間が与えられなくなった。

 ……寝る時でさえ、貴族は小子の部屋で寝るようになったのだ。もちろん、床で。


「…もうマダムが一人になる事は無いよ。あんな下半身だけで生きてるような肉棒を想像するだけで、虫唾が走る。そんな事は、マダムにはさせたく無いからね」

「……」

「なに、心配する事は無いよ……片時も、私の事だけ考えていればいいのさ」


 そう言って貴族は小子の腕を引き、目的もなく歩き出した。

 しかし。


「………」


 引かれているのと反対の手は、自分の口元をなぞっている。

 自分の、柔らかく弾力のあるそれとは対称する……固くて、なのにゼリーのような柔らかさを感じた彦星の唇は。

 紛れも無く、ただ『信じる』事に充分、事足りた。


「……あの」

「ん?なんだい?」

「…服、見に行きたいです」

「………ほ、本当?じゃあ行こうすぐ行こうこれから行こう!」


 だから今は、この頭のおかしい貴族の言うことを、聞いていればいいのです。


「さぁ!好きな物を好きなだけ選んでね」

「……」


 なんでしょうかね、コレは。

 今朝から、貴族の態度がガラリと変わって……少し子どもの様になってます。


「…まぁ、その方が扱いやすいかな」

「ん?何か言った?」

「いいえ、何も」


 店の商品をアレコレと見て回り、良さそうな服や装備品を物色する。


「……ぁ」


 ふと、目に止まったのは服と合わせて着こなすアイテム…ブックホルダーの棚だった。

 今まで女神の書を手に持っていたからか、こういった物には自然と足を止めてしまう。


「デザイン性に溢れてますね……革が下地ですから性能の優劣をつけ難いんでしょうね」

「どうかしたのかい?マダム……あぁ、これか」

「………」

「そんなに嫌そうな顔をしないでくれ。ふむ…」


 貴族が小子の見つめていたブックホルダーを見つめ、名案を浮かばせたようだ。


「おい店主、この棚の端から端まで全部くれ」

「馬鹿なんじゃ無いんですか!?」

「ははっ、選ぶなら持ち帰ってからでもいいだろう?」

「さらに馬鹿なんですか!?」

「なぬ?」


 店で選ぶから良いんです、他の人に迷惑です、そんなお金があるなら慈善事業にでも投資しなさい。

 ……と、言えればどんなに楽か。


「……もう良いです。私、いらないですから」

「む、そうか……」


 あぁもう嫌ですこの人!一秒だって一緒にいたくありませんし、嫌いです!むしろ生理的に嫌!

 助けるなら早く助けてください彦星さんっ!


 ▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎


「……小子の奴、死んでねぇよな」

「なんか言ったか?ダンナ」

「んにゃ、なんでもない」


 もうあと数時間で、決勝戦が始まる。

 そろそろ、憲兵が迎えに来る頃だ。

 戦いの前に、軽くストレッチ。足を揃えて腕を伸ばす運動から……つまり、ラジオ体操だ。


「へんな踊りだな」

「ばっかやろ、これは僕の地元に伝わる由緒正しい準備運動だ。夏の早朝とかは一家どころかご近所さんも総出でやってたっての」

「へぇ……」


 エイビルは立ち上がり、彦星の真似を始める。

 どこか拙いが、それはれっきとしたラジオ体操だ。


「……お前ら、そりゃなんの儀式だ」

「お、ケンペイ・サン。あんたも一緒にどう?」

「やらん!なんの儀式かと聞いている!というか、やめろ!」

「あー、まてまてもう終わるから……深呼吸ぅぅ……はぁ。んで?何の用?」


 憲兵は額に手を当て、心底嫌な顔をした。


「……なんでこんな奴が決勝に残ったんだ」

「そりゃ実力ってヤツよ。全然チートとか使ってないから、ウン」


 首の後ろを手で撫でる。

 はい、嘘です。神様の力とかめっちゃ使ってます。チート万歳俺TUEEやったぜ。


「まぁ警戒すんなよ、さっきの動きで魔王召喚とかされたら僕も腰抜かすし。ただの準備運動だ」

「魔王を召喚するつもりだったのか!」

「だからちげぇよ!決勝でいきなり体動かしたら筋が切れたり足の裏がプッツンしたり二の腕が攣ったりするだろがっ!そうならない為の準備運動だ」

「足裏プッツンか……新人の頃は毎日してたな…今では全くしなくなったが何故だろう?」

「脳筋!」


 とまぁ、そんな悶着があったのだがそれはさて置き。

 牢から出され、いつもの装備をさせられる。これから、決勝戦なのだ。


 ▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎


 開始約三十分前。


「………」

「……久々、だな」


 これで二度目。僕……優川彦星と、断頭剣がこうして、顔を合わせるのは。

 正直、勝てる想像が全く出来ない。


「僕はヒコボシ・ユーカワだ。勝つにしろ負けるにしろ、相手の名前くらいは覚えておこうぜ?」

「……我は、ザンキ。ザンキ・タウロス」

「ザンキ…タウロス?……都市と同じなのか?」

「名乗る姓など、とうに捨てた。今はタウロスに仕えているからな」

「……へっ、仕事と結婚しましたってか?立派な社畜だな、反吐が出る」

「……言いたい事、聞きたい事は今の内にしておけ。この決勝の後、お前は我の屋敷に飾られる事になるのだ」


 皮肉を言ったつもりだった。ところがザンキは遺言か何かだと受け取ったようで。


「僕は、負けねぇ。生きて、生きて生きて、生きあがいて、ザンキに勝つ」

「……そうか」


 腹の立つ野郎だ。それとも、絶対に勝てる自信でもあるのか。

 つまるところ、それは決勝が始まらないとわからない事だ。

 そして時は経ち、決勝戦が始まる。


『さぁ皆々様お待たせいたしましたァァ!今年の武闘試合最後の決戦です!選手入場ォ!』


 拍手と、歓声と、熱気と。それらが会場を支配する。


『まずはこいつだァ!元処刑人という異色の経歴を持つ大男!初戦から全て『寸止めによる勝利』という記録を更新しているがァ……果たしてッ!記録は続けられるのか!?ザンキ・タウロス選手ゥゥ!』


 歓声と、熱気と、熱狂がザンキを襲う。


『続いてこの男ォ!今年初参戦にて多彩な魔法。流れるような剣捌き!【酔剣】を打ち倒し、嫁には一太刀も振らなず勝利する世界一の愛妻家!ヒコボシ・ユーカワ選手ゥゥ!』


 歓声と、熱気と、熱狂と、ひやかした声が送られる。

 実況は、まだ続いた。


『今宵、最強の戦士を決めるッ!もはやルール説明は不要っ!試合開始だァァァ!』


 その号令で、違いの間合いを……変えない。退いても、攻めても、互いの頭には次の一手、ニ手、三手先が浮かんでいる。それ故に、両者は最善手を取った。

 片や大きく後退、片や大きく前進。


「ち!」

「っぬぅ!」


 正確な狙いの断頭剣を恐れ、彦星は防御に徹する。ザンキは、予想外の攻撃をされる前に叩くつもりだ。

 片腕で軽々と断頭剣を振り、別れた部分が彦星の脇腹に吸い込まれる。


「る、あぁ!」

「…流石だ」


 その裂け目に刀を差し込み、反らす。断頭剣は臓物をぶちまけずに空を切った。

 隙だらけのザンキの胴体に刀を走らせ、斬り上げ……ようとして。ザンキは後ろへと飛び退いた。


「あぶねぇ、なクソ……ふぅ」

「…そちらも、だな」


 ここまで、小手調。

 ザンキは初めから彦星に攻撃が当たるとも思ってないし、彦星も重力制限は全く解いていない。


「んじゃま、消耗する前に…『アンロック』」

「……ぬ?」


 ザンキは彦星の、その動作に一瞬警戒し反撃動作を取ろうとして。


「っなん…!」

「っしぃ!」


 解放したのは四分の一だが、不意打ちをするならば適切な解放量と言えた。

 右斬り上げ、逆袈裟、左薙ぎ、刺突……その流れを繰り出そうとして、既にザンキには防がれてしまっている。


「驚きはした…が、思惑通りにはさせん!」

「んなろ…っ!」


 刺突を弾かれ、彦星の体は後ろに飛ぶ。

 そこを仕留めんと、ザンキは飛び込んできた。

 懐から、万年筆を取り出す。


「っ……(ウォール)!」


 彦星とザンキの間を一枚の土壁が隔てる。続けざまに、もう一段階文字を書き込んだ。


付与術・炎エンチャント・ファイア!燃えろっ!」


 土壁は、上書きされた属性に変わり……燃え盛った。


「ぬぅ!」

「借りるぜ、小子……お前の技ッ!」


 ザンキが怯む一瞬。それだけあれば、二文字書くのは余裕で出来る。


(ウインド)(ストーム)!」


 前方に放たれた『風属性の嵐』は『炎の壁』を巻き込んでその威力を増す。

 仮にザンキが魔法を使ったとしても、咄嗟に使うのは『水属性』だ。原理がわかっていても、体に染み付いた行動を一度止めるのだから対応は遅れる。

 これで場外に飛べば僕の勝ち、残っても僕の重力解放で瞬殺……完璧だ。


「……これで終わりか?」

「…おいおい、バケモンかよこいつ」


 風嵐(ウインドストーム)を、その身に受けながら。ザンキは初めから、一歩だって動いちゃいなかった。

 彦星が(ウォール)を出現させたその時から。


「残念ながら、化物ではない……が」


 ザンキは断頭剣を空高く掲げ、聞いたことのある呪文を紡ぐ。


「ーー【轟け大地、斬り裂け大気……」

「おいおい、その呪文は…」


 しかし、その呪文の続きを、ザンキは唱える。


「ーー【……海を分かち、山を斬り、時を同じく全てに届け。地脈割(グランドクエイク)】」

「……ヤバい」


 咄嗟に重力解放をフルにし、斬撃を回避する。

 振り抜くと同時に、壇上が割れた。


「…ほぉ、避けるか」

「……見えなかった。ヴォリスの比じゃねぇ、もっと早く、相手を仕留める為の魔法…!」

地割(アースクエイク)の事か?残念だがあんな剣撃など子供の遊び程度だぞ」

「過激すぎんだろ……」

「最近では、自分で自分の傷を治す剣士がいると聞く。それに比べれば、まだマシな方だろう?」

「ゾンビかよそいつ。異世界マジパネェな」


 振り下ろした断頭剣を、ザンキは構え直し……地に突き立てる。


「…だが、我の剣撃を避けたのは褒めてやろう。お前が二人目だ」

「そりゃどうも」

「そして、この剣撃を避けた奴に……我は、負ける」

「お?敗北宣言?」

「……だからこそ、この冴えた感情に全てを委ねられるッ!」


 高々と左腕を闇夜の赤月に掲げ、ザンキはその言葉を唱えた。


「我の冴えたる感情!激情!それがヒコボシ、貴様を殺せと囁く!試合などもうどうでも良いのだッ!『黒の想いに応えろ』っ!」

「何を……」


 刹那。

 左腕に装着された黒い腕輪から、肉眼で見えるほどに濃い魔力が放たれ……ザンキの体を覆う。


「う、ぐぁぁぁァァァ……」

「……ザンキ?」

「グルァァァァァァァァァッッッッッ!」


 ぬらりとした、液体のようになった黒いナニカが、べたり、べたりとザンキの体を包んでいく。

 べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。べたり。


「…なんだよ、これ」

「ガァァァァァァァ!!!!」


 雄叫びを上げる目の前のバケモノは、次第にその形を定かなモノに変えていく。

 そうして、出来上がったモノは。


「……グルゥゥゥゥ」

「……鬼」


 巨大な黒い鬼人が、立ち尽くしていた。

 観客も、実況も、誰もその存在を知らない。知らない、はずなのに。理解してしまう。

 その存在が、魔王であると。


「………ひ」

「……逃げ、ろ」


 誰が悲鳴をあげかけ、誰が呟いたのかなんて、もう覚えていない。

 ただただ、人々の魂に刻まれた記憶を思い出し、恐怖し、保身に走る。

 そして恐怖は……伝染する。


「グルァァァァァァァァァァァァッッッッッ!」


 黒鬼は断頭剣を担ぎ上げ、パニックに陥る観客目掛けて突撃する。


「ガァァァァッ!」

「やめろっ!」


 断頭剣と観客の間に彦星が割り入り、振られた剣はその軌道を止めた。


「っぐ!」

「ァァァッ!」

「てめぇらなにボケっとしてんだ!さっさと走りやがれェ!」


 彦星の背後にいた観客が、這いつくばって逃げていく。腰でも抜かしたのだろう。


「る、あぁぁっ!」

「グガァ!?」


 正面から受けた剣撃を、反らした。


「…まだ、退けねぇっ!」

「ガァ!」


 目の前の彦星を強者と認識したのか、黒鬼は標的を彦星に変える。

 断頭剣を横にではなく、平手で振るった。


「ぶ!?」

「アァッ!」


 弾き飛ばされた彦星は吹っ飛び、反対側の観客席へ。

 上も下も分からず、錐揉みしながら衝突したおかげで、左足と右腕があらぬ方向に曲がっている。


「ぶ、ばぁ!」


 肋骨が折れたのか、口から大量の血を吐いた。

 薄い意識の中、彦星は目の前の黒鬼を見やる。


「素晴らしい!今までにない、今まで以上の結果だ!」

「私の場合と少し違うようですね…なぜです?」

「彼は『六人目』ですので、猿の力を与えました。さぁ行くのです!その欲望をぶつけて来なさい!」

「グルァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!」


 黒鬼のそばには、エセ貴族と小子。それから黒い影のような人物がいた。

 その、影のような人物が黒鬼に何か指図すると……黒鬼は、断頭剣を振りかざして、彦星の首を切り落とーーーーーー。


 ▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎


「…ぼふっ!」

「あぁっ!ユーカワさん!無事だったんですね……っ!」

「……あ、れ…?ナオちゃん?」


 確か僕は、黒鬼に首を刎ねられそうになって……それで?


「ようヒコボシ、死ななかったみてぇだな」

「……ヴォリス」


 遅れて、腕と足と胸に痛みが走る。


「治しますから!動かないでください……」

「…悪りぃ……ヴォリス、何がどうなってんだ?僕はどうしてここに」

「一個づつ言うぞ。まず、ここは闘技場からちょいと離れた病院だ。ヒコボシがここに飛んできたって事は、転移服が作動したって事だ」


 彦星は無事な左腕で、首の辺りを触って確かめた。

 ……パックリ、切れている。


「んで、あの黒いバケモンだけどよ……ありゃあ魔王だ」

「……魔王、だって?」

「そうだ。今勇者が、こっちに向かってるって話だ」


 そんな馬鹿な事があるか。

 本物の魔王ってのは、もっと高慢で貪欲で大食で、激情に溢れるくせして堕落した肉欲の塊なのにどこか羨望してしまうような……そんな、野郎だ。


「………」

「まぁ安心しろ。魔王は今、一流の魔法使いさん達が結界を張って闘技場に釘付けになってる。何日間は…それこそ、勇者が到着するまではもつだろって話だ。その間に、避難誘導も終わるだろ」

「……」

「…どうしたよ、ヒコボシ。黙っちまって」

「………悪りぃ、ヴォリス。ナオちゃん…ほんと、悪りぃんだけどよ……ちょい、一人にさせてくれ」


 ナオちゃんの治療も、終わっている。

 吐き出した血は戻らないから、少し血は足りてないが……死にはしないだろう。

 そう思い、彦星は首の後ろを撫でながら、言った。


「あ?なんでだよ」

「いいからっ!……一人に、させてくれ…」

「なんだよその言い草「ヴォリスさん!」……ちっ」

「…心配してくれてありがとな、ヴォリス」

「けっ!」


 ヴォリスは不機嫌なまま、病室を後にする。それに連れられて、ナオちゃんも外に出た。


「……何かあったら言ってください。部屋の外にいますから」


 扉が閉められ、部屋には彦星のみになる。


「……………なんなんだよぉ…」


 一人になった彦星は、自分で自分の肩を押さえる。


「なんで、僕が…っ」


 かちかちと、耳障りな音が聞こえだす。

 それは、自分の歯が衝突する音だ。


「会ったこともない、見たこともない魔王を『知ってる』んだ、よぉ…っ」


 震えが、止まらない。

ご愛読ありがとうございます。

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