#19 デモンストレーション
オブラートに包んでますが一部卑猥な表現が含まれます。
ご注意をば。
何かの小説で、眠りからの覚醒は水面から顔を出す感覚と似ていると読んだ事があるが。
「……ぃ…っ!」
今日の彦星の場合は、全身を襲う『痛み』という感覚が脳に到達するだけだ。
「……ぁあ?どこだここ…僕は一体…?」
全体的に白で統一された部屋は、心なしか薬品の匂いも感じ取れた。
「うぃーす、今日も見舞いに来てやった……ってうぉい!?起きてんじゃねぇか!」
「…うるせぇ……頭に響くだろがよ…ここ何処だ」
「まてまて、落ち着けヒコボシ。あぁいや、頭大丈夫か?」
「バカにしてんのかヴォリス。もう一発斬っとけば良かったか?」
「おぉ、問題ねぇみたいだな。ちょっと待ってろ?」
「いやいや、まず僕の質問に……行っちまいやがった」
やかましく白い部屋に入って来たのはヴォリスだった。
見ての通り、自分勝手に話を進めるとすぐに出て行ったが。
「…痛てぇ……」
じっとしていれば感じないが、少し動かすだけで彦星の体は悲鳴を上げる。
そして、その感覚には覚えがあった。
「……全身筋肉痛とか、笑えねぇよ」
しばらくして、ヴォリスは白衣の男と……少女を、連れてきた。
「…ヴォリス、お前……そんな趣味が」
「なんの話だ?」
「…少女を連れて来て密室に男三人だぜ?ヤることヤるつもりなんだろ?エロ同人みたいに」
「それこそなんの話だ!」
とまぁ、馬鹿な話は置いておいて、だ。
「んで?僕の予想だとここは治療室だと思うんだが」
「そうだな、間違っちゃいねぇよ。んで、こっちの男の人がヒコボシの担当医だな」
「つまりはあれか、患者が目ぇ覚めたから受診ってヤツか」
「そうなるね。とりあえず、始めていいかい?」
白衣の男もとい、主治医の先生は色々と質問と指示をする。
「どこか体に痛いところは?」「はいこの光を見つめて」「舌だして」「魔力に違和感は?」
「全身の筋肉と関節が痛いですね」「……」「んべー」「魔力はからっきしでいつも通り」
それぞれの反応と答えを、先生はカルテに記入していく。
「……うん、問題ないね。外傷も、擦り傷やアザを除けばいたって健康体だし」
「ありがとうございました、先生」
「…ところで、ユーカワさん。ちょっと良いかね?」
「…なんでしょう」
先生は後ろの少女に手招きをし、僕の隣まで来させる。
「彼女は今、魔法学院治癒学部の生徒なのだがね?研修医という名目で預かっているのだよ」
「あぁ、そういう……つまりは軽症の僕を治療して実践経験を積ませる、と?」
「察しが良くて助かります」
「…なぜ僕なのか、理由を聞いても?」
「今入院中の患者の中で一番軽い症状であるのと、ユーカワさんの魔法感受性の高さが理由だ」
なるほどわからん。魔法感受性とか専門用語使うなし。
「早ぇ話が外からの魔法の影響を受けやすいってこったな」
「さすヴォリ。僕の疑問に聞かずとも答えてくれるとは」
「さすヴォリってなんだよ。世間に疎いかんなヒコボシは。ついでに言うと、感受性が高ぇ奴ほど自分の魔力を使えねぇし総量も少ねぇって話だ」
「絶対馬鹿にしてんだろテメェ」
「してねぇよ。それに、ヒコボシの保有魔力はどう見たって高ぇじゃねぇか」
「……あ、あのぉ…」
口論になりそうだった所に水を差したのは、他でもない研修医ちゃんだった。
「あ、悪りぃ。とにかく僕は構わないから、どんどん治療していってね?」
「は、はひぃっ!よろしくお願いしますっ!」
堅いなぁ。
そう思いつつも、僕はされるままに治癒魔法を受ける。
「…お、ぉお?傷だけでなく筋肉痛まで取れ……!?」
「あ、れぇ!?うそ、なんで!?」
「…なんで研修医ちゃんが驚いてんの?」
僕の予想した反応と違うものを見せた研修医ちゃん。
治癒魔法がどんな物かは知らないが、現代医療より万能らしい。
「あ、あの、私、初期の治療魔法しか施して無いんですよぅ!なんで、内面の傷まで治るんですかぁ!?」
「…そなの?」
「……彼は事前に言ったように魔法感受性が高いのだよ。それこそ、通常の何百倍も。以前習っただろうが、感受性の高い人間に治癒魔法などの付与術を施すと、本来の機能以上が現れると」
「あっ、あっ、という事は、もっと小さな力で十分だという事なんですね?」
彦星の体は健康体以上に健康になり、目の前では授業が行われ始めた。
「どうよ、美人のネーチャンに癒してもらった感想はよぉ?」
「悪く無いな。もうちょいして欲しかったぜ」
「俺も怪我すりゃ良かった」
「んじゃ、上半身と下半身の分離イリュージョンとかどうよ?長時間つきっきりだぜ?」
「やめとく」
回復した体をベッドの上で動かしつつ、ヴォリスと当たり障りの無い会話をする。
「そういや、試合はそろそろ終わんのか?もうすぐ僕の番だろ?」
ヴォリスとの試合の後、一夜明けたはずだ。
だとしたら、まず朝の時点で小子の初試合。その後、第五回戦を昼にし、夜には僕と小子が当たるはずだ。
「なぁに寝ぼけた事言ってんだヒコボシ。一週間も寝こけてたくせによぉ」
「……は?」
「ヒコボシの嫁の試合はもう終わっちまったし、決勝に登る奴も決まっちまったぜぇ?」
まて、今ヴォリスはなんて言った?
「…悪りぃヴォリス。もっぺん言ってくれ」
「あぁ?決勝に登る奴が決まったぜ」
「違う、もっと前。僕はどれくらい寝てたって?」
「あ?一週間だよ、それがどうした」
「どうしたもあるかっ!」
急いで飛び起き、試合表を見に行こうとする、が。
足元がグラついたかと思うと、まともに立って歩く事が出来なかったのだ。
「無茶すんじゃねぇ。体が治ったって、鈍った足じゃまともに歩けやしねぇよ」
「んな事言ってられねぇ!」
心配した研修医ちゃんや、ヴォリスから差し伸べられた手を払いのけ、自らの足で立とうとする。
倒れる彦星の頭には、助けたい人達の顔が思い浮かべられていた。
エイビルその他の囚人、貴族市民、小子……いずれも、試合に勝たないと助けられない人達だ。
「まぁまてヒコボシ。話は最後まで聞こうぜ」
「あぁん?」
「ヒコボシが一週間寝てたからって、別に不戦敗になってるわけじゃねぇよ」
「…どういう意味だ」
ヴォリスは僕を起こし、ベッドに座らせた。
「決勝に決まったのは、かたっぽだけだぜ。残るもうかたっぽは、まだ決まっちゃいねぇ」
「じゃあ、僕と小子の試合は……?」
「延期だとよ。俺とヒコボシの試合を見て、世間様と商人様が試合をさせろとな」
「…なるほど、な」
観客は、血の湧くような試合を見たい。
商人は、金になるような試合を見たい。
……至極当然で、いかにもな理由だ。
「落ち着いたか?ヒコボシ」
「…あぁ、まだチャンスはあるんだな」
「目覚めたって情報が上に行くまで一日かかるだろぉよ。それまでに、歩けるようになるんだな」
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「……うっ、ふぅ…」
貴族は営みを終え、寝室を後にする。
向かう先はリビングだ。
「やぁマダム。調子はどうだい?」
「……死ねばいいのに」
「ハハッ、絶交調だね。相変わらずで嬉しいよ」
首に黒いチョーカーを巻かれた小子は、洗脳されていないが逆らえない。
ここ一週間、試合が延期になり貴族の屋敷に住むようになった。
「…毎晩毎晩、違う女と過ごしてよく飽きませんね。死ねばいいのに」
「彼女達は皆素晴らしいからね。飽きはしないさ」
バスローブ姿の貴族を前に、小子は慣れた様子で紅茶を飲む。
肩に回される貴族の手を、炎で焼きながら。
「熱い熱い、火傷しちゃうなぁもう」
「なんなら今すぐ炭化させてあげましょうか?」
「遠慮しておくよ。それに、私がその気になればマダムの意識を奪う事が出来るんだよ?ただのお遊びじゃないか」
「……死ねばいいのに」
紅茶を飲み干し、小子は席を立った。
「お?誘っているのかい?」
「……っ」
同じく席を立った貴族に、ゾクリとした冷気が漂う。
次の瞬間には、床から巨大な氷柱が刺々しく、貴族の喉元を目指して生える。
「……惜しい」
「私が死んだらマダムの首も飛ぶのだよ?怖くないのかい?」
しかし氷柱は貴族の喉元手前数ミリで止まる。
「…自己防衛の為に氷柱を伸ばしただけです。それに『勝手にぶつかった』のなら、なんの問題もありませんでしょう?」
「……ハハッ、これは一本取られたね」
「…もう寝ます。おやすみなさい」
リビングの扉を閉めると、床から伸びた氷柱はぐずぐずと崩れ落ちる。
「……楽しいなぁ」
追いかけるように貴族が小子の部屋まで行くと、扉は氷の中に閉じ込められていた。
「……ハハッ、ハハハハ」
貴族が乾いた笑いを上げ、部屋を去る。
きっと、他の女姓の所へ行ったのだ。
「……彦星、さん」
小子は一人、冷め切った部屋の中で、音沙汰のないイシケーを握りしめる。
こうでもしないと、彼女の心は氷の様に冷たく、茨のようにささくれてしまうのだ。
「…助けて、彦星、さん……」
握りしめて眠るだけで、心は温かく溶かされて行く。
そんなイシケーは、今も変わらず何の反応も示さなかった。
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翌朝、治療室では。
「はーいユーカワさん、診察の時間ですよ……って何してるんですか!」
「え?運動」
「そんなのは見ればわかります!」
べつに何て事はない、万年筆で呼び出した刀で素振りをしていただけだ。
「治療室で武器を振り回す人がいますか!?没収です!」
「えぇぇ……そりゃねぇぜナオちゃん」
ナオちゃんと呼ばれた彼女は、研修医ちゃんだ。
今日で治療室を出る僕は期間限定かつおあつらえ向きの教材として、ぴったりなのだろう。
「…まぁいいや。気をつけろよ?その剣もうすぐ消えっから」
「何をバカなこと言ってるんですか。診察しますよ、まったく」
傍に置かれた刀は刀身からすでに消え始めているのだが、気づかない。まぁ消えた所で魔素に戻るだけだし、実害はないのだけれど。
無くなったことで焦るナオちゃんを見るのは楽しいかもしれない。
「それでは診察を始めます」
「ほいな」
始まると同時に、僕は上着を脱ぐ。
「うわぁ……ユーカワさんって色白なんですね…綺麗」
「褒めてるんだろうけど嬉しくねぇ…」
あいにく、インテリ系男子の僕は外に出て日に焼ける機会もなく、仕事も取材以外は全てハウスワークだ。
「チャチャっと済ませてくれよ?明日の昼にはもう試合だかんな。リハビリもしてぇし」
「…あ、はい。そうでしたね。では失礼して…」
ナオちゃんの華奢な細い手が淡い光に包まれ、その手が彦星の少し張った胸板に触れられる。
「…あ、やばい。なんかヤラシイ」
「気のせいです。心音が跳ねましたよ、深呼吸してくださいね」
ナオちゃんに指摘され、軽く深呼吸。
まぁ怒られるのも無理は無い。異世界でも現代でも、聴診器を使っている最中に心音が乱れれば言われる事だ。
「…はい、大丈夫です。もう服を着てもいいですよ」
言われて服を着た後は腕を持たれて血圧を測られたり、体温を記録されたりと……一般的に行われる診察が一通り行われた。
閑話休題。
刀が消えて蒼白したナオちゃんはオチの無い話なので放棄するとして。
羊皮紙に書かれた、試合の新しい時刻表をヴォリスが持ってきた所からだ。
「……っつーわけだヒコボシ。朝にもちろっと言ったが嫁さんとの試合は延期に延期を重ねて明日の夕方。決勝は明後日の夜だ」
「そか」
「…んだよ、意外とアッサリしてんな」
「なんとなく分かってたからな。まぁなんとかなんだろ」
「そうかよ」
「…自分を負かした相手だぜ?もっと卑怯な手で蹴落そうとかしないんだな」
「俺に勝ったんだ。優勝してくれなきゃ腹の虫が収まんねぇよ。それに、だ」
ヴォリスは少し、照れるように目を背ける。
「……友達を応援すんのは、当然だろうが」
…………ん?トモダチ?
万年ボッチの友達いない歴イコール年齢の僕と友達?
「…何をポアッとしてんだよ。言わせんなバカ」
「えぇぇ…野郎のツンデレとか誰得なんですかねぇ?ないわー」
「この……っ!」
「はは、でもまぁ感謝するぜ。嘘でもそう言ってくれてよ」
「………ヒコボシは悲しいやつなんだな」
「んん?なんで僕、哀れまれてんの?」
「…もういい!とにかく伝えたかんな。負けたら承知しねぇ」
「…あぁ」
歩けるようになった足は、運動が出来るまでに回復した。それで、次の段階だ。
僕の体力の問題を解決しないと、相手が強くなるほどに不利になる。時間があるなら、基礎体力をつけるのが一番いいのだが……何しろ猶予は一日しかない。
「そういやヒコボシ、試合の時思ったんだがよ……体力落ちてたよな?なんでだ?」
「…ちょい特殊な特訓をしてな。筋力をつけた代わりに体力をごっそり使うようになっちまったんだ。急ごしらえだったから能力値がガッタガタなんだぜ?」
「そうなのか……ま、俺はよくわからんが、魔法でなんとかなるんじゃねぇの?」
「そこまで魔法は便利じゃねぇよ」
「んじゃさ、付与術はどうだ?ヒコボシは外からの影響を受けやすいし、保有魔力量も高そうだもんな。イケるって絶対」
付与術、か。強すぎる力に自ら封印を……中二心を刺激するぜ!
案としてはいいな。実行するならまず、自分の体に呪いを掛けて…必要な時に鍵言葉でその呪いを解除する。やべぇ超カッコイイ!
「サンキューヴォリス!なんか糸口が見えた気がする」
「お、おぅ…さんきゅー?」
「ありがとうって意味だよ」
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貴族の屋敷、キッチン。
「おはよう、マダム。今日の朝食は何かな?」
「何をしれっと食べに来てるんですか。作りませんよ」
「またまたぁ。そんな事言って、いつも二人分作るクセに」
「…ある意味習慣です。つまみ食いしてる人が何言ってるんですか、焼きますよ」
「釣れないねぇ…」
昨夜も遅くまで営んでいたのか、バスローブ姿の男がやってくる。
この屋敷での食事は、メイドさん達が作る事になっている。小子も、それにありつく事は出来るが……はっきり言って、美味しく無いのだ。
自分で作った方が、美味しいものを作れるという事の他に、余計なものを入れないという安心感を得られる。
苦手な食材があるとかそういう意味ではなく……例えば媚薬、惚れ薬を入れさせない為だ。
「実際、入れられましたし」
「ん?なんの話だい?」
「いいえ、なんでもありません」
もっとも、入れられたその日は自室にこもって効果が切れるまで待っていたんですけどね。
「そう言えばマダム、今日は夕方から試合があるんだったよね?」
「……ですね」
「確か名前は……」
「彦星さんです」
「そうそう、そんな名前だった。家名は確か…マダムと同じだったよねぇ?」
「……っ」
意地悪な男だ。分かっていて、言わないのだから。
「私は楽しみだよ……二つの意味で、ねぇ?」
貴族は料理中の小子に、固いナニかを押し当てる。両手を肩に乗せ、吐息は耳元で囁かれた。
「……あ」
「んん?ほらやっぱりねぇ?」
「うるさいです。あと背中の『ステッキ』が邪魔です」
「やっぱり、釣れないねぇ……?」
作ってしまった二人分の朝食をリビングに運びつつ、女神の書の代わりに与えられた自分のステッキを強引に取るのだった。
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刻々と近づく、準決勝。
治療室はとっくに追い出さ…退院し、一週間前と同じ服装になった。
登場もしていないのに、闘技場からは歓声が上がっている。
「…頼むぜ、ちゃんと効いてくれよ?」
腹に仕込んだ魔法を撫で、彦星は夕日の刺さる壇上に上がった。
『さァ!皆々様お待たせいたしました、選手の入場です!』
実況が始まり、歓声が一際大きくなる。
『まずはこォの男!かの【酔剣】と謳われたヴォリス・ヴァレンタインを接戦の末に撃破した男!ヒコボシ・ユーカワ選手ゥ!』
あいつ、ファーストネームがバレンタインかよ。チョコでも送んのか?
『続いて、相対するはこォちらの女ァ!詠唱不要で奇想天外な魔法を得意とする、現代に生きる魔女!ショウコ・ユーカワ選手ゥ!』
湧き上がったはずの歓声は、小子が出るとピンクな野次が飛んだ。基本的には、そのデカすぎる無駄脂肪に対してだ。
『さァ!なんの因果か両選手の夫婦対決!盛大な痴話喧嘩の行く末や如何に!試合ッ!開始ィィィ!』
実況に合わせて、試合が始まる。
しかし、両者共に動かない。
「……小子、今意識あるか?」
「えぇまぁ。今回は仕込まれなかったので」
「じゃあ、棄権しろよ。そうすりゃ、助けられるかもしれねぇ」
「…いつから、彦星さんはこの事を知っていたんですか?」
「…武闘試合の始まる直前、だな」
「……っ…ならどうしてっ…!助けて、くれなかったんですか…」
「こっちにだって事情があったんだよ」
「そんなの、私が一番分かって…っ!だから、隣で一緒に考えたかったのに!それを!」
「……」
声を荒げる小子は、そこで言葉を切った。
「……もう、いいです。私は、私のやり方で、やりたい事を、します」
「……そう、か」
交渉は、決裂した。
小子はステッキを構え、僕は刀を抜く。
「…炎壁」
「熱っ!」
先手を取った小子は、炎の壁を生成する。それも、壇上の端から端までだ。
「一体、何を……!?」
刹那、高速の火弾が彦星を襲う。
それらは全て、壁越しに襲ってきた。
「びっくりしたが、避けられねぇわけじゃ…あ!?」
眼前から襲って来ていた火弾が、後ろから迫って来た。その一発が、彦星の左頬を焼く。
「なん、は?」
気がつけば、後ろにも炎壁が生成されている。
わけがわからないうちに、左も、右も、炎の壁で覆われてしまった。
「ちょ、ま、うぉっ!」
目の前から襲って来る火弾は、避けられない速さでは無い。しかし、数が多すぎて避けきれないのだ。
「こん、のぉ…!」
避けるばかりだった姿勢を正し、刀を構える。
「火、には…水ッ!」
刀に宿した全属性の印が、青く光る。
そのまま、火弾を叩き切った。
…刹那、火弾が爆ぜる。
「んなぁ!?」
予想外の出来事に、彦星は今度こそまともに避けきれなくなり、眼前には火弾が迫っている。
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壁の外では、小子がひたすらに魔法を打ち続けていた。
「…続、風球、続……」
ステッキの先から、風属性の魔法が放たれる。それらは、炎の壁を通り抜けて彦星さんに当たるはずだ。
「…仮に避けられても、体力が尽きるまで撃ち続ければ……」
風球は、炎壁を通って火弾に化ける。当たってもダメージを受けるし、水魔法で相殺しようものなら魔力暴走を起こして爆発する。
正しく相殺するなら、土属性が適切だ。
「彦星さんなら、一度の相殺で気がつくでしょうけど…それより早く、仕留めれば!」
風球を撃つのをやめ、少し魔力を調節する。
「竜巻!」
風が、炎壁ごと巻き上がり、火柱が巻き上がる。
「…大丈夫、大火傷はするけど死なない様に調節出来てる。あとは、優勝者権限で彦星さんを解放して……私は、もうこのままでいいから…」
豪快な音と熱を上げ、巻き上がる火柱は、中にいる何者をも焼き焦がす。
「…これで、試合は、終わり……」
「勝手に終わらしてんじゃ、ねぇ!」
火柱の頭が不自然に揺れると、そこから何かが飛び出してくる。
「な、なんで…」
「へ、こっちだって何の準備もせず勝負に挑むわけねぇだろ。本気の半分も出してねぇのに」
「口、悪くなりましたね」
「……世話焼きは、変わって無いんだな」
彦星の背後では、火柱が小さくなって行る。無駄な魔力消費を抑えるために、小子が解いたのだ。
「何をどうやったかは分かんねぇ。けど、同じ手は通用しないからな?忠告したぞ?」
「私も、同じ手は使いません。手の込んだ方法が効かないのなら、いっそ単純にします。無重力、微風」
彦星は、自分の体が軽くなった感覚を覚える。次いで、風が吹くのも。
「……何してんの?」
「え?」
何をしたのか、分からない。小子の口から発せられた言葉を考えると、重力が無くなったみたいだが……しかし、今の彦星には意味が無い。
「…まぁ、対処出来たのはたまたまだから助かってんだろうな」
「ど、どうして…?」
「種明かし、してやるよ。『アンロック』」
彦星は鍵言葉を唱え、自分の腹部に手を伸ばす。手の平を、小子から見て反時計回りに回すと。
「よっ、と」
重力の無い壇上を、軽々と飛んだ。
「『ロック』」
次は時計回りに手の平を回す。
すると、彦星の体は真っ直ぐ地面に落ちた。
「とまぁ、今現在僕の体には重力が掛かった状態なワケよ。さっきは大体十倍くらい掛けてたから、それが一倍減ったくらいで影響出ると思う?」
小子は、わけがわからないとばかりに固まっている。
そんなバカな、と。
「…なぁ、小子。お前が、何を怒っているのかよく分かんねぇけどよ……もうすぐなんだ。そしたら、ちゃんと、迎えに行くから」
彦星はもう一度、小子に交渉する。
これでダメならもう、絶対に言葉では無理だ。
「そんなの、信用出来るわけが…」
「絶対だ。僕を、信じろ」
なんの根拠も無い、言葉かもしれない。
それでも。
「…………約束、ですからね?」
「あぁ」
疲れた様な溜息をつき、しかし口元は緩んだ表情を見せた小子は、その言葉を紡ぐ。
「私、ショウコ・ユーカワは、今回の試合を棄権し「認められるわけ無いだろォ!『戦え、ショウコ!』」…」
紡ぎかけた言葉は、観客席からの言葉で遮られる。
「何言ってんだあいつ…って貴族かよ。後でボコボコにしてやろうぜ、小子」
「……」
「…小子?」
一度引かれたステッキが、再び構えられている。
そこに、小子としての小子はいなかった。
「洗脳、か!」
彦星が飛び退くと同時に、足元には巨大な氷柱がそびえ立つ。
もう、最初の様な手加減は無い。
「おい、小子!目ぇ覚ませ!」
「……」
「くそっ!やっぱ呼びかけたくらいじゃ無理か!」
小子の魔法はヴォリスのそれと違い、正確な狙いだ。おまけに、呪文などの詠唱を必要としない分予測がし辛い。
更に言えば、彦星と同じく全属性を使い分ける小子の魔法は、対処が難しい。
「火と見せかけて風だっり、土と見せかけて火だったり…我が嫁カッコカリながら器用なもんだよなぁ!」
敵意丸出しの小子は異世界でも現代でも恐ろしいものだ。原稿の取り立てに来た小子を思い出して、吹き出しそうになる。
「ちぃ…制限開放半々分じゃ、流石に無理か…っ!『アンロック』」
自分の腹に手を当て、半分まで開放する。そうしてやっと、小子の攻撃についていける様になった。
「…さっさと解除して、決勝に行かなきゃなんねぇな、こいつは」
氷柱や炎壁、泥沼等を避けて動きつつ、小子の洗脳の解除に掛かる。
万年筆で宙に『解』と書く…が。
「当たんねぇし消されるし!直接書けってか!?」
しかし、書いた字で魔法を打ち消す事が出来るのが分かった。
これでしばらくは、時間が稼げる。
「…っしぃ!」
『解』で打ち消せるだけ打ち消し、残りは刀で相殺する。
派手なエフェクトの大技は、その次に来る決定打を隠すためのカモフラージュだ。
「縛!」
「……反縛」
「やっぱ無理か!」
以前と同じく、動きを制限する魔法を使ったが、対抗手段をとられてしまう。
もうこうなれば、術者そのものをどうにかしなければならない。
つまりは。
「…あのエセ貴族様をどうにか、すればっ!」
気味の悪い笑みを浮かべ、最前列の中央で見る貴族に目をやる。
壇上から出れば、場外負けになるので、貴族をこちらまで引き寄せなければならない。
「縛!繋!」
光の帯が貴族に伸び、その端と自分の腕を繋いだ。
「せぇぇやあぁ!」
「うぉ!?」
繋がれた貴族は身動きが取れず、観客席から放り出される。
審判や役員が走ってくるが、知ったこっちゃねぇ。それよか、邪魔だ。
「『私を助けろ、ショウコ!』」
「壁!」
誰にも手を出させない様に壁を作るその瞬間、攻撃の手を止めた小子は、手刀で帯を断ち切った。否、上腕部に氷の刃が生成されている。
「ふぅ…全く、何をするのかねキミは」
「……なるほど、分かったぜエセ貴族」
「は?」
「最初、洗脳されて無かった小子は、あんたの言葉を聞いて攻撃態勢に入った。次いで、あんたを助けろって言われて助けた。どういう原理か知らねぇが、喋れなくしちまえばいいんだよなぁ!」
絶対に許さねぇ。僕の小子に手を出したことを一生後悔させてやる。
まずはその四肢を切断して、次に舌をぶった切って、ダルマみてぇにしてやんよ。
「おお怖い。『早く私を開放しなさい』」
そこから先は、意識が無かった。
ただ何となく、夢見心地だった気がする。
「………はっ!」
目を覚ました時、僕は小子にぶちのめされて倒れていた。
「な、なん…何が……」
「まだ試合中です、彦星さん」
すぐに立ち上がり、刀を構える。
だが、その手に力が入らない。
「テンカウントする前に起きたんですね。洗脳は……解けてるようですね」
「何があった?僕はどうなったんだ?」
「あの人は、言った言葉で相手を操る魅了の魔法を使います。彦星さんはどうしてか、魔法にかかりやすいみたいなので。こちらの事は任せてください」
「お、おい!」
小子はステッキを収めると、さっさと場外に飛び降りた。審判が、呆気にとられたように判断を下す。
場外から戻った小子に、観客から盛大なブーイングが湧き上がるが、どこ吹く風だ。
「任せましたよ、彦星さん」
「……まて、小子」
「なんです……」
小子の口からの言葉が、止まる。
観客も、実況も、壇上の全てが、止まった。
「………っ!?」
「…これでしばらくは、大丈夫だろ」
「……な…な、なん……!?」
理解出来ないとばかりに、小子は自分の唇を撫でる。
対して、彦星はなんでも無いような顔をしている。小子からすれば、それは信じがたい光景なのだが。
「じゃあ、頼んだぜ」
「…………」
当たり前の様に、彦星は壇上を後にする。
止まっていた時間が動き出し、歓声と実況が色めき立った声を、壇上の夫婦に投げかけた。それは。
「……意味が分からないです」
それは、誰の為でも無く、他でも無い彼のために取っておいた初めてを、公衆の面前で取られたのだから。
……東の夜空には、小望月が昇っていた。
▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎
「なんとも締まりのねぇ試合だったな、ヒコボシ」
「うるせぇ」
面会室、そこでヴォリスはそんな事を言ってきた。
「けどまぁ、最後のアレは良かったんじゃねぇの?おしどり夫婦の旦那さん」
「エイビルといい、ヴォリスといい……同じ事言いやがって、バカにしてんのか?そのケンカ言い値で買うぜ?」
「おお怖い怖い。敵にしたくねぇ人ダントツだな」
牢屋に戻った後も、エイビルに同じ様に言われた。冷やかしてやがるのだ。
「話がねぇならさっさと行けよ。多分、市民が後ろにつっかえてんだろ?」
「んな事言うなよ。親友だろ?」
「……友達からグレード上がってんじゃん」
知らぬ間に親友になったヴォリスを帰し、次の面会者と会う。
……次にグレードが上がったなら、心の友だろうな。
「どういうつもりだ、兄ちゃん!」
ヴォリスの次は、市民だ。
やはり、というかご立腹のようで。
「どう、とは?」
「トボケんな!殺せたはずの奴を殺さなかった!なぜだ!」
「……土壇場で、エセ貴族の術中にハマった。一本取られたよ」
「わざと逃がしたんじゃねぇのか?ん?」
「こっちの嫁も取られてんだ。んなわけねぇだろ」
「の、割には仲睦まじくしてたじゃねぇかよ。あ?」
やべぇよ。この市民おこだよ。激おこだよ。MK5だよ。
「そうカッカすんなよ。手は打ってある」
「……何?」
「まぁ、小子が気付いてるとは思えないが…『その時』が来れば、分かるだろ」
わざわざ、エセ貴族に見えやすいようにしてやったんだ。
気付いてくれるなよ?
ご愛読ありがとうございます。
少し修正をば。
病室、彦星とヴォリスのセリフが混同してやがった…っ!