#14 予選前日
その日、ギルドホールはいつもの数倍は忙しかった。理由は明白で、受付傍に設置された掲示板に二つの記事が掲載されたからだ。
『第五〇八回武闘試合開催決定!会場はカルキノスギルド付属闘技場にて、七日後に開催です!来たれ、強者達よ!』『第五〇八回武闘試合開催に基づき、会場役員募集中!』
そう、掲載されたのは武闘試合の告知。全ての窓口が通常業務に加え、観戦券と参加申込の受理に追われる事になるのだ。
この日ばかりは上司部下の関係を考慮せず、手際よく事を進めるのだった。そこには、チルチルも含まれている。
「次でお待ちのお客様、こちらへどうぞ」「はい、観戦券のご購入ですね」「申し訳ありません、今しばらくお待ちください」
せわしなく、チルチルは窓口と中の倉庫を行ったり来たりしている。観戦券は、窓口に納品しても出品の方が上で、全く追いつかない。おまけに窓口の在庫置き容量が小さく、まとまった数を揃えて置けないのだ。
「はぁ……一息ついた…」
午前の山を乗り切ったチルチルは、窓口内の椅子にもたれかかる。ギシギシと錆びた音を立てながら、チルチルの背中に最適な背もたれを与えた。
「チュール君、今の内に休憩に行っておいで。ついでに髪も整えてな」
「…はい、休憩……いただきます」
上司に言われ、ヘトヘトのチルチルは覚束ない足取りで休憩室へ向かう。お昼はまだまだ先だから、本当にお茶を飲む程度の時間だ。
「あ、チルチル」
「……ユカちゃぁぁぁん!」
「うわっ!どうしたの!?ボロボロじゃない!」
「うぅ……今年は多すぎだよぉ…手伝いに来てぇ…」
「うーん、そうしてあげたいのは山々なんだけど……私これからカルキノスに行くのよね」
「…がーん……」
「仕事なのよ、仕方ないわ。それに、今年から新しい予選区が出来たからその準備もしないとね」
「……新しい予選区?去年と同じじゃないの?」
ここらで、武闘試合について説明しよう。まず、この試合は一日ではなく二週間程度続く。試合の告知したその日から武闘試合は始まり、開催都市はお祭騒ぎとなって、宿屋は観戦客の予約で一杯になる。
次に、試合出場者を絞る予選。一般の人々が買う観戦券は、その予選を勝ち抜いた強者同士の戦いを見る事になるのだ。各都市から申込してきた自信家を、それぞれランク別に区分けし、勝ち残った上位数名がいわゆる本戦の出場を許され、本戦は武闘試合の告知から一週間後の二日間を予定している。
本戦は勝ち抜き式で、優勝者には賞金とランクアップの可能性、運が良ければ名のある貴族の下で働く権利が与えられる。もちろん、貴族の眼鏡に叶えば、の話だ。
最後に、試合が終わった後の話だが、街の人々の湧き上がりが静まるまでが役員達の監視対象となっているため、役員達に解散命令が下るまでの期間を武闘試合としているのだ。
話を少し戻し、今度は予選について深く説明しよう。
まず、最高ランクのSランクは、そもそも出場権が与えられない。強すぎるからだ。それに、Sランクが現在一名しかいないのも理由の一つだ。
次にAランク。これも数えれば三ケタもいないが、予選通過者を一名に絞る事で調整を効かせている。
それからBランク。数で言えばCと同じくらいで、毎年各都市合わせて数万単位で応募者が出る。おかげでB之一、B之二と言った区分けの区分けが行われる程だ。予選通過者は〈Bランク〉のひとくくりで二名。人数によっては予選日を早めたり予選会場を分けたりもする。
Cランクも、Bランク予選区と同じ手法を取り、予選通過者はニ名。
最後にDランクだが、こちらはBやCに比べて数が少ない。己の力量を自覚しているのもあるが、それ以上にDからCになるのが容易いから、というのがあるのだ。予選通過者はニ名。
「……と、まぁここまでが去年の話ね。今年から、無差別区が追加されるのよ」
「無差別区?」
「そう、今までの応募の仕方だとギルド員しか出場出来ないわよね?」
「…まぁ、確かに」
「この無差別区は、ギルド員でなくても応募できる区なの。ギルドカード紛失者や、事情によって正体を隠したり……あ、ううん、まぁそういう身元不明者が参加出来る区なのよ」
これはレオンギルドが全都市との議会で提案した物だ。表向きは、まだ見ぬ戦力の発掘と力のはけ口を用意することによる治安維持。その裏で、素性を隠して参加したい人達を出場させるための枠。その事を口にする事は無いが、可決されたのは各都市に起こりうる損得を秤にかけた後の判断だろう。利害の一致というやつだ。ちなみに、予選通過者は一名。
「……要するに、私達窓口は面倒な事が一つ増えたわけね」
「そういう事。あ、ごめん私もう行かなきゃ。また今度ゆっくりね」
「あ、うん。お互い頑張ろうね」
パタパタと急ぎ足でチルチルは休憩室へ。それとは反対方向にユーカリは足を向け、ギルドホールを出た。
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用意された馬車に乗り込み、ユーカリは都市〈カルキノス〉へ向けて馬車を出した。
「遅かったな、ユカちゃん」
「うん、ちょっとチルチル……あ、チュールの事ね、彼女と話してたの。いけなかった?」
「ダメじゃないけど」
「なぁにぃ?もしかしてマキちゃん嫉妬してるぅ?」
「からかうな。あたしの正体がバレたらどうする」
「大丈夫よ、ユカちゃんの化粧術を信じなさい」
ユーカリと乗り合わせているのは、マキ・クーシャだ。ただし、今は変装中だが。
鎧は脱ぎ、剣と盾を背中に装備。全身すっぽり包むローブを身につけ、いつもは清潔感漂う乙女の柔肌には黒い汚れが塗られている。髪も染めて、普段の髪色より明度が落とされている。
「…でもまぁ、本当にありがとう。感謝してるよ」
「ヒコボシ君を助けるため、だよね。ショウコちゃん、結構落ち込んでない?」
「いや、意外にも大丈夫だったよ。ショウコちゃんも、ヒコボシについては無事だって言ってるし」
……嘘だ。
「そういえば、ヒコボシ君の安否はどうやって分かったの?」
「ショウコちゃんの、女の勘だそうだ」
あの時、ショウコちゃんは、あたしに言った。「女の勘です」と。対してあたしは「明確な理由になってない」と指摘したが、ショウコちゃんは首を横に振り、こう言ったのだ。
「勘とは、その人の持つ知識と経験が掛け合わされて、初めて発揮される人間の第六感です。だから、言い切れます。彦星さんは大丈夫です」
真っ直ぐな目で、ショウコちゃんはもう一度あたしに言った。ヒコボシは大丈夫だと。迷いの一切ない、その目で。
「……あんな目で言われちゃ、信じるしか無いよなぁ…」
「女の勘、ね……割と外さないのが恐ろしいやつよね」
「ま、とにかく。ショウコちゃんは全然堪えてない。むしろどうするべきか考えるのに元気が余ってるほどだったよ」
「ふーん……で?信じたマキちゃんは、どうして行動を起こしてるのかな?いつものマキちゃんなら、動かずじっと待つでしょ?」
「ははは、やっぱりユカちゃんには隠せないか……うん、信じるけど一応ね…不測の事態が起きないとも言えないし」
ショウコちゃんは大丈夫だって?大丈夫なわけ無いだろ。どんなに信じてると言ったって、心は不安定になる。口では何とでも言えるが。
本当は、不測の事態なんて言葉は当てはまらない。あたしが参加するのは、ショウコちゃんが暴走しないように、止めるために。
願わくば、ショウコちゃんが試合に参加しませんように。
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カルキノスに向かう馬車の中で、マキ・クーシャが神に願いを乞うているのと同時刻。
「こんにちは。本日はどの様なご用件で……って、ショウコちゃん!」
「えっあっ私をご存知で……?」
「そりゃあもう有名人だから……あ、その顔は私の事、覚えて無いのね」
「……すみません」
「うん、まぁ顔を合わせて話すのはこれで二回目だからね。改めて、私は〈チュール・キィル〉と言います。担当は、ギルド会員受付窓口です」
「………あぁっ!」
「ふふ、思い出した?」
合点がいったように、小子は口をパクつかせている。
「あ、あの時はお世話になりました」
「いえいえ。私もね、魔法書を持ってるだけの、いけ好か無い魔女が来たなんて思っててごめんなさい」
「そんな風に見てたんですね…」
「まぁ印象なんてそんな物よ。ショウコちゃんの場合は印象よりも、そのあとの行動がすごかったから、関係無いけど」
「あ…あはは……」
「それで?今日は何の用?」
「あ、えとですね……武闘試合の参加申込を…」
「はいはーい、じゃあこの皮紙に色々書いてくれる?氏名と年齢、生年月日とそれからギルドランク。後で証明証と見比べるから」
小子は、渡された紙に羽ペンで書き込んでいく。全部書き終わったらギルド証明証と一緒にチュールさんに渡す。
「……うん、大丈夫。問題なく申込は終わったわよ」
「ありがとうございます」
「いいのよ、仕事だからね。それはそうと、彼は申込しないの?」
「…彼?」
「ほら、ショウコちゃんの旦那さん」
「…あ、あぁ!はい、彦星さんの事ですね。あの人はちょっと……」
「何よ、まさか出ないつもり?」
「いえ、そうではなくて、ですね……」
言えない。もしもギルドに彦星さんが捕まった事を話せば大ごとになる。なんとかして、それだけは誤魔化さないと。
「…彦星さんは、やる事があるそうで、出場しないそうです」
「ふぅん……面白く無いわね。じゃあ、観戦券でも買う?」
「あ、いただきます」
買っても彦星さんには渡せないですけど、マキさんなら渡せますからね…試合に出なければ、ですけど。
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着々と予選の準備が進む中、都市〈タウロス〉内に設置された、豪邸のような家。済む者は家の主人だけ。その家の庭で、黙々と素振りをする男の姿が見えた。
「……ふんっ!…ふんっ!」
大柄な男は、金棒を振っている。先端には、バーベルに使うような重りを着けて。
「……ふんっ!…ふんっ!…ふんぬぅ!」
男の名はザンキ。断頭剣を自在に操るタウロスの隠し球だ。
そんな最強とも言える男の目には、今はある男の事しか見えていない。その男の名はヒコボシ。
今まで対峙してきた戦士の中で、ただ一人ザンキの剣線を防いだ男だ。
「……ふんっ!…ぬぅ!……そいやぁ!」
都市に公認され、処刑される罪人の首を幾つも飛ばしたザンキは、その職業柄か、恨まれる事が多い。
短刀を持って仕掛けて来た女がいた。暗殺者に高額な金を出した貴族がいた。単純に戦闘行為を仕掛けて来た剣士がいた。
しかしそのどれも、全員が揃って首を飛ばされ、死んでいる。
短刀を握った女は処刑場で。依頼した貴族は自宅で暗殺者と一緒に。弱い剣士は胴体が川を流れて首は橋の上に。
酷いと思うか?否、思わない。ザンキに敵意を持った時点で、死が確定しているからだ。ザンキは思う、降りかかる火の粉を払って何が悪い。
「……ふぅ…休憩だ」
縁側に座って滴る汗を拭きながら、ザンキはヒコボシの事を思い出す。
今までの奴より、はるかに強い太刀筋…ヒコボシは確か、カタナと言ったかな?
今度は負けない。防がれたカタナごと、奴の首を飛ばしてやる。そしてその頭蓋骨を一生の戒めとして、玄関に飾ってやるのだ。折れたカタナも一緒にな………くく、今から楽しみだ。
「……良い、良いぞぉ……素晴らしい憎悪だ」
ピクリと、ザンキは声のする方を向く。そこは先ほどまで自分が立っていた場所。
黒く澱んだ雰囲気を放ち、黒いローブを着た人のような者が立ち尽くしている。
「…誰だ貴様。どうやってここに入った」
「入ったのではない。最初からいたのだ」
ザンキは悟る。幻覚か、と。素振りのし過ぎで頭に血が上ったか?年は取りたくないな。
「……なぁ、幻覚さんよ。我に何の用だ?」
これが幻覚と分かれば気にしない。いい気晴らしだ、少し話でもしてやろう。
「…私はお前の味方だ、ザンキ。奴を……彦星を、潰したいのだろう?」
「まぁ、そうだな。正面からぶつかって、ぶっ壊してやりたいな」
「…彦星は魔法を使う。ザンキの剣線だけでは勝てんぞ?」
「やって見なければわからんだろう」
「……まぁ、それはザンキの自由にすればいいさ。だがしかし、もしも…もしも彦星の魔法に屈しそうになった時、ザンキはどうするつもりかね?」
「殴る」
「……それもいいが、ザンキ。お前にはこれを貸そう」
幻覚は、ローブの中から腕輪を差し出した。材質は黒曜石だろうか、くすみの無い黒をした腕輪だ。
「……こいつは?」
「腕に着けた者に魔法を与える道具さ。ザンキの想いに応じて力は増大する。発動させる鍵言葉は『黒の想いに応えろ』だ……ゆめゆめ、忘れるで無いぞ…」
徐々に、幻覚が薄れていく。頭の血が引いたのか、ザンキはすごく落ち着いていた。
「…さて、素振りの再開だ」
そう言って、ザンキは縁側から腰を上げる。ふと、左腕に重量感を感じて見下ろせば、幻覚のはずの腕輪が装着されていた。
素振りの邪魔だと、外そうとするも鍛え上げられた筋肉に阻まれて外れそうにも無い。どうやって装着されたのかも、さっぱりだ。
ザンキは腕輪を外すのを諦め、素振りを開始した。そのうち慣れるだろうと、そう判断をして。
ご愛読いただきありがとうございます。