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#13 武闘試合

「……ふぅん、じゃあヒコボシは大丈夫だと、そう言いたいんだな?」

「は、はい…」

「根拠は?」

「それは…その……」


 言えるはずも無い。どれだけ信頼を置いたマキさんだとしても、言える事と言えない事があるのだから。

 イシケーについては、小子と彦星だけの秘密だ。


「んん?ショウコちゃんは根拠も無いのに大丈夫だと思うのかい?」

「……」

「…マキ姉、もうやめへんか?ショウコ姉が固まっとるやん」

「タイガ、これは一個人の問題じゃない。ギルドとしての責任だ。うやむやには出来ないよ」


 やはり言うべきだろうか。しかし、どこから情報が漏れるか分からない。もしイシケーの事がタウロスにバレれば、小子と彦星の繋がりが切れてしまう。本人は大丈夫だと言っていても、だ。


「…やっぱり、我慢出来ない。ギルドとして、ヒコボシを取り返す」

「……っ」


 それだけは避けなければ。ギルドの為にも、彦星さんの為にも、タウロスを敵に回すわけには行かない。


「……マキさんっ!」

「なんだ?」

「…言います。彦星さんが大丈夫な、根拠」


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 自分の牢に戻った彦星は、物思いにふけっていた。


「……小子のやつ、マキさん達にどう説明するつもりだろ」


 マキさん達に伝えておきます。そう言った小子の事だ、どうにかするんだろうが、イシケーについては話すわけにはいかない。


「…まぁいい。無くなったら無くなったでどうにかするさ。今はとにかく、試合までに体力を付けないと」


 タウロスに捕まるまで、正直僕は最強だと思ってた。

 でも、それは紙に貰った魔法が強いだけで、僕自身が強くなったわけじゃない。その証拠に、僕は組み伏せられただけで捕まったし、何よりあの断頭剣を反らすのが精一杯だった。あともうふた振りもされていれば、きっと僕の首は飛んでいただろう。


「……体、鍛えるか」


 紙に貰った魔法は最強、リュウガさんに打って貰った刀は最高、じゃ、僕は?答えは最弱だ。


「…そんな二、三日で結果が出るとは思えないけど……やら無いよりかはマシだよな」


 食事は一日三食。グータラ過ごしていたら、間違いなく太る。それは困るからな。とりあえず、腕立て伏せから始めよう。いきなり千とか二千は無理だから、もう無理っていう限界から十回でいいや。でも、それじゃあ時間がかかりすぎるな…あ、そうだ。


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「ねぇ、俺とデートしない?」

「んー……忙しいからまた今度ね」

「バカ、ユカ様がテメェとデートなんざするかよ」

「ンだとゴルァ」

「ヤんのかテメェ」

「まぁまぁ二人とも、それで依頼はどうだったの?」


 今まさに取っ組み合いをしそうな男二人を止めつつ、彼女〈シエン・ユーカリ〉は自分の業務を済ませるのだった。

 報告を済ませた二人は、ユーカリから新しく依頼を受けると、睨み合いながらその場を後にする。


「…すごいよね、ユーカリさんは。美しいって罪ね」

「ユーカリさんじゃなくて、ユカちゃん。それと、私全可愛くないし」

「いやいや、私よりも仕事出来て男に取り囲まれてるのにちゃん付けは出来ないよ」


 ギルド員があら方引いた所で、ユーカリの隣に座る彼女が馴れ馴れしく話しかけてくる。


「やめてよチュール。私達同期でしょ?」

「同期って言うなら私の事も愛称で呼びなさいよ。チルチル、って」


 〈チュール・キィル〉は中途半話な胸を張りつつ、そう言った。

 ちなみに、我らがユカちゃんは依頼受理窓口の受付嬢。チュールは新人ギルド員受付窓口の受付嬢だ。彦星が最初に話した受付嬢は、意外と彼女だったりする。


「…あのね、チュール。仕事が出来るとか出来ないとかじゃなくて、年功序列なの。わかる?」

「さっき同期が云々言ってませんでした?」

「むぐぐ……」

「年功序列を出すなら尚更言うわ。シエン・ユーカリ、以後私の事はチルチルと呼びなさい」

「……わかったわよ、降参。私の負けよ、チルチル」

「はい、聞き分けがよろしい」


 勝った、とチルチルは満足気な表情を浮かべ、対してユカちゃんは仕方ないと思いつつも顔は緩んでいた。


「…それで?まさか雑談する為に話しかけてきたわけ?」

「あ、うん、あのね、お昼一緒に行かない?もうすぐ休憩でしよ?」

「いいわよ。行きましょうか」


 そう言って、二人は業務の引き継ぎを済ませて、ギルドホールの外に出た。


 ▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎


「じゃ、何食べようか」

「なんでも良いんじゃない?」

「それもそうね」


 この世界に置いて食事とは、味に大差がない為腹が膨れればなんでもいいのだ。今はまだ。

 そんなわけで、ユカちゃんとチルチルはそこらをブラブラと歩く。午後の業務も有るから口臭に気をつけなければいけない。あまり油ぎった物は避けるべきだ。なのに。


「あっ、ムニエル食べない?」

「あのね、午後も業務があるのよ?バカじゃないの?」

「むぅ…じゃ、お肉は?」

「じゃ、の意味が分からない」

「フルーツ!これなら文句無いでしょ!」

「フルーツはデザート。メインでは無いでしょ?」


 ……とまぁ、ことごとくキャンセルになり、結局街を歩き回っただけで何も食べられなかったのだ。


「あぁもぅっ!ユカちゃんの頭固すぎ!」

「チルチルが常識なく選ぶからでしょ!?早くしないと休憩終わっちゃうよ!」

「やぁだぁ!私好きな物食べたいのぉ!」

「味なんて変わらないでしょうに……」

「気分の問題よ!」

「なら私がおごるわ。それならどこでもいいでしょ?」

「ユカちゃん、やっさしー」


 はぁ、とユーカリの口からため息が漏れる。チュールはもう、タダで食えるならなんでもいいようで。

 どこに行くかなど聞きもしないで素直にユーカリの後ろを歩くのだった。

 だからこそ、その目的地に着くと文句を垂れるのだ。


「ナズェニギルドニモドルノドゥェス!」

「そりゃ、食堂で食べるからよ」

「それが嫌だから、外に出たんじゃないの!」


 ぶーぶー文句を言いつつも、チュールは歩む足を止めない。空腹には逆らえなかったのだ。


 ▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎


 そうこう言っているうちに、ギルドの食堂に着いた。

 ユーカリは、いつもの様に日替わり定食を注文する。


「おごってもらうのに文句言わないの。デザート頼んで良いから」

「おばちゃん、私も日替わり定食。それからデザートにフルーツ盛り合わせ」


 人の金だと思って、いつもは頼みもしないフルーツ盛り合わせを注文。全く、図々しいったらないよ。


「…もぐ、んぐ……そういえばさ、あの子達どうしてる?」

「…あの子達?」


 この手の会話は、チュールとユーカリの間では日常茶飯事だ。窓口が隣なのもあるが、新人ギルド員を案内する彼女にとって、変わり種はやはり気になる。今までそう言う会話は幾度かあったが、今回以上の変わり種は出てこないだろう。


「あの子達はあの子達よ。ペンで戦う子と、魔法書持った子」

「あぁ、ヒコボシ君とショウコちゃんね。別にそこらのギルド員と変わり無いと思うけど……あ」

「なによ、『あ』って」

「うん…昨日の事なんだけど……ゴブリン討伐規制が発令されたでしょ?」

「そうね。ウワサじゃ複数人が一斉にゴブリンを討伐したって聞いてるけど」

「それ、ヒコボシ君がやったのよ」

「ん?複数人に含まれてたって事?」

「そうじゃなくて、ヒコボシ君が単独でやったの。一昨日の最終依頼(ラストオーダー)で」


 それまで、もぐもぐと食べながら話を聞いていたチュールの手が、止まった。


「……ごめん、もう一回言ってくれない?」

「ヒコボシ君が一人で倒したの」

「複数人じゃ無いの?」

「うん」

「討伐規制って、確か数十万単位で同時討伐しないと発令されないわよね?」

「私も、数を数えたわけじゃ無いけど…五十万は倒した感じだったかな」


 唖然とするチュールをよそに、ユーカリは日替わり定食を口に運ぶ。

 今までのヒコボシを見ていれば、それは当然の反応と言えただろう。


「ふ、ふーん…ヒコボシ君が一人で……すごいね」

「普通だと思うわ。彼ならやりかねないし」

「私の感覚がおかしいのかしら……」

「それからショウコちゃんはね、いろんなギルド員から人気があるのよ。回復魔法は一通り出来るし、人当たりも悪くない。おまけにあの豊満な胸で、深い関係を持ちたい男が後を絶たないのよ」

「ええ!?そ、それで!?誰かと付き合いでも始めたの!?」

「まさか。相変わらずヒコボシ君一筋よ」

「…まぁ、そりゃそうだよね」


 その後も、色々話をして休憩時間は終了。通常業務に戻って、と……そう思っていた矢先だ。


「シエン・ユーカリ。部長が呼んでたぞ」

「部長が……?」


 すぐさま、ユーカリは上司のデスクに向かう。


「お呼びでしょうか、部長」

「あぁ、ユーカリ君。休憩は終わったのかい?」

「はい」

「そうか。それじゃあ、少し別の仕事を頼みたいんだ。今日の午後から向こう一週間はその業務に就くように」

「分かりました。それで、その業務とは?」

「例のアレだ」


 その言葉だけで、ユーカリは自分が何をすべきかを理解する事が出来た。


「確かユーカリ君は、去年も例のアレを手伝ったよね?」

「はい」

「それなら安心だ。よろしく頼んだよ」

「はい、分かりました」


 ユーカリは軽くお辞儀をし、上司のデスクを後にする。

 ユーカリは手早く荷物を整えて別室に移動しなければならないからだ。


「どうだったの?部長に何か言われた?」


 心配したのか、チュールが話しかけてくる。


「なんでもないわよ。例のアレを手伝って来いって言われただけ」

「あぁ、もうそんな時期か……今年はどこでやるの?」

「さぁ?まだ決まってないのかもね」

「フーン…頑張ってね。ユカちゃんの分も、私が頑張るから」

「そう?じゃあ引き継ぎお願いするわ。今来てる依頼が、コレとコレと……それから受理中がこれだけ。未作成報告書はここにまとめて置くわ。それと……」

「ごめんなさい勘弁してください出来ません」

「ふふ、冗談よ。手の空いてる子に頼むわ」


 その後、なんやかんやと準備を済ませ、ユーカリは一箱分の私物を抱えて別室へ移動した。


 ▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎


 例のアレ、すなわち〈武闘試合〉は大体一年周期で開催される。大体、というのは各都市の治安や政治状況、その他もろもろ大人の事情が織り交ぜられるからだ。

 それでも大体一年周期で武闘試合が行われる。そう思うと、どこの都市も平和なものだと、実感出来るのだ。

 そんな武闘試合に呼ばれる役員は、いわゆる都市管理の代表という事にもなる。ゆえに、招集されるのは超が付くエリート達。退職や異動がない限りは、同じような顔ぶれが並ぶのだ。

 そんな中、仮議長として司会を務める人が口を開いた。


「…よし、全員集まったな。今年も無事に開催できる事を嬉しく思うぞ」


 別室に集められたのは十人。各都市も同数と考えれば百二十人。少ないかも知れないが、試合に参加しないギルド員達に手伝いの依頼が出されるため、この数で十分なのだ。


「例によって、武闘試合は膨大な経済効果をもたらす。それと共に犯罪数も増加するだろう。まぁ、毎年の事だがな」


 小さな笑い声達が部屋に響く。


「今年の開催都市と日付けはもう決まっている。一週間後の都市〈カルキノス〉だ」


 都市〈カルキノス〉は、腕利きの武器職人達の住む都市として有名だ。事実〈カルキノス産〉の剣や防具は、無名のものでも数万Y(ユーン)はする。名のある職人の打ったカルキノス産武具なら、数億は超えてもおかしくないだろう。


「場所は〈カルキノスギルド付属闘技場〉になった。総動員数約二千万の小さな闘技場だが、だからこそ席の取り合いで怪我人が出るかもしれん。開催日公表は明日の朝、観戦券販売は明日の正午以降、販売所はギルドの総合窓口。在庫数は百六十万と限りがあるから、今年も客が殺到するだろう。健闘を祈る」


 毎年恒例の長い説明文句が終わった所で、議会は終了。後は決まった内容をギルドの各部署に伝達し、それぞれの準備に勤しむだけだ。


「会議中だが失礼する」


 バタンと勢いよく扉が開かれ、とある人物が現れた。


「あぁ、これはクーシャさん。どうかされましたか?」

「今年の開催都市はもう決まったのか?」

「えぇ、明日の朝発表になりますが、カルキノスに決定しています」

「そうか…」

「それが何か?」

「……この話は他言無用で、レオンギルド試合役員にのみ話す。あたしの友人が他都市に攫われた」


 その言葉で、会議室は一気にざわついた。色々と聞きたい事はあるが今は置いておく。

 その場を代表し、仮議長がマキ・クーシャに問うた。


「攫われた、とは一体どういう事ですか?」

「昨日、タイガと友人が依頼を受け、その帰りに都市〈タウロス〉の秘密を知って捕まった」


 ざわめきが増した。タウロスの秘密など、最早都市伝説と化していたからだ。その秘密を知って帰った者がいない事も、明白だった。


「あたしも、私情を挟んで申し訳ないが、同時にこれはギルドとしての責任でもある。ウワサの真偽を調べなかったギルドとして、の」

「それでは、今年の武闘試合は延期に……」

「それはダメだ。タウロスに悟られる。それに、おそらくタウロスは友人を試合に出場させると思う」

「では、その時に奪還を?」

「それも却下だ。十二都市のいがみ合いになりかねない。都市同士の戦争など、考えるだけで危険だ」


 都市一つが一国の軍事力に匹敵する事を知っていれば、都市同士の戦争が如何に危険かは分かるはずだ。

 誰も口にはしないが、武闘試合は各都市の戦力を示す場でもあるのだ。


「…結論を言おう。今年の武闘試合、あたしが出場する」

「そ、それは……っ!」


 それまで平静を保っていた仮議長が声を荒立てる。流石に、英雄の末裔が参加する事には驚きだったようだ。


「ただし、実名を出すワケにはいかない。偽名を使おうと思っている。武闘試合に参加するには最低でも身分証明が必要だが、ついては協力願いたい」

「し、しかし……」

「あたしも、無理にとは言わない。断るなら、断ってくれ。別の策を考える」


 仮議長は口ごもった。今この場で断るのは容易いが、その場合ギルドはマキ・クーシャに一切の協力が出来ないと断言するような物だ。そうすると、今度はマキ・クーシャが一人で行動する事になる。そうなれば、ギルドの監視下に置く事も出来ず、厄介事を起こされて面倒ごとの処理に回されかねない。


「……一つ、約束をして頂けるのでしたら、我々ギルドはマキ・クーシャに協力いたします」

「聞かせてくれ」

「そのご友人を救出されましたら、試合を棄権してもらいます」

「構わない」

「それでは決を取りましょう。異論のある者は挙手願います」


 そう言って、仮議長は多数決を取った。三人手を挙げたが、賛成者多数で可決される。


「…悪いな、迷惑をかける」

「それは、まぁ、クーシャさんの頼みですから。本当に、優勝だけは、しないで下さいね」

「分かってる。じゃあ、頼んだぞ」


 そう言って、マキちゃんは部屋を後にする。

 ……さぁ、これから大変な事になりそうね。


 ▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎


 場所は変わって、ここは都市タウロス。レオンと同様に武闘試合について会議が行われていた。


「………という事だ。何か質問はあるか?」


 毎年恒例の説明文句を経て、タウロス側も準備に入った。

 そんな中、タウロスの仮議長はヒコボシの様子が少し気になって、位置的に近い議員の男に尋ねる。


「おい、あの男はどうしてる?」

「なんの問題もありません。牢の中で大人しく縮こまってますよ」

「気をぬくなよ。一度は脱獄を企てた男だ」

「はい、肝に命じておきます」


 議員は伝達のために部屋を出て、あちらこちらを歩き回る。その道すがら、地下牢に立ち寄って彦星を見ておく事にした。

 実を言うと、彼は部下から話を聞いただけで、まだ一度も見た事がないのだ。


「こ、これは議員殿!お疲れ様であります」

「はいお疲れ。例の男はどうだ?」

「はっ!奴は自身の牢中にて、待機中であります」

「脱獄は?」

「あれ以降、兆しの欠片もありませんです」

「そうか。案内しろ」

「はっ!」


 教育の良く行き届いた軍兵だと思う。この都市では、上司は上官と同等に扱うらしい。言葉の最後に『サー』が付かないだけ、上官よりは砕けた存在だが。

 議員と見張りの兵は、彦星の牢に向かう。鉄格子越しに、彦星は尋ねてきた議員を見やった。


「なんだ、まだ若いじゃないか。てっきり極悪面の大男かと思っていたのに」

「議員殿、見かけに騙されてはなりません。この体躯でザンキさんの断頭剣をはじき返したのです」

「へぇ……それはすごい」


 ちらりと、牢の中を一瞥(いちべつ)する。


「ところで、なぜ牢の中に剣があるのだ?」

「はい、それは彼の所有物でして。絶対に手離さないと言って牢に持ち込んだのです。一応、重りと鎖で封をしておりますが……」

「そう……」


 鉄格子越しに見た限り、男はその剣でどうこうする気は見られなかった。まぁ、こちらには他の囚人という人質があるから、下手に動かないとは思うが。


「……あんたら、僕に何か用でもあるのか?」


 男が不貞腐れた顔をしながら、質問する。ついでだ、この男にも教えておこう。


「一週間後、都市カルキノスにて武闘試合の開催が決定した。その報せを持ってきたのだ」

「……あっそ」


 そう言うと、男は体勢を変えて体に負荷を掛け始めた。基礎体力を付けるつもりらしい。良く良く見れば、全身汗だくだった。


「……帰りな…あんたらを気にかける余裕はねぇよ」

「貴様ッ!議員殿になんて口をッ!」

「構わない。彼も勝つために必死なんだよ。あと一週間で、肉体が変化するとは思えないけどね」


 議員の彼は、彦星を嘲笑(あざわら)いつつ、その場を離れる。笑われた本人は、そんな事気にしていないようだった。

 やがて足音も聞こえ無くなり、静かな汗の滴る音のみになる。


「……うっ…ぐぬ……」


 彦星の体が限界を迎え、それでもなお倒れる事無く鍛え続ける。たかが筋トレに大袈裟な、と思うなかれ。今この牢の中は彦星が作り出した、ある特殊な空間なのだ。


「……ぐはっ」


 力尽き、体にかけた負荷が一時的に解かれる。だが、それは運動が終わっただけに過ぎない。


「……くそっ…息が……重いっ…」


 彦星が寝そべる床には、幾重にも重ねられた “(グラビティ)” の文字群が。絶えず魔力を流し、文字が消えないようにしつつ、体を鍛える。一文字につき一Gプラスされると考えると、もう二十G分はあるだろうか。

 つまり、彦星は今通常の二十倍の重力の中で体を鍛えているのだ。そりゃ、肺の筋肉がうまく動かないのだから、呼吸する事すら難しいだろう。


「……まだ、まだァ…ッ!」


 ここらで一気に十G程プラスする。重すぎて、全身の骨がミシミシと音を上げ始めた。


「……ぎぃッッ!アァァァァッッッ!」


 自分でも分かる。たった今肋骨が折れた。慌てて文字をかき消し、自分で治療。もちろん、万年筆で。


「アァッ……ハァッハァッ…ハァ……」


 痛みと戦いながら、かき消した文字を書き直す。ズ、ズンという重さが彦星を襲い、治ったばかりの肉体はまたミシミシと悲鳴を上げる。

 それでも、彦星はやめなかった。

 強くなるために。

 一度体勢を立て直し、座り直す。大騒ぎしすぎたからな、そろそろ来る。


「おい!どうした、何があった!」

「……なんでもない、ネズミが出たんだ」

「…そんな事でいちいち騒ぐな。紛らわしい」


 見張りの兵はそれだけ言って自分の持ち場に戻る。

 正直、ただ座っているだけでも体が潰れそうだ。本当なら、少しずつ重力をかけて慣らすのだが……何しろ時間がない。目標は百倍重力だけど、四十倍が限度かもしれないな。


「……さて、と…二十五倍重力…挑戦するか…」


 武闘試合まで、あと一週間。

ご愛読ありがとうございます。


雲のマシンで空を飛んでいた彦星は百倍重力に耐え抜き、見事に十倍界◯拳を習得し超彦星になるのでした。嘘です。


次の話は大分先になりそうです。

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