#12 都市タウロス
「……もう寝てるかな」
夜通しゴブリンと戦っていた彦星が戻ったのは、朝日の昇る数分前。背中に背負った結晶の袋は、バックパック一つ分ほど。
夜中に帰ろうと思ったが門限をとっくに過ぎており、壁門は開かず結局朝帰りとなったのだ。
「ただいまー…」
宿舎の部屋に着き、そっと扉を開ける。
小子は怒ってるだろうかと、おそるおそる中を見ると、備え付けのテーブルに突っ伏して眠っていた。
「……ずっと起きてたのか…」
テーブルには、山のように積まれた本があり、そのうち何冊かは読みかけだろうか。開かれたままになっている。
僕は小子を担いでベッドに運ぶか毛布を掛けるか短考し、結局は後者に。風邪を引かれたら困るからな、主に僕が。
「少し寝るか……疲れた…」
万年筆は枕元に置かず離れた位置に。神の寝床に用が無いからな。
夜通し戦い続けた彦星は、朝日が昇ると同時に深い眠りに入ったのだった。
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彦星が眠ってから数分後、朝日と共に小子はのそりと起き上がる。
「…………」
窓の外を眺め、朝が来た事に気がつくと、自分は寝ていた事を察した。
「…毛布……?誰が…」
掛けられた毛布をたたみ、ベッドに戻そうと目線を向け、そこで初めて彦星が帰っている事に気がついた。
「…っ!彦星…さん、お帰りなさい」
驚きで声を荒立てかけたが、次第に尻すぼみしていく。起こさ無いよう気を使ったのだ。
まさかこの毛布を掛けたのは彦星さんでしょうか?いえ、そんなはずはありません。彦星さんが私に気を使うのは空から槍が降るほど有り得ないのですから。
「きっとマキさんですね。あとでお礼を言っておかないと……この毛布は彦星さんに掛けるとして…朝食はなんでしょうか?」
考え事をしつつ、小子はベッドに近寄る。
すると、だ。まるで仕組まれたように小子は毛布のスソを踏みつけ、そのまま前のめりに横転。幸い、目の前に柔らかいものがあるから怪我こそしないものの、着地点には彦星が。
「……っ!」
ヤバイと思ったが落下する先は変えることが出来ないので、必死に体を仰け反らせて直撃だけは避けた。
「……っ…はぁ……」
呼吸を忘れていた小子が落ち着いた頃、宙を舞っていた毛布が綺麗に二人を包み込んだ。彦星は……?大丈夫、起きていない。
「…こうして寝ている時は、普通の人なんですけどね」
「……すぅ…」
「…ふふっ、いつもの仕返しです」
そう言って、小子は人差し指で彦星の頬ほほをぷにっ、と突っついた。
「……ん…」
寝ぼけている彦星は、押し付けられた人差し指を払いのける。
「……むにゅう」
払いのけるのに使った手が、今度は腰に周り、反対の手が素早く小子の脇腹を抜けて、一瞬のうちに彦星の手の中へ。
「えっちょ彦星さん何やってっひゃあっ!?」
彦星は抱き枕か何かと間違えているのだろうか。いつもは忌み嫌う小子の胸板に顔を埋め始めた。
「やっ…やめっ……」
必死で引きはがそうとするが、力不足なのか一向に離れる気配が無い。それどころか、下手に動いたせいで更に深く密着してしまっている。
「ぁっ…ふぁ……っ!」
規則的に感じられる彦星の呼吸が異様に生暖かく、それでいて心地いいと感じてしまい、次の瞬間には切なく感じていた。
「ゃあっ…彦星…さん……」
頭の中が真っ白になりつつ、それでも意識を手放すまいと、自分の胸に顔を埋める彦星をそっと抱いた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
脳内に快楽物質が大量に分泌されると、今度は開放感が全身を襲う。もう一度その感覚を味わおうと、小子は自分から彦星に寄り添おうとした所で。
「おはようショウコ、ヒコボシは帰って…………」
「…………」
部屋の扉が開き、マキさんが顔を覗かせた。
「………………あの、マキさん、これはその」
「………邪魔したね」
「ち、違うんですマキさん!これにはワケが!」
「…いい、いい、みなまで言うな。溜まってたんだろ?」
「だから違うんです!」
「気にせず続けてくれ。終わったら来なよ、朝食は置いておくから」
「そうじゃないんです!あぁもうっ!離してください彦星さんっ!」
誤解を解こうと必死でもがくが、ガッチリ抱きつかれていて剥がれそうにない。
「じゃあな、今度こそ頑張れよ」
「だから違うんですってばあああぁぁぁ……」
小子の悲痛な叫びは届くことなく、マキさんは扉をそっと閉め、足早に去っていった。
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……視線が痛い。一体何があったと言うのだ。
朝帰りを果たした僕が目を覚ましたのは、昼過ぎ。誰に起こされたわけでも無いので、疲れは取れて頭もスッキリしていた。砂埃やら汗でべたついた体に“洗”をかけ、結晶を換金する為にユーカリさんの元を訪れて……うん、やっぱり何もないな。とはいえ、視線が痛いのは気のせいではない。つまり、昨夜から僕の起きるまでに何かあったと考えるべきなのだ。
「…なぁ、小子」
「知りません!」
「…まだ何も聞いてないんだけど」
「ヒコボシ、やはり君が悪いと思うぞ。ヤるべき事はしっかりヤらないと」
「……は、はぁ…」
気の無い返事をしつつ、やはり何があったのか皆目見当もつかない。
小子は知らぬ存ぜぬで聞く耳持たないし、マキさんは何か知ってそうだが……どうだろう。
聞いてみようと、マキさんの名前を呼びかけた所で。
「あっ!見つけたでヒコボシ!」
間の悪さナンバーワンのトラが、背後から駆け寄ってきた。
「なんだよトラ」
「トラちゃう、タイガや。そんなんよりヒコボシ、昨日の夜からゴブリン討伐行ってたってホンマか?」
「まぁな」
「くっそぉ!やっぱなぁ…」
「それがどうかしたのか?」
「それがな、ユカちゃんが『種の保存の為、今はゴブリン討伐が禁止されています』なんて言いよったんや!そもそも魔物の出現方法がわからんのになーにが種の保存やねん!大体な……」
グチグチウダウダサンカクジルシ……とまぁ、それから延々とトラの愚痴が続き。
「……ほんでな、そしたらユカちゃんがな…」
「お前は何の話をしに来たんだよ」
「お?あぁ、つまりやな、ゴブリンをほぼ壊滅させたヒコボシと一緒に依頼を受けようかと思ってな。ええやろ?」
「あー…まぁ別に構わないけど。でもゴブリンは倒しちゃダメなんだろ?」
「おう。せやし受ける依頼は小鬼討伐や」
「オーク…っていうとアレか、二mくらいの一つ目で棍棒振り回してる…」
「ちゃうな、それは巨人や。小鬼は豚の怪物や」
「あ、そっちか」
「どや?一緒に行かへん?」
「うーん……」
気になることは、ある。しかし大した問題ではないし……まぁ、大丈夫かな?
「いいよ。行こうか」
「よっしゃ決まりやな!早速受けてくるさかいに、外でて待っててくれや!」
「あぁ、わかった」
言うが早いかトラは猛ダッシュで食堂を後にする。
「…なぁ、ヒコボシ。今種の保存がどうのって聞こえたんだが……?」
「……倒しすぎちゃいましたてへぺろ」
「可愛くないですよ全然。バカなんじゃないですかね」
結局、なぜ僕は怒られているのかわからずじまいで、マキさんには呆れられるわ小子には不貞腐れられるわのまさに踏んだり蹴ったり。
逃げるように(時間が解決してくれる事を祈りつつ)僕は食堂を出た。
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外で待つ事数分。待ち人来る、だ。
「お待たせヒコボシ」
「おう」
「ほな、行こか」
「おう」
道すがら、小鬼について簡単に教えてもらった。
頭は豚、体は人間の魔物で、体色は深緑。常に五匹から六匹の群れで行動する。基本的にパワーで押し切る戦い方をするが、ごくたまに戦術を駆使する変り種が存在するそうだ。中には人語を話す小鬼がいるらしい。
倒し方としてはまず鼻を潰すかカモフラージュ……豚の血を頭から被り、一匹ずつ仕留めていく。決して二匹以上相手にしてはならない。
「……とまぁ、これが大体の特徴やな。強さの位置付けやとゴブリンの上、巨人の下やな。あとは巨人の上にファントムベアーっちゅうのがおって、そいつ等がまぁ初心者冒険者が戦う雑魚敵四天王っちゅうわけや」
「雑魚敵なのに四天王なのか」
「せやで。俺が名付けたんや」
「お前が付けたんかい!」
「おっ!ええ突っ込みやの!」
「…バカな事してないでさっさと行こうぜ」
出発は、町の西側に位置する西出口から。昨日の夕方までは出入りの最の危険度が高かったのに、今朝からは東出口より危険度が下がった。
その最たる理由としてゴブリンの数が極端に減ったからだと言えよう。
……他ならない僕がやらかしたんだけどね。
「さて、と。ここからどうするんだ?」
「小鬼の生息域は、ここから南南西に数k……ちょうど都市〈タウロス〉との境目の森林やな。そこにおる」
「…悪い、タウロスってなんだ」
「……呆れるわ。マジモンのボンボンやんけ……」
「…すまん」
「…まぁええわ。都市〈タウロス〉は肉の名産地でな、とにかく美味い飯が食えるんや。調理法も独特で、他の都市に作り方教えるのもためらう程や。せやし、みんなこぞって食いに行くんやで」
「へぇ……」
「なんやったら、帰りにちょい寄ってくか?ヤミツキになるで?」
「………お願いします」
仕事帰りの晩酌って、こんな感じなのだろうか。僕は酒もタバコも縁がないし、はっきり言ってよくわからない。
何はともあれ小一時間ほどかけて、目的地に到着する。町の大きさが基準だったからだろうか。森林は半径約五kに及び、深緑の体色をした小鬼が隠れるには、充分な濃さもある。周囲に警戒しつつ、森林を探索し始めた。
「……よし、この辺でええか」
「…何の準備だ?それ」
おもむろに何かを取り出したトラは、それを地面に接地する。お香だろうか?
「ま、お楽しみって事で……」
「…お、ぉぅ……」
その場にどっかりと腰を下ろした所を見る限り、何かを待っているのだろう。それを見習って、僕も地べたに腰を下ろした。
「さっき言った小鬼の説明な、一つ言い忘れてたわ」
「ん?」
「あいつ等は生きた肉は食わへん、食うんは死肉や。まぁ、俺等人間も似たようなもんやけど……」
ガサリ、と、目の前の茂みが揺れた。
「あいつ等は発達した鼻で数十k離れた位置のリィスの死骸でさえ嗅ぎつけるそうや」
リィスは、元の世界のリスと類似した生物だ。木の実を食べ、冬は冬眠する。天敵は、肉食獣。
揺れた茂みから、深緑をした生物が顔を覗かせた。咄嗟に僕は立ち上がり、刀と万年筆に手を出す。トラは…まだ座っていた。
「せやから、上級冒険者はわざわざ小鬼を探さへん。罠を仕掛けて待つんや」
「ちょっ!トラァ!まさかそのお香の中身って…!」
「おう!リィスの死肉や!」
「こンのぉ……大馬鹿野郎っ!」
気付けば周囲は小鬼だらけ。一匹ずつ仕留めるなどという戦術スタイルは、もう使えなかった。
「どうすんだよ!囲まれちまったじゃねぇか!」
「慌てんなやヒコボシ。俺がいるんやで、死にゃせん」
「だから心配なんだろ!?」
群れが五匹から六匹だって?嘘つけ!十五匹は確実にいるじゃねぇか!
「……俺の異能、舐めとるやろ」
「異能って…脚が速くなるだけじゃんか」
「まぁ見てろって……【擬獣化】」
そう唱えると、トラの姿がみるみる変化していく。
指先は鋭利に尖り、足はもう人の形を成していない。口元からは牙が突き出し、目は縦に細く猫の目のようだ。一番最後に、体から大量の白い毛が生えた。それも、恐ろしくサラッサラの。
「……フゥゥゥ」
「お、おいトラ?」
「なんニャ」
「……大丈夫なのか?」
「ニャにが大丈夫ニャねん」
「いや、ほら、自我崩壊とか……ありがちだろ?」
「せやニャ……まぁクソおニャじにしごかれたからニャ、いミャはニャんのもんニャいもニャいで」
「そ、そうか」
トラの異能ってコレだったのか。そもそも人から外れた力なんだし、これくらいは出来ないと、って考えれば妥当かな?
いや、それより笑いをこらえるのに必死だよコレ。
「ほニャら行くでヒコボシ。俺の音速についてこれるかニャ?」
トラは四つん這いになり、短剣を咥える。
「うニャああ!」
トラが吠えたかと思うと、白い稲妻がドーナツ状に広がる。気付いた時には小鬼の体に風穴が開いていた。トラがドーナツ状に駆け抜けたのだ。
「…フゥ……口ほどにもニャいニャつらめ」
短剣から血を滴らせ、トラは最初と同じ立ち位置に戻っている。
それでも、数匹は残っていた。
風穴の開けられた小鬼はグズグズと腐敗して結晶化する。後で回収する事を見越しているのか、結晶は全て一目でわかるように散らばっていた。
「ほんニャら、次はヒコボシの番ニャ」
「…最初からそれが目的だったろ?」
「…ニャんの事かニャあ……わかんニャいニャあ…」
トラの動きを見て確信した。あの動きは熟練の業だ。タトさんやマキさんと比べれば少々粗削りだが、少なくとも小鬼では相手にならない。
ではなぜトラは僕を依頼に誘ったか?単純な話だ、力量を図りたかったからだ。
「…まぁ良いか。見てろよ、トラ。僕は一瞬で、一歩も動かず、残りを殲滅させてみせる」
「あ?なんやて?」
いつの間にかトラは人間に戻っている。まぁ、死にはしないから構わないんだろう。
万年筆を片手に、僕は地に文字を書いた。
「〈速攻術一式・影窓〉」
手にした刀を文字に突き刺すと、周囲の小鬼から刀が生えた。
「……な、なんじゃあこりゃあ!?」
「な?一歩も動かなかったろ?」
「ど、どういうカラクリやねんコレ!」
「僕の魔法の仕組みは大体分かってるだろ?書いた文字は“窓”“拡”“繋”の三文字だ」
「た、たったそれだけかいな」
「ああ。窓は転送魔法の一種だ。入り口は僕の足元、出口は小鬼の背後……そう、思い込んだ。これはそういう魔法だからな」
文字に含まれる意味、それから記入者の明確な想像、その二つが一致して初めてこの万年筆は力を発揮する。
出口の窓を全て繋ぎ、入り口で刀は拡散させた。どう足掻いたって存在する物質量は一つなのだから。
「…ヒコボシが味方で良かったでホンマ」
「何が?」
「何でもあらへん」
「…あ、そう」
刀を鞘に収め、小鬼が腐敗しきるのを確認した後、結晶を回収する。今回はそれほど散らばっていないので、全部拾って回収した。
……にしても、だ。これだけ逸脱した魔法なのに、これで全力の極々一部だって事を知ってると…あのヘボ紙が凄い神だと痛感させられる。ま、嫁の女神様の尻に敷かれてるから、本当に凄いのは紙の奥さんだけどな。
「…ひーふーみー……よっしゃ、目標達成やな!このまま帰ってもええけど…どないする?タウロス寄って帰ろか?」
「…タウロスに行こう。美味しいの意味を知りたい」
「ほな行こか」
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森を抜けて、踏み固められた交易路に沿って歩くこと数時間。僕達は都市〈タウロス〉にたどり着いた。
「…すげぇ」
「やろ?全十二都市からお偉いさんなんかがお忍びで来るほどやからな」
「とにかく、どこか店を探そう。まだ客足の少ない所があるかもしれない」
「アカン、アカンでヒコボシ。店で肉なんぞ頼んでみ、ぼられるわ。そんなんより旨くて安いとこ行こ。任しとき、俺は何回もここに来とるさかいに」
そう言ってトラは僕の手を引き、連れ回し始める。最終的に連れて行かれたのは、路店だった。
「おぅ、いらっしゃいトラ坊。久々じゃねぇか?」
「まぁな。おっちゃん、串肉二本」
「なんでェ、今日は客連れかィ?だったらしこたまサービスしてやんよ!」
どうやらここは、トラの馴染みの店のようだ。気前よく二本ではなく四本渡してくれた。
「オマケだ、持ってけ!」
「ほいヒコボシ。食ってみ」
「………美味い」
「せやろ?どんな貴族様かてこの味には勝てんのや」
そう言いつつ、トラは串肉にかぶりつく。日々の食事がまるで敵わないその味は、どこか懐かしい物を感じた。
これは…そう、この味を出すにはアレが必要不可欠だ。しかしこの世界にアレは存在しても、人々は抽出法を知らない。あるとすれば、植物に対する異様なまでの執着……思い出した。
「……そうか、アイスプラントか!」
路店のざわめきが、ピタリと止んだ。興奮した僕と、周りにうといトラは気付きもしない。
「あいす……なんやて?」
「アイスプラント。言うなれば食事に革命を起こす物質を取り出す植物だ」
「…なんやよう分からんけど、兎に角そのアイス何某が凄いんやな?」
「あぁ、これを持って帰れば死海の…あ、いや、世界が変わる!」
「そいつはちぃとばかし難しいな」
路店のおじさんが、鋭い目でそう言った。いくら僕でも分かる、この目は殺意の目だ。その目は一人分とならず、複数人…いや、都市タウロスの眼が、僕達をとらえていた。
「トラ坊、その兄ちゃんはもうこの街を出られねえ。何者か知らねぇが、知られてちまったからな」
「……は?意味わからん」
「分からない方がいい。その方が良いこともあるんだ」
どこから湧いたのか、屈強な男が僕の腕を掴みかかってきた。
「なんだよ、離せよ」
「大人しくしろ」
「…良いから離せって!」
掴まれた腕を、力任せに振りほどく。と同時に、僕は何かを落とした。
「なっ!」
「にっ!」
「ぬねの」
「「黙ってろトラ坊」」
落としたのは、いつか貰ったあの封筒。王家の押印の入った封筒だった。
「捕らえろ!王家の回し者だ!」
誰かの放ったその言葉で、周囲の人々が僕を全力で取り押さえる。
「ヒコボシ!」
「なんだってんだよ一体!」
のしかかる体重を退けようと、万年筆に手を伸ばしかけたその時だった。
「ゔぐぁっ!」
首筋に電撃をお見舞いさせられ、僕は意識を失った。
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…………ピチョン。
水滴が頬に落ち、僕は意識を取り戻す。
「…ぅ……」
…痛てて…頭がガンガンする……どこだここは。
「……ちくしょう、まだ体が痺れてやがる」
石製の床から上体を起こし、今置かれている状況を確認した。
ここはどこか?……恐らく牢屋だろう。
時間は?……窓が無いので確認できない。
装備品は?……万年筆はある。刀は無い。おっと、イシケーは…無事だ。
トラは?……不明。少なくとも僕の牢屋には入っていない。
「万年筆が取られなかったのは不幸中の幸いだったな…まずは、ここを出ないと」
とはいえ、牢の格子を壊すのは得策じゃ無いな。それに、僕が逃げた事を悟られたく無い。
「……鍵を開けるだけなら、問題無いかな?…“開”」
牢の鍵が静かに解錠した。扉は閉まっているが。
やる事を色々まとめておこう。回収、脱出、合流、帰還。刀の回収をし、ここから脱出、トラと合流し、レオンに帰還。完璧だな。
「……最初は刀の回収からだな。どうやって探し出すか…」
闇雲に探すのは得策じゃ無いな。見つかる可能性を考えれば、刀の場所まで一直線で行った方がいい。
「…待てよ、刀には確か属性魔法を書いたんだっけ……それを辿れば、あるいは……」
…よし、想像は出来た。あとは書いて実行すれば。
「“探” “音”」
書き終わった文字が波紋状に広がり、刀の発する魔法属性を肌で探知する。途中、人の発する属性にも引っかかるが、特に邪魔にはなら無かった。むしろ位置がわかって便利なほどだ。
さらに音の響きを使ってマッピングも済ませる。
「…刀はここから右前上部に有るな……人は…同じ高さに、一…二………五人か」
五人のうち、大きく動いているのは二人だけ。残り三人は僕と同じで牢の中だろう。
さて、どうしたものか……
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彦星が隠密に脱獄しようと頭を悩ませている頃、タウロスの上層部は緊急会議を開いていた。
議題はもちろん、彦星の処遇についてだ。
「やはり死刑にすべきでしょう」
「いや、それはまずい。国王陛下のお怒りを買う」
「かの愚王を恐れて何になる?それよりタウロスの市民として引き入れた方が都合がいい」
次第に声を荒立てる議員に、議長は静粛にと一喝する。
「議長、私に提案がございます」
「何かね」
「あの男は危険ですが、我々の知ら無い知識と洞察力を持ち揃えております。それに国王陛下の間者と言うのも、信憑性に欠けます」
「だがしかし、あの男は押印のついた書状を持っていたのだぞ?」
「中身は空だったのでしょう?その程度でしたら私も持ち合わせております」
「む…」
確かにそうだ。偉業を成し遂げ、表彰された可能性も、無いとは言い切れ無い。間者についての情報は、あくまで市民の見解だ。
「……聞こう、その提案とやらを」
「はい、近々ギルド主催で催しが行われます。その時の、例の試合にてあの男を参加させてみましょう」
議会に、ざわめきが立つ。
「正気か!?」「毎年怪我人が出るのだぞ!?」「何を考えているのだ!」
その言葉を聞かずして、議員は理由を話す。
「確かに、毎年怪我人が出るのは事実。しかしそこで死ぬようならそれまでの男。死刑宣告をせずとも殺せますでしょう?」
「むぐっ…」
最初に、死刑にすべきと主張した議員が押し黙った。
「同じ負けでも、死なずに生きていればそれなりの戦力となる。事実上市民化出来ると共に、兵隊に任命すれば知識を得るのも容易になる」
「ぬぬ…」
市民にすべきと訴えた議員も、納得したようだ。
「優勝したなら、他の都市だろうと国王陛下に泣きつくなり好きにさせてやればよろしい。参加する意欲も湧くだろうし、国王陛下への示しも付きます。我々は陛下に返そうと努力しました、とね」
「ふぅむ……」
もう誰も、意見を申し立てる者はいない。だが腑に落ちない顔をしている者もいる。つまりは、彦星が優勝するという万に一つの可能性を疑っているのだ。
「ご安心ください。今年の催しには奴を出場させます。あの男の優勝は億が一にもありません」
その言葉を聞き、曇っていた顔が安堵の表情になった。
それを満場一致とみた議長は、議決を実行する。
「それでは決を取る。あの男を参加させる事に意を唱える者は手を上げよ。上げぬ場合は了承と見なす」
ぐるりと議員を見回し、しばらく様子見。やがて全員の了承を口にしようとした所で。
「も、申し上げます!」
会議室の扉が勢いよく開いた。
「会議中だぞ!口を謹め」
「構わぬ、もう決は取れた。申せ」
「地下牢の囚人が……全員脱獄しました!例の男もです!」
「なんだと!?」
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会議室で彦星の処遇を話し合っていた頃、下では大変な事が起こっていた。
「オラァ!暴れろてめぇらァ!」
「「「ウォォォ!!」」」
自体の発端はこうなる数分前に遡る。
都市の地下に設けられた牢獄は三層になっており、その全ては一本の階段で繋がっている。彦星はその一層目にいた。牢を抜けた彦星は、まず同階層の囚人を解放する。
「いやァ、ありがてェ」
「一つ聞きたい。ここの囚人はどうして捕まっているんだ?」
「ダンナと同じさ。秘密を知ったり、外に伝えようとしたからこうなったんだ」
「それは下の囚人も?」
「あぁ、だからみんな根はいい奴だぜ」
それを聞き、当初の目的通り下の囚人を解放する事を伝えた。
「面白そうじゃねぇか。正直上にはムカついてた所だ。協力してやんよ」
「助かる。それじゃ、一度下に潜って牢を開けたい。案内を頼めるか?」
「応よ!」
見張りの目をかいくぐり、下に降りる。出口は上にしか無いから、基本的に下層の警備は緩くなっているのだ。
「助かったぜ、恩にきる」
「まだ終わってない。地上の空気が吸えてないからな」
「ははは、ちげぇねぇ」
そういう具合に牢を開け、僕は味方の数を増やしていった。
あらかた牢を開けると、次は武器の調達だ。と言っても、僕が書いて出現させるだけだが。
「スゲェ、スゲェよダンナ。コレがありゃ一国主人も夢じゃねえ!」
「その武器は魔力供給を途絶えさせると消えて無くなる。その辺は気をつけてくれ」
「「「応!」」」
そうして、話は冒頭に戻るのだ。
「オラァ!暴れろてめぇらァ!」
「「「ウォォォ!」」」
各々が剣を取り、地上を目指しつつ暴れ回る。僕のお願いした通りの場所で。
「な、なんだぁ!?」
「おいっ!貴様ら牢に戻れ!」
「どけ、一般兵め!」
他の囚人が暴れるのを後方に、僕は刀の保管されている場所を目指した。
辿り着いたのは絵画や宝石、その他珍しい物が保管されている場所だった。
「ここは宝物庫…?いや、それにしては警備が薄いな」
疑問に思っていると、誰かが部屋に近づいてくる。僕はとっさに物陰へ隠れた。
「…おい急げ」
「分かってるっての。次の商品はコレか?」
「あぁ、なんでも有名な画家の遺作らしいぞ」
「へぇ……俺には芸術はサッパリだ」
「良いから運べ」
そう言って、部屋から絵を持ち運び出した。
「……ふぅ、行ったか。しかし、まさか競売にかけられるとはな。すごい目利きの人がいるもんだな」
兎に角、僕の刀は返してもらうとしてだ。早く囚人の彼らに追いつかなくては。
細心の注意を払って、部屋から出る。追いついた時には、警備の兵は伸されていたのだ。
「あれ、もう終わった?」
「ダンナ、遅かったな。もう方はついたぜ」
「そうか…よし、上を目指すぞ!」
すぐそこまで見えていた出口の光を目指し、僕等は階段を駆け上がる。もう少しで出られると、そう思った時だった。
そいつはまるで番人のように、そこを立ち塞ふさいだのだ。逆光で顔は見えないが、その体躯からして男だろう。特徴はもう一つある。その異様な武器だ。
巨大な大剣の、その芯に尖った凹みが見える。何のために、と一瞬考えたが、その大剣が振られた時に理解する。
「……っ!伏せろぉぉぉっ!!」
前方にいた囚人は、僕の声を聞き伏せる。後方には届かないが、射程距離外なので当たる心配は無かった。
「……っンのぉ!」
「…!」
振られた大剣の凹みに刀を添えて、軌道を反らす。そうしなければ、刀はへし折られていただろう。
「…ほぅ、我の振りを逸らしたか」
「………」
こいつ…正確に僕達の首を狙いやがった…っ!
「…その凹み、それで一体何人の首を飛ばした?」
「ほう、世界に一振りしか存在せぬこの剣の使用法を見抜いたな?貴様がヒコボシか?」
「…あぁそうだ」
「ふむ、殺して回る手間が省けたな。議会からの伝言がある、聞くか?死ぬか?」
「聞こう」
「『近々、ギルド主催の武闘試合が行われる。優勝すれば自由の身、負ければ市民に加わる事。断るなら即死刑』」
「…最後の即死刑はお前の言葉か?」
「さぁな。どうする?」
「…一つ条件がある。僕が優勝したら、ここにいる囚人全員を解放しろ」
後方でざわめきが聞こえてくる。
「……良かろう、議会に申請しておこう」
「よし…全員、戻るぞ」
「だ、ダンナ!?」
「…今は戻る。生きるために。僕一人なら何とかなるが、あんた達を無事に守りきれる保証がない」
「いやしかし……」
「なら選べ。今すぐ僕に殺されるか近日中の夜に生きて帰るか」
……誰も、発言しようとはしない。僕の本気と、この恐ろしい剣をもつ大男を前にして、普通の精神を持つなど、到底できもしないのだから。
「…なんでぇ、簡単じゃねぇか」
「……」
誰かが、そう言った。
「要はダンナが勝てば良いんだろ?負けても命は取られやしねぇ。ほとんど勝ちじゃねぇかよ、なぁみんな?」
周囲に同意を求める。首を縦にも横にも振らないが、決意は固まったようだ。
「おうおう断頭剣のダンナ、その試合俺達が見ても良いんだよな?」
「申請すればな」
「よし、応援するぜダンナ!絶対に勝てよな!そしたら美味い肉と酒で祝杯しようぜ!」
「………あんたら…約束しよう」
「おら、全員戻れ!俺達のダンナが必ずだと約束したんだ、牢の中で賭け金集めるぜ!」
剣を手放し、囚人達は来た道を戻る。人で一杯だった階段は、数分足らずで僕と断頭剣の男の二人になった。
「…一つ、お願いがある」
「なんだ」
「僕が試合に出る事は、他の都市に知らせないでくれ」
「………良かろう」
その返事を聞き、一人階段を下りていく。断頭剣の男が見えなくなった所で、イシケーを取り出した。
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「どういう事ですか!どうして彦星さんと一緒に行ったのに帰りは一人なんですか!」
ギルド宿舎、彦星と小子の部屋。今ここに、マキさんとタイガが訪れていた。
「いや、俺にも何が何やらよう分からんのや」
「落ち着け、ショウコちゃん。タイガ、君の見た事聞いた事を包み隠さず話してくれ」
「何べんも言うけど、俺とヒコボシで小鬼討伐依頼を受けたんや。そいで都市タウロスの話になって、小腹が空いたさかいにちょっと寄ろか?ってなったんや。行きつけの屋台で串肉買うて、そしたらヒコボシがアイス何某って言うた瞬間、都市から出さへんて言われて、もみくちゃになって…ヒコボシは電気食らわせられてどっかに連行されたんや」
「……ふむ」
「だからどうして彦星さんは連れて行かれなくちゃいけないんですか!」
「そんなんわかるかいな!」
ギャアギャア口論する二人をなだめつつ、マキはヒコボシが言ったアイス何某について考える。
そのアイス何某は、おそらく他の都市に伝えていない技術か何かだろう。皮肉にもヒコボシはそれを見抜いたのだ。そして情報を守るべく、彼を幽閉したのだ。
別に珍しい話ではない。都市タウロスでは秘密を知ったり漏らしたりしようとすると、なぜか行方不明になる。もしこれが赤の他人なら露ほども心に止まらないだろう。しかし、今回は場合が違う。守るべき才能が、おそらく将来を背負って立つ人間が消えたのだから。
「なぁタイガ、確かにヒコボシは都市で別れたんだな?」
「お?…あぁ、どこかに連れて行かれたさかいな」
「…ならば、近々会えるかもしれん」
「ほ、本当ですかマキさん!」
「確証はない。だが、タウロスの議会あたまがそう易々とヒコボシを潰すとは考えにくい。必ず市民として取り入れようとするだろう」
そうなると、議会の取りそうな手段は一つ。一週間後に行われる武闘試合だ。おそらくそこで、自由の身をエサに出場させようとするだろう。だが、都市タウロスにはあの男…断頭剣のザンキがいる。
一対一では負け無しの必勝、複数対一でも圧倒的強さを誇る元処刑執行人だ。その残酷過ぎる戦い故に、しばらく牢に入れられていると聞いたが……そろそろ出て来てもおかしくない。いや、試合目的で一時釈放も有り得る。
「……うっひゃあ!?」
「ど、どうしたショウコちゃん!?」
「あ、いえなんでもないです!…私ちょっとお花摘んできます」
そう言って、小子は部屋を出た。隠し持っていた場所が悪かったのだろうか。バイブするなんて聞いてないですよ彦星さん。誰かに見られるわけにはいかない。人気の無い場所へ行き、イシケーを取り出した。
「『あ、もしもし小子か?』」
「何やってんですか彦星さん!今どこですか!」
「『静かにしろ。周りに響くだろ?』」
「…すみません」
「『僕は今タウロスの地下牢にいる。詳しくは言えないが、とにかく大丈夫だ』」
「……どれだけ心配したと思ってるんですか?一体何がどうなってるんですか?アイス何某って何ですか?」
「『一度にたくさん聞くな。それに詳しくは言えないと言っただろ?』」
「…いつ戻れますか」
「『数日中には帰れる。それまで待っててくれ。待つのは得意だろ?編集担当者さん』」
「…締切、間に合わなかったら許しませんから」
「『発行には間に合ってたから、今回も大丈夫だろ。お土産、沢山持って帰るから安心しろ』」
「……分かりました。マキさん達にもそう伝えます」
「『おう、じゃあな』」
それっきり、小子のイシケーは静かになった。
今まで力んでいた足の力が抜け、その場に崩れ落ちる。壁を背もたれに、小子は自分の足を抱え込み、ぽつりと呟いた。
「……ばか」
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「…よし」
小子に連絡はした。これで余計な散策はしないだろう。数日中に武闘試合が行われる保証などどこにも無いが、時間がかかるならまた連絡すればいい。
さて…勝つ為にはとにかく特訓だな。
この辺で第1章は終わりとなります。
ご愛読ありがとうございます。