#110 魔王が生まれた意味
「……ち、力が…」
「やっと効いて来やがったか」
今この世界では、誰もお前の事を神とは思っていない。信仰の薄れた神はもはや神ではなく、元の器へと成り下がる。
「……うっ」
力を失い続けるうちに、紙が僕を吐き出したように抑え来れなくなったデーブとモードレッドを体内から吐き出した。気持ち悪い粘液にまみれて気絶しているが、すぐに目を覚ますだろう。
「ぐ……っおお!」
「すげぇ綱引きだなぁ、おい」
「い、一体何が起こっているんですか?」
「あいつの神格が、信仰の薄れによって概念から引き剝がされようとしているのさ」
無敵を誇った紙の神体は、少しづつ肉を纏った生物へと戻っていく。
「…なんなんだ、なんだってんだよ!コレはぁっ!」
紙は出鱈目に魔法を放つが、小子に簡単に防がれる。
「無駄だぜ、クソ紙…形勢は逆転した。神格を引き離す前に魔王としての役割を押し付けてんだ。お前にはもう、まともに戦えやしない」
「くそ……くそぉっ!よくも…っガァ!」
無理やり神格を引き戻し、肉体は神体に戻る。だがすぐに肉を取り戻し、存在はとても不安定な物になった。
『魔王だ』『悪魔だ』『殺される!逃げろ!!』
「だまれ!!!」
もはやこうなっては、神として信仰されることは無い。今紙に注がれているのは純度百パーセントの恐怖だ。
さらに悪い事に、信仰を糧にしていたため、恐怖を増幅させて自身も激しい怒りに襲われている。
「……だが」
縮地で詰め寄り、刀の切っ先で首を斬りつけた。途端に紙の肉体は破裂し、神体の核となっていた神格が空へと放たれる。
「ひっ……」
「綱引きの綱に切れ込みを入れるだけで、容易く解き放たれる」
魔王であると認識されるまで、奴は完璧な神だった。実際、紙にはそうなれるだけの力があったし、もしも誰かがこの事に気がつかなければ、永遠に世界は歪なままだったのかもしれない。
「……ひ、彦星さん!」
「ん?」
「し、神格が……!」
「…なんだと!?」
驚いた事に、飛び出た神格は元の器へと戻ろうとせず、紙の肉体にゆっくりと引き寄せられ始めていた。
「……くそっ、さっきの破裂で余計な概念が一時的に弱まったのか!」
この世界の約半数が、紙は魔王であると認識した。だが、まだ紙が神である可能性を感じている人間の数が、正しく認識した人間の数を上回っているのだろう。
「……細い木綿糸で手繰り寄せている、という所だろうな。復活の可能性は…五分五分か」
蝙蝠の力を持ってしても、確率はぴったり二重に分かれている。どちらかに傾ける事は可能だが、その結果が必ずしも最終的に良い方向へと動くとも限らない。もし仮に復活したとしても、多少のパワーダウンをした後に時間をかけて信仰を集めるだろう。
「………小子、僕には紙を殺す気が無くなっちまった」
「ここに来て何を言っているんですか!?」
「僕の目的は達成された。もし今紙が復活したとしても、全盛期に戻るまでおそらく数千年は世界が正しく回り始める。小子と一緒に暮らして生きるという、ささやかな願いは叶えられるし、殺す理由が無くなっちまったんだ」
「……そんな、こと…っ」
「そんな事の為に、僕は世界を書き換えたんだ。だから、ここから先は……小子、お前に任せる。女神の化身である小子なら、神格に触れる事が出来るし、触れられるなら神格を持って神のもとに、今なら行ける。それで、全部おしまいだ」
この場で小子に任せるのは、酷なのかもしれない。それでも、僕には紙を殺す理由もなく、それなのに命を絶つのは……少し違う気がした。
「私に……」
「好きにするといいさ。僕たちが生きている間はずっと平和だ」
「ですけど……それじゃあ生まれてくる子ども達が可哀想です!」
「そうだな」
「それなら何も、考える事は……」
…………。
小子は必死に生きかえろうとしている紙に、哀れみの感情を抱く。今ここで自分が神格を持ちされば、この先何万何十万という人々が救われる。けれど、それはすなわち紙が肉体を得ている以上、そして破裂し血まみれになっている以上、見殺しにするという事。
そして彦星の言っていた言葉を思い出すのだ。
「…………一人では…」
人は一人では生きていけない。常に何かに寄添わなければ、寂しくて死んでしまうのだと。
「…そんなこと言ったって……でも…神になってしまった魔王さんも、必死に生きているんですね…」
「そりゃあ、そうさ。誰だって死にたくなんかねぇよ」
命とは、そもそも何の為に生まれて来たんでしょうか。例えば人間を滅ぼさんと生まれた、この命の意味は。
増えすぎた人間を殺す為?
世界を壊しかねない人間を減らす為?
それは確かに、人間の生活や生き方が、他の生き物を追い詰めているのは知ってます。
「……命の価値って、誰が決めるんでしょうか」
「さぁな。けど、同じ命だ」
「…………」
「どうする?」
「…やめておきます。あれだけ戦って、変に思いますけど……やっぱり殺したくないんです。復活する可能性が五分五分なのでしたら……神のみぞ知るです。この『人』は、私たち『人類』とは別の生き物なんです。人類の都合ばかり押し付けるのは、違うと思います」
「……そうか。小子がそう決めたなら、それでいいんだろうよ」
私は今……人類としてとんでもない重罪を犯そうとしているのかもしれません……でも。
人類に害があるからと言って、その命には生きる権利が無いというのは、人類にとって不都合だとしても、命全体にしてみればむしろ……。
「ところで小子……小子は、地球が美しいと考えたりするか?」
「…わかりません。テレビや雑誌では、綺麗な景色を見た事がありますが……」
「僕は恥ずかしげもなく『地球を救う』という人がキライだ……なぜなら、地球は初めから『助けてくれ』なんて言ってないんだからな。知ってるか?地球で生まれた最初の生命体は、煮えたぎった硫化水素の中で生まれたらしいぜ」
「どうして今そんな話を…………」
神のみぞ知る……ですか…。
…………歩み始めた足を止め、小子は後ろで必死に生きかえろうとしている命を、もう一度見る。じっと見て、それから長いようで短い時間で考えを巡らせた。そして……。
「私は、ちっぽけな……一『匹』の人間です。せいぜい、愛する誰かを一人だけ守れる程度の……」
踵を返し、小子は光る神格を見つめる。
「………ごめんなさい…あなたは何も、悪くありません。でも……ごめんなさい」
神格を手にとって、小子はその場を後にした。泣きながら、しかし静かに、消えゆく命を起こさぬように…………。
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