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#108 帰還

「……変な夢を見た」


 朝目を覚ますと、いつもの天井を見上げている。


「変な夢だった…と、思うんだけど……なんだっけな」


 夜明け前に目を覚まし、僕は欠伸をしながら顔を洗ってヒゲを剃った。

 眠った体を起こすためにシャワーを浴びて、さっぱりした気分でトーストを作り始める。朝のニュースを見ながら温かいコーヒーを淹れたら、もう目はパッチリだ。

 トースターが焼きあがった事を知らせて、たっぷりとマーガリンを塗りブドウ糖を摂取する。


「うん、やはり食パンはコスパ最強だな」


 脳はブドウ糖をエネルギーに活動する。朝食にトーストは仕事上とても都合が良い。

 寝間着を脱ぎ、昨夜干したばかりの赤いジャージに着替えたら、クローゼットから白衣を取り出して羽織り、家を出る。ここから歩いて二十分もすれば、僕の職場に到着だ。ちらほらと眠そうな顔をして登校する学生と共に、僕も同じ門をくぐった。


「おはよーっす、星川先生」

「またそんな格好して。センスねぇなぁ!」

「やかましい。朝練行ってこいクソガキが」

「あっ、言葉のボーリョク!心が痛いわぁ…」

「そうかそうか、なら僕の授業はさぞかしリラックス出来るらしいな」

「優彦先生、今度の試合応援に来てね!」

「優勝したら行ってやるよ」


 僕の名前は星川優彦。職業は非常勤教師。担当科目はサイエンスと体育だ。彼女はいない三十路手前で、女子生徒にはモテるが手を出す趣味は無い。

 職員室に入り、自分のデスクに座ったら引き出しから今日の予定を再確認する。当たり前だが一限目から六限目までバッチリと予定は入っており、しかもその間もやる事は山ほどあった。


「……とりあえず、昨日の小テストの採点からだな」


 あと三十分もすれば、朝の朝礼が始まる。一クラス分の小テストの採点なんて、二十分もあれば十分だろう……なんて思っていたら、早速採点を間違えた。


「小子、修正液取ってくれ」

「はい?」

「……ん?」


 ふと後ろを振り向いたが、そこにいたのは別の先生だ。断じて、名前はショウコじゃない。彼女の名は香田(こうだ)奈緒(なお)だ。


「……いや、そもそも誰だ…ショウコって…?」

「突然どうしました?神様の名前なんて呟いて」

「神…様……?」

「はい、神様です。おとぎ話の、たしか…豊胸神でしたかね?全知全能の女神様……って、セクハラですよ」

「あぁ、すまん。生徒が落書きしててな。読み上げてしまったんだ」

「ふふふ、なんですか、それ。はい、修正液です」

「ありがとう」


 そう言い訳したが、僕の心にはとてつもないダメージが残る。何か、忘れてはいけないモノを、忘れたような……。


「そ、それでですね、今晩の事なんですけど……」

「ん?今晩?」

「その、ですね……空けておきますからっ!」

「……?」


 今晩?……香田先生と?…あ、先週のアレか。急用で午後のホームルームをお願いしたんだっけ。確かそのお詫びに、来週末である今日に食事の約束を取り付けたんだった。返事を聞いていなかったから、さっきのはその返事なのだろう。昼の間にでもフレンチのお店を予約しておこうか。


「さてと。採点は終わったし……朝礼が終わったら教室に行かないとな…」


 その日の授業は特に問題なく終了する。テストを返し、実験し、酸化と還元の化学反応式を元に授業する。体育はベースボールを科学の観点からプレイさせて女子生徒を勝利に導いた。

 最後の職員会議と終礼を済ませたら、予約した店に香田先生と二人で出かけることに。


「ほ、本当にこんな所、予約取れたんですか?」

「お?おう。なんで?」

「だってここ、有名で予約が三ヶ月待ちとか言われてるんですよ!?いつから取ってたんですか!?」

「今日の昼から。電話したら、キャンセルが一件入ってて、たまたま滑り込みセーフしたらしい」

「どんな幸運なんですかそれ……というか、こんな格好で良いんですかね…」

「大丈夫だ、スーツはどこに行っても日本じゃ正装だからな。場違いって事はないだろう」

「……もっとオシャレなバーかと思ってたのに…」


 香田先生が少し落胆しているようだ。こういう店は肌に合わなかったのだろうか?僕なんかは幸運に恵まれて来たから、こういう店に来たりするのは結構当たり前なんだけど。まぁ、いつもと違うのは招待される側じゃないって事くらいだけどね。

 どれくらい運がいいかと言うと、サイコロを振れば必ず欲しい出目が出るし、くじ引きなんてハズレを引いた事が無い。当たりしか引かない人生なんて退屈だとは思うが、慣れてしまえば便利なものだ。存分に使わせてもらっている。


「美味かったか?」

「……緊張してあまり分かりませんでした」

「そうか」


 こういう店には中々来たりはしない。いつだったか、書籍化のお祝いで来たきりだ。あの時も、あいつは雰囲気に呑まれて味わえなかったと言っていたっけ。


「……あいつって、誰だ…?」


 まただ。また、僕は何かを忘れている。この店は初めてのはずなのに、二度目のような気がするし。相手はもっと小さくて、からかい甲斐のある人だったはずだ。


「……星川先生?」

「あ?あぁ、悪い。なんだって?」

「あ…えっと……ですね…その…」


 どうしたのだろうか。香田先生は耳のあたりまで紅くして、心なしか息が荒い。熱でもあるのか?


「そ、そう、そうです!美味しかったですよ、すごく!」

「……いや、さっき緊張してあまり分からなかったって…」

「っ!……いや、あの、そうではなくてですね、つまりなんて言いますか、その…」

「……あ、あれか。好きな人と食べる食事は美味しいとかいう心理学。ランチョンテクニック…だっけ?」

「そうです!好きな人と食べる…食事……が…………」


 あ。フリーズした。本当に大丈夫なのか?


「お、おい、どうした?何をそんなに固まっている?」

「……好き」

「…ん?」

「好きです。星川先生が好きです。大好きです。超カッコいいです。尊敬もしてます。憧れです。面倒そうに頼まれ事を引き受ける所は凄いです。誰にもできません。時々見せる笑顔なんて眩しくて見てられません。でも可愛らしくて尊いです。生徒と真っ直ぐに向き合って人望もあります。誰に対しても優しいです。優しいだけじゃなく厳しい時もあります」


 大変だ。香田先生が壊れた。目に光が無いぞ。


「おいおい、やめろって。誉め殺しか?」

「私はっ!」


 奈緒は一歩踏み出し、優彦の唇にそっと口付けをしようとする。驚いた優彦は一歩下がってしまい、バランスを崩した二人は奈緒が馬乗りになる形でその場に倒れ込んだ。その刹那、優彦の脳裏に全ての記憶が描写されていく。


「いてて……お、おい大丈夫か香田先生…」

「…私は、優彦さんを、愛してしまいました」

「……」

「嫌ですよね、こんな女。分かっているんです、本当は。可愛くもなくて、気持ち悪くて、想いが……重い。こんな形でしか自分の気持ちを外に出せないし、お酒の力でも借りないと正直になれない」

「んな事ねぇよ、香田先生…いや、奈緒。奈緒は充分可愛いし、気持ち悪くも無い。どんな形であれ、自分の気持ちに正直なのはいい事だ」


 ぐいっと奈緒を抱き寄せ、僕は彼女の頭を撫でる。よく頑張ったねと、精一杯の敬意を込めて。


「でも、ごめんな。僕は奈緒とは一緒に居られない」

「…知ってます」

「僕にはやらなきゃいけない事が残ってる」

「……はい」

「心に決めた人もいる」

「………分かってました」

「お別れだ、奈緒。今日は楽しかった」

「…………」


 全部、思い出した。僕は星川優彦、又の名を優川彦星。異世界に飛ばされて、神を殺すべく何百何千と世界を殺した大罪人。


「あーあ、フラれちゃったなぁ」

「すまんな」


 互いに立ち上がり、服に付いた砂をはたき落としながら彦星は申し訳ない顔をする。


「謝らないでくださいよ。負けちゃったみたいじゃ無いですか」

「……」

「辛気臭い顔もナシです。そんな星川先生には……えいっ!」


 香田先生は一歩踏み出し、彦星の頬に口付けをする。


「……いっ…!?」

「あらら、酔った勢いでキスどころか首元に噛み付いちゃいました。痛々しいキスマークですね」

「こ、この……」

「精々、その人に引っ叩かれると良いですよ。私、悪い女なので」

「……あぁ。そうする」

「うへぇ、実は星川先生ってマゾなんですか?」

「かもな」

「…冗談だったのに」


 神を殺して、全部終わったら、そういうケンカも出来るようになる。そんな日常も、悪く無いだろう。


「ほら、早く行ってください。時間が無いんでしょう?」

「あ、あぁ!じゃあな!」


 彦星は『結の煌めき』で世界と自身を接続させた。指先に魔力と煌めきを絡めて文字を描けば、即席の万年筆で出口が出来上がる。そんな事が可能なのか不可能なのかなんて『蝙蝠の力』を使える僕には関係の無い事だ。重要なのは、出来るかもしれないという曖昧な事実の存在なのだから。


「……」


 彦星が世界から消えた後、奈緒はようやく押し殺していた声を上げる。嗚咽としゃくりの混ざった、声にならない泣き声を。涙腺から大量の涙を垂れ流しながら。


 ▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎


「まったく……どうなってんですのよ…」


 超新星咆哮はもともと、二人で放つ大技ですわ。それを一人で放てば威力が落ちて当たり前ですの。ですから、初撃で無傷なのはまだ納得出来ますわ。ですけれど、それ以降に関してはまったく納得がいきませんの。


「剣も魔法も煌めきも全く効いてる感じがしねぇ……どうなってやがるんだ?能力だけは、効いてるみてえだが…」

「事実、動かないしねぇ?私の命令は有効らしいよぉ?」

「……そう願いたいですわ…」


 ノーナが動くなと言った以降、魔王の動きは止まったままですわ。はたして演技なのか、それとも本当に動けないのか…どちらにせよ、わたくしのする事は変わりませんの。


「……はぁ、神を相手にどんな手を用意してきたかと思ってたのに…やっぱりこの程度か」

「っ!……『動くな、魔王』」


 攻撃を受け続けていた魔王は大きくため息を吐き、突然動き始める。咄嗟にノーナが命令を下したが、効果は無かった。


「効か…ない……?」

「当たり前だ。誰に対して命令をしている?その能力は、権能は、効果が何か、考えた事があるかい?」


 神様とは。その世界と同義であり、絶対である。

 曰く、その言葉はすべての生物を従える。

 曰く、その姿はすべての生物を象る。

 曰く、その力はどこまでも偉大である。

 曰く、そのエネルギーは概念に戻る。

 曰く、その命は永遠である。

 曰く、その記憶は遥か過去に由来する。

 曰く、その存在は世界に干渉する。


「君たち七人の能力は、言わば分かたれた神の一部。奴が神では無くなったその瞬間、権能は別れて散り散りに散った。お陰で苦労したよ……いざ神になった時、奴から搾り取れるものは何も無く、残っていたのは信仰を収集する神格くらいだったからね。神格と、権能……二つ全て揃って初めて、完璧な神となれる」

「……なら、少なくともお姉様は関係ないはずですの。さっさと返して下さいまし」

「そう!まさにそれ!彼女は嬉しい誤算だった!」


 びしり、とコンを指差して魔王ははしゃぐ子どものように嬉々として語る。例えそれが、コン達の魔力を回復させる時間稼ぎだと気付きながらも。


「彼女は救いだった。何しろ、異世界より舞い降りたニ柱目の神だったからね。救いであると同時に脅威でもあったけれど。まぁ、女神を降ろす器に惚れ込んだ馬鹿のお陰で、何千回とチャンスがあったわけだから、その辺りは感謝こそすれ憎んだりはしないさ……さてと」


 やはり屈託のない笑みを浮かべて、魔王はゆっくりと歩を進める。まるで全てを見透かすように。


「時間稼ぎもほどほどにしなきゃあね。既に虎と牛と蝙蝠は取り込んだ。この三つだけで、年を取らず法則を支配し摂理に干渉する。君たちに打てる手が残っているのかな?」

「…やっぱり、バレてますのよ」

「そうだな…ワイも、時間を稼ぐ以外の手が思いつかねぇ」

「そうだねぇ、時間を稼ぐしか……する事が無いよねぇ?」


 ノーナは隠し事が苦手なのか、ニヤリと笑った。それに連れられて、コンもタマも不敵な笑みを浮かべる。


「……お前ら、何を言っている?」

「いやあ?ワイ等には時間を稼ぐしか出来ないし、時間を稼ぐ『だけ』で良かったって話だよ」

「あぁでも、お姉様を攫った怒りは本物ですの。万死に値しますわ」

「だから何の話、を……っ!?」


 突然、魔王は体から何かが這い出てくる感触に不快感を覚え、苦しみだした。目の前がチカチカと点滅を始め、吐き気と目眩の果てに空っぽの胃袋から透明な吐瀉物を垂れ流す。


「ぐ、ぐふぉ……てめえら、何をしやがったぁぁっ!」

「何もしてないよぉ?言ったよねぇ、私たちは時間を稼ぐしか出来ないってぇ」

「勝ち目なんかワイ等には最初から無かったんだよ。でも、あの野郎はアンタの天敵らしいからな」

「その点、ある意味信用していますの。殺したって死にそうにありませんでしてよ」

「はぁ、はぁ…うっ……」


 魔王の口から人間の指が出たかと思うと、ぬらりとした体液にまみれて手、腕、頭の順に一人の人間が這い出てくる。ずるりと足の先まで出てきた人間は勢い余って床に強く叩きつけられた。


「いって!うわ汚ねぇ!なんだこれ!?つーかやっぱ魔王の腹ン中だったのかよ!なんっつーメルヘンな場所だよチクショウが!ぺっ!臭っ!」

「お待ちしていましたのよ、汚い救世主」

「生きた心地がしなかったぜ、汚い救世主」

「君は私が殺すんだからねぇ?汚い救世主」

「汚い汚い言うんじゃねぇよ!それじゃあまるで僕が卑怯者みたいじゃねぇか!」

「「「……え?」」」

「え?」


 自家製万年筆で体を『洗浄』しながら、彦星はぶーぶー文句を垂れ流す。


「はぁ……はぁ…お前…どうやって……しかも、その魔法は…っ」

「おう、万年筆の力だよ。摂理に干渉する能力と可能性があれば、蝙蝠の能力で無条件で成立するんだからな。出口を作って脱出してやったぞ」

「…っぐ……な、なるほど。そういう、事か…だが、神を丸ごと一柱取り込んだ存在に、勝てる保証など……」

「あーそれなんだけどな?これ、なーんだ」

「……あ?」


 彦星からまっすぐと伸びた魔力の糸が、魔王の体と結び付いている。否、結ばれているのは魔王では無い。


「…まさか」

「その、まさかだよ」

「やめろ……やめろやめろやめろやめろっ!!」

「『分裂』」

「やめろおおおおおおおおおお!!!!!」


 糸で結ばれているのは他でも無い小子だ。女神の器である小子と魔王を分裂させれば、魔王はもう神である事実の八割を失う。小子も救えて一石二鳥……いや、三鳥来てもお釣りがくる計算だ。


「うへへへ、彦星さんとの甘い新婚生活……」

「起きろ小子、まだ何も終わってねぇぞ」

「ハッ!彦星さん?ここは?私の子ども達は!?」

「後でいくらでも作ってやるから目を覚ませ」

「…………え」


 もう魔王は神としての神々しい姿を保てず、元の禍々しい魔物の王たる姿をしている。だが未だに牛と虎は取り込んだままだ、油断は出来ない。


「…ヒコボシィ……」

「さぁ、ここからだぜ魔王(クソ紙)


 彦星は『刀』を『召喚』し世界の何処からか自分の得物を握りしめる。これが、最後の戦いになると知って。


「反撃、開始だ!」

ご愛読ありがとうございます。


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