その4 目玉焼きと202号室
「龍ちゃん、起きてよ起きてよ」
「何だサヤ…」
俺は重いまぶたを持ち上げ、右手人差し指の横っ腹で目を擦った。
「まだ四時じゃん…。どうした…?」
「龍ちゃんにね。大切なお話があるの…」
「どうした…? そんな深刻な顔をして…」
「龍ちゃんはさ…」
サヤが今までに無く真剣な表情をしている。
いつもおちゃらけている人物が急に真剣になったりすると、その人はやたらカッコよく見える。今のサヤはそんな感じだ。
「龍ちゃんは…ね…。」
「ああ…」
「目玉焼きには醤油? ソース? ケチャップ?」
「醤油。じゃあ寝るわ」
…。
……。
………。
「何が、目玉焼きには醤油? ソース? ケチャップ? だよ。わざわざ起こして聞く事か、っての!」
「それを聞く為に起こされる。なんて、たまったもんじゃないです。同情するです」
「だって〜。夢で龍ちゃんが、目玉焼きにケチャップをかけてたんだも〜ん」
「ケチャップ!? そんなのかける訳が無いだろ!」
俺の意見にサヤも、だよね。と頷く。しかし、それに納得しない人。いや、悪魔がいた。
「何言ってるです。ケチャップをかけても美味しいですよ」
「「嘘ー!?」」
「本当です。今度かけてみるといいです」
レンは、えっへん。といったポーズをとりながら言った。しかし目玉焼きにケチャップなんて考えられないぞ。
「本当に美味しいのか?」
「本当です。スクランブルエッグにケチャップをかけるのと一緒です」
うーん。食べた事無いから何とも言えないが…。
「それじゃあ今から食べてみるか」
「さんせ〜」
「それがいいです」
…。
……。
………。
「あ、本当だ。美味しい」
「本当〜。美味しいね〜」
俺達はキッチンにある冷蔵庫から卵を拝借し、目玉焼きを三つ作った。そしてそれをテーブルに座り、いただく。もちろんかけたのはケチャップだ。
「当然です。私が嘘をつくはずが無いです」
「それ自体が嘘だと思うよ俺は」
「うっせーです! 黙れです!」
ズンッ!
「いってー!!!」
思い切り足を踏みやがったな!!!
「私は悪魔のイメージを変える存在になってやるです。テメーごときにごちゃごちゃ言われたくないです」
「悪魔のイメージを変える存在?」
「レンちゃんはね、悪魔が持つ悪いイメージを変えたいって思ってるんだ」
「ふーん」
「無理じゃね?」
「やってみなくちゃ分からないです!!! 黙れですー!!!」
ズンッ!!!
「ほら! 今だって人の足を踏んだじゃねーか! そんなんじゃ悪魔のイメージなんて変えられっこねーよ!!!」
「それはテメーがムカつくからですー! ムカつくですムカつくですー!」
ズンズンズズズンッ!!!
「イッテー!!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいー!!!」
「ようやく頭を下げたですか。いいですよ、今回は特別に許してあげるです」
キェッキェッキェ…。油断したな…。
ズンズンズンズンズズズズズンッ!!!
「痛いですー!!!」
「フハハハハ! 油断したなこのくそ悪魔め!」
「もう許さないですー!」
「上等だ! 来い!」
ボカスカボカスカ
「また喧嘩だよ〜。止めたいけど、目玉焼きを食べてからにしよっと♪」
サヤは何よりも食べ物が最優先のようだ。しかし、これで二人の喧嘩を止める術は無くなった。サヤが目玉焼きを食べ終わるまで待つしか無いのか?
ギィ
しかしそんな時、アパートの入口にあるドアが開いて、人が入って来た。
「ただいまー…って、喧嘩してんの!?」
ただいま、と。アパートに入って来たのは女性だった。その女性は喧嘩を止めるべく、レンと龍之丞の下へと向かって行く。
「おいおい龍之丞。喧嘩は止め…」
しかしその女性は、椅子に座る一人の少女を見た途端、目を輝かせ始めた。
「なんて可愛いのかしらー!」
「ふぁ!? 何するの〜!?」
「もう可愛いすぎっ! 天使のコスプレとか、反則だぞっ!」
ギュムー
「ひゃぁー! 龍ちゃーん! 助けてぇー!」
「どうしたサヤ!?」
俺は喧嘩を中断し、サヤの方を見た。その視線の先には、サヤに抱き着く一人の女性と、思い切り抱き着かれているらしく、苦しい表情をしているサヤの姿があった。
「やいやい! サヤを離せですー!」
レンはサヤからその女性を引きはがそうとする。
しかし−−。
「ウォー! この子も可愛いー!」
ギュムー
ミイラ取りがミイラになってしまった。HAHAHA! 清々しい光景だぜ!
「人間、私達を助けろですー!」
「おいおい。助けてください、だろ?」
「テメーごときに−−」
「お持ち帰りしたいわー!」
ギュムー
「龍ちゃ〜ん! 助けて〜!」
「ったく、分かったよ」
仕方ない。サヤがそう頼むなら、助けてあげよう。
俺は骨を折ってしまいそうな勢いで二人を抱きしめている、その女性に近づいた。
「鈴音さーん」
その女性の名を呼び、肩を叩いた。
「今アタシは取り込み中なんだ。黙っていろ」
「そのまま抱きしめてると、二人とも死んじゃいますよ」
「それは困る」
その女性はパッ。と手を離した。
「死ぬかと思ったよ〜」
「九死に一生です〜」
「大丈夫かお前ら?」
天使と悪魔は、呼吸困難に陥ったらしく、むせている。
「まぁいいや。とにかく紹介するよ。この人は音無鈴音さん。大学生だ」
「よろしく♪」
彼女は俺の隣、202号室に住む音無鈴音さん。おとなしすずな、さんは、静華さんと同じく、ルックス、スタイル共に抜群で、身長も静華さんと同じくらいだ。
ロングヘアーの静華さんとは反対に、ショートでシャギーが入っている髪形。
そんな彼女は何を隠そう、大学空手の全国優勝選手だ。故に先程、抱きしめられた二人が瀕死の状態になってしまったのだ。
そしてこれが一番重用なのだが、彼女は可愛い物に目が無い。部屋は可愛いぬいぐるみや、人形で埋め尽くされている。それ程の可愛い物好きなのだ。
「天使と悪魔なのか!?」
「まぁ…。一応そういう事です」
俺は二人に鈴音さんの事を紹介した後、今度は鈴音さんに二人の事を紹介した。
「一応じゃないよ〜。本当だよ〜」
「そう言われても、いまいち実感が湧かないんだよ。翼とか、天使の輪とか、悪魔の尻尾とかがあれば信じられるんだけど」
「私達見習いには無いです。それらは一人前になって初めて、貰えるんです。もちろん天使も同じくです」
「うん、アタシは信じるよ」
「鈴音さん!?」
「だって、こんな可愛い子達が嘘をつく訳が無いだろう」
「ほらほら〜。信じないのは龍ちゃんだけだよ〜」
やっぱり普通は信じるものなのかな? 信じたら負けな気がするんだけど…。
「それじゃあアタシは疲れてるから、寝てくる。天使ちゃん、悪魔ちゃん、また今度ね〜♪」
鈴音さんは階段を上がり、自分の部屋に行ってしまった。そして俺は頭を抱える。
遂にこの二人と、アパート住人、大家さんの二人とが出会ってしまったのだから。
「これからどうなるんだろうな…」
俺に再び、平穏。という二文字が訪れる日はやってくるのだろうか…。
続く。