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無味の大恩  作者: 三來
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無味の大恩

 即興小説企画で書いたものになります。


テーマ「忍者」「卵焼き」

文字数制限2000文字




 俺の名は、闇の世界で畏怖の象徴だった。


 感情を殺し、影を纏い、ただ的確に命を摘む。そんな俺が、まさか仕えていた主君に死を宣告されるとは思いもよらなかった。


 忠誠心からではなく、ただ自分の命の為に主君に仕えていたことが見透かされていたのだろう。

 そんな俺だ。命じられたのならば仕方ないと、自分の命を簡単に捨てる気はさらさらない。

 かつての仲間が向ける刃を掻い潜りながら必死で逃げた。


 切り付けられた利き腕からの出血で視界が霞む。痺れ薬でも塗られていたのか、身体も思うように動かないがなんとか追っ手を撒いた。

 そうして、必死の逃走の末に転がり込んだのは、峠道にぽつんと立つ一軒の民家だった。


「……医者ならもっと里の方だよ」


 戸口で倒れ込む俺を、家主らしい老婆が無愛想に見下ろす。

 その声には同情も恐怖もなかった。

 まるで、道を間違えた旅人にでも言うような、平坦な響きだ。


 俺は、ここで死ぬのか。

 薄れゆく意識の中、ぼんやりと思う。


 闇に生きた忍びが、見知らぬ家の軒先で野良犬のように死ぬ。我ながら、実にくだらない幕切れだ。


 だが、これが必死で抗った結果なのなら、それもまた運命なのだ。そう思えば、存外受け入れられるかもしれない。

 

 「すま……ない」

 ここで死ぬ非礼を詫びる言葉を伝えた俺は、そのまま意識を手放した。



 次に目が覚めた時、俺は布団に寝かされていた。

 斬られた利き腕には、薬草らしきものが塗られ、布が固く巻かれている。ずくり、と疼く傷に顔をしかめながら体を起こすと、あの老婆が近寄ってきた。


「目が覚めたかい。食いな」


 女が差し出した盆の上には、卵焼きがあった。

 焦げ目がまだらで、形はいびつ。だが、貴重な卵で作られた贅沢品だ。

 それを左手で不器用に箸でつまんだ。


 口に入れた瞬間、時が止まった。


 この、少しも味がついていない卵焼きが古い記憶を呼び起こした。

 まだ名も無い童だった頃。親が死に、飢えていた俺を助けてくれた名も知らぬ女がいた。


 彼女が無言で差し出してきたのも、味のない卵焼きだった。

 忘れたはずの記憶が、濁流のように胸をえぐる。 俺は、ただ無言で卵焼きを食らい続けた。


「……よっぽど腹が減ってたんだね」

「……ああ」


 それから俺は、奇妙な日々を過ごすことになった。 すぐにでも出ていこうとする俺を引き留めた女は、俺の素性を何も聞かなかった。

 俺も何も語らなかった。

 ただ、「よだか」という偽名を使い、傷が癒えるまで厄介になる代わりに、暮らしの手伝いを始めた。


 しかし、利き腕が使えないと、こうも勝手が違うものか。薪は割れず、水桶をやっとのことで運んだ。

 左手で握る包丁の危なっかしさと言ったら目も当てられない。


「アンタ、利き腕を怪我するとは不運だねぇ」


 そう言って笑う老婆だが、決して馬鹿にはしなかった。


 暮らしの手伝いをする中で、少しずつ腕の傷は癒えていった。動かなかった指が動き、鈍い痛みが引いていく。

 そして、いつしか女に教わりながら、いびつな卵焼きを焼くのが日課になっていた。 闇の世界では、回復は次の任務への準備でしかなかった。だが、ここでは違う。動くようになった腕で薪を割り、女が「助かるよ」と笑う。ただそれだけのことが、不思議と胸を温かくした。


 だが、俺は長居をしすぎたのだ。


 平和は、唐突に終わりを告げた。


 その日、家に三人の男たちが来た。その三人の顔にはよくよく見覚えがあった。


「黒鷹よ。そのような場所で、百姓の真似事とは」

 俺の真の名を呼んだ一人が、短刀に手をかけながら嘲るように言う。


「女。その男を借りていくぞ」

 そう言われても、女は動じなかった。

 俺の前にすっと立つと、皺だれけの手で追い払う仕草をする。


「うちのよだかに何か用かい?生憎だが、この子は怪我人でね。アンタらの相手なんてできやしないよ」


 その俺よりも小さな背中が、僅かに震えていることに気がついた。


 俺はゆっくりと立ち上がり、追手と女の間に体を滑り込ませる。


「……すまなかった。今まで、世話になった」


 そう言い残して、老婆の元を去ろう。

 俺の名も、素性も何も知らぬ彼女だが、このままでは彼女まで命を奪われてしまう。


 俺の言葉に、女はあの日のような平坦な声で答えた。


「……生きるんだよ。どんなに、みっともなくても」


 その言葉に、俺は息を呑んだ。


 それは、童だった俺を助けた女の言葉と、一字一句同じだった。

 なぜ、と問おうとして、やめた。問うても意味などない。ただ、俺は彼女に二度、命を救われた。それだけで十分だ。


「……ああ」


 短い返事だけを残し、俺はかつての仲間と共に老婆の元を去った。


 黒鷹は、この時に死んだ。


 数日後には、老婆の耳にも噂が入ることだろう。

 辻斬りに襲われたような「三人の」男の死体を背にし、俺は更に遠くへと歩みをすすめた。

 ここから始まるのは、名もないみっともない男の人生である。

 時代背景やらを考えるとなかなかに難しいテーマでしたが、楽しく書くことができました。

 

 お読みいただきありがとうございました!

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