第3話 夢
何もすることがない海斗と海佳は、とりあえず荷物の中身を出すことにした。和子の案内で、2階の空き部屋を使用することになった。
と言っても、この部屋は元々海佳がこの家に住んでいた時に使用していた部屋だった。そのため、海佳にとってはよく見慣れた懐かしい部屋だった。
「懐かしいわぁ〜」
と、海佳は荷物の整理をしながら何度もそう言った。そんな彼女を横に、海斗はというと……。
「――――」
先に荷物の整理を終わらせた彼は、家の中をあちらこちらと行き来していた。
家の中がどうなっているのかを把握することもそうだが、一番の目的は記憶を遡ることだった。
9年前、海斗は確かにここに来たことがあるはずだった。部屋の雰囲気と配置、壁、天井等々――――何度も見渡した。しかし、どこを見ても思い出せない。
(9年前、か。その時俺は何をしていたんだろうか)
駄菓子がたくさん並ぶ部屋に移動した海斗は、そこを見渡しながらそう思った。1つでも思い出せれば⋯⋯しかし、そう願っても頭は何も思い出してくれなかった。
小学校4年生の年頃なら、普通なら鮮明に覚えていることは多いはずである。しかし、海斗は何も思い出せない。これだけ思い出せないでいると、少しずつ不安も募り始める。
「海斗〜! そろそろ夕ご飯できるって〜!」
「はーい! 今行くよ!」
(今、焦って思い出そうとしても思い出せないか)
リビングから聞こえる海佳の声で、海斗は一旦落ち着くことができた。とりあえず海佳の言う通りに、夕ご飯を食べることにした。
◇◇◇
リビングの入口の暖簾を潜ると、テーブルに乗っている料理が最初に目に入った。和子はこの日のために気合を入れ、いつもより豪華な食事を用意したのである。
白飯、お吸い物、惣菜はもちろんのこと、テーブルの中心には数種類の刺し身が巨大な丸皿に乗っている。
「おばあちゃん、今日は張り切って作ってから沢山食べてね。もちろん、おかわりもあるから」
「いただきまーす!」
「い、いただきます」
海佳は遠慮なく料理にがっつく。まるでフードファイターの如く、大きな口を開けながら野菜を頬張った。
茶碗に山盛りになった白飯ではなく、何故か野菜を大口で頬張る理由⋯⋯。それは野菜嫌いだった幼い海佳が最初に野菜を食べて、後は大好物を食べる習慣の名残である。
ちなみに現在は大人になったこともあり、野菜は平気で食べることができる。
「――――美味っ!」
その隣で、海斗はいつも通りに食べ始める。
名前も分からない白身の刺し身を箸でつまむと、醤油につけて白飯と一緒に頬張った。
噛んだ瞬間、新鮮な刺し身の旨味が口全体に広がり、さらに甘みも身から染み出る。蒼は刺し身というのは、こんなにも美味なのかと驚いた。
「美味しいかい? その刺し身ね、地元で取れたものなんだよ。新鮮で美味しいでしょ?」
「うん、すごく美味い!」
「今日は沢山もらっちゃったから、遠慮せずいっぱい食べるんだよ」
箸の動きに勢いが出始めた2人を見て、和子はニコリと笑顔を溢す。
そして、彼女も早速箸を持って刺し身をつまんで頬張った。
しばらく話すことなく、食べることに集中していた海佳と海斗だったが、海佳ははっと思い出したように和子に話しかけた。
「そういえば、明日からお店の手伝いをすることになるけど、わたしたちは何をすれば良い?」
「基本的にはお客さんの対応と品並べくらいしてくれたら助かるわね。あとはそうねぇ⋯⋯仕入れも手伝って欲しいわね」
和子は足が悪く、歩くことに苦労している。駄菓子屋は業者から駄菓子を仕入れるため、到着した荷物を店内に搬送しなければならない。いくら軽いといえ、足が悪ければそれも困難なのである。
「大きな荷物だものね⋯⋯。それはわたしたちに任せてちょうだい。それに、ここに力持ちもいるし」
海佳は海斗の肩を強く叩く。自動的にそうなると聞いていた瞬間から思っていた海斗は、任せてと和子に伝える。
「店番は交代でやろう。1人でずっとやるもの大変だし、その方が楽だから良いでしょ?」
「そうねぇ、そうしましょう」
「あ、でも若い人がいるから全部任せても良いかも」
「おい! 話が違うぞ!」
冗談だとからかう海佳だが、海斗は信用しなかった。なぜなら、彼女は冗談と言いつつ、結局は本当に実行してしまうことがあるからだ。
「それなら⋯⋯商品が来る朝にちょっとだけ、一番お客さんが来る夕方にお願いできる?」
「うーん⋯⋯うん、それなら良いよ」
「じゃあ、残りは海佳とわたしで話し合って分担しましょう」
「分かったわ」
和子が割って話をしてくれたことで、ゴタゴタになることなくまとまった。もし彼女が話さなかったら、海斗は無茶な仕事をされるところだった。心の中で何度も感謝をする海斗なのであった。
大まかなことが決まった後は、世間話や笑い話をしながら夕食を食べた。
食後は食器洗いを手伝い、風呂に入る。海斗は一足先に入浴を済ませた。シャワーを浴びて頭や身体を洗うと、最後に湯船に浸かる。長旅で疲れた身体を癒した。
「ふぅ⋯⋯」
ゆっくりと湯船に入ると、足を伸ばして脱力する。浴室はリフォームされ、現在の住宅とさほど変わらない装備になっている。
天井を眺めながら、明日のことを考える。朝一から荷物を運んで店番、そして一番人が来る夕方も店番をすることが正式に決まった。
(今日の旅は長かったな⋯⋯。今日は早めに寝よう。てか、もうすでに眠いし)
旅の疲れ、そしてこの湯船の温度が相まって、海斗の瞼は重くなっていた。
このままでは、この状態で寝てしまって大変なことになってしまう。海斗は寝てしまわないように耐えながら、そして湯船からあがった。
バスタオルを取って体についた水滴を取り、寝間着を着た。
「あがったよ」
「はーい、お母さん先に入って。わたしはまだやることがあるから」
「分かった。じゃあ、お先に失礼するわね。海斗、お湯の温度は大丈夫だったかい?」
「うん、丁度良かったよ」
「なら良かった。じゃあ、入ってくるわね」
和子はゆっくりと浴室へと向かって行った。
膝を曲げ、跛行する彼女の後ろ姿を、海斗はそっと見守った。
一方で、椅子に座りながらスマホをフリック操作している海佳。今回の引っ越しで心配しているママ友や同級生から多くのメッセージをもらっており、その処理をしていた。返信しては次の人に返信するのを繰り返し、その動きは息をつく暇もないほどだった。
「母さん、俺もう眠いから先に寝てるよ」
「うん、今日は長旅で疲れたもんね。ゆっくり寝なさい。明日は店番と、引っ越しの荷物整理もあるからね」
「分かってるよ。じゃ、おやすみ」
「おやすみ〜」
海斗は2階に上がり、寝室へと向かう。布団を床に敷くと、そのまま倒れるように眠った。
◇◇◇
『ねえねえ、聞いてる?』
声がした。声から、幼い少女の声だと分かった。
『あ、やっと気がついた。もう⋯⋯』
視点がその少女に合わない。ただ、ぼんやりとシルエットだけが見えている。どこかで会ったのか、それとも幻想で作られた人物なのか⋯⋯。しかし、確かなのはどこか聞いたことがある声だった。
『ずっと気づいてくれるまで待ってたんだから、罰としてわたしと遊んで。わたしと冒険するの。行かないなんて言わないよね?』
手を伸ばしてくる少女に、自分も手を伸ばす――――。
「――――」
そこで目が覚めた。海斗は右手を天井に向かって伸ばしていた。
「――――夢か」