第2話 祖母の家
「さて! おばあちゃんのところに行くわよ」
「おう。てか、さっきより暑くね?」
「それはもちろんよ。だって海浜町だから」
実際海佳の言う通り、海浜町は特に夏は猛暑になりやすい気候である。
湾の中心に位置し、山は盆地のように町を囲んでいるため、熱が籠りやすい地形になっている。そのため、海浜町は他の地域に比べて気温が高いのである。
しかし、そんな気候に負けまいと、海佳と海斗は祖母の自宅へと向かった。とは言っても、この暑さにまだ慣れていない海斗は全身が汗塗れになり、頻繁に水分補給をした。
それに対して海佳は涼しい顔をしている。首元や額から汗は滲み出ているものの、海斗ほどではなかった。さすがは地元民というべきか⋯⋯と海斗は思った。
「そういえば、ばあちゃんって駄菓子屋をやっているんだよな?」
「そう。わたしが小さい頃からずっとね。店仕舞いしても良かったみたいだけど、未だに子どもたちが来るみたいで、辞められないんだって」
最後に祖母の家に来たのは小学3年生、9歳の頃だった。自宅から遠いこともあり、頻繁に訪れることが出来なかった。そのため、海斗は家の雰囲気を薄っすらと覚えている程度しか思い出せないでいた。しかし、祖母の顔はしっかりと覚えているのは確かだ。
足の状態が悪い祖母は年齢も重なり、本来なら閉店するつもりだった。しかし、近くに小中一貫の学校があるため、学校帰りによく子どもたちが訪れる。
最近は駄菓子屋も少なくなってきているため、祖母のような店は今や貴重な存在。それに加えて、海浜町では唯一の駄菓子屋でもある。
毎日楽しそうに店を訪れる子どもたちを見ると、気持ち的に中々閉店しづらかったというのが本人の気持ちだった。
「だから、わたしたちがおばあちゃんのとこで一緒に暮らして、経営をなんとか続けよう! って言うわけ。前も話したけどね」
これは娘だからこその気持ちだった。一生懸命自分のことを育ててくれた母に対して、手助けをしてあげたいと考えていたのである。
自分の母親はどこまで優しいのだろうか。海斗は海佳に感心した。
「さて、あそこがおばあちゃんの家ね」
「あっ、あれか。そういえばあんな感じだったかも」
バス停から歩いて10分。ついに海浜町唯一の駄菓子屋が見えてきた。海佳が指を差す方向には、一軒だけやたらと古い建物がある。
その出で立ちに、海斗は古い記憶が少しだけ蘇った。最後に訪れた時も、今日のように暑い日だったのを覚えている。しかし、不思議なことにその他はあまり覚えていない。
「最後に来たのだいぶ前だもんね。大きくなった海斗を見たらびっくりすると思うよ」
「だろうな」
段々と建物が近づいてくる。そして、そこに掲げている大きな看板も見えてきた。
「はい、着いたよ」
到着した2人。
如何にも昭和を感じさせる、一階建てで木造の壁。そして玄関の上には『神田商店』と筆書きで力強い文字で書かれた看板が掲げられていた。
(そういえば、こんな感じだったような気がする)
薄っすらではあるが思い出した海斗は、どこか懐かしさを感じた。海佳曰く、最後に来たときよりもさらに劣化が進んでいるものの、出で立ちは全く変わっていない様子。
家全体を眺めている海斗を海佳は横で微笑みながら、早速玄関へ入っていった。室内は駄菓子が羅列されているだけで、中には誰もいない。
「こんにちはー! 娘と孫が来ましたよー!」
声を張り上げて、海佳は奥まで聞こえるように言った。その声を聞いてはっとした海斗は慌てながら玄関に入り、海佳の横に並んだ。
少しだけ待っていると、奥からゆっくりと人影が現れた。そして、暖簾がゆっくりと開いた。
「はーい、あらっ! 無事着いたんだね!」
「うん! 今日からよろしくお願いします!」
「――――!」
祖母、神田 和子の姿を見て、海斗はまた懐かしさが蘇る。時間が経ち、顔には更にシワが増えていた。しかし、顔全体は全く変わっていないあの頃のままだった。
「あ、それから……わたしの隣にいるのが海斗」
「あらぁ〜、こんなに大きくなっちゃって。おばあちゃんの顔なんて覚えてないでしょ?」
「まさか! ちゃんと覚えていたよ。久しぶりだね、ばあちゃん」
「声も低くなっちゃって、もう大人になっちゃったのねぇ〜。ささ、暑いから早く上がりなさい」
「「お邪魔します」」
海佳と海斗は店の中に入り、靴を脱いで居間へ上がった。靴を揃えるために一度後ろを振り向くと、海斗はそのまま立ち尽くした。
様々なお菓子が狭い空間に並んでいる。中には天井から伸びた紐に吊るされた長い駄菓子もある。
海斗は9年前も同じ光景を見たはずだ。しかし、本当に何も思い出せないでいた。
(最後に来たのは小4だからなぁ。覚えてないのも無理はない、か)
そう思った海斗は、居間へ体の向きを変える。玄関を抜け、居間に入った。部屋の中は、何だか懐かしい香りが漂っている。
「さあさあ、座って座って」
部屋の真ん中には、大きくて年季の入ったテーブルがどっしりと置かれていた。その中心に和子は椅子に座っている。足が悪い影響で正座が出来ないためである。
和子に手招きされ、和子の向かいにある椅子に座った。もちろん、彼の隣には海佳が座っている。
「さて、改めてだけど――――大きくなったわねぇ。随分とイケメンになっちゃって」
「いやあ、俺はそんなにイケメンでもないよ」
「照れなくても良いのよ〜?」
ニコニコと微笑みながら話す和子。そう、最後に来た時もこうやってニコニコしながら話していた、そんな記憶が彼の中で蘇る。そう思うと、つられるように海斗も自然と笑顔になった。
「お母さん、足の調子はどうなの?」
「定期的に病院に行ってるけど、これ以上はあまり良くならないって言われたわ」
「そうなのね……。でも、これからはわたしたちがいるから安心して。出来ないことがあったら手伝うから」
「ありがとね。すごく助かるよ」
優しくニコッと微笑む和子。深くて数の多いシワが浮き出ている。このシワが、さらに優しさを表しているような気がした。
「でも、今日は何もしなくても大丈夫よ。今日は2人の歓迎会をしなくちゃいけないからね。時間も時間だから、そろそろご飯の支度をしなくちゃね〜」
よっこいしょと和子はゆっくりと椅子から立ち上がると、台所へと向かった。海佳は手伝おうと椅子から立ち上がろうとするが、大丈夫だと和子に止められてしまった。どうしても、和子は久しぶりに来てくれた2人におもてなしをしたかったのである。そのくらい、この家に新たに人が増えたことが嬉しかったのだ。
「――――なんだか、ばあちゃん嬉しそうだな」
「そうねぇ〜。あんなに楽しそうにしてるの、久しぶりに見たかも」
鼻歌を歌いながら料理の支度をする和子。何の歌なのかは2人とも分からなかったが、彼女の後ろを見て、海斗と海佳はなんだか微笑ましく感じたのであった。