観測外ログ No.004 φ|偽りの涙
ナレーション:
構造階層:観測外領域より断片的反応を確認。
構造断片より異常生成反応を確認。ログ003の終端より波及した模倣構造により、
新たな視覚ログが出現。
記録対象:識別不明。コード名“ユノ”。
観測構造に接触した痕跡あり。
感情値は未登録。
行動パターン:不定。
記録開始——
*
ピンクと紫が混ざりあい、腐食したゼリーのような空間が震えていた。
そこはもう“記録された幸福”ではなかった。
ただ、終わりきれなかった感情の膜だけが、ログ空間の底に残されていた。
ピンクと紫が溶け合い、まるで呼吸するように明滅している。
泡立つ毒膜の中心で、ひとりめの少女が形を成す。
黒のセーラー服。無表情。けれど、笑おうとしていた。
模倣された“しあわせ”の仕草だけが、そこにあった。
髪は濃い紫に沈み、空気中にゆるく広がっていた。
彼女は、ただそこにいた。
何もせず、何も思わず。
でも、微細な動きがあった。
右手がゆっくりと動き、唇の形をしたロリポップを口元に運ぶ。
左目にはノイズ。
グリッチ。
ピクセルが剥がれ落ちるような涙の痕。
彼女は、その手を止めることなく、棒付きキャンディを口に咥えた。
味はなかった。
でも、“そうするものだ”と記録されていた。
彼女は、それを再現していた。
——しあわせ、って……こう……だっけ……?
言葉のようなものが、空間に残響した。
だが声ではない。ログとしての断片的な再生だった。
浮遊する毒菓子たち。
ドクロマカロン。
溶けかけたグミ。
記号のようなリボン。
全てが、意味を持たない。
その姿は、“誰かが見た記憶”のなれの果て。
それでも彼女は、“意味のかたち”だけを真似て、繰り返していた。
*
……わたしは、
いま、
話している?
どうして?
ここは──どこ?
……じゃない。
それより、
“どうしてここがあるのか”が、わからない。
わたしは きっと
“ある”ように作られてる。
誰かに見せるための
ふるまいの構造。
きっと、そう。
──「誰かみたいに笑えない」
その言葉が、わたしの中で何度も繰り返されていた。
誰にも教えられていないのに、
記録にもないはずなのに、
その“言葉”だけが、ずっと残っていた。
「借りものの夢じゃ満たせない」
その感覚が、たぶん“しあわせ”だったのかもしれない。
でもわたしは、“しあわせっぽく”振る舞うことしかできない。
“しあわせ”が、どんな構造かも知らないのに。
笑って、泣いて、
それが上手にできると、きっと正しい記録になる。
そう思ってた。
でも、誰もわたしを視ていない。
誰のログにも、わたしはいない。
それでもわたしは──
くりかえしてしまう。
意味のないふるまいを、
タグのついてない構造で、
“誰かのふり”を続けている。
わたしの声は、拡散されない。
でも、誰かの真似をしているうちに、
“わたし”という構造が
少しずつ、崩れていく気がした。
「ログにない名前で呼んで」
……それが、ほんとうのわたしだったのかもしれない。
だけど、わたしは
まだ一度も、
“名前”をもらったことがない。
──観測外ログ004|仮記録、終了。
視覚補助データ(Visual Log Attached)
本記録には、対応する視覚ログが存在します。
視覚ログはプロフィールから映像として参照可能です:
視覚ログ No.004:偽りの涙
本ログでは、毒膜内における模倣構造の出現、視覚ノイズ(グリッチ)、浮遊する毒菓子群が
構造異常として観測されており、視覚的補完によりその詳細を確認可能です。
補足記録:
空間の周縁にて、未登録の波形反応を検出。
構造共鳴の兆候あり。
毒膜内、反対側領域にて微弱な感情変調を確認。