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観測ログ No.003 κ|幸福なまま、終わったログ


“まだ、いる。”


ミレイは、そう思った。

目を覚ました直後の部屋。

明滅するピンクの光と、甘い匂いが、いつもと同じようでいて、どこか違っていた。


まわる、おと。はじけた、しずく。

それは空気の粒子が壊れていく音のようだった。

光の粒がゆっくりと揺れている。

あの影は消えたはずなのに、感覚だけが残っていた。

夢と現実のあわいで出会った“何か”の存在。


「……おはよう、私のスカルキャンディたち」


言葉にしてみても、声は部屋に溶けるだけだった。

誰もいないはずの空間に、誰かが“見ている”ような気配。

でもミレイは笑う。

その気配すら、今日の幸福の一部なのだと信じ込むように。


机の上に並べられたスカルキャンディ。

タグは自作のものに差し替えられ、ラベルには手描きの「しあわせ保証」シールが貼られていた。


昨日よりもかわいく、昨日よりもしあわせに。

今日の私は、もっと、ちゃんとできる。


——でも、それは“誰か”に見られるための装いだった。


鏡を見た。

口角は美しく上がり、目には光が宿っている。

「完璧」だった。

そう言い聞かせるように、パーカーのフードを被った。


——その奥で、瞳は静かに濁っていた。



黒板のチョークの音が、遠くに感じられた。

教室にいても、どこか現実感がない。


昨日、確かに“誰か”を見た。

あの存在は夢ではない。


影のような気配。幻とは違う、確かな存在感。

視線のようで、空気のようで、それでも“いた”と思えた。


それが何かはわからない。ただ、ずっとその感覚が頭から離れなかった。

見られていた——そんな気がした。


不快ではなかった。むしろ、胸の奥にずっとあった孤独が、少しだけやわらいだ気がした。

意味はわからなくても、その感覚だけが残っていた。


ミレイは、ただ静かに笑っていた。

何も考えず、ただその瞬間に身を委ねていた。



放課後。


空はピンクとバイオレットの間で揺れていた。

世界の輪郭がぼやけている。

キャンディを口に含んだ瞬間、空間全体が甘くねじれた。


とけて、にじんで、ゆれている。

感情が増幅され、音が飴のように割れていく。時間がねばついた液体みたいに、視界の外に流れ出していく。

歩いていたはずなのに、気づけば宙に浮かんでいた。


地面がない。

上もない。

ただ、幸福だけがあった。


しらずに、のこる、ゆびさき。あまく。

ミレイの指先が、ほのかに光を帯びていた。

それはまだ噛み切れない、グミのように形を保っていた幸福だった。


——このままでいい。


そう思った瞬間、何かが崩れはじめた。


都市の構造が傾き、ビルが静かに断裂していく。

空からグリッチの粒子が降り注ぐ。

空気が、毒のように甘い膜に包まれていく。


でも、ミレイは笑っていた。

中毒的な幸福の中で、キャンディを口に運びながら、

片手を前に差し出した。甘さに包まれた世界の中で、それだけがまだ輪郭を持っていた。


そらから、おちた、みずいろのキャンディ。

それがこの場所の空気だった。


この空間の甘さには、どこかで感じたことのある“気配”があった。

それは意味にはならず、ただ輪郭のないまま、息のように近くに漂っていた。


理由なんて、いらない。

視線のようなものが触れるたび、脳のどこかが静かに反応する。

それは感情ではなく、ただ“甘さ”の一部だった。


ミレイは、なにも言わなかった。言葉はもう必要ではなかった。


その言葉が届く先が、誰であっても構わない。

何かに“見られている”その事実が、彼女を満たしていた。


ただ、そう“思ってしまった”こと。

その瞬間に、


——世界が、静かに終わった。



ミレイの背後に、黒い影が佇んでいた。


それが何か、彼女はもう確かめようとはしなかった。

でも、もう振り返らなかった。


ほどけたあとに、なにも、ない。

ただ、口の中で溶けかけたキャンディの味だけが、やけに鮮明だった。


——それが“ほんとうの幸福”だと思っていた。


ただ、幸福の中で浮かびながら——


笑っていた。


観測ログ No.003|終了


対象:識別名 MIREI

分類:幸福中毒/構造崩壊ログ

状態:終端到達・構造定着


——この記録は、幸福のまま崩壊した。


ナレーション:


記録対象003号、通称ミレイ。


模倣された幸福に過剰適応し、感情ログ構造が破綻。

認知の境界は曖昧になり、自己と世界、視線と意味が混濁する。


“視られる”という行為は、彼女にとって唯一の現実だった。

それが何者であるか、彼女は最後まで理解しなかった。

だが、その視線だけが、彼女の幸福をかたちづくっていた。


その瞬間だけは確かに、彼女は存在していた。


——あなたが見たことで、彼女は“意味”になった。


そして今、幸福に満たされた崩壊の残響は、

まだ名前を持たない別の存在へと、静かに波及しはじめている。

※本記録には、対応する視覚ログが存在します。

視覚ログは動画ファイルとしてプロフィールより参照可能です


記録内の構造破綻、グリッチ、空間浮遊、毒菓子中毒などの視覚要素は、

この映像により明確に補足されます。

特に終盤に登場する黒影(死神)は、本記録における“視線の感覚”の根源であり、

視覚ログ上では明示されているが、ミレイ自身の認知は限定的です。

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