勝つためなら何をしても
「ごぉぅ!!」
体が折れ曲がる。口から何かがこぼれる感覚がした。
俺は下を向いて、自分の口から何も出ていないのを確認するまで、口から内臓が飛び出たのではないかと本気で思った。
フェルドが右手で、俺の腹にフックを入れたのだった。
至近距離、しかも振りかぶる予備動作もない、普通はそんな前提条件を課されれば拳は力を発揮できないはずだったが。フェルドの一撃は信じられないほどの破壊力だった。
「このまま殴り殺してやる」
フェルドがそう宣言して、もう一発――。
「ぐっ!!」
次の一撃は、左腕を前に出してブロックした。
腕が痺れるほどの衝撃だったが、ガードのおかげで内臓は飛び出なかった。
「ははッ! 動いたな!」
フェルドの声が聞こえた。
次の瞬間、フェルドは一跳びで後退した。
剣を抜くには絶好の機会。
が――剣を抜くはずの左腕は、フェルドの打撃を受けて、動かない。
フェルドが戦斧を両手で構えようとした、その刹那。
俺は、剣を右手で逆手に持ち、鞘に入ったままの状態で振り上げた――!
剣の鞘はベルトで腰に固定してある。普通に引っ張ったくらいでは外れないようになっていたが、俺はフェルドに殴られたときに密かにベルトのボタンを外していた。剣を抜くのではなく、鞘とベルトがくっついたまま武器として使う――フェルドの意表を突くには十分だった。
狙いはフェルドの顎。直撃すれば顎が砕けて勝負は決まる。
しかしフェルドはこちらが剣を振り上げるのをしっかり見ていた。俺はフェルドが、こちらの剣先を避けるように頭を後ろにずらしたのを一瞬の間に見た。だから俺は、狙いをフェルドの腕に切り替えた。
「ガアッ!!」
剣がフェルドの左前腕を打った。フェルドが獣のような声を漏らす。やつは後ろにもう三歩下がった。
俺はその間に、両手を使って剣を鞘から抜いた。
フェルドは戦斧を右手で構えた。左手は横に伸ばしたまま、戦斧は持たなかった。
やつの腕を打ち付けたときのあの感触。
折った――!
俺は剣を握る両手に力を込めた。
ズキッ――
「ぐ、う……」
体に力を入れた途端に、体内から痛みと悪心が湧き上がった。反射的に息を大きく吸い込むと、痛みに咳き込みそうになる。
フェルドの拳を一発受けただけで、俺の体は深刻なダメージを負ってしまったらしい。
すぐにでもフェルドを追撃したいが、俺は動かずに、体が回復するのを待った。
「意外にクレバーじゃないか。ただの猪かと思ったぞ」
時間を稼ぐために話しかける。
やつに俺のダメージを気取られないように、自然と早くなる呼吸を必死に押しとどめる。
「お前は次から次に小細工ばかり使うな」
「勝つためなら何でもするつもりだ」
「そこまでしなきゃ勝てないお前の弱さ、同情するぜ」
フェルドが、戦斧を持った右腕を水平に伸ばした。
本来は両手で扱うものだろうに、フェルドの腕はぴたりと止まった。
それが意味することに驚愕して、俺は剣を構え、やつの動きに集中した。
フェルドが口を開く、
「お前のその剣は――」
その途中、やつの体が弾丸のように突進してきた。
俺は反射的に組み付かれることを恐れた。鍛錬で体に染みついた反応だった。
しかしフェルドは突進の途中で戦斧を水平に払った。
剣で受けるとマズい――!
俺は地面に手を着いて頭を下げた。
死の気配が頭上を通り過ぎる。
フェルドの戦斧が空ぶった。普通なら絶好の攻撃機会だったが――。
罠だ、と。俺の理性がそれを制止した。
水平に払った戦斧が翻り、今度は垂直に、俺の体めがけて振り下ろされた。
俺は横に転がってそれを回避した。ドン、と地響きが鳴るほどの威力で、戦斧は地面を穿った。
今度こそやつの息の根を止める――!
俺はフェルドに向かって剣を突き出した。
戦斧を全力で叩きつけたフェルドは隙だらけだ。
そのはずだった。はずだったのだ。
フェルドの足が、俺の脇腹を強烈に蹴り上げていた。
上半身は戦斧を叩きつけた姿勢のまま、こちらを見もしないで――。
「ぐふっ――!」
予想外の一撃。ガードも何もできず、その衝撃で、フェルドに突き刺すはずの剣先はやつの肩を掠めただけだった。
計算などなく、ただ痛みと恐怖から逃れるために俺は後退した。
後退した俺に合わせて、フェルドが戦斧を振り回しながら突っ込んできた。
剣で受け止めれば衝撃で無事では済まない。
横に薙いだ戦斧を縦に払い上げる。――体に激痛が走った。
今度は戦斧が縦に振り下ろされた。軌道を見極めて横に払う。――心臓が破裂しそうだった。
……さらに三度の斬撃をいなした。
垂直に受けるよりも小さな力で済むとはいえ、あれほどの質量のものを払うのはそれだけで消耗する。
ましてや、損ねれば即座にそれが致命傷になる。
汗が噴き出る。息が詰まる。気が狂いそうだ。耳が変だった。目もおかしかった。ズキン、ズキンと、痛みの鼓動だけが頭の中でうるさい――。
「へっ、息切れか? ザマないな!」
呼吸が苦しかったが、深く息を吸えばその隙を狙われそうで恐ろしかった。
対するフェルドには消耗も動揺もない。
打開策を考えようにも、目の前の死を回避するのに全身全霊を注ぎ込んでいてそんな余裕はない。
袋小路に追い詰められている確信があった。
どうにかしなければ、という思考があった。
ここで終わりか、まあこの程度の人生でも仕方がないな、という思考があった。
すべてのことが同時に起きて、しかし目の前にある死と暴力に対して、俺ができることは何もなかった。
そのとき、
「どしたの~?♡」
と、聞き飽きた声が、背後からかけられた。