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肉屋のフェルド


 決闘を控え、デレタ市の広場には大勢の人が集まっていた。見物人には、知らない顔も、村で見たことのある顔もあった。

 その中にリナールと、師範の姿も見えた。カイナは、見に来ているのか分からない。リナールはいつもの感情のない微笑で、師範はいつもの感情のない仏頂面で、二人は形質と実体のそれぞれが真逆の無感情さで、じっとこちらを見ていた。

 俺は"肉屋のフェルド"の姿を、初めて見た。

 軍にも図体の大きな奴はいたがこれほどの巨体は見たことがない。腹回りは脂肪で膨らみ不摂生に太ったように見えるが、俺はその下にある巨大な筋肉の存在にすぐ気づいた。

 事前に話には聞いていたが、実際に見ると、その迫力は否定できない。

「なんだぁ? お前が代理人か? 噛み応えの無い骨は料理のし甲斐がねえなあ」

 フェルドは俺を見て言った。そしてげらげらと笑う。

 フェルドは巨大な戦斧を、左手一本で持っていた。その柄の先で地面を、ズシン、ズシン、と威嚇するように突いた。

 戦斧は、巨漢のフェルドが持っていると普通の長さに見えてしまうが、実際は俺の身長くらいはありそうだ。

 しかも、奴の斧は柄の部分も金属だった。普通、ああいう武器は柄の部分は木で作って、重心が刃の方にいくように作るものだが。すべて金属でできているなら、全体はすさまじい重さだろう。しかしフェルドはそんな斧をやすやすと振り回すのだ。

 一方の俺の武器はいつもの短い幅広の剣だ。長さを比べたらフェルドの斧の半分もない。ましてや重さはもっと大きな差があるだろう。まともに打ち合えば体ごと吹っ飛ばされるだろう。

 俺は目を伏せて、フェルドの言うがままに任せた。その雰囲気が伝わったのか、見物人のざわめきが大きくなった。


「静粛に!」

 そのとき、見物人とは違う、帝国の役人の正装をした男が声を上げた。フェルドは顔からにやけた表情を消して、さっと役人の方を向いた。

 決闘監査官だった。決闘監査官は帝国の法に則って決闘が正しく行われたことを見届け、その結果を保証する。決闘の立会人だ。

 見れば、立会人以外にも、帝国の役人らしき男たちが、市民の見物人が入れない特等席に座って見学していた。役人たちが物見遊山に来ているらしい。市民が殺し合うのも、中央の役人たちにとっては娯楽でしかないのだろう。


 決闘の手順は帝国法によって定められている。

 決闘場の広さの規定から、決闘に持ち込める武器、決闘の始め方、決着の判定、決闘結果の順守など――。

 それを、決闘監査官は、あらかじめ決められた言葉で、決闘者たちに伝える。

 決闘者は武器を一つだけ持ち込むことができる。ただし飛び道具や長すぎる武器は禁じられているので、自分の身長の何倍もある長槍や、遠くから敵を射る弓は使えない。

 また、盾や鎧などの刃物を通さない防具の着用も禁止されている。このため、多くの場合、決闘はすぐに決着がつく。

 さにら決闘場に関する規定……決闘場に定められた場所からの逃亡は敗北になる。このため、自分が有利となる場所に逃げ込んで待ち構えるという手は使えない。決闘場は囲いがされているわけではないので、どこまで離れれば「逃亡」となるか境界は曖昧だが、慣例的には決闘監査官の見えないところまで離れたら逃亡と判定される。

 決闘監査官の向上は退屈だった。

 オレは事前に帝国法を読んで決闘のルールを調べ上げていたし、今まさに立会人が読み上げているこの文言も、俺はすでに目を通して知っているのだ。

「以上のもとで行われる決闘に、決闘者双方に異論はないか?」

「ありません」

 俺は答えた。決闘法ではこのとき決闘者の双方が同意を言葉として発する必要があった。

 フェルドが何も言わないので決闘監査官は奴の方を見た。決闘監査官は小声で「同意するならそれを言葉にせよ」と指示した。フェルドは気圧されたように「ど、同意します」と言った。

 事前に調べたとおり、フェルドには正式な決闘に参加した経験はないようだ。

「双方、位置に着かれよ」

 地面に引かれた二本の線が、決闘者の立ち位置だった。帝国法によれば決闘監査官が事前にその位置を示しておく必要がある。線の間は、大人の男の足で五歩分の距離だ。


「帝国の定めに従い、ただいまより決闘を開始する。両者、武器を構えよ!」

 フェルドは、斧の刃に被せていた革のケースを、斧を一振りして放り捨てた。

 俺の方を見てニヤリと笑う。それは獲物を前にして笑う獣であり、肉を前にして腕まくりする肉屋であった。

 だが俺は、あえてフェルドから目線を切って、立会人の方を向いた。

 そして「立会人」と呼びかけた。

「決闘場からの逃亡は敗北になると法に定められているが、戦いによって双方が一緒に移動した場合は敗北にならないよな?」

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「その場合は問題ない」

「了解」


 四歩。

 戦意も敵意も殺意もなく。

 散歩をするときと同じ、いつもの歩き方で。

 俺は剣も抜かずにフェルドに接近した。

 だからこそ、この四歩を歩く間、永遠のようなこの時間を、フェルドは無防備に眺めているだけだった。

 フェルドの顔が真上にあった。


「な――」

 我に返ったフェルドが声を漏らした。しかしもう遅い。

 事前に調べたフェルドの戦い方は、長く重い戦斧を、その剛腕で振り回すというものだった。

 単純だが対処は難しい。

 もし戦場で出会ったのであれば、方法がないわけではなかったが。防具も助っ人も罠も使えない"決闘"のルールの上では手札が足りない。

 問題は、戦斧の内側にどうやって潜り込むか――。

 この数日、俺はそのための作戦をずっと考えていた。

「さあその斧を振り回してみろよ、振れるものならな」

 俺は見物人に聞こえないように小声でフェルドに話しかけた。

「お前みたいな田舎者は帝国の役人の前では萎縮するだろうと予想していたがその通りだったな。俺の想定通りお前は俺が歩いてくるのを間抜け顔で眺めてただけだった。どうした驚いて声も出ないか? 決闘はもう始まっているんだぜ?」

「……そういうお前も、剣を抜いていないな」

 フェルドは目をぎょろりと動かして、俺の右腰にぶら下げている剣を見た。剣は鞘の中に入ったままだ。

 いくらフェルドが萎縮していたとしても、歩いて近づく俺が剣を抜いたら反射的に戦闘態勢に入るだろうから、接近するまで剣を抜くわけにはいかなかった。

「オレを怒らせるのもお前の作戦か?」

 フェルドは、俺の腰の剣と、自分が持っている戦斧に目を走らせた。

「……この立ち位置だと、剣は抜けないな」

 くそつ、こいつ――。


 フェルドは斧を左手で持って、地面に立てていた。一方の俺の剣は、右腰にベルトで吊り下げている。

 右腰の剣を左手で抜くと、対するフェルドが左手に持った斧が邪魔になって切りつけることができない。

 俺はフェルドの利き手が右手であることを事前に調べていて、それゆえに決闘が始まったときは右手で斧を持つと想定していた。その対策のため、俺は普段は左腰に下げていた剣を、今日は逆の側につけていた。

 フェルドがなぜ左手で戦斧を持っているのか――あるいは奴も、武器を左右どちらの手でも使えるのか。

 もしフェルドが怒りに任せて斧を振り上げたたら――剣の軌道から邪魔な斧が消えれば、俺はその瞬間に剣を抜いて、奴の斧がこちらに届く前に切り捨てることができた。


 しかし、フェルドは動かない。

 俺も動けない。

 見物人のざわつく声が大きくなった気がした。野次が聞こえた。決闘監査官は何も言わないが、このまま時間が過ぎればどのような物言いをつけてくるか分からない。

「どうした肉屋。俺にビビって動けないか?」

 俺はなおも挑発した。やつから動いてもらわないとこちらは何もできない。

 しかしフェルドは、怒るどころか、下品な笑い声を立てた。

「そうだな。お前の顔も見飽きた」


 次の瞬間、俺の体を強烈な一撃が突き抜けた。


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