どうにもならない暗黒竜
普通、久しぶりに見る故郷の光景というやつは心躍るものなのだろう。ましてや十五年ぶりに見るとなればなおさらだ。ところが俺は心躍るどころか陰鬱で憂鬱で沈鬱で恐鬱だった。
とにかく俺の長い人生の中で二番目くらいには最悪な気持ちだった。ちなみに一番目は十五年も奉公した軍を追放されたことであり、二番目の最悪の理由でもあった。
村を出たときの二十の俺が、今の三十五の俺を見たらどう思うだろうか――。
タウリノ村へ入っていく街道の途中で、俺は立ち止まった。
「どしたの~?♡」
と、同伴の女は、すかさず俺の顔を上から覗き込んできた。
俺はそれを手で払って「どうもしない」と応えた。
「あらあら~」
俺がどんな反応をしても女はいつも嬉しそうな表情と声を作る。
「それよりも、お前のことをどう説明するか考えていた。それに名前くらいなきゃ人間らしくないだろう。何か名乗ってくれ」
「うーん。私のことは『ご主人様』でいいよ」
「俺が女を連れて『ご主人様』呼ばわりする事情をどう説明するんだよ。より難しい問題を作ってどうするんだよ」
「うーん。あなたの『名前』は何ていうの?」
「なんで覚えてないんだよ。俺はライゼルだよ」
「じゃあ私も『ライゼル』がいい」
「なんでだよ。紹介される方もびっくりするだろ」
「『ライゼル』って名前、好きだよ~♡」
女は俺の額に額をぐりぐりと押し付けてきた。俺はそれを手で振り払った。
「じゃあもう俺が決める。それでいいな?」
「いいよ~」
「じゃあ、お前のことは『リナール』と呼ぶが、いいか?」
「うんうん。可愛いねえ、ありがとうねえ」
リナールは長い腕で俺を抱擁しようとした。俺は手で押し返して拒否しようとしたが、俺の抵抗ごとリナールに抱きしめられてしまった。
「……もういいだろ。離せ」
「うぇーん」
と泣いたふりをしてリナールは俺を解放した。リナールが本当に泣いたところを俺は見たことがない。そもそも、これに感情というものがあるのかも、俺には分からない。
タウリノ村の中心部へ入っていくと、すれ違う何人かが俺の顔を見て反応を見せたし、すれ違う何人かの顔を見て俺は昔のことを思い出した。横を歩くリナールが、隙あらば腕を組もうと手を伸ばしてくるので、俺はそれをいちいち払いのけた。
道場の建物が見えてきたので、俺は深呼吸をして不安を鎮めようとした。
「どしたの~?♡」
「どうもしない」
いつものやり取りをして、それでも足を動かせないでいると、背後から聞きなれた低い声が聞こえた。
「――ライゼルか?」
振り返るとベルフレド師範の姿があった。
十五年前に師範がどんな姿だったのか、俺の記憶は曖昧だ。
しかし白髪はこんなになかった気がするし、胸板ももう少し厚かった気がする。太ももや腕も、一回り細くなった気がする。
一方で、師範の持つ、静かな森のような、泰然とした雰囲気は昔のままだった。その空気だけで、俺は師範と再会したのだ、と実感させるのに十分な説得力があった。
師範はリナールを一瞥しただけですぐに俺に視線を戻した。
「退役にはまだ五年、早いと思うが」
「お久しぶりです、師範。帰ってきました」
師範が省略した挨拶を、俺は馬鹿みたいに実行した。
「……脱走か?」
「追放です」
短く答えると「そうか」と師範は頷いた。
そのとき師範の後ろから、琥珀色の髪の少女が駆けてきて、「師範~」と甘えた声で言った。少女は俺とリナールの姿を見て、すぐに無邪気さを引っ込めて警戒を表に出した。
最初、ベルフレド師範が、遅れて娘を授かったのかと思った。しかし娘であれば父親のことを「師範」とは呼ばないであろうし、何より二人の顔容はまったく似ているところがなかった。
「師範、その方々は?」
「ライゼルだ。女の方は見たことがない。……こいつはこの村の出身で、おれが剣を教えた」
「何か、ご用ですか」
少女は当然の質問をしてきた。
どういう言い方をして頼むべきか。自分がここに帰ってきたのは当然の権利だという気持ちと、十五年前に別れたきりの他人に頼る気まずさの間で迷っていると、師範は俺とリナールの間を通って道場の中に入ろうとした。その後ろを少女が追いかけた。
取り残された俺は、立ちすくんでいたが、
「どうした、入れよ」
と、ごく自然に俺を道場に招き入れてくれた。
俺は頭を下げて礼を言った。泣きそうになるのをこらえた。
「ここに泊まるのね~」
リナールがのんびりした声を出した。