幕間 流れた先で君に出会った
3月某日
ノートンと対面した時の印象は大人しい馬だなというものであった。
「この子が?」
「そうだ」
獅戸壮太が父獅戸健太に尋ねると頷く。二人が馬房に近づくとノートンは僅かに顔を出した後、乾草を食べ始める。
「中央でもこんな感じで大人しく、食欲旺盛よく食べるそうだ」
「そうかい。まあ食べれない馬よりはいいわな」
(地方に流れる馬は体質的な問題を抱えてやって来ることも多いが、この馬はそういうわけではなさそうだ)
「すみません。オーナーさんが訪ねてきました」
「今、行く」
そう言って少し獅戸健太は離れるとほっそりとした男性を連れてきた。
「初めまして、佐藤学と言います」
「こちらこそオーナーさん。私たちに馬をお預けいただきありがとうございます」
父は佐藤にそう言いながら今のノートンの体調等を説明した。
「それではもうすぐ走れますかね?」
「ええ順調にいけばそこまで時間をかけずにいけるかと、出来る限り出走することを後希望されますか?」
地方での賞金は少ない。そのため出走回数が多いことを望まれることが多い。できる限り馬の購入代や管理代を回収したいという思いを抱くことは当たり前のことである。
「いえ、その……私はこの子を2000万で選んだんです。知り合いに誘われて、セールで調教師さんのアドバイスを聞きながらですが選びました」
ぽつりぽつりと佐藤は語る。
「自分の選んだこの子のデビュー戦でさっそく勝利してくれました。その後も勝ってくれたのですが、ずるずる勝てなくなっていって……自分の選んだ子の勝利が見たいそれだけなんです」
「なるほど、任せてください。全力を尽くしましょう。それにうちの息子は天才と呼ばれるほどの騎手なんですよ」
「そうなんですか」
「父の冗談ですよ」
父も自分を天才と言う。天才というのは中央にいる連中のことであろうと思いながら、
「取り合えず、調教では私も乗りますので、取りあえずはこの子の状態を見させてください」
「わかりました。よろしくお願いします」
獅戸壮太はさっそくノートンを連れていった。
「おお、良いタイムが出てますな」
馬主の佐藤を前で壮太がノートンに乗って調教をつけていた。
「そうなんですか?」
「ええ、これほどのタイムが出るとは中々ありませんよ」
これはおべっかではなかった。確かにノートンは良いタイムを叩き出していた。
(本当に中央で勝ちきれなかった馬だったにしては……)
明らか今まで中央から地方へ流れ着いてきた馬たちに比べるとレベルは上であった。
では、何かしらの気性難というのかというと走っている様子ではそのような様子は無い。
(これは難しいぞ)
表に出ないような問題となると修正を効かす難易度が上がる。また。それに気づけるのが遅れれば遅れるほどに更に難しくなるだろう。ただでさえノートンは5歳である。既に修正が効かないものになっているかもしれない。
すると調教から息子が戻ってきた。
「どうだ?」
「そうだなあ……」
壮太は僅かにどう言葉にしたものかと考え始めた。
「何か問題がありましたか?」
佐藤がそう尋ねると、壮太は首を振る。
「問題はありません。彼の背は柔らかいですね。体全体も柔らかいところがあります。ダート馬として柔らか過ぎると思う方もいるでしょうが、私は許容範囲に思えました。敢えて彼の弱点を言うのであれば、賢過ぎるとは思いましたね」
「賢いと問題があるのですか?」
「問題というほどではないことが多いです。過去に存在した名馬にも賢さを強調された馬がいます。しかしながら賢過ぎる場合のデメリットは確かにあります。それは何かというと、例えばサボり癖をつけてしまう場合があり、レースのゴール距離を理解してしまい、途中で力を抜いてしまったりすることがあります」
馬は賢過ぎない方が良い場合がある。
「ただ彼の賢さは武器になると思っています」
「そうですか」
「ここまではあくまで調教での感触です。実際に走らせてみないとわからないところはあります」
「そうですね。では、レースに出る日が決まったら教えてください」
「わかりました」
そうして佐藤は去っていった。
「親父、ちょっと確認したいことがあるからちょっと離れるわ」
「確認したいこと?」
「ああ、ノートンの中央時代の走りを見たいんだ」
壮太はそう言って自室へ戻るとレース映像の確認を行った。
いくつかのレース映像を確認した後、父親の元へ戻った。
「親父、これを見てくれ」
彼はタブレットで映像を見せる。
「ふむ2勝クラスのレースだな。鞍上は……」
「2年目の騎手だ。さてスタートして」
スタートを切ったが周りの馬たちとのポジション取りに失敗している様子が見えた。
「まあ2年目だしなあ」
「問題はここだ」
壮太が示した瞬間、ノートンがちぐはぐな走りになり始めた。
「うん、故障か?故障したことがあるとは聞いたことがないが」
「故障じゃないよ。鞍上がポジション取りで失敗した不利を取り戻そうとした時の鞍上の動きに、反応し過ぎたんだ。恐らくこの馬は反応が良すぎる」
「なるほど……だから賢過ぎるとさっき言っていたのか」
父の言葉に彼は頷いた。ノートンは賢いために鞍上の動きを汲み取り過ぎたのである。
「これは難しいところがあるな」
「ああ、だが同時に大きな武器だ」
鞍上の意図にストレートに動いてくれるというのであれば、
(レースで大きな武器になるはずだ)
自分の思った通りに動くことができるのであば、レースメイクがしやすくなる。
「親父、ノートンの鞍上は俺でいいんだよな?」
「当たり前だ。お前に任せる」
「良し任せろ」
こうして獅戸壮太を鞍上にノートンは地方で始動した。
『地方への転厩初戦。見事勝利しましたノートン』
先ず地方でのデビュー戦を圧勝。馬主の佐藤もこの久しぶりの勝利を大層喜んだ。
『またしても勝ちましたノートン、獅戸壮太』
そこから破竹の勢いでノートンは勝ち上がり続けた。これはどんな状況であっえも獅戸壮太の動きに全力でノートンが答えてくれたためである。
「地方交流重賞に挑んでみましょう」
「地方交流重賞というと、中央の馬とも戦うということですか」
「そうです」
「勝てるでしょうか」
「勝ち負けできるレベルですよノートンは」
「わかりました。お任せします」
大井で連勝街道を突き進んだ後、名古屋競馬場へ遠征し、名古屋グランプリへ出走。
『ノートンが外から伸びて来て、先頭でゴールイン。中央勢を退けて地方の力を示したぞノートン』
名古屋グランプリを勝利した。
「本当に重賞を勝つとは……」
佐藤は興奮し、大いに喜んだ。そんな彼に獅戸健太は言った。
「次は」
「次は?」
「帝王賞へ向かいましょう」
「帝王賞……地方の大一番の重賞ですね」
6月に行われる地方における最大級の重賞の一つである。
「そうです。中央勢も一線級がやってきます。大変な戦いになるとは思いますが、ノートンは勝ち負けできる強さはあります」
「わかりました。行きましょう」
佐藤は力強く頷いた。
「壮太。次走は帝王賞だ」
「わかった」
獅戸壮太は久しぶりに興奮していた。ノートンは凄い馬だ。地方に移ってから無敗かつ、レースにおける自分の意図にしっかりと答えてくれる。
「ノートンと一緒なら中央とも対等に戦えるはずだ」
彼は力強くそう思った。
そんな彼らが帝王賞で対峙することになるのは狂気の魂・ドンキホーテと、
バリボリと大根の漬物を食べながら名古屋グランプリを勝ったノートンを見ている男がいる。
「めっちゃ面白い子いるじゃーん」
ドンキホーテの鞍上・宇宙人・遠藤喜一が彼らの前に立ちふさがることになる。