フェブラリーSに向けて
2月某日。
「かんぱーい」
3人の男たちがビールが注がれたジョッキを打ち鳴らす。
「いやあ、今日もお疲れさん」
安西孝弘がそう言うと、高坂四郎、坂井直弘もそれぞれ「お疲れ様です」と言っていった。
3人は同じ会社に勤めるサラリーマンで同期というわけでは無かったが、競馬という共通の趣味を持っていることから仲良くなった。
「さて、もうすぐフェブラリーなわけだが、諸君。もう本命は決めたかね?」
3人の中で一番の年長の安西の言葉に一番年下の高坂がすぐさま答えた。
「俺は根岸ステークスを勝ったヨーロレイですね。あの先行力は魅力的ですよ」
続くようにメガネをかけている坂井も答える。
「私はプロキオンS2着のサミダレジオ―ですかね。明らか叩きでしたが、最後方から2着まで突っ込んできた末脚は東京ダート1600に合うと思うんですよね」
「ふむふむ、二人はトライアルで好走した馬を本命にするということだな」
二人の言葉に安西は頷く。
「安西先輩の本命は何なんですか?」
「俺はバックスクラッチャーだ」
「バ、バックスクラッチャーですか?」
「本命にするにしては成績が悪くないですか?もう7歳ですし」
二人が驚く中、安西は指を振りながら不敵に笑う。
「確かにバックスクラッチャーは直近の3戦だけでも、10着、7着、9着と確かに成績は褒められたものではない。しかしながらこの馬の勝ち鞍を忘れていないかね?」
「確か平安Sですよね。10番人気で勝った」
「ええ、重馬場での勝利です」
高坂の言葉に、坂井が付け加えると安西は深く頷く。
「その通り、バックスクラッチャーは大雨の後の平安Sで2馬身で勝っているのだ。諸君、忘れていないかね。あの雨男・雨川がスコールナイトの鞍上としてフェブラリーに出て来るのだぞ。つまり今年のフェブラリーは雨による重馬場での決戦。ならば重馬場巧者を本命にするべきだ。そうは思わんかね」
「なるほど、流石っす」
安西の言葉に高坂がそう言うと、そうだろう。そうだろうと安西は胸を張る。
「しかし雨川の雨男っぷりは確かですが、常に1日雨が降るってわけではなくメインレース直前なこともありますし、昨年は霧でしたよ」
坂井がそう疑問を提示すると、安西はスマホを取り出し画面の映像を見せる。
「そこは心配無い。見たまえ」
画面には緑の髪の胸が大きい女性が後ろにある天気予想図を示しながらあわあわしながら話している。
「競馬大好きお天気お姉さん美衣さんが土日にかけて99%雨だと言っているのだー」
画面で「とても寒くなって雨がザーザーです~皆さん温かい格好をしてレッツ競馬ライフを~」と話している話しているのを見せる。
「なるほど、それは雨っすね。重馬場っすね」
高坂は安西の言葉に力強く頷く。坂井はメガネの位置を治しながら言った。
「天気雨はほぼ確定ですか。因みに美衣たんの本命はなんですかな?」
(美衣たん?)
「ああ、ドンキホーテだよ」
(美衣たん?)
「確かみやこSで大勝して、チャンピオンズカップで2番人気になったけど、追い込み馬なのに、暴走して逃げて大敗しちゃったドンキホーテっすか」
「なるほど」と坂井は呟く。
「ドンキホーテも確か重馬場巧者でしたね。一昨年のユニコーンSが重馬場で勝ってましたし」
「その時も東京ダービーで逃げて惨敗してたっすね。気性やべぇっすよ」
ドンキホーテという馬は強さは本物ではあるものの、その時々のレースで気性による影響が強く、ある時は暴走のように逃げて、ある時は全くやる気がないという馬なのである。
「まああの時はスタート良すぎて下げるわけにもいかなかっただろうが。すくなくともザバークには勝てんよ。まあ俺も重馬場巧者ってことで本命にしたかったけどあの気性がネックでな。ヒモには入れるがな」
ザバークという馬はダート三冠馬にして、昨年までのダート戦線の中心というべき馬で昨年の東京大賞典も圧勝してみせていた。しかしながらその後、屈腱炎になってしまい引退してしまった。
「ザバークがいるならザバークを本命にするんすけどね」
「現役続行しているのならサウジカップかドバイワールドカップを狙いにいくでしょうからフェブラリーには出てこないでしょうけどね」
「まあ今はあれほど強い馬も匹敵する馬もいないからストロングトレインしかサウジカップにいかないからな」
現在のダート界は主役というべき馬がいない。それが三人の共通する思いであった。同じ時期で行われるサウジカップに行く馬は今年はなんとダート初挑戦の暴走機関車・ストロングトレインだけという具合である。
「正直、今のダート界には主役がいないからフェブラリーから上手く強いのが出るといいんすけどね」
「まあ穴党の俺からすれば、今のオッズ割れしているのは最高だが」
「雨が降るせいで予想が難解ですがね」
ビールを飲みながら笑う安西を横目に、やれやれと肩をすくめる坂井。それに同意しながら高坂は言った。
「そうっすね。正直、俺はヨーロレイの先行力もそうですが鞍上が乾騎手だったというのもあるんすよね」
「乾、上手いよなあ。若いけど良い騎手だ」
乾陽介騎手は今年6年目の騎手でここ最近、勝ち星を重ねており良い馬にも乗るようになった騎手である。
「鞍上で言うと、ドンキホーテに遠藤さんが乗るんですよね。確かプロキオンを勝ったマグナムには乗らずに」
「そうなんよね。遠藤さんがドンキホーテに乗るんよ。なんか怖くね。あの遠藤があのドンキホーテに乗るんだぜ」
遠藤喜一騎手。ベテラン騎手にして日本競馬においてのトップジョッキーの1人である。そんな彼を人は宇宙人と呼ぶ。
「まああの遠藤さんがドンキホーテのような難しい馬をどう乗るかは興味ありますね。美衣たんの本命だしヒモに入れますか」
(坂井先輩ってやっぱあのお天気お姉さんのファンなんだろうか?)
高坂がそう思っていると、五杯目のビールを飲み終えて安西が言った。
「鞍上って言えば、雨を連れて来る雨川のスコールナイトどう思うよ」
「俺は買うっす。雨での雨川の成績は無視できないですし、雨の中でのスコールナイトも凄かったっす」
「前走、芝というのが気になりますが、東京ダート1600は芝スタートですからね。スタート失敗することはないんではないでしょうし、買いたいですね。流石にヒモにしますが」
二人の意見を聞きながら安西は頷く。
「そうよなあ。正直、G1級とは思えんけどな。だが俺は対抗にしたいと思っている」
「対抗っすか。正に勝負っすね」
「ああ、雨川には何度も馬券でお世話になっているというのもあるが、調教に雨川が乗っているんよな。結構、雨川も気に入ってるんじゃないかあの馬。だからこそ本命バックスクラッチャー、対抗スコールナイト、3番手はまあヨーロレイ辺りで残りはヒモの何頭かという形で行くぜ」
安西の言葉に二人は「おおー」と拍手する。
「当たったら凄いでしょうね。当たったら奢ってくださいね」
「当ったり前よ。当たったら奢ってやるぜ」
その後も三人はやいやい言いながらビールを飲み続けた。
「いや、フェブラリーの日は天気が悪い、雨が降るってそう思っていたよ」
ピンクの髪の女の子が怪訝そうな表情を浮かべながら言う。
「でもさあ。これはないじゃん」
彼女の言葉からは困惑と動揺が感じられる。
「降るにしても、雨ではなく雪だなんて」