その44の2
ロジャーは席から立ち、カイムから離れて行った。
(俺も明日はジュリエットとデートなんだが……。
まあ良いか。楽しそうだし)
それから少しすると、ロジャーはカイムの隣に戻ってきた。
「どうした?」
「朝ごはん、まだだった」
……。
カイムたちは朝食を食べ終えた。
その日、カイムには予定は無かった。
それで談話室に行き、新聞を読んだりしてゆったりと過ごすことにした。
やがて夕方頃になると、ロジャーが談話室に姿を現した。
いつもの休みよりも着飾っているロジャーが、ぐったりと椅子に腰を下ろした。
カイムは席から立ち上がり、ロジャーに近付いていった。
「ブロスナン。だいじょうぶか?」
「おまえに心配される筋合いは無い……けど……ちょっと疲れたな……」
「うまく行かなかったのか? デート」
「そんなことは無いと思うけど……
ただちょっと……グラスさんの圧が凄くて……」
「なるほど」
ナスターシャは、ジュリエットに不敬を働く者に対して冷酷だ。
お調子者のロジャーでは、彼女の欲求に100%答えることは不可能だったのだろう。
「ちょっと手に触ろうとしただけで
ナイフが飛んでくるんだもんなぁ。怖いよ」
「俺の時はそこまでじゃ無かった気がするが」
カイムがジュリエットとデートをした時も、肉体的な接触が無かったわけでは無い。
映画館では手を握ったし、羽猫に乗ったときは、抱きつくような体勢になったりもした。
だからと言って、ナイフが飛んでくるということにはならなかった。
ナイフのような視線なら、常にカイムに向けられていたような気もするが。
「ひょっとして、下心を見抜かれたんじゃないのか?」
「下心が無いわけないだろ! 年頃の男子なんだぞぼくは!」
「それもそうか」
ロジャーの男の子らしい言い分に、カイムは納得した。
(俺は任務の延長って割り切ってるけど、
ふつうは女の子と良い仲になりたくて
デートするわけだしな。
下心の無いデートなんて、
健全すぎて逆に不健全かもな)
「あーあ。どこかにヴィルフさんより可愛くて
怖いお付きのメイドさんとか居なくて
ぼくとデートしてくれる女の子居ないかなぁ」
「ムリ言うなよ。
ジュリエットより可愛い女子なんて、
校内中探しても、ルイーズくらいだろ」
カイムがそう言うと、ロジャーは目を細めてカイムを見た。
「……おまえさ、良かったのか?」
「何が?」
「レオハルトさんのデートだよ。
あんな三下野郎と」
「三下って、クラスメイトだろ?」
「知らないよそんなの。
両想いじゃないのかよ。おまえとレオハルトさん」
「俺とルイーズは……ただの友だちだよ」
「レオハルトさんのこと、世界一かわいいって思ってるのに?」
「世界一って……」
「思ってないのか?」
「それは……」
「ぼくの目から見たら、
レオハルトさんとヴィルフさんのルックスは、
どっちも同じくらいだ。
けどおまえは……レオハルトさんのことがずっと可愛いって思ってるんだろ?」
「ずっとってわけじゃ……ただ、ちょっとだけ……」
「ずっとでもちょっとでも良いけどさ、
世界一かわいいと思ってる女を、
どうして抱きたいって思わないワケ?
去勢でもされてんのか?」
「それは……」
(俺は高度な訓練を受けたトップエージェントだ。
色欲なんかで動いたりはしない。それだけの話だ)
スパイだから、スパイとして動く。
それがカイムの行動原理の基本となっている。
そのはずだ。
なら、自分がスパイでなかったらどうしただろうか。
そんなふうにも思う。
だがカイムには、スパイでない自分を上手く想像することができなかった。
カイムがスパイであるということは、当然ロジャーにも話せない。
それで言葉を濁すことしかできなかった。
「相手が皇女さまだなんて、恐れ多いだろ?」
「ふーん……。
おまえって案外、普通のヤツなのな」
まさかクラスメイトがスパイだなどとは思いもしていないのだろう。
ロジャーはカイムの言葉を信じたように見えた。
「……悪かったな。普通で」