第4話 終活には君の名を入れて
【第3話のあらすじ】
誠との恋を諦めかけた翌日、オフの日にピオニタウンを散策するサチコ。
とある神社にて宮司の愛塁呼の話を聞き、誠への思いにけじめをつけようと決心し、それを彼に伝える。
その日の夜、誠から呼び出されたサチコは、誠からの思いを告げられ――。
くたびれた布のソファにもたれながら、誠はガラステーブルの上に置かれた書類を見ていた。
リビングルームの大きな窓からは日曜の午後の日差しがやわらかに差し込み、TVからは旅のバラエティ番組が流れている。
誠はため息をついて書類を手元に引き寄せ、そこに書かれた内容を確認した。
あとは"夫"の欄を誠が記入して役所に提出することになっている。
誠は、ペンを手に取った。
翌日、市役所で散々待たされてようやく一通りの手続きを済ませると、もう昼前だった。
正面玄関の自動ドアをくぐってバスの停留所に向かう。次の市内循環バスが来るのは17分後だ。
家まで歩こうか迷ったが、歩きながらあれこれ考えてしまうのも嫌なのでそのまま待つことにした。
妻との離婚は非常にドライに成立した。
妻は定められた以上の財産を要求しなかったし、誠も妻を引き留めたりしなかった。
子供はいなかったし、借家住まいだったので、家に関する煩雑な手続きが要らずに助かった。
強いて言えば、老後に妻と旅行をしようと立てていた計画が無駄になってしまったことが残念だったくらいだ。
時間通りに来たバスに乗り込むと、車内の電光掲示でニュースが流れていた。
"5人に1人が75歳以上の時代 「定年」できない高齢者たち"
いまさら何を――と誠は思う。
超高齢化社会に向けての対策に、国が重い腰を上げたのは何十年前だっただろうか。
今や高齢化への危機感や絶望感を声高に叫ぶのは「時代遅れ」となっている。
誰もが高齢者となる時代の到来に、ほとんどの国民は備えているし覚悟も決めている。
なんと言っても、平均寿命が100歳に手が届こうというご時世だ。高齢化を嘆いていても仕方がない。
今は2048年。今年75歳になる誠にとって、人生はまだ先の長いものになりそうだ――
微かなエアーの音とともにゆっくりと体が起こされ、誠は目覚めた。
「随分と夢を見ていたようだけど、体調は悪くない?」
「――うむ、寝不足の感じはしないな」
「睡眠の質は悪くないみたい。でも、今日はカフェイン飲料を控えたほうがいいね」
「分かったよ、空良。今朝はコーヒーはやめておくか」
ここは誠の住む部屋。
彼のAIの名は「空良」、誠がシン・ヒノモトの住人になって以来、30年以上の付き合いだ。
世話焼きの息子のような"人格"をもつ空良を、誠は気に入っている。
「昨日は、妻と別れた時の夢を見たよ。久々にリアルなやつだ」
エアーベッドのマッサージとストレッチで体をほぐしながら誠は空良に話しかけた。
「45年前か……結構覚えているもの?若い時の記憶ほど忘れないというけど、当時誠は75歳だろ?」
「確かにな、夢見てる時は『ああ、リアルだな』って思うんだが、今思うと断片的で色々脚色もあるかもしれん」
妻が離婚届を持ってきたのが日曜であったこと。
丁寧で几帳面な字を見て、彼女らしいなと思ったこと。
日曜は役場が休みだから月曜に自分が出しておくと言って、妻をそのまま帰したこと。
誠は夢の内容を順を追って空良に話す。
ふんふんと相槌を打ちながらも、空良はやはりAIだ。
「オーケー、誠。ここまで理路整然と話せるなら問題ないね。今日の認知能力テストも合格!」
「ありがたいね、さて、もうベッドから降りていいかな。今朝は少し外を歩きたいんだ」
「バイタルチェックも問題なし。じゃあ朝食前に散歩に行こうか。今日はいい天気だよ」
「そりゃ楽しみだ」
ベッドから降りる時、自分の足に目が行く。
肌にハリはなく、シミも浮いている痩せた老人の足だ。
シン・ヒノモトでの若々しい自分を思い、苦笑いしかけたところで空良が明るい声を出した。
「自信持ちなよ。なんたって超絶若い彼女ができたばっかりなんだからさ!」
――付き合いが長いと、ふとした考えも読んでフォローしてくるんだからな……ありがたいやら怖いやら。
運動のしやすい格好に着替え、携帯端末を首から下げて誠は家を出た。
2階建ての低層アパートが誠の住まいだ。
それが20棟ほど並んだアパート群を抜けると、緑豊かな公園がある。
プールやトレーニング施設の入った室内運動場と、それを囲む1周600mのジョギングコース、あとは季節の草花を楽しめるちょっとした緑地という簡単な施設だったが、家族連れや子供たちのいないこのエリアには十分だった。
そう、ここはシン・ヒノモトのユーザーが居住する専用区域なのである。
仮想世界での暮らしを選択できるのは成人の単身者が原則のため、ここには子供用の遊戯施設や学校はない。
建物はアパートのほかには、生活必需品と飲食店を扱う商業施設と病院と消防と警察、そして室内運動場。
買い物は配達が一般的なので、この区域で最も大きな建物は配送センターである。
コミュニティスペースもあるにはあるが、仮想世界の交流で事足りるので、今ではほとんど使われていない。
全国にこのような専用居住区が数千あり、一か所につき数千人~1万人程度が住んでいる。
元々は大型ショッピングモールがあった場所で、平成から令和時代にピークを迎え、
その後衰退の一途をたどったそれの跡地問題の解決策としても、この居住区の在り方は理想であるといえよう。
誠は歩くペースに緩急をつけ、日当たりのいい芝生の広場で軽くストレッチをする。
道行く人と挨拶を交わし、顔なじみと当たり障りのない世間話をして帰宅すればきっちり1時間。
可能な限り毎日このルーティーンをこなすことが、誠の健康の秘訣になっている。
「お疲れ様。呼吸・心拍数・血圧とも問題なし。筋肉量もここひと月ほどで微増、上々だね。
朝食は30分後。フルーツとヨーグルトがあるから、パン食でいいかな?」
「身体年齢は?ちょっとは若返ったか?」
「またそれ聞くの~?今は81歳。一週間前と比べて±0歳!」
「簡単にはいかんか……」
「実年齢より40歳も若いんだから贅沢言わない!さ、汗で身体が冷えないうちに着替えてきなよ」
着替えて顔を洗い、洗面台の鏡に映った自分を見る。
そこにうつっているのは間違いなく老人なのだが、確かに「若々しく」はある。
――記憶だからアテにならんが、80代で死んだ親父と同じくらいの見た目はしてると思うんだよなぁ。
「120歳にしては老けてないと思うよ!」
「……考えを読むのはいいが、毎度フォローされるとかえって気になるぞ」
「そう言うなって。仮に80歳に見えたとしても、サチコちゃんとの年の差は埋まらないじゃん?フォローしようがないのは僕も分かってるからこそ、こうして気を使ってるんじゃないか」
全く正直なやつだと呆れながらも、誠は空良と軽口をたたきながら朝食をとった。
――近々、空良とも「あの事」について話し合わないといかんな。まさかこの歳でガールフレンドができるとは
思ってなかったから今まで考えもしなかったが……。
出勤日、誠は8時半にPCを起動し、シン・ヒノモトへのログイン準備を始める。
誠はフルトラッキングではなく、PCを使い、コントローラーでアバターを操作する方式だ。
ボイスはリアルタイムで音声を編集し、アバターの誠らしい声を合成している。
言葉づかいの微妙な修正は、誠の生活をトレースした空良が担っており、誠からしても驚くほど正確に発声してくれる。
だからシン・ヒノモトで誠と接する者は、彼が120歳の老人だとは気づかない。
AIによって的確にフォローされる、アバターを介した交流世界において、人々は様々な制約から解き放たれた。
年齢・性別・見た目・そして表面上のパーソナリティを自在に「設定」でき、容姿について理不尽な差別を受けることはほぼなくなった。
これが、シン・ヒノモトが国民に受け入れられた最大の理由である。
国が「仮想国家日本プロジェクト」を発足したのが2060年。
根強いルッキズム(外見重視主義)の思想や、ジェンダーの多様性への不寛容さが社会問題となっていた。
容姿や性差を理由に差別されたと感じる人が増え、小さないざこざの絶えない世界になった。
「やさしさ」「癒し」といったキャッチコピーを掲げる広告ばかりが増える半面、人々の心は疲弊していった。
政府は、そのように現実世界のあり方に悩みを持つ国民の第2の生活の場として、日本独自の仮想世界を構想した。
そして数年後の2062年、メタバース「シン・ヒノモト」が創設されたのである。
しかし意外なことに、シン・ヒノモトを最も歓迎したのは当時人口の30%近くを占めていた高齢者たちだった。
60歳で定年を迎えたものの、気力体力ともまだまだ充実したかつての「高齢者」は、若い時から仮想世界に親しんでおり、なおかつ単身者の割合も高かった。
そういった人々が100歳までの人生を過ごす場としてシン・ヒノモトを選択するのは無理もないことであった。
国がシン・ヒノモトのユーザーに用意した専用の居住区はあっという間に満員になり、次々と増設された。廃墟同然であったショッピングモール跡地に活気が戻り、建設に伴う経済効果もあった。
ある程度の年齢に達した単身者を集めて住まわせることで、医療や福祉の手も届きやすくなり、高齢者にとっての理想の生活モデルが確立された、それがシン・ヒノモト発展の理由となっている。
――この世界がなかったら、俺なんてとっくに生きがいをなくしてただろうからな、ありがたい話だよ。
オフィサーハウスでの今日の業務予定を確認しながら、誠はしみじみそう思った。
ピオニタウンで催事部の補佐を行っている誠には、文化センター使用者への合同説明会、タウンの年間行事スケジュールの確認が割り当てられていた。
簡単だが人と触れ合う仕事を続けていられることで、日々の生活にやり甲斐も生まれてくる。
さぁ、今日も一日頑張るぞ、と思ったところでメッセージが送られてきた。
差出人はサチコ。昼休みに相談があるのでテラスに来てほしいという内容だった。
――おまけにとんでもなく若いガールフレンドもできてしまうんだからな……。
やる気にほんの少しのときめきも加わって、誠は鼻歌交じりで午前の仕事をこなした。
空良はその鼻歌まで音声加工して流すことはせず、現実世界の誠に音痴だのチョイスが古いだのと茶々を入れるだけである。
ピオニタウンのオフィサーハウスは、外見上ひとつの大きな役所のような見た目をしている。
ただそれは見た目の分かりやすさのためにそうなっているだけで、アドミンとメンターには各自の仕事部屋が割り当てられている。使っていない部屋をオフラインにしたり、臨時で会議室を設置したりと、仮想空間ならではの職場である。
各自の仕事部屋も使いやすいようにカスタマイズ可能なのだが、初めてサチコの執務室に入った誠は驚いた。
「こりゃたまげた……!これはサチコさんの趣味だよな?」
艶のあるマホガニーの大きな机、革張りの椅子、壁の一面を占める書棚には何かのトロフィーや絵皿。
机の前にはガラス板のローテーブルとソファ。テーブルの上にはレースの敷物とガラスの灰皿――。
「はい!昭和のドラマの社長室を再現してみました!」
「うわ、額縁に社訓まで……!いいねぇ~ちょっと椅子座ってみてもいいか?」
「どうぞどうぞ!嬉しいな~。誠さんなら絶対気にいると思いました!」
ひとしきり社長ごっこを堪能し、より社長室らしくするためのアドバイスを求められた誠は、いくつかの提案をした。
「ふむ……机上には羽根ペンと書類を載せる革製のトレイ。入り口わきに木製のコート掛け、壁にはゴッホのひまわり……。なるほど、参考になります。ありがとうございます!」
「相談ってそれ?お役に立てたならいいんだけど……」
サチコはしまったという表情で赤面した。
「あ、いえ……相談というのはパートナー登録のことで……」
「あーそれね……」
シン・ヒノモトにはパートナー制度がある。夫婦や恋人同士という関係だけでなく、共同経営者、創作・芸能活動などビジネスパートナーとしての登録も認められており、税制や福利厚生面で優遇がある。
申請も解消も、現実世界の婚姻より手軽にできるため、優遇目当てで気軽に組むのもアリという制度だ。
サチコとの交際が決まった時、誠もそれを考えないわけではなかった。ただ俺たちの場合は――。
「俺も考えたんだけど、立場や年の差もあるし、面倒なことが増えるなら別にしなくてもOKだよ」
「えっ、しないんですか?」
「えっ、するの?サチコさんそれでいいの?!」
サチコは全く分からないという顔をした。
「いいも悪いも――この世界で生きるからにはアバター同士のパートナー関係は明らかにしておくべきです。あとになって、実は事実婚の仲だからさかのぼって優遇措置を適用してほしいというのが一番面倒な事案じゃないですか。ほら、ちょうど年度の切り替えで税金の計算もしやすいですし、年次有給も増えますよ」
データーを見せながら理路整然と説明をするサチコに、誠は思わず噴き出した。
「――?何かおかしなこと言いましたか、私」
なるほど、登録しておいてメリットがあるならする、世代による認識の差なんだなぁと誠は納得した。
「いや、ごめんごめん。サチコさんの言う通りで、俺の考えが古かった。じゃ、申請しておこうか」
「その件で――あの、私調べたんですが、結婚をする際には『直属の上司にお伺いを立てて、仲人のお願いを』ってあって。私達の場合、私が誠さんの上司にあたるわけですし、これはどうしたら……」
「結婚式まで昭和スタイルにしたい、それが相談の内容?」
「そういうことです。もちろんそうしますよね?」
誠は、サチコにその方法を断念するよう説得するのに、昼休みいっぱいを費やす必要があった。
「なるほど、誠さんの世代でも『地味婚』を選ぶ人が多かったんですね」
「そうそう、新郎新婦がゴンドラで降りて来たり、ドライアイスを焚いたりするのはもう古くてね」
「いきなり歌わされる人たちが、一様に『てんとう虫のサンバ』っていう歌を選ぶのも謎でした」
「それはあらかじめ指名されててね。1つの式で同じ歌がかぶったりね――って、だからそれはナシだよ!」
「えー……会場の一体感が生まれて楽しそうじゃないですか!いいなぁ派手婚……」
お祭り騒ぎのような派手な結婚式を説明すると、サチコがますますやる気になってきてハラハラしたが、
とりあえず「昭和スタイルの演出はラグが凄いことになりそうだ」という理由で納得してくれたようで、誠はほっとした。
せめてちょっとだけでも古風に、というサチコの希望で、ふたりのパートナー登録は大安吉日を選んで取り結ばれた。
意外な組み合わせに同僚たちは驚いていたが、みな好意的に受け止めて祝福してくれた。
誠の実年齢を知っているのはサチコだけだったが、年の差がある程度あり、現実の境遇も違う二人だとみんな分かっている。
だがそれを理由に反対されない世界があることに、誠は改めて感謝をするのであった。
サチコとのパートナーを同僚に報告した日の夜、シン・ヒノモトをログアウトした誠は空良に「終活プログラム」の変更を依頼した。
「終活プログラム」とは、シン・ヒノモトの住人のためにある、一種の遺言である。
ユーザーには単身の高齢者が多いため、突然の体調の異変や認知能力の低下によって、仮想世界での生活が円滑に行えなくなるケースが出る。
そういった場合に世界が混乱をきたさないよう、アバターの自分にどういう行動を取らせるかをあらかじめ決めておけるのだ。
そのためにシン・ヒノモトの住人には、生活を共にするAIが割り当てられているのである。
誠の終活プログラムは、認知能力テストが3日連続不合格になったら尊厳死(健康であっても100歳をこえれば尊厳死が認められる)を選択。その後1週間は空良にアバターを「誠らしく」操作してもらい、仕事の引継ぎ・上司や同僚への挨拶を済ませたのち、「自主退職」という体をとってシンヒノモトを去る――というあっさりしたものだった。
「これにサッちゃんの事をつけ足したいんだね?」
「そういうことだ」
誠はプログラムに『サチコへは終活プログラムであることを告げ、その段階でまだパートナーであれば誠の方から解消。各種の優遇措置については取りやめの手続きをする』と加えた。
「そんな事務的なことでいいの?なんかこう、最後に今までの感謝や愛を伝えるとかさぁ」
「まだ付き合って間もないのにそんなん重いだろ。あ、でも――」
『残っている有休を1日使って、誠のこれまでの人生や昭和という時代についてサチコに語る時間をとる』という項目も付け加えた。
「あくまでサッちゃんが希望した場合、ってことでいいよね」
「いや、これは強制」
「重っ!そのほうが余程重くない?!」
軽蔑すらにじませる空良に、誠は笑って答えた。
「『年長者の話はありがたがって聞くべし』これぞ昭和のマナーだろ。くれぐれも頼んだぞ、空良。昭和のおっさんの俺らしく、だらだらと何度も同じ話をするんだぞ?」
「嫌われるの僕じゃん、いやすぎる~!」
「よーし!これでいつ死んでも大丈夫だな。肩の荷が下りたら腹が減った。今日はラーメンでも出前するか!」
ぶつぶつと文句を言いながら中華料理屋のメニューを表示させる空良をまあまあとなだめながら、誠はぼんやりと自分の死生観のようなものを考えた。
仮想世界では生きがいをもらえると同時に、死についても自分で決めなければいけない。
誠がシン・ヒノモトの住人になったのは90歳近くなってからだが、最初の「終活プログラム」登録には時間がかかった。
「自分が死んだ後どうするか」をPCの画面にチェックを入れるだけで決めてしまっていいのかという迷いがあったのだ。
当時は空良もまだAIとしてこなれておらず、誠の考えの助けにはあまりならなかった。
数日をかけて登録を済ませたとき、誠は自分で一つのけじめをつけた達成感があったのを覚えている。
それから幾度かプログラムの変更をして今に至るわけだが、最初のような迷いは誠の中に既になく、自分の死後も、このプログラムが万事滞りなく進めてくれると考えることで安心感すら生まれていた。
――つくづく、不思議な世界だな。もし過去に戻れるなら、昔の俺に言ってやりたいよ。
「お前があの時した選択は間違ってないぞ」ってね。
※note掲載分と書き溜めた部分はここまでです。今後は不定期に更新していきますので、気長にお付き合いください。予定では10話ほどで完結します。