第3話 2136年にはハレー彗星をみて
【第2話のあらすじ】
AIのラモの後押しを受けて、2度も告白をしたものの、誠との年の差を知って戸惑うサチコ。
100歳差を理由に諦めるか、恋心に正直になるか。
そんな迷いを抱えたまま、サチコはオフの日の朝を迎える――
「失恋の癒し方 確実」
「――やめなって……」
「恋心 忘れる どのくらい」
「だからやめなって、そんな検索するの」
「もうどうしたらいいかわかんないんだもん……検索結果を教えてよ、ラモ」
「たしかに、ワタシが誠さんの年齢を読み違えたのも悪かったけどさ、サチコもちょっと強引だったと思うよ?」
「うん……ホント何やってるんだろ私」
シン・ヒノモトをログアウトしたサチコは、着替えることもなくベッドに倒れ込んだ。
混乱と後悔と悲しみとショックと自責の念が渦巻いて、頭も心もぐちゃぐちゃだ。
実年齢が120歳であると誠の口から聞いて、サチコは絶句してしまった。
どう答えようか、何かを言わなければと考える余裕もなく、ただ黙り込んでしまったのだ。
ふと我に返ると誠の姿はなく、その時初めて自分の行いの愚かさに気づいた。
自分の思いを伝えることばかり考えて、相手の気持ちを考えていなかったばかりか、誠がおそらく隠していたであろうことまで明かさせてしまった。
「……謝りたいなぁ、誠さんに」
自分本位に振舞ったことの恥ずかしさと、誠への申し訳なさを思うだけで、消えてなくなりたいくらい恥ずかしかった。
「明日はオフでしょ。少し時間を置いて頭を冷やして、このつぎ誠さんに会ったら謝ればいいよ」
おやすみ、と言って、ラモは部屋の照明を落とし、いつもより少し穏やかな睡眠導入BGMを選んだ。
翌日、サチコはピオニタウンをうろうろしていた。
オフ日なのでシン・ヒノモトにログインしなくてもいいのだが、ここのところ仕事に身が入っていなかったので、今まで視察したところをおさらい代わりに歩いて回ってみることにしたのだ。
ピオニタウンはかつてのベッドタウンに似せた閑静なたたずまいの街である。
大きな店や目立つ観光地はないが、のんびりとした雰囲気が好まれるのか、ユーザー数も順調に伸びている。そういえば、どうしてここはタウンのままなんだろ。この人口ならシティになっていてもおかしくないのに……。
そんなことをぼんやりと考えながら歩いていると、目の前に大きな鳥居が現れた。
鳥居の脇には石の道標のようなものがあり「八九神社」と彫られている。
仮想世界には珍しい、立派な本殿のある神社で、絵馬掛けには変わった形の絵馬が掛かっている。
「こんにちは市長さん、お参りですか?」と参道を歩くサチコに誰かが声をかけた。
振り返ると、正装をまとった神職の女性がにこやかな笑みを向けていた。
「はい、今日はオフなので散歩がてら――立派な神社ですね」
「ありがとうございます。この八九神社はeスポーツの神を祀っています」
eスポーツ……なるほど、あの絵馬はゲームコントローラの形だと合点がいった。
女性は宮司の"愛塁呼"だと名乗った。
この八九神社が、現実世界にある野球の神を祀った神社の分祀にあたることから、野球にちなんだ名前を付けているのだという。
「若年層の人口が減り、現実世界で野球を嗜む人はほとんどいなくなってしまいました。ですから仮想世界に分祀が決まった時、祭神をそれに合った形に変えたのです」
「興味深いですね。どんな神様なんですか?」
「シチロー様と邑神様です」
「へぇ……なんだか親しみやすいお名前の神様」
「プロ野球からeスポーツに転身されて、今でも現役でご活躍です」
「?!神様ですよね??」
「仮想世界ですから、逆に神様は生身がいいかと思いまして」
「生身……」
「今年はシチロー様の御生誕120周年ですから、ファンミ……降臨の機会も設けられるんですよ」
「120歳!」誠と同じだ。
「びっくりですよね。それでもまだeスポーツ界のトップを走ってらして、これを神といわずになんと言いましょう!」
頷くサチコに愛塁呼は続けた。
「人類が100歳をこえても生きる時代が来た時、高齢化を嘆いた人も少なくありませんでした。ですが私は、長く生きた人が、直接人生経験を語り広めることで歴史を共有できる時代になったのだと考えます。書物でも電子でもなく、肉声を通じて歴史を知れるなんて、幸せだと思いませんか?」
愛塁呼の言葉が、サチコの心に沁み込んでくる。
サチコの自分本位で一方的な恋心は実らなかったけれど、誠との関係はそれだけじゃない。
自分が愛してやまない昭和の時代を生きた彼と、もっと話がしたい。彼の話を聞きたい。
靄が晴れたような心持ちで、サチコは神社を後にした。
日差しが傾き始めた頃、サチコは高台の公園にいた。
遠くに見える八九神社の大鳥居が、彼女の歩いた距離を物語っていた。
何時間もフルトラで歩いたのでかなりの運動量になっている。
帰りはポータルから戻っちゃお。どこか近くに――
「サチコさん?!」
振り返ると誠がいた。
予想外の出会いに言葉が出ない。
「オフなのにどうしてここに……もしかしてフルトラで歩いてきたのか?ここまで?」
若いねぇと笑う誠。でもサチコは曖昧な笑みを返すしかできない。
「疲れただろ?」
頷いて「どこかポータルがないかと思って……」ともごもごというのが精いっぱいだ。
「公園の反対側にあるけど、ちょっと距離あるぜ?歩行だけでもオートにしたら?」
普段通りに話してくれる誠の気遣いがサチコには却って辛いものだった。でも――
「誠さん、色々と……ごめんなさい!」深々と頭を下げた。
誠は一瞬びっくりしたようだが、すぐに笑顔になった。
「謝ることじゃないって。俺も気にしてないし、サチコさんも気にすんなよ?」
「でも……あの、年齢のこと、聞きだすみたいになっちゃって」
「あ、それだけは黙っててくれると助かる。誰にも言ってないんだ」
あと……と誠は続けた。
「サチコさんが嫌じゃなければ、昭和マニアとして俺に色々聞いてくれよ。話題が通じるやつがもうあんまりいなくて、俺も話したくてうずうずしてたしな」
「……ちょっと歩行トラッキングをオフにしますね」
マイクをオフにして、サチコは現実世界でラモに言った。
「表情のトラッキングを切って、あっちの世界では笑顔が見えるようにして。あとボイスの補正よろしく」
「了解」
「もちろん、喜んで!これからは昭和マニア仲間としてよろしくお願いします!」
仮想世界のサチコは満面の笑みで、はつらつとした声で誠に答えた。
「俺の場合、マニアじゃなくて現役だけどな」
誠の笑顔に、サチコも微笑み返すことができた。
そこから公園のポータルまで連れ立って歩き、また明日と言って別れた。
「サチコ、えらかったよ」ログアウトしたサチコに、ラモがねぎらいの言葉をかけた。
「あでぃがど…」
涙と鼻水でぼろぼろになった顔でサチコは言った。
誠を好きな気持ちはまだ消えていないけれど、神社で聞いた愛塁呼の言葉を何度も思い出した。
誠の生きた昭和時代の話を聞けるだけで、サチコは彼の歴史を知ることができる、それで充分幸せだ。
ああして誠も喜んでくれているし、「仲間」という関係を続けていけば、いつか失恋の痛みも忘れられるだろう。
サチコは盛大に鼻をかみ、クローゼットの扉を勢い良く開けて、明日の服装を考え始めた。
シャワーを済ませて、昭和歌謡の配信サービスを適当に流しながら夕食のデリバリーを待っていると、メッセージの着信音がした。
「誰?」ラモに尋ねた。
「……誠さん、だけど……」
「えー!な、なんだって?」
「んー……これは一体……?」ラモは言い辛そうにした。
「おーい、こっちこっち!」誠は手を振った。
「お待たせしました……見せたいものって……」
誠からのメッセージには、見せたいものがあるから、さきほどの公園の高台に来てほしいとあった。
「俺の一大プロジェクトなんだけど、今夜は特別に」誠は夜空を指さした。
「わぁ――!」
夜空に長く尾を引く彗星が見えた。
「俺がプログラムを組んだんだ。ハレー彗星はわかる?」
「はい!前回は私が生まれる10年以上前で、両親は見たって言ってて……」
「俺はその前見てるんだ。1986年、まだ中学生だった」
「へぇ……」動画でしか見たことがない彗星に、サチコは見とれた。
「前回の2061年んときはまだここがなくて実現できなかったけど、次はこの世界でハレー彗星を見せたいんだ」
「次っていつですか?」
「2136年ごろかな」
「そんなに先?!」自分の年齢を計算すると、63歳になる。ということは誠は……。
「俺は160歳超えるけど、誰かが手伝ってくれたらいけそうな気がすんだよな」
「……」
「どう?その頃にはサチコさん定年で暇してるだろ?一緒にやってくれない?」
二つ返事でやると言いたいところだが、誠の真意が量りかねてサチコは言葉が出なかった。
誠は頭を掻いて「すまん、回りくどかった」と言って、一呼吸置いた。
「俺と一緒になってくれないか?」
「えっ?」
それって――まさか、本当に?夢じゃない?だって私は昼間誠さんにフラれて……。
ああどうしよう、夢じゃないって確かめるには……そうだ確かほっぺたをつねる確認方法があった。
んあーー!痛くない!やっぱり夢だ……あれ?でもここは仮想世界!痛くないはずだわ!
痛覚のトラッキング今から間に合うかなぁ……。
「もしかして夢かどうか確認しようとしてほっぺたつねってるのか?」
「――!!」誠にはお見通しだったらしい。
「夢じゃないよ。俺はサチコさんに告白したんだ。一緒になってほしいって。サチコさんが飽きるまででいいから――」
「は、はいっ!なります!一緒に!飽きません!ずっと飽きたりしません!」
「そりゃよかった」
星空が見えるように暗くした公園だったが、誠の嬉しそうな笑顔をサチコは見ることができた。
「嬉しいけど……でもどうしてですか?」
誠と二人並んで座って、ほうき星の尾っぽを見ながらサチコは聞いた。
「夕方ここで会った時――俺に謝ったときね、サチコさん泣いてただろ?」
「……バレてましたか」
「俺に気遣いさせないように笑顔で気丈にさ、誠実で偉いよなあって思ったんだ」
「その時言ってくれてたら、ログアウトしてから大泣きしないで済んだのに」ぶつくさ言うサチコ。
「プロポーズっていうのはな、できるだけロマンチックな舞台を作って、男からするもんだ。女に言わせるなんて――」
「昭和の男の名がすたる、ですか?」
「そういうこと!」
こういう誠らしいところをこれからたくさん見ることができる、とサチコは嬉しくなった。
100年の差なんてすぐに埋まるくらい、彼のことを知りたい、この世界で。
仮想の世界の片隅に生まれた、100歳の年の差カップル。
人類史上初のこのラブストーリーは、彼らの周囲を巻き込んで仮想世界の未来を変えていく――。