第1話 アバターに恋して
メタバース元年と言われた2022年から数十年。
難病の克服と再生医療によるアンチエイジング技術の向上で、日本は超高齢化・超少子化社会となっていた。
国は、高齢者の生活の場として仮想世界の「シン・ヒノモト」を創設。
そこで人々は、年齢も性別も自由に選択できるアバターの姿で暮らし、第2の人生を謳歌している。
シン・ヒノモトの住人には日常生活をともにするAIが割り当てられ、それと家族や友人・相棒のように親しんでいる。
小説の舞台はシン・ヒノモトの町のひとつ「ピオニタウン」。
時は2093年、ピオニタウンのアドミンに就任した二十歳のサチコは、仕事に熱が入るあまり暴走してしまった。
そんな彼女を諫めながらも的確にフォローをする部下の誠に、サチコは恋心を抱いてしまう。
サチコの初めての恋の行方は――?
”一目見て運命の人だと分かった”
”ビビビッときた”
”モノクロームの世界で彼だけが色づいて見えた”
「……わかる!」
モニターに表示された「恋に落ちた瞬間のサインとは」の検索結果を読んで、サチコはしきりに頷いた。
彼との初めての対面がまさにそうだった。
20年生きてきた中で抱いたことのない感情に戸惑いながら、サチコは次々に検索していく。
「恋に落ちるとどうなる 動悸 睡眠」
”目を閉じても相手の顔が浮かんできて眠れない”
”交わした言葉を思い出すだけでドキドキする”
「すごい…本当にその通り!さすが先人の経験は貴いものがあるわ!」
少し癖のある薄いブラウンの髪の毛をくしゃくしゃとかきむしって、
ベッドでひとしきりじたばたと悶えたサチコはまた次の検索ワードを――
「あ…愛の告白の仕方……」
「もう寝なよサチコ」
「これだけ!あとこれだけ教えて!」
「何時間やってると思ってんの。明日も早いんでしょ、もう寝た寝た!」
「でも……」
「寝不足によるパフォーマンス低下はタスクの進行を妨げるんだよ」
「眠れないかも…」
「寝不足の顔は魅力が30%低下するという統計が」
「寝る!おやすみラモ!7時に起こしてね!」
心地よい睡眠導入BGMとリラックス効果のあるアロマに満たされた部屋で、サチコは眠りについた。
人生初めての恋の予感にわくわくとしながら。
そしてもちろん、サチコにも、AIの「ラモ」にも予想はできなかった。
明日の夜、サチコが「失恋の癒し方」という言葉を検索する羽目になろうとは――。
サチコが”彼”に初めて出会ったのはピオニタウンの駅前だった。
アドミン(管理者)としてピオニタウンに配属されたばかりのサチコは、サブアドミンの佳織の案内で中心街の視察をしていた。
ピオニタウンの駅はレンガ造りの外観で、かつての東京駅を模したものであり、レトロ好きのサチコは一目見て気に入った。
「ピオニタウンには比較的年齢の高いユーザーが住んでいます。だからオーミヤシティのようなサイバー外観は好まれないんですよね」
駅舎に見とれるサチコに、佳織は説明を続けた。
「駅周辺は広いスペースと控えめな建築で、ラグを最小限にする工夫がされています。北に延びる商店街も、読み込みしづらい高層建築は禁止なんです」
「この辺に緑が少ないのもそのせいですか?」
「精巧に作られた樹木はラグを生みますからね。でも5月になれば町のシンボルである牡丹を広場いっぱいに設置するんですよ」
「へえ…それは楽しみ!」
ここは仮想世界内にある町のひとつ「ピオニタウン」。
今は2093年、「メタバース元年」と言われた2022年から数十年経ち、人々は現実世界と仮想世界に分かれて暮らすようになった。
理由は、人類の寿命が延びすぎたためである。
医療の発達で、人々はがんを克服し、再生医療によって数々の難病の治療が可能になった。
その結果、人類は理論上180歳まで生きることが可能になり、超高齢化・少子化社会の問題が深刻になる。
人口が6500万人にまで減った日本政府が取った方針は、まず「高齢者」という概念をなくすことであった。
日本がかつて経験した「バブル景気」と言われる好景気の時代に生まれた世代が80歳を過ぎてもなお元気でいたことから、高齢女性を「ジュリアナ女子」と呼ぶなど、世間的にも「老い」を「生き物としての劣化」と考えない風潮が強まっていた。
アンチエイジング技術の進歩もそれに拍車をかけ、今や「100歳を人生の半ばとす」世の中である。
しかし、総人口の減少に歯止めはかからず、特に労働者人口の減少は危機的になった。
まずはレジャー・娯楽、次に服飾・美容分野が人手不足に陥り、お洒落をして遊びたいが遊びに行く場所がない、着ていく服が手に入らないといった問題が起き始めた。
そこで国が取った施策は、新たな生活の場としての仮想世界の活用であった。
ある一定の年齢に達した国民に、現実世界で生きるか仮想世界で生きるかの選択をさせ、仮想世界においては「アバター」とよばれる自分の分身を使って自由に暮らせるようにしたのである。
レジャーやお洒落が仮想世界のデータで賄えるため、現実世界では生活必需品があれば事足りる。
しかも年齢も性別も容姿も好きに選べ、居住地も(一定の制約はあるが)自由となれば、喜んでその人生を選ぶものが当然出てくる。
いや、予想以上に出てきたのである。
政府が仮想世界の構想を正式に発表したのが2060年であり、当時60歳を迎えた世代は、産まれた時からインターネットやゲームの世界になじんでおり、その世界で生きることに抵抗が少なかった。
むしろ「二次元で生きられる未来キタコレ」と感動をもって迎えられたのである。
そして日本は、トーキョー・オーサカ・ナゴヤ・フクオカ・センダイの5大都市をキャピタル、その周辺の都市をシティ、居住地をタウンと位置付けた仮想世界「シン・ヒノモト(この呼称には国民の相当な抵抗があった)」を2062年に立ち上げ、住人を募った。
シン・ヒノモトは「建国」からわずか3年で2000万人のユーザーを獲得し、国民が仮想世界をメインの人生とする時代の幕開けとなった。
AIエンジニアの両親のもとに生まれ育ったサチコは、幼いころから仮想世界に親しみ、将来その世界の構築に携わることを夢見ていた。
6歳で学士、10歳で博士号をとった彼女は、自治体の行政を担うAIの開発で実績を上げ、16歳という若さにしてタウンのアドミン(市長クラス)の資格を取得した。
サチコは18歳から2年間、オーミヤシティのサブアドミンの1人として行政を補佐し、今年晴れてこのピオニタウンのアドミンとして市政を担うことになったのだ。
「ピオニタウンをシティに格上げするために、私全力で頑張りますね!」
「ふふ、期待していますよ、サチコ市長。ときに、サチコ市長のアウターはとても古…レトロスタイルですね」
「これお気に入りなんです。あとどうぞサチコって呼んでください」
今日のサチコのアバターのいでたちは、モモンガのように袖の広がったトレーナーに、裾のつまったタイトなジーンズ、ハイカットのスニーカーである。
トレーナーにはイラストタッチの男女がどーんと描かれており、それ以上にでかでかとWONDERFULの文字がプリントされている。
「80年代――1980年代のファッションが特に好きで。いいですよね、昭和レトロ!」
「昭和、ですか……教科書の歴史の世界ですね。博識~…」どう褒めたものかと悩んだ末に、佳織は言葉を濁した。
「実はリアルも同じ格好をしてるんです!」
「あっ、そうなんですね。あれ……なんでしょう、ここすごくラグくないですか?」
ますます返答に困った佳織は、場の違和感を都合よく話題の転換に使った。
歩みを進めようとしたサチコも、足の重さに気づいた。
仮想の世界で”足”というのも妙だが、場に負荷がかかりすぎるとデータの読み込みに障害が出てアバターが動かしづらくなるのだ、それをここの住人は「ラグい」「重い」と言う。
「あっちですね。駅のポータル(玄関口)付近に人が大勢いるようです」
いやに大きな音楽を鳴らし、拡声器のようなエフェクトをかけた声で何事かを叫ぶ一団がたむろしていた。
目立つようにビカビカと光る看板まで掲げている。あれでは負荷が高まって当然だ。
「あぁ――またあの人たち、いやんなっちゃう」佳織はため息をついた。
「リアリティアバターの優遇をなくせー!」
「すべてのアバターに平等を!」
「アンチリアルアバターお断りの店に重課税を!」
駅前で高負荷の大騒ぎをしているのは、どうやらアバター差別に抗議する団体のようだ。
光看板には「アバター格差をなくすARA党」と書かれている。
「何かのデモ活動みたいですね。ARA党とは?」
「anti-real avatarの略らしいです。私達のようなリアリティアバターがこの世界で優遇されているという思想の下で、全てのアバターにとって平等な世界の創成を目指すということが信条の団体です」
サチコの目がキッと吊り上がった。
「ピオニタウンは未だにアバター差別の残る土地柄なのですか?」
仮想世界においてのアバター差別は、現実世界での人種差別に相当する。
現実世界よりはるかに多様な姿のアバターがあるこの世界で、単にその見た目だけを理由に優遇したり差別したりすることは、最高法規で禁じられている。
急にアドミンの顔に戻ったサチコの視線におののいた佳織は、慌てて弁明した。
「そ…そんなことは全くありません!ピオニタウンのアドミンにもメンター(指導者)にもアンチリアルアバターはいますし、このご時世にアバターの種類で入店を断る店なんてあったら大問題ですから。ただ……」
「ただ?」
「サチコさんには分からないかもしれませんが、ああして騒がないとやってられない人もいるんです、この仮想世界には」
「あれを楽しんでやっていると?」サチコは全く理解できないという顔で、大騒ぎの一団を見やった。
「仮想世界は、自由で平等で、何でもできる世界です。年齢にも見た目にもとらわれないで、ありのままの自分で居られる世界」
「私もそう思います」
「でもその『自由』を不自由に感じる人も少なくありません。それがああいった行動に出てしまう」
「――自由が不自由に?」サチコはますますわからないといった顔をした。
「自由にしていいというのは、すっごくポジティブなようでその反面しんどいものなんです…特に、あまりポジティブでない人にとって。サチコさんは自由にしていいと言われたら何をしますか?」
「昭和の若者文化の風情が残るハラジュクに行って、クレープを食べて露店でアイドルの生写真を買います!」
「……即答ですね。好きなものがある証拠ですし、それがサチコさんの個性であり自己表現にもなってます」
サチコは頭は悪くないし(むしろかなりいい)、察しも良い方だ。
佳織の言わんとすることをすぐに理解することができた。
「ポジティブな自己表現ができない人たちにとっては、ああいったことがその代わりになってるんですね」
迷惑としか思えない大騒ぎが自己表現――そう考えると気の毒に思わないでもない。
「そういうことです。声はすごく怒ってますけど、内心ウキウキしてると思いますよ」
サチコは往来を見渡した。駅前広場からポータルに向かう人はその一団を奇異な目で見たり、迷惑そうに苦笑いを浮かべたり、あるいはラグに耐え切れず、固まったように立ちつくしたりしている。
「――いくら自己表現が尊重されるとしても、あれは最早迷惑行為です。アドミンとして見逃せません」
佳織が止める間もなく、サチコはつかつかとデモの集団に近づいていった。
一団の何人かがサチコに気づき、何事かを言おうとしたのを遮ってサチコは口を開いた。
「SecurityAI-スターレット起動。ピオニタウンの座標1.12.11地点に複数のグリーファー確認。直ちに対処を」
「スターレット」はアドミンにのみ使用が許可されているセキュリティAIだ。
このAIを用いれば、迷惑ユーザーやなんらかの非常時に、アドミン権限においてユーザーの行動を操れる。
サチコはこのデモ活動をグリーフィング(迷惑行為)とみなして、その権限を発動した。
「スターレット、了解しました。14名のグリーファー確認。移動ロック、テレポートブロック、カメラ固定、チャット制限完了。高負荷アイテムの無効化完了。アドミンの判断を待ち、ペナルティを執行します」
「ご苦労様。さて、このデモの主導者は誰?」
完全に動きをブロックされた一団は、なすすべもなくただおろおろとするだけだった。
特に「ペナルティ」の一言が効いたらしく、しゅんと下を向いてしまったものがほとんどだ。
「アドミンがこんなことしてただで済むと思ってるんですか?」
そんな中、一団の先頭から甲高い声が上がった。デモのリーダーらしい。
豊満な肉体をかっちりした濃紺のスーツに包み、理知さを示したいのかフォックス型の眼鏡をかけている、
そして頭部は蛇――その威圧感に一瞬ひるみそうになったが、サチコは言葉を返した。
「ただで済まないのはあなた達の方です。公共の場でのデモ活動、高負荷アイテムの使用上限も超えています。ラグを発生させ、往来を妨げるのも違反ですよ」
サチコは毅然とした態度ではねのけた。反省してくれればお咎めなしで解散させるつもりだったので、まずは相手に自分が悪いと分からせる必要がある。
しかしヘビ頭の女性は臆することなくサチコに反論した。
「――で?私たちは不当に差別を受けたことを訴えているんです。この活動をさせるに至った者、
リアリティアバターの処罰が先ですよ」
「ではあなたが差別を受けたという証拠を提示してください」
「そんなのあちこちで起きてます。みんな言ってますよ」
「……みんな?」
困惑して佳織の方を振り返ると、佳織は肩をすくめて首を振っていた。
「ほら!あのアドミンもリアリティアバター!やっぱりピオニタウンはアバター差別が酷い!」
「聞き捨てなりませんね。ここにはアンチリアルアバターのアドミンもいて――」
「そういう問題じゃないんですよ!話になりませんね。もういいです」
話にならないのはどっちだ――と呆れかえったが、なるほど、佳織が言っていたことが少し理解できた。
これは軽率に相手してはならない相手だったのか、厄介なことになってしまったなぁ……とサチコは頭を掻いた。
「おいっ!爺さんどうした!」
その時、人ごみの後方から叫び声がし、けたたましいエマージェンシーサインの音が鳴り響いた。
「あんたら邪魔だ!アドミンいるんだろ、何とかしてくれ!」
デモの一団はぎょっとしたが、行動制限のためによけることはおろか振り返ることも出来ずにいる。
サチコがサイレンの方に回り込んでみると、倒れた老人とそれを抱き起こそうとする若者がいた。
アバターを操作する側の人間は生身なので、現実世界で何らかの非常事態が発生することがある。
しかし仮想世界のアバターは、操作主の状況を反映して病気になったりケガをしたりはしないので、緊急事態にはバイタルサインを読み取り、アバターを通じてサイレンを鳴らす仕組みになっている。
倒れ込んだ老人のアバターは赤く点滅し、サイレンも段々と危機感をあおるボリュームになっていく。
相当深刻な事態ということは見て取れた。
「え…と、このサイレンは――」
急な状況変化に頭がついていかず、サチコはまごまごとした。
まずはマニュアルを開いて……でも先に医療機関に通報?ああもうどうしたら――困惑しきったそのとき、サチコの端末の起動音がした。
「スターレット、自動スタートアップします。急病人のバイタル確認が済み次第、医療機関に通報。通信環境改善のため、付近のユーザーを強制退去させます。退去後は保全のためこのエリアを立ち入り禁止とします」
セキュリティAIが次々と一団を消していく――消すと言っても散り散りに適当な場所に飛ばし、一定時間はここにもどってこられないようにするだけだ。
「あ…ありがと、スターレット…」サチコはほっとした。
「お安い御用です。グリーファーたちの情報を本部に報告しますか?」
少し考えて、サチコはそれはいいと言った。
「いいんですか?」佳織はちょっと意外そうだ。
「はい……確かにハチャメチャな人たちではありましたけど、『差別を受けている』という訴えにペナルティを科して終わりというのは違う気がして。トンチンカンな人たちではありましたが」
「ハチャメチャでトンチンカンな連中にも寛大なんだな、新市長さんは」
拍手をしながら言ったのは、さきほど倒れた老人を助けようとしていた男だった。
生地のくたびれたオーバーサイズのジャケットに白いTシャツを合わせ、色の褪せたジーンズを穿いている。
肩に届きそうなゆるいウエーブのかかった髪を無造作に掻きあげながら、男は名乗った。
「どうも初めまして。メンターの誠です。市長さんの見事な初仕事ぶり、拝見させてもらっちゃいました」
見事だって?なんだか引っかかる言い方をされて、サチコは曖昧に笑うしかなかった。
「棘がありますよ、誠さん。さっきのは私が前もってサチコさんに言っておかなかったのが悪いんです」
佳織は誠と名乗った男をたしなめ、倒れたままの老人を見やると眉をひそめた。
「それと斬武さん。先ほどのサイレンや光の演出は、本物のエマージェンシーサインに似すぎてますよ」
「??どういう、ことです…?」
「あと本当の姿に戻ってください。お爺ちゃんの姿でサチコさんに挨拶するつもりですか?」
倒れたままピクリとも動かなかった老人がむくりと起き上がった。
サチコはヒッと声を上げると、3人を交互に見つめた。
「まさか……さっきのはお芝居ですか…きゃああっ!」
立ち上がった老人はいつの間にかロボットのような姿に変わっていた。
「ドーモ、ザンブ、デス」
「ちゃんと挨拶する!」佳織が蹴りを入れる。
「失礼しましたっ!初めましてっ!自分はメンターの斬武ですっ!」
彼が先ほど佳織が言っていたアンチリアルアバターのメンターか、とサチコは合点がいった……と、同時にスターレットに問いかけた。
「スターレット、自治体職員が公務中に不用意にアバターを着替えるのは違反?」
「不用意という定義が曖昧なので判断しかねます。具体的にお願いします」
「では――老人の姿になって病気のふりをして一般市民を混乱させることは?」
えっ、と斬武は絶句した。
「違反です」
「さらにエマージェンシーサインに酷似したシグナルを公共の場で出すことは?」
「違反です」
「ちょっ…ちょっと待ってくださいよ!あれはいつもの」
「それを度々行っているということですね。斬武さん、後ほどあなたはメンター資格はく奪の審議にかけられます」
非情な処分に抗議しようとする斬武を誠が遮った。
「斬武をクビにすんのはいいけど」
「いいの?!」斬武は悲鳴を上げた。
「代わりのメンターはすぐ補充してくれるんだろうな?」
「ウラワシティの本部に申請し、できるだけ早く人員を確保します」
「うちとこの事情をちゃんと分かって働けるメンターを頼むよ。AI頼みじゃない人をね」
そうか、誠というメンターは先ほどから私のやることが気に入らないんだ、とサチコは理解した。
「法に従った判断のできるAIに頼ることの何が悪いのですか?状況によって判断が変わるようでは
規則を作った意味がなくなってしまいます」サチコは譲らない。
「ほー…で、さっきそのAIは何かを解決したっけ?俺には事態を悪くしたようにしか見えなかったけど」
「――!!」
たしかに、先ほどの場面においては、グリーフィングと決めつけてスターレットに対応させたことが
トラブルの発端になってしまった。結果的にはルールを逸脱した誠と斬武が事態を収めたわけだが、
だったらルールは一体何のために……。
サチコは自分の足元が揺らぐのを感じて、黙り込んでしまった。
人気のなくなった駅前のベンチに腰掛けて、サチコに改めて状況が説明された。
ARA党と称するアンチリアルアバターの集団のデモ行為は日常茶飯事であった。
デモ行為自体は違法ではないし、他のユーザーや街の環境に実害はないものの、ただひたすらに根拠のないデマを叫び、場にラグを生じさせるので
「なんか、ふんわりと迷惑な人たちなんですよ」
「ふんわりと、ですか…」
「でもああして難癖付けるだろ?だから俺らメンターがあんな感じで解決するわけ」
「本気でバチバチやろうとは思ってないんです。そりゃ自分のしたことは違反かもしれませんが……」
「そもそもは私の判断ミスです。それを収めようとした斬武さんは私を助けてくれたことになるのに――」
「ま、まあそんなにしょんぼりしなくても、な?」誠がおろおろとフォローする。
「色々教えてくれて感謝します。今度からは気を付けます」
「お、おう…」
素直に頭を下げるサチコに面食らったのか、誠はややどぎまぎしている。
「あの……誠さんはおかけにならないんですか?」サチコは少しつめて自分の隣をポンポンと叩いた。
「あー…まあ、俺は立ってる。リアルは座ってるしな」
「私も、立ってるほうがいいと思います…あの、そのジャケットとジーンズのバランスが映えるから」
おっという顔で誠はサチコを見た。
「そーなんだよ!このだぼっとしたジャケットの裾さ、座ると台無しなんだよな!」
片足に重心をかけて立ち、片手をポケットに入れて、格好をつけたようにまた髪をかき上げる。
「態度悪いですよ、まこっさん。あとその服浮いてます」斬武がからかう。
「誠さんはお洒落ですよ…?このままホコ天に繰り出せるくらいに」
「だろー?言われてみれば、市長さん、いやサチコさんもずいぶんナウいかっこだなぁ!」
「ええっ!ナウいですって!生まれてはじめて言ってもらえました……カンゲキ!」
「盛り上がってるとこすみませんが、私達にもわかる言葉でお願いします」
佳織が呆れたように(内心では剣呑とした雰囲気が消えてほっとしながら)制した。
ピオニタウンでの初めての視察を終えて、シン・ヒノモトからログアウトしたサチコは大きく息をついた。
色々なことがあったなあ、今日は……。
シャワーをしている時も、その間に届けられた軽食をとる間も、寝る前のストレッチをしている時も、サチコの脳裏には彼の顔がちらついた。
絶対の自信を持っていたAIの採択を否定された事への怒り?
判断ミスを自覚させられた悔しさ?
そうじゃない。
彼――誠の顔を思い出すと胸を満たすこの思いは……。
そして冒頭に戻るのである。
これからもっともっと、誠さんと仲良くなれたらいいなぁ
そんな風にぼんやりと考えながら、サチコは夢の中へと落ちていった。
**第2話へつづく**