良き友よ
時は春秋時代
良き友よ
諸葛亮孔明は
呉軍の将校に訊いた
「よくもまぁ、
このようなくだらぬ品を図々しくも
持ってこれたものだ」
そう言って諸葛亮は
呉軍の将校が持参した
絵巻物を地面に投げつけた。
「孫堅に伝えてくだされ」
「孫尚香を嫁に出さぬのならば、力で貰いに行くと」
「そうお伝えください」
「孔明殿、金品ならば用意いたします。
されど孫尚香を敵軍に出す事は出来ません」
「うるさい」
孔明は関羽にやってしまえと
袖を振って合図を送った。
それを見て関羽は
自慢の髭をゆっくりと肩に回し
青龍偃月刀を持ち上げて
よしわかったと
3回頭上で振り回した。
それを見た呉軍の将校は
これはまずいと思い
一目散に馬を蹴って逃げ出した。
「ははは。情けない奴らだ」
関羽が大声でそう言った。
孔明は扇子をバサリと広げ
逃げていく将校を
遠目に仰いだ。
次の日もまた
呉軍の将校が益州を共に手にしようと
金品財宝を持って
諸葛亮を説得しに来た。
そしてその中に
その書簡は添えられてあった。
劉備玄徳 殿
私は兼ねてより、あなた方の仲間になりたかった。
見事呂布殿を手懐けられた手腕は
三国志に残ることでしょう。
この書簡が貴方に届く頃
私はすでにこの世から
解放され、
天に召しておることを許して頂きたい。
長年の貴殿との闘いは
今を思えば
懐かしく
友と戯れた時間であったように
感じるのです。
そして私は
今、命尽きようとする
その今になって
気づくのです。
命の前では
金に何の
意味もない。
そして
命の前では
異性が霞んで見えるほど
つまらない。
命とは
酒を飲み
時をつまみに
想いを語らう
余興である
それを
貴方に伝えたくて
この書簡を託しました。
最後にひとつ
どうしても悔しいことがありまして
それもここに
記そうと思う。
私の領土である荊州を返していただきたい。
期日は月が満ちたのち、欠け始める頃。
もし月が欠けても
荊州を返してもらえないのなら
一つ仕掛けをいたします。
赤壁での仕掛けとはまた違う
一計を企んでおるのです。
ただ貴殿としても
ただで譲ろうなどと思う事は
微塵もないことも
道理であり
私もそれは承知しております。
そこで折り合いのつく方法を
病床につきながら
あれこれと考えた次第です。
次の書簡で
そのヒントを記そうと思う。
それまではどうか
私の命が尽きぬよう
祈っておいてください。
周瑜
諸葛亮はその書簡を
2度読み返し
火の中に放った。
「お帰りください」
「そして、孫堅殿にお伝えください」
「私はどうしても孫尚香殿と婚姻したいと」
「それだけお伝えください」
しかし今回の
呉軍の将校は笑っているようだ。
「諸葛亮殿。掛かったな」
その瞬間、諸葛亮はむせ込み
咳が止まらなくなり目が開けられぬほどの
激痛が走った。
「毒か」
咽び苦しむ諸葛亮の様子を確認して
呉軍の将校は帰っていった。
せこい真似をしてくるものだ。
次のヒント?
戯れを。
そう考える諸葛亮であったが
何かが引っかかった。
諸葛亮は苛立った。
もうすぐ月が満ちる刻。
気が気でない様子の諸葛亮を見て
劉備は訊いた
「先生、何か気がかりがあるように
私には見えるのですが」
「我が君。実はですね」
諸葛亮は周瑜の書簡に毒が盛られていた事
書簡の内容には
荊州を返してほしいと書いてあった事
それを細かく伝えた。
「ふむ。なるほど」
「周瑜殿はよほど体が悪いと見える」
「何も打つ手がなく揺動作戦に切り替えたのであろう」
「さすが我が君。読み筋が良いです」
「しかし、私は今回の書簡がどうにも引っかかるのです」
「ただの脅しではないと?」
「はい」
「ふむ。先生がそう仰るのであるならば」
「何か対策をすべきですか」
「実はすでに手を打っておりまして」
諸葛亮は、3日前に子龍を呉軍に
使いに出した。
「何と趙雲を」
「作用でございます。子龍ならば適任です」
次の日、
呉軍の領地の河岸に
趙雲は陣営を張った。
そして伝令を船で送った。
伝令には書簡を持たせた。
その書簡には
毒を塗った針を忍ばせている。
それを受け取った呉軍の門兵は
数日後に処刑された。
しかしその書簡には
諸葛亮の言葉が添えられていた。
孫堅殿
ご機嫌いかがでございますか。
私どもが荊州を占領し、
さぞかし腑が煮え繰り返っていることと
お察しいたします。
先日、周瑜殿から
一計を計られまして、その仕返しに
今回私も毒を仕込みました。
その件についてはお許しください。
しかし、今回はそれが目的ではありません。
今回の目的は
周瑜殿に
伝えておかねばならぬことが
ございます。
その内容ですが、
私は以前より周瑜殿と戦を交えて
気づいたことがありました。
周瑜殿の策には欠点があるのです。
それは欲です。
周瑜殿の策には
欲が見え透いております。
これは私どもとしては
濡れ手で粟
周瑜殿の考えが
手に取るように分かり好都合になるのです。
なぜそんなことを
わざわざ伝えるのか?
それは友だからです。
実は私は周瑜殿の
お体が気に掛かっております。
周瑜殿は策を練られておるようですが
それはハッタリである事は
紛れもない。
ただ、友である周瑜殿の命が幾許かの時に
居ても立っても居られない
そんな心境になるのです。
周瑜殿は仰られました。
命の前では
金に何の
意味もない。
そして
命の前では
異性が霞んで見えるほど
つまらない。
命とは
酒を飲み
時をつまみに
想いを語らう
余興である
と。
まったく私はその言葉に
心をもって感服致しました。
私はそのお返しに
次の言葉を送ります。
友の前では
金に何の
意味もない。
そして
友の前では
異性が霞んで見えるほど
つまらない。
友とは
酒を飲み
時をつまみに
想いを語らう
余興である
私にとって
周瑜殿は命に値する
友であると
気付かされました。
もし許されるのなら
病床にある友の
枕元に近づいて
元気づけたいと
思います。
諸葛亮孔明
孫堅は書簡を破り捨て
しばらく考えた。
これは策か
それとも誠の友情か
「孫策よ、どう思う?」
「はい。これは罠でございましょう」
「周瑜が死んだ今となっては本人にも伝えられませんし」
「うむ。しかしだ」
「もし誠の友情であった場合、
私なら供らいをしてあげたいのだよ」
「御意のままに」
孫策は考えた。
諸葛亮が、のこのことやって来るなら
好都合。
劉備も来れば尚更だ。
2人まとめて捉える機会となるだろう。
これはまたと無いチャンスだ。
「子龍よ」
孫策は岸辺にいる趙雲に
声を張った。
「諸葛亮殿の書簡には感服した」
「我が君である父上も同じく友の情に心を打たれておられます」
「よって、明後日。こちらに来られるようお伝え願う」
それを訊いて趙雲もまた大声で答えた。
「孫策殿。しかと承りました」
趙雲は白馬を蹴って
風の如く霧の中に消えていった。
明後日
諸葛亮と劉備は
呉軍の袂に陣を張った。
「ここで待たれよ」
関羽と張飛は
「兄者がそういうのであれば従うまで」
「何かあったら煙で知らせてほしい」
そう言って2人を見送った。
呉軍の迎の船が対岸の劉備の陣営に
やってきた。
劉備と諸葛亮は
その船に乗り呉軍の陣営に
近づいた。
呉軍の陣営に近づくと
門兵が門を開いた。
何とそこには
孫堅と孫策、そして孫尚香がいた。
そして劉備と諸葛亮は丁重に出迎えられた。
「遠路はるばる、よくお越しいただきました」
孫堅は劉備に深々と頭を下げた。
「この度は、私どものわがままをお聞きくださりありがとうございます」
劉備も孫権に深々と頭を下げた。
劉備と諸葛亮は陣営の奥、
本陣にある宿舎に通された。
そして、枕元で息絶えた
周瑜を目にし
諸葛亮は泣き崩れた。
「誠、誠の友よ」
戦を共にした周瑜と諸葛亮
2人にしかわからぬ
時が流れた
春秋時代というものは
歴史の中でもほんの300年
その間に行われた
命のせめぎ合い。
人の心は
目に見えぬものを
交える瞬間がある
2人は書簡を通して
それを感じ取ったのかもしれない。
呉軍陣営からの去り際に
孫尚香が劉備と諸葛亮に
書簡を手渡した。
「周瑜将軍の最後の執筆です」
そう言って孫尚香は涙を拭いた。
劉備と諸葛亮は
陣営に帰り
周瑜の書簡を読み上げた
拝啓
劉備 殿
策を仕掛けた
ヒントを記そうと思う
あなた方はおそらく
私のもとへ、やって来るだろう。
その頃の私は天に召されていると
思う。
だが、あなた方は命を顧みず
来てくださることであろう。
我が君は貴殿たちを
捕らえることはしない。
我が君はそういうお方なのです。
どうだろう。
私の読みは当たっていますか?
貴殿は私の事を見え透いていると
思われていることでしょう。
しかし貴殿もまた
私にとっては分かりやすい
敵であり友でありました。
追伸
気が変わったら荊州を返してくれないだろうか。
「周瑜の旦那らしいぜ」
張飛が鼻を啜った。
策士 堅原 陽紀
史実によると、
孫尚香は劉備と婚姻し、
諸葛亮は別の女性を妻とする。
しかし、諸葛亮の妻の容姿があまりにも
酷かったことから
「孔明(諸葛亮)の嫁選び」と揶揄されることとなる。
その話は、また別の機会に。