表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

後編

 案内されたリュドシエラの寝室は、外の祝宴が嘘のように薄暗かった。


 王城にある貴賓室だが、彼女の呼吸音以外には津波のような歓声と祝砲が他人事のように遠い。

 ゆっくりと寝台に近づいて天蓋の隙間を覗き込むと、月明かりに照らされた青白い額に汗を浮かべる痛々しい姿が横たわっていた。


「リュドシエラ、様」


 どれほど、人知れず無理をしていたのだろう。

 汗で頬や額に張り付く砂色の髪。甘い瞳を閉じ込めた白い瞼と砂色のまつ毛。ほっそりとした首と呼吸に合わせて上下する胸元。


 リュドシエラがそういう存在だからか、私が彼女を愛していると改めて自覚したからか、その美しさは色褪せない。


 シーツを握りしめる手に触れたいが、また拒絶されるだろうか。

 せめて額の汗を拭ってやるだけでも許されるだろうか。

 躊躇っていると、他人の気配に気付いたらしく、うっすらと瞼が持ち上がった。


「……ん」


 揺れる瞳がぼんやり天井を見上げ、それから私の方へと焦点の合わない目を向けて何度か瞬きを繰り返す。

 そして、眉を寄せて悲しげに唇がはくはくと動いた。


「こん……め」


 何を言っているのだろう。

 呟く彼女のうわ言に、寝台に片手をついて耳を寄せた。


「うん……」

「近くに来ては、だめよ。今度は……手、はなして、あげられな……ルイ……ルイっ……」


 悲壮の滲む切実な声に瞠目していると、リュドシエラの目尻からぽとんぽとんと雫が落ちた。

 涙を溜めても、決して人前でこぼさなかった雫が私を呼びながらぽたぽたと落ちていく。いくつもいくつも。


「……っ。……リュドシエラっ」


 夢の中では心に秘めた本心が現れるという。

 夢と現実の間にある今こそが、彼女の本音なのだろうか。

 しかし涙声はやんわりと勢いを弱めながら、うつらうつらとし始める。


「そこにいるの、るい……?……やくそく、するわ……二度と、不幸にしない……」


 目尻に涙を浮かべて、彼女はそうして同じことを繰り返した。


「……二度と……?」

「ごめ、さ……ゃぁ……いかないでぇ」


 横たわる彼女は、まだ夢の中なのだろうか。

 涙の膜越しのぼやけた視界に私を映しながら、私以外の『ルイ』に縋り懺悔し続ける。


 アルマリクの話を聞く前であれば、またこの胸を嫉妬で焦がしていたかもしれない。--あの男に借りを作るのは癪だが。


「リュドシエラ……シエラ……」


 また眠りに引き込まれそうな彼女を呼び戻す。

 聞きたいことがあるのだと。

 竜の血を引いているのにリュドシエラがなぜ虚弱なのか。

 私に見せた寂しげな表情や遠回しな拒絶。

 彼女が譫言で呟く言葉の意味。


「……教えてくれ、シエラ……そなたの番は私なのか?」

「……、………………え、ルイ?」


 そして、パッと見開かれた縦瞳孔の瞳がキュウっと細くなり、私の輪郭をはっきりと捉えた。

 その直後に、後悔の色が浮かぶ。

 おそらく夢の中だと思い込んで呟き続けた自らの言葉に対して。


「やはり、そうか」


 ここに来るまでの憶測が繋がった。

 横たわりながら、私を呆然と見上げるリュドシエラは力無く首を横に振る。


「そなたは、時を“やり直し”ているのだな?」

「……ぁっ……」


 その瞬間の表情には怖れが浮かんでいた。



「…………」


 長い沈黙は、彼女が答えることを拒否しているから--ではないことは、わかっていた。

 私の問いに答えられないのだ。


「竜は、番に嘘がつけない。自分自身を傷つけることと同じだから」

「……っ」

「アルマリク殿から色々聞いた。そなたが虚弱であることは事実だが、吐血したのはこれまでにたった一度だけだと」


 彼女が謁見の間で血を吐いた日のことは、今も鮮明に覚えている。

 あの日「初めまして」と私に言ったから、嘘だと自覚して吐血したのだ。

 アルマリクは、当時まだ確信がなかったというが、私とリュドシエラの間に何かを感じ取ってはいたらしい。


「そなたは、元は初代竜に並ぶほどの力を持っていたと聞いた」

「……」


 だというのに、なんの前触れもなくリュドシエラは体を弱らせた。

 唐突に起こった竜血公爵の弱体化で、彼女と近い血を汲むアルマリクにはその理由に察しがついたのだそうだ。


「竜はエネルギーの塊。そのエネルギーが唐突に失われるとしても痕跡は残るはず。……しかしどこにもそれがないなら、別の次元でエネルギーを大量に消費した可能性があると」

「……だから……次元を渡ったと?たしかに“時越え”の次元魔法は、貴方がいう“やり直し”のために膨大な魔力を消費すると言われているわ。けれど、ルイ様が、そんな途方もないことを信じるなんて」


「私自身も信じがたいと思ったさ。だが竜にも、稀にそんな馬鹿なことができてしまう個体がいるそうだぞ。二百年前、番を求めたが為に、自らを伝説から現実として顕現させてしまった初代竜ように--」


「でも、わたくしは……」

「そなたが同じ性質のもとで力を振るうとしたら、それもまた番が関係していても可笑しくはないだろう」


 ……しかし、正直今はそんな途方もない理屈などどうでもいい。

 アルマリクが教えてくれた仮説の真偽の答えは、リュドシエラの表情にすでに表れていたから。


「一言だけでいい。シエラ」

「な、にを……?」

「そなたをそんな姿に変えたのは、私か?……本当に私が、そなたの番なのか」

「……っ」


 これまで見たことのないリュドシエラの愕然とした表情。

 肯定も否定も告げられずに震える唇。

 穏やかさと慈愛の奥に隠されていた彼女の内を暴くことに、仄暗い喜びを感じてしまう自分自身。

 それらに、かちりと何かが嵌まったような感覚がした。


「二十年前。そなたが弱ってしまった時期のことだ」

「あ!だ、だめっ」


 それの意味を察した彼女が、目を見開く。


「二十年前、飛龍がたった一度だけスゥオウ皇国の空を泳いだとされる満月の日。……私が生まれた日だ。そなたの番が生まれた日だろう」

「ダメよ!……あっ!」


 私の口を塞ごうと伸ばされる彼女の手を取った。

 私は頑是ない子供に向けるように、苦く笑って場違いにも感動してしまう。

 ああ、これが彼女の感触か。こんな幼い言動もするのかと。


「ひぅ!」


 手を取る。絡ませてもいないのに、たったそれだけで、ビクンッとリュドシエラの体が跳ねた。

 --今度は離さない。

 柔い指の感触。細い手首をスルッと撫でれば、トットットッと皮下の鼓動が忙しないのがわかる。


「は、はなしてっ」

「……」


 虚弱の体で抵抗されても、竜の血でどうにかなってしまうのかという懸念は直ぐに消える。

 私が軽く握った握力であろうと、彼女は容易に捕らわれてしまった。


 知らなかった。こんなにもか弱く華奢な人なのだ。

 もっと踏み込めば、ろくな抵抗も出来ぬままこの腕に閉じ込めてしまえそうなほどに。


「……シエラ」


 顔を近づけて名を呼べば、たちまち目尻に熱を集めて目が潤んだ。


「う、ぅー……ぅ……も、声、……ゃ」

「……」


 ああ、あのリュドシエラが私を意識している。

 肩を震わせながら、とうとう顔も耳も真っ赤に染まった姿に、ようやく私の胸にも「期待」という消極的な言葉を持てた気がした。


「そなたの手はやはり冷たいな。この手を、何度握りたいと思ったか」

「--っっ!!」


 羞恥で引き結んだ唇が愛おしい。

 リュドシエラを助けたい気持ちだけでは乗り越えられないような、途方もない無力感を抱く日々ばかりで。

 いっそ、そう思うこと自体が烏滸がましいのではと何度思ったか知れない。


 けれど、今はこんなにも近くに感じる。


「教えてくれ。私とそなたに何があったのか」

「………………、わかった」


 赤面した顔を俯かせながら、リュドシエラは観念したように頷いた。

 ベッドの上でいくつものクッションを背にして凭れながら、片手は私に取られたままにゆっくりと話し出した。



「わたくしはね、貴方の人生を傷つけてしてしまったの」


 そう過去形から切り出した彼女が語った“かつてのリュドシエラ”は、今の弱々しくも慈悲深い女神のような姿とはかけ離れたものだった。


 魔力光を放てば天罰になり、翼を広げて月夜の空を泳げば吉凶を謳われる。

 巨大な竜体を横たえればそこは聖域となり、人型で言葉を発すれば神託だと持て囃される。

 魔力、権力、美貌。

 望まずともなんでも手に入った。


 リュドシエラは、まさしくおとぎ話を体現した存在であったという。

 しかし番の誕生を知ると、その所業はまた別の形に変わったのである。


「番は、心を欠いた強き竜には不可欠なのよ。わたくしは満月の日の夜に、今は萎えてしまった自分の翼で海を渡って貴方に会いに行ったわ。皇宮の奥で大事に、宝物のように寝かされていた稚い貴方を見て、嬉しくて何度も何度も泣いた」


 遠くを見つめて頬を綻ばせる彼女は、赤ん坊だった頃の私を見ているのだろう。

 過去の己のこととは言え、見たことのない愛情の窺えるその表情に胸がシクリと痛んだ。


「拐ってしまいたかったけれど、貴方は一国の皇子様だったし。わたくしも竜血公爵としての責務は自覚していたから、成長するまでは待とうと思えたわ……でも、貴方を見守っているうちに気づいてしまったの。今思えば、ほんの些細なきっかけだったのでしょうけど」

「……なにがあったんだ」


 些細なことならば、今の私自身も自覚していないことなのだろうか。

 しかし聞いても彼女は首を振って教えてはくれなかった。


「……貴方は皇子様だったから、ふさわしい教育もしてきたでしょう。でも、許せなかった。ひどい裏切りにあったような気がしたのよ」


 当時の彼女には逆鱗に触れるほど許しがたいことだったのだろう。

 人が持つべき学びや文化の中に、竜としての習性にそぐわないものがあったとしても不思議ではないと今更気づく。


 しかしそれは人間関係でもあり得ることだ。

 些細なこと、理解できないこと、価値観の違いで戦争するような人間と何が違う。

 リュドシエラは、唇を噛んでまた涙を溜めていた。


「シエラ……」

「貴方が何より大事でっ、でも貴方にとってのわたくしはそうじゃ無かった。それだけなのに。嫉妬に駆られたわたくしは、皇国の皇帝に取り入って貴方との婚姻を強引に取り付けたわ。……たとえ異国でも、守護竜の魔力や絶対的な権力なら、なんでもできたわ。なんでもね……」


 そう己を悪し様に語り、自嘲する。

 私がそれを諌めるようにほっそりした手をさすると、リュドシエラはまたひくりと肩を揺らして申し訳なさそうに眉を下げた。


「……でもそのせいで、貴方の心はさらに遠くなってしまった。わたくしの行いを嫌悪し、わたくし以外の誰かにばかりに心を砕いたわ。そんな姿を結婚してからは、より近くで見る羽目になって。いろんなものに八つ当たりをしてしまった--気付けば、国の半分以上を壊してしまうほど」

「!」


 そのあまりの規模に頭がついてこなかった。

 国を壊すほどの竜の嫉妬。

 それこそがリュドシエラの後悔であり、時を戻すに至る原因なのかと考えてそれは違うと直ぐに考え直す。

 きっとそれは、過去の私自身の後悔でもあるのだと。

 なぜだか、自然とそう確信した。


 自分の所為で、彼女を追い詰めてしまったと。国を壊したのだと。

 だとしたら--。

 そこまで思い至ってさっと血の気が引いた。

 当時の夫だった私も負うべき業を、リュドシエラはただ一人で背負って、時を戻したという事ではないか…………?


「……っ」


 それほど壮絶なことを、その細い体で--。

 息を呑んだ私の様子を勘違いした彼女は、視線を泳がせながら取り繕い出した。


「あの、……確かに、わたくしはそういう“生き物”だったわ。でも、今はそんな力もないの。寿命も縮まって、竜体になれる力もほとんどないから、……どうか安心して。貴方の大切なものはもう壊さないわ」


 --ちがう。違うよシエラ。

 猛獣が自ら抜いたボロボロの牙を見せて「怖くないよ」と言い聞かせるような、そんな痛ましいことを言うなんて。


「--だからね、貴方が生まれた時にもどったの。今度こそ、貴方を幸せにしてあげないといけないと思ったから」


 その口調は不自然なほど、ことさら明るい。

 泣き笑いを浮かべて私を見上げる様に、自分自身が切り刻まれているような痛みを感じる。


「一通りはしてきたのよ。ちゃんと、」

「なに……?」


 さらには、訥々と語る内容に長年に渡る「平和」の正体を知ってしまった。


「裏で帝国や邪魔者を牽制して、未来で貴方をいじめた煩わしい人間は遠くへやって、貴方を慕い慈しむ人は導いたわ--それから」

「シエラ」


 近年落ち着いて来た情勢。勢いを緩ませる帝国。

 私の周囲が時折「加護」では「天啓」ではと囁くその理由は、未来と経験で知ったリュドシエラによってもたらされていたものだという。

 操られていたという疑心は、しかしぽたぽたとシーツに雫が落ちる音で掻き消えてしまった。


「そう、したらっ!そ、したらね、……未来では年若く亡くなった貴方の兄の皇太子は生き延びて、皇国は前よりもずっと回るようになったの。王国との国交も“前”はあんなに時間が掛かったのに……」

「シエラっ」


 唇が震え、声が引き攣る彼女は尚も続ける。


「さ、最後に、わたくし自身を貴方から遠くにやって……そう、したら、……想像以上に穏やかだったの。平和だったのよ!ルイは、何者にもわたくしにも煩わされることなく、成人して、幸せそうに。わたくしに見せたことのない顔で笑っていたのっ!」


「……っ」


「わたくしが貴方の前に現れなければ。わたくしがっ欲張らなければ!貴方はずっとずっと幸せになるのだとっ!こんな、の、知りたくなかっ…………うぇ、ひっく」


 胸を裂くような激しい咆哮。

 その姿は、膝を抱えて泣きじゃくる少女にしか見えなかった。

 痛い痛い。自分がいなければと。


「ごめん……ごめんね、……もう、しない。もうしないから!」


 その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが切れる音がした。


「シエラっ!」


 心の欠けた竜が、唯一の拠り所である番に否定され、幸せを願って手放した途端に想像以上の幸福に囲まれてしまう。

 自分のいない世界こそが正しいのだと。

 これほど報われない思いがあるだろうか。


 巻き戻った二十年間、遠くで見守ってきたであろう彼女の抱える罪は、私が彼女なしの人生で穏やかで幸せであるほどに、どれほどその傷を抉り続けてきたことだろう。


 愛する人の人生が、自分の存在でどれほど極端に変わってしまうのかを見せつけられる。

 私なら、いっそ死んでしまいたいと。身を滅ぼすことも良しとするかも知れない。


「教えてくれ」

「……何を」


 ひくひくと幼い子供のように引き攣りながら泣き続けるリュドシエラ。

 彼女の座るベッドの端に腰掛けながら、私はその泣き顔を覗き込んだ。


「時を超えるほどの力を持っているなら、私や周囲の記憶を消すこともできただろう。追々に矛盾はできただろうが、そなた自身が破滅するほどのリスクを負う必要があったのか?」


 多くの記憶を消して、番を連れて誰も知らないどこか遠くへ。

 力が残っているなら、またそこから始めるという未来があったのでは。


「…………消してしまいたかった」

「……なにを、いや……そなた自身を?」


 すでにひどい泣き顔を隠すためだろう、ベッドのシーツを引っ張り寄せて鼻下を隠すリュドシエラは視線を落とした。


「そう。自分の過ち。貴方を傷つけた後悔。貴方に歪んだ感情を押し付けた醜いもの全て。貴方をたくさん抱きしめて、愛して、慈しむことをせず、ただ大事だからと閉じ込めた愚かなわたくしを無かったことにしたかったの。…………貴方とまた会ったら、今度はずっと、綺麗なところだけを見て欲しかったの……」


 自分の汚いところなど、二度と見ないで欲しかった。

 ただ、好きな相手に己の見せたくない一面を隠して、自分にはこんな綺麗で好ましい所もあるのと。

 好いてもらいたい一心で右往左往する恋する乙女のように。


「でも、もう……遅いわ」


 彼女は世界の誰よりも強く美しく生まれ、ゆえに傲慢な愛し方しかできず、命を苛むほどの弱体化に自らを追い込んでしまった。

 それを滑稽だと言い捨てるには、被害が大きいけれど。


 それもでも。

 ああ、どうして私は--不謹慎にも、笑ってしまいそうになるのだろう。

 そんなリュドシエラでも、愛おしいと思ってしまうのだろう。


「……本当に、そなたはおとぎ話のような人だ」

「え…………ふぇっ!?」


 気付けば、涙の残る金茶色の目尻に唇を寄せていた。


「ああ、甘いのか」

「な、なななにをっ!?」

「……ふっ」


 また幼げな反応が返ってきた。

 なんとなく思っていたが、リュドシエラは触れられることに慣れていないらしい。


 すまし顔の竜の姫。

 慈愛の笑みを浮かべる竜の子孫。

 為政者としての竜血公爵。

 そして、幼く可愛いリュドシエラ。

 どんな姿でもあっても、帰結する感情は一つだった。


「好きだよ、リュドシエラ。心からそなたを愛している。おそらく過去の番だった私よりも、遥かにずっと想っている自信があるよ」


 溢れる感情のまま、リュドシエラの細い体を抱きしめた。

 弱体化して多少痩せてしまっても柔らかい感触はあって、鼻腔を掠める薬草の匂いに混じった汗と甘い香りが胸を叩く。


「え…………え、あ、えぇ……?っ……ま、まって待って!」


 腕の中で困惑しながら、体を離そうと腕を突っぱねようとしてくるが、やはり腕力では私に敵わないらしい。

 そうして胸をくすぐっているのは、庇護欲と征服欲のどちらだろうか。


「駄目だ」

「ふぁ!?」

「だって、二十年以上待たせてしまったのは私の方だろう。これ以上シエラを待たせたら申し訳ない」

「え、ひぅ……!」


 先ほどから気になっていたが。

 思っていた以上に元気に見えるのは、私という番を得た自覚が出て来たからだろうか。

 弱体化は番がいないからだというアルマリクの言葉が正しいならば--。


 抱きしめて少し心を通わせてこの程度なら、もっと深く触れ合ってみたい。

 見下ろす真っ赤な頬と、寝室に来た当初よりも血色良く艶やかに見える唇に目が行くが、その隙を見計らったリュドシエラに手を突っぱねて距離を取られてしまった。


「……シエラ」

「わたくしは、もう二度とっ、貴方を苦しめたくないのっ。どうしてわかってくれないの!」


 どれほど傷ついてきても、どうしたって私と距離を取りたいと示す。

 けれど、ここまで来てはこちらも退けない。

 彼女の言葉も行動も、全ては私の幸せを願ってのものだからだ。

 だとしたら--。


「私自身がシエラを幸せにしたいと思って何が悪い」

「え」


「苦しくていい。悲しみも。そなたから貰うものなら、今の私にはきっと甘美だろう」

「……へっ?」

「あの謁見の日。はじめて会ったあの日から、私はリュドシエラにずっと恋をしていたのだから」


 そう告白すると、リュドシエラは金茶色の瞳の奥にある縦瞳孔をブワっと丸くした。

 私自身の好意は薄々でも気づいているとして、いつからかは気づいていなかったらしい。

 それでも、弱々しく抵抗する。


「わたくし、貴方なんか、……あなた、なんかっ……き、きら。っけほ!」

「--シエラ、本意でないなら言ってはいけない。今度は吐血では済まないよ」


 好意だけでは響かないのなら、いっそ本能に訴えてみせる。

 今更手段を選んでいては、また彼女は遠くへ行ってしまう。

 すでに言い訳も追いつかないらしく、再びうるうると瞳に涙の膜を作っていく。


「なに、なんなの、よ…………っう、ぁあ、あああ!!」


 今度は抵抗なく、華奢な体を腕に閉じ込めた。

 私の胸でぼろぼろと溢れる涙は頬を濡らし、それを受け止める白い手でも追いつかない。

 飴のような瞳を閉ざして、幼子のようにくしゃりと歪めた顔は、どこまでも無垢だった。


「ああ。私のシエラ……」

「……っ」


 どこまでも清らかで、愛おしい存在がいる。


「私はここにいる。リュドシエラ。もう、離れないから」

「っう、そ」

「嘘じゃない。そなたを愛しているのは、ここにいる私だ」

「……ル、イ。でも、……」

「リュドシエラ。私を見て。そなたを愛している」


 頬を挟んで視線を合わせると、まだ不安そうに眉を下げていた。


「そなたは時を戻したのではない。“私に会うために戻って来た”のだ。もう、そなたを一人にしない。どこにも行かせない。共にあろうシエラ」


「……ほんとう?」

「嘘はつかないよ。そなたが安心するまで、たくさん約束をしよう。今度こそ、私がシエラを幸せにするから」

「っ……!あ、ああぁっ!!」


 そうして自ら無防備に飛び込んできたリュドシエラをようやくこの胸に繋ぎ止める。

 薄暗い部屋の外で上がる祝砲も歓声も、二人の間に交わる穏やかな呼吸の音に溶けて行きながら。




 リュドシエラを胸に抱いて、その砂色の髪に頬を寄せる。


「ルイ、ルイ……。わたくしの、ルイ」

「ここにいるよ、私のリュドシエラ」


 時折思い出したように、名を呼んで、呼ばれてまたことんと夢に落ちる彼女に額に唇を落とす。

 背中に縋るように回された腕の感触、胸に当たる熱い吐息、体全てで感じるリュドシエラの存在を噛みしめながら誓う。


 今度こそ、と。

リュドシエラ:王国の守護竜の子孫。虚弱。でも権力はある。+余命わずか。隠し事がある。+番であるルイと結ばれて元気になってくれたらいい。

ルイ:皇国の皇子。リュドシエラに恋をする。一途で努力家。+リュドシエラを愛している。+リュドシエラの過去を知って、さらに溺愛。

アルマリク:リュドシエラの補佐。毒舌。+次期公爵。+ルイに貸し


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今後は、後日話など短編でシリーズにまとめながら少しずつ書いていく予定です。

雨砂木

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ