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前編

 今度こそは--。

 果たして、それはどちらの心だったか。



 腰まで届く砂色の髪が、魔光石のシャンデリアの灯りを吸い込んで黄金に輝いている。

 とろりと甘く濃い金茶色の瞳の奥には、人にあらざる縦長の瞳孔。

 竜の子孫と聞くその姿は、神話に出てくる黄金の女神も斯くやという美貌である。

 白磁の頬に長いまつ毛の影を落とし、ドレス姿の優雅なカーテシーの指先一つ一つ。


 気づけば視線を奪われていた。

 慌てて着物の袖を前に合わせ、手を重ねた皇国式の礼をとる。


「私はスゥオウ皇国・第三皇子スゥ=ルイと申します。本日はこのような場を設けていただき、感謝いたします」


 私の形式的な挨拶に、彼女の方もまた決まった言葉が返ってくる……はずだった。


「お初にお目にかかります。わたくしが、竜血公爵リュドシエ、うえぇーー……」

「ええっ!?」

「リュドシエラ様ー!!」


 竜の血筋とも称される彼女との出会いは、なぜか吐血から始まった。



 中央大陸の三分の一を占める北の雪国・グリア王国は、守護竜の座す国である。

 かつて帝国が引き起こした侵略戦争を終戦に導いたのは、空を皮膜の翼で飛び回る竜の存在だった。

 おとぎ話と伝説が現実に存在した事実に、誰よりもその洗礼を受けのは因果応報というべきか戦争を引き起こした帝国である。


 人には到底敵いもしない強力な光のブレス。

 敵をことごとく弾く、一国を覆うほどの結界。

 王国のために遺憾無く力を振るった竜は、救国の英雄として称えられた。


 そしてグリア王国の王家から公爵位と広大な土地、何より竜が欲した美しい姫君を番として娶ったことで、国の守護竜として根付くことになる。


 それから二百年。

 竜の子孫は己の巣たるヨルムンガンドの地で穏やかに暮らしているという。


 その人物は今、真っ青な顔で私の対面にある玉座にくたりと凭れていた。

 マントの装飾にある毛皮のファーが華奢な肩を強調している。


「リュドシエラ様は虚弱でいらっしゃるのです……」

「そう、か……」


 彼女の補佐だというアルマリクという青年は、銀縁メガネのフレームを押し上げながら、片手間でリュドシエラの口元を拭きながら淡々と説明した。


 偉大なる竜の子孫が、まさかの虚弱。


 竜の血筋は総じて魔力が高いと聞くが、それ以外の体力などは当て嵌まらないという意味だろうか。

 浮かぶ推測も、しかし己の立場を考えれば詮索をすべきではないと、余計な問いは飲み込んだ。


「ちょ、あゆまりく、んんー!」

「この方は、少々ポンコツなのです。基本的に仕事はできる方なのですが」

「ポン、コ……」


 北の守護竜の子孫。竜の姫。竜血公爵。

 彼女を指す肩書きはことごとく厳しく、口許の血をグイグイ拭かれる今の姿と重なるのは「姫」という単語くらいである。


 なのに、そんな彼女を指してポンコツ呼ばわり……。


 異国の皇子である私を前にして、ここまで気安い関係を見せつける意図があるのだろうか。わかるのはアルマリクにとって、リュドシエラとは上司である以上に親しい間柄なのだろうという邪推だが。


「ぽんこつ……」

「選りに選って他国の使者の前で吐血とか。うちが危機的状況に見られるでしょうが。ほらシャンとしてください」


 親しい……?いやどうだろう。

 その様は、仕事の関係を差し引いても親子か兄妹のように見えなくもない。……かもしれない。


「べ、別に病を患っているわけではないのよ。普段は吐血なんてしないもの」


 それはそれで悪いのでは。

 そんな私の内心を読んでか、こちらをチラと見て金茶色の瞳を潤ませた。

 人外の象徴である縦長の瞳孔が丸くなっていく。


「…………あ、はい」

「うぅー」


 彼女には申し訳ないが。体の弱さに同情するよりも、その瞳孔がそこまで顕著に変わるものかという、好奇心の方がくすぐられてしまった。

 人と違う存在というだけに気後れしていたが、なんだか猫のようで近しく感じてしまう。

 そこに困ったように下がる眉。羞恥で色づく目尻は艶やかで--。


「……うむ」

「ルイ皇子殿下、あまり見ない方がいいですよ。それは魔性の目です」

「……魔性の目?」


 しかしそれを見咎めたアルマリクに指摘されてしまった。

 いや、むしろ牽制されたのかもしれない。

 神妙に頷く青年に嫉妬の色が見えないのは、リュドシエラを心から案じているからだろう。


「ええ、耐性がないと心を奪われ魂を持っていかれ、大変なことになりますよ」


 その割には言い回しに棘があるような。

 いや、棘を刺しているのは私にか。


「心と魂までとは」

「ちがっ!」


 首を振って否定の意を見せるリュドシエラを見るに眉唾らしいが、自身を振り返るとなんとも言えない。

 眉を下げて首をフルフルと振りながら「もう、何よ魔性って。無理よそんなの、ぜったい」と、幼くむくれる様は一言で言って愛らしい。


 まだ謁見中なのが信じられないほど和やかであった。

 彼女のドレスの胸元が血染めでなければ。



 そもそも異国の皇族である私が竜の座すヨルムンガンドの地を踏んだのは、グリア王国との国交を望んた皇帝の意志のためだ。


 二百年前の統一戦争の折り。帝国から自国への侵略を免れるために当時のスゥオウ皇帝が下した決定は、戦争に参加しない代わりに帝国の援助をすることだった。


 東大陸の玄関口である皇国が屈すれば、帝国の侵攻は東大陸全土へその手を伸ばしただろう。

 しかしグリア王国に竜が降臨したことで、帝国の統一戦争は事実上の終戦となった。


 二百年を経た今。グリア王国とスゥオウ皇国の国交は、先祖の非礼への詫びも込めた父皇帝の悲願でもあるのだ。

 帝国は未だ皇国内の政治介入を根強く残していたのだが、英邁な皇太子の影響力もあり近年その勢力も弱まってきた。


 この期を逃すまいと、父皇帝が使者として立てたのがスゥ=ルイ第三皇子であり、ヨルムンガンドの竜の後ろ盾を乞う重要な役割であった。


 それが、こうして謁見の間に立っている私である。



 自国のためとは言え、歴史上は他国を見捨てた国の皇族。

 ヨルムンガンド領内にも入れない可能性もあったが、意外にもリュドシエラは好意的に迎え入れてくれた。


「極寒の地にわざわざ真冬を選んでくるなんて。なかなかの気骨です」


 無謀を通した皇子を呆れでも嘲笑うことなく、リュドシエラは楽しげに肩を揺らす。

 竜血公爵の突然の吐血騒動に一時は混乱したその場をなんとか収め、彼女の着替えを急遽行ってから、改めてお互い姿勢を正した。


 つい鮮やかな紅を引いた口元から、また血が出て来やしないかと気になってしまうのはご愛嬌である。


「二百年経っての僅かな好機ですから、命懸けは承知の上です。民が笑顔であり、それを皇帝陛下が幸福とするなら苦ではありません」

「そうですね。国も家族も、とても大切にしていらっしゃる。ルイ皇子殿下は皇国有数の剣の腕をお持ちの上、『暁の剣士』の名で通っていると聞き及んでいます。民を守護し圧倒的な剣技に、皆が希望を抱くのだと」

「どのような噂をお聞きになったのか。お恥ずかしい限りです」


 さすがに竜の子孫である人に、そう言われてしまうとこそばゆい。

 白い肌に儚くも優しげな目をする彼女に、自然と私まで口元を緩ませてしまう。

 すると瞳孔が今度は縦にキュウっと細くなるのが見え、どきりとする。


 ……確かにアルマリクが言う通り、彼女は魔性かもしれない。


「こちらが皇帝陛下と皇太子殿下から賜った書状でございます。お納めください」

「ええ。ではこちらに。アルマリク」

「はっ」


 銀縁メガネの補佐役を介して書状を受け渡す。

 リュドシエラは開封された書状をその場で読み始め、あっという間に読み終えると、華奢な指先を顎に当てた。

 何かを考えているようだが、書状の内容の真意を掘り下げているのだろうか。


「………………」


 しかしそれにしては長い。


「……ふぅん、……」


 いやまさか。

 彼女はこの場で書状の返答と決定を下すつもりなのだろうか。

 謁見の場であるここで?正式に?

 国同士の今後を左右する一大事だろう。

 普通なら一度持ち帰って議会や補佐たちと意見を交わし、態勢を見極め、王家への取り次ぎなどを済ませてから回答するはず。


「!」


 まさか信じられないと、謁見の間を見渡した。

 しかしアルマリクや文官らしき者たちは脇に姿勢よく控えたまま。静かに主人の答えが出るまで佇んで、むしろ慣れた様子である。


「……」


 それだけ、リュドシエラが優秀であり信頼されているということなのか。

 部下だけではない。それを許しているであろう王国の王家も……。


 吐血していた弱々しい印象が嘘のように、金茶色の瞳は遠く先を鋭く見据えていた。

 その形の良い頭の中で、彼女は一体どこまで考えてるのだろうか。


「……スゥ=ルイ皇子殿下」


 答えが出たのか、彼女は姿勢を正し顎を引いて私を見据えた。

 困惑に揺れていた気持ちは、煌々とした瞳に捉えられる。

 その圧倒的な意志の強さに、不安がスッと落ちた気がした。


 父皇帝以上の力を持つ、人の心を掴む目だ。

 ああ。彼女こそ竜血公爵なのか。

 本能的に確信し、自然と跪拝の礼をとった。


「はっ!」

「侵略戦争から二百年。歴史は多面であり、皇国が裏切りの国と呼ばれた時代もあったでしょう。しかし途方もなく長い時の中、皇国が東大陸の砦として立派に務め上げて来たことを我々は知っています。これらはグリア王国の子らも教育で習う課程の一つとされているからです。この書状には『新しい時代を生きる者たちに残すべきは、遺恨ではなく未来である』と書かれています。そして、わたくしもそれを信じています」


 謁見の間に通るリュドシエラの言葉には柔軟さと清廉さがあり、直接胸に響いてくるようだ。

 一つ間を置いて息を吐いた彼女は、いよいよ本題を切り出した。


「--ゆえに、国を守り続けた歴代スゥオウ皇帝陛下と皇国の民に、そしてその崇高な精神に敬意を示しましょう。わたくしヨルムンガンド公爵は、スゥオウ皇国とグリア王国、二国間の国交回復に全力で助力することをこの場を以て宣言します!」


「っ!」


 あまりにも都合の良い夢でも見ているのかと、思わず美しい顔を凝視すると、ふわりとリュドシエラは慈愛の笑みを浮かべた。

 まるで夜明けを見ているような気がして、自然と胸が熱くなる。


「っありがとう、ございます。陛下も民も、閣下の決断に心から感謝することでしょう」


 彼女も為政者である以上、己の守るべきもののためにあらゆる思惑もあるだろう。

 それでもこの熱は抑えようがない。

 竜の後ろ盾を得ることは、それだけ皇国にとって重要なことだ。


 自分が生まれる前の歴史など紙面上でしか知らないが、それを異国の権力者が理解し先祖を慮ってくれること。

 それは可笑しな話かもしれないが、自分自身に向けられたようでもあり、不思議なほど胸を打つ。


 その玉座に座っているのが、彼女でよかった。

 心からそう思う。


「喜ぶのはまだ早いですよ、皇子殿下。国交の第一歩として、殿下の協力が必要ですから」

「ええ、私にできることなら何なりと」


 新しい未来への第一歩の瞬間だろうに。

 リュドシエラは、そのまま今後のことについて話し出してしまう。

 気が早いのだろう。

 アルマリクたち側近も肩をすくめている。


「そうですね。まず手始めはドラマチックに、皇国の皇子様が辺境で引きこもっている竜を引っ張り出したという体でどうですか?ヨルムンガンドの竜が皇国の手を借りて動き出したとなれば、主要国は二国の関係に注目するでしょう?」


 唐突な提案を彼女は指を立てながら小首をかしげるが、どうにも斜めな方向で流石の私も肩の力が抜けてしまう。


「ドラマチックって、…………ふ、ははっ!なんですか、それは」


 為政者としての姿、慈愛を込めた笑み、そして今は悪戯を提案する悪い姫。

 なんと豊かな人だろう。


 ここに来るまでにヨルムンガンド領民の鮮やかな笑顔を見てきたが、どうやら民たちは領主に似たらしい。

 今更気づいて、余計に笑いが込み上げる。


「ははっ……!」

「あら、お気に召しません?」

「……そうですね。『慈悲深き竜の姫が、助けを求める皇子に手を差し伸べた』なんて、おとぎ話のような筋書きでもいいではありませんか」


 不思議と彼女となら、なんだって出来るだろうと妙な確信を抱いてしまう。


「そうですか?ただでさえ竜は恐れられているのですよ」

「慈悲を見せる竜なら別でしょう。リュドシエラ様なら適任ではなでしょうか」

「……じ、慈悲?……えぇー」


 圧倒的立場でありながら、どこか不安定で無垢な彼女。

 そして少し照れたように輝く金茶色の瞳に、私は当たり前のように恋をした。

リュドシエラ:王国の守護竜の子孫。虚弱。でも権力はある。

ルイ:皇国の皇子。リュドシエラに恋をする。一途で努力家。

アルマリク:リュドシエラの補佐。毒舌。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

2/13:読みづらいというご指摘をいただきまして、少し空白を開けてみました。

雨砂木

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