第8話:夜勤の田島トオル
ユニット会議が開催されてから約1ヵ月後、岩田さんは桜パレスの一番街ユニットへ入所することになった。
入所に当たっては、市役所生活保護課の担当者とケアマネージャーが直接やり取りをすることで、段取り良く手続きが進んだとの話だった。
施設入所した岩田さんは、唯一の楽しみだった酒やタバコを一切たしなむことが出来なくなり、ますます生きる気力を失ってきたように見えた。
日常生活も単調なものとなり、毎日同じルーティーンの繰り返し。今日が何月何日で何曜日かさえも答えられなくなってしまったようだ。
岩田さんの例を通じて感じたことは、良くも悪くも施設入所すると生活における全ての営みが流れ作業となってしまうということだった。
流れ作業は、そのシステムが稼働している間多少のイレギュラーが発生したとしても即座に対応し、何事も無かったかのようにまたその流れの中に戻っていくことが出来るため創意工夫をする必要性が少ない。自分で何かを考え、行動を決断することが少なくなり、その場にいる利用者も職員も流れ作業を維持することが最善と考えてそこから外れた考えを持つことすらしなくなってしまう。
介護現場でよくある台詞。「この時間はこれをすることになっています。」は裏を返せば「この時間に決まったこと以外のことをやることにはなってません。」と自己弁護し出来るだけ手間暇を掛けないように持っていく姿勢。
介護保険制度の基礎となる考え方として、「要介護状態となったとしても、本人の生活に対する意向を尊重する」という基本姿勢が掲げられているが、実際の介護現場では、いちいち本人の生活に対する意向を尊重していては、流れ作業化してしまった日常生活を維持することに支障が出てそこに対する手間を嫌う傾向がある。
今の状態を1日でも長く継続する介護を選ぶのか。それとも本人の意向をしっかり聞いて出来るだけ願望を叶える介護を選ぶのか。
組織で動く介護施設の中の職員の一人として何が出来るのか、確実な答えは無いと思うが僕は自分なりに考えてみようと思った。
夜勤の日は、朝からいつもとは違う日常生活のリズムへシフトチェンジするようにしている。
夕方17:00から翌朝9:00までが勤務時間となっているため、その時間帯をまるまる緊張感を持って起きていなければならないからだ。まして看取りとなった利用者様がいらっしゃる時はなおさらストレスが掛かって来る。
そういう事情もあり、僕は11:00に早めの昼食を取り、12:00~15:00まで仮眠する。
そして、16:00には職場に向けて出発するという一日の流れを自分の中で決めていた。
夜勤に慣れない新人のころは、なかなか昼に仮眠を取ることに体がついていかなかったが、2~3ヵ月もすると不思議とぐっすりと寝入ってしまうという技術も身に付けることが出来た。
そして、出勤前にはその日の夜勤を共にする2人の職員へ労いの気持ちを込めてお菓子や飲み物を準備して持ってゆくのが慣例となっていた。
17:00になると、ナースステーションに夜勤者3人とその日不測の事態に連絡を受ける携帯電話を持つ看護師4人で申し送りが行われる。
約60名の利用者様の情報となるので、各ユニットの情報は各々で把握し、特に注意が必要な利用者様に対する情報を共有することがこの申し送りの主な目的となっていた。
今日の申し送りでは、看護師より岩田さんについても話があり、最近血圧が低く日中もベッドへ横になって過ごされており、呼吸が浅くなる傾向にあるという。夜間巡視の際は、呼吸をしているのかを確認することと、深夜2回ほどバイタル測定を行うようにとの指示があった。
申し送りが終わり一番街ユニットへ戻った僕は、早速岩田さんのもとへ行き体調に問題が無いか話を聞いてみたところ、今のところ大丈夫とのことだった。
夕食を配膳しながら岩田さんの食事摂取量がどれくらいなのかを遠目で確認し、また服薬介助の際も岩田さんに気を取られすぎないよう注意しながら対応をしていく。
食事量も半分ほどで、とても眠そうにされている岩田さんに素早く駆け寄り、早めにトイレ誘導と口腔ケアを行ってベッドへ横になって貰うことにした。
20:00になると、遅出の職員が退勤してユニット内には僕一人が残った。
つづく