第6話:田島トオルと岩田さんの病状変化
岩田さんは、65歳の時にタクシー運転手の仕事を終え帰宅しようとしたところ、職場で急に倒れ救急搬送され、脳梗塞を患いそれから左半身に麻痺が残った。
退院した直後は、リハビリの成果もあり麻痺のある左半身をかばいながらもゆっくりと歩くことが出来ていたという。
車の運転は出来なくなってしまったが、近所のスーパーで買い物をしたりバスや電車を利用して目的の場所まで移動することも出来ていた。
年齢を重ねるにつれ段階的に身体の状態は悪化し今では車いすとベッド間の移乗と、数メートル程度の杖歩行くらいしか自分の力では出来なくなっていた。
それに合わせ、最近では短期記憶も曖昧になって来ていて、ショートステイの利用日で無い日に「なんで迎えに来ないんだ!」と怒って電話を掛けてきたり、払ったつもりの電気代が2ヵ月に渡って払われておらず電力会社から電気の供給を停止されたりと認知症と思われるような症状が徐々に目立つようになってきている。
特に電気の供給を停止された時は、岩田さんも何が起こったのか理解できずパニックに陥った様子で、「急に電気がつかなくなった!何でや!早くつけに来い!」と施設に連絡して来て職員が対応する羽目になった。
たまたま、持ち合わせていたお金で1ヵ月分の電気代を支払ったのだが、その後の通電手続きが複雑で復旧するまでにかなりの時間を要すこととなった。
インターネットを活用できない要介護認定を受けている高齢者が、何らかの事情で自宅の電気を止められてしまった場合、例え電気料金を支払うことが出来たとしても自分で復旧の手続きが出来なければそのままとなってしまい、生活の継続が困難となってしまうことが容易に想像できる。
デジタル格差という言葉が使われるようになって久しいが、このデジタル格差が生命をも脅かす状況を生み出す可能性があることをこの一件から学ぶこととなった。
岩田さんの左半身麻痺は、脳梗塞が原因となっており、中でも右脳が梗塞して発生した症状である。
右脳の機能は、主に注意力を維持して何かに集中したり、作業に没頭したりといったことが挙げられるが、そこに梗塞が生じると長時間同じ場所で過ごしたり、他者と会話をすることでストレスを感じ疲れてしまうような状態となってしまう。
また感情を司る領域でもあるため、急に怒り出したり、逆に泣き出したりといった情操面での浮き沈みが激しくなる傾向があり、自分の意図したとおりに物事が進まないと無理な要求も厭わない姿勢があらわになる。
そして、岩田さんの短期記憶障害については、認知症の患者さんに良くある症状として知られている。
認知症には大きく分けて4種類あり、アルツハイマー型認知症、脳血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症となり、岩田さんは脳血管性認知症が進行していた。
脳血管性認知症は、主に男性患者が多く特徴として感情のコントロールが困難となり理性によるブレーキを超えた行動に走りやすいことが挙げられる。
そのためもともとの性格もあるとは思うが、自分の意志に反する意見であったり、思い通りにならない状況が発生すると感情的になって「うるさい!」「俺がこう言ってるんだからその通りにすればいいんだ!」などといった発言に繋がっているとも考えられる。
脳梗塞にしても脳血管性認知症にしても徐々に時間を掛けて状態が悪化してゆくというよりは、ある日突然段階的に悪化するというプロセスを辿ってゆく。
岩田さんについても例外なく、ここ1~2ヵ月の間で言葉が上手く出てこなかったり、自分で出来ることの範囲が狭くなってきておりいよいよ全介助が必要になるのではないかと思われるような状態に近づいてきていた。
そして、状態の変化は生活面にも大きな影響を与えることとなり、最近食が細くなってきているのかショートステイの帰りに必ず買っていた唐揚げ弁当2個も頼まれることが無くなり、鯛やかんぱちの刺身もたまに依頼される程度に減っている。
また、自宅にいる間、主にテレビを観て過ごされているとのことだったが、最近はテレビを消してボーッと過ごしていることや夜中に目が覚めてそのまま朝まで眠れなかったと話されることも目立って来ていた。
つづく