第5話:田島トオルと岩田さん
岩田博さんは、79歳。要介護3の認定を受けた一番街でショートステイを利用している利用者の方だ。
僕が桜パレスでお世話になる前からショートを利用されていた方で、脳血管疾患の影響もあり身体全体の左側に麻痺が残り、日常生活動作に概ね介助が必要となっている。
岩田さんはぶっきらぼうな性格で気分屋でもある。
なので、対応の仕方やタイミングが合わないと突然怒り出したりするため常に目配せしながら仕事をしなければならなかった。
「おい!」
岩田さんが職員に声を掛けるときの決まり文句だ。
「はい!どうされましたか。」
すぐに駆け寄って声を掛ける。
「トイレに連れて行ってくれ。」
車椅子で移動する岩田さんを後方から支援しトイレへと案内する。
トイレでは手すりにつかまり立ち出来るため、立ち上がった後はズボンと下着を下ろすところまで介助し後は本人様にお任せするというのが介護の基本スタイルだ。
介護職として働く前に受講した介護職員基礎研修の中で、介護保険の基本姿勢は「自立支援」であることを教わった。
介護者目線で出来ることを何でも支援するという視点で要介護者に接してしまうと、要介護者は支援者に依存してしまい、出来ることもしなくなってしまう。
そうなってしまうと、出来ることも出来なくなってしまうという点と、精神的に何でも頼ろうという意識へと変化してしまい結果として介護をする側介護をされる側双方にとって悪影響ということになってしまうのだ。
介護者の関わり方一つで要介護者の身体面、精神面に大きな影響を与えるため、介護をする側として介護を受ける人の性格や声の掛け方など一人一人に合わせた対応をしてゆかなければ自立支援とはならなくなってしまう。
そうなって来るとやはり経験がものを言う職業であると言える。
あらゆるケースに対応することで、過去に対面した似たような状況を想起しその時の経験則を当てはめてみる。
上手くいけばその対応を継続すれば良いし、上手くいかなければまた別の方法を思案する。
介護の現場は、試行錯誤の連続で昨日と同じ今日は無く、今日と同じ明日は無い。
岩田さんは、生活保護の受給者で「桜パレス」のショートステイを利用しない日は、アパートに一人暮らしをされている。
片麻痺のある不自由な身体で毎日タバコを吸って酒を飲んで暮らしているのだ。
生活保護には、支出の目的ごとに生活扶助、住宅扶助、教育扶助、医療扶助、介護扶助、出産扶助、生業扶助、葬祭扶助の8種類がある。
岩田さんの場合、働くことが出来ないため支給を受けられるのは生活扶助、住宅扶助、医療扶助の3種類となり、毎月15万円の支給を受けていた。
脳梗塞で倒れて働くことが出来なくなり、生活保護を受け始めてからは、毎日タバコを吸い酒を飲むことを楽しみに生きてきたそうだ。
僕は、岩田さんと接する際、一定の距離を置くようにしていた。
何故かというとあまりに距離が近すぎるといろいろなことを要求する傾向があり、なんでも頼ろうとしてくるからだった。
「おい兄ちゃん。今日は帰りに酒とタバコを買いに行くから宜しくな。」
「そうですか。分かりました。どこの店に寄ったらいいか後で教えてください。」
ショートステイが終わり、帰りの送迎に回ることになった僕は、岩田さんを送迎者に乗せて車を運転していた。
「スーパーのタイリョウでおにぎり5個とカップラーメン3個。タイとマグロの刺身を1パックずつ。あとタバコを1カートン。」
と買って欲しい商品を列挙しながらバッグの中から現金を取り出し手渡してきた。
本来、介護保険のサービスでは直接現金を預かって買い物に行くという対応は禁止されているはずなのであるが、古くからの悪しき慣習でそれが当たり前になっているという。
施設に入所して酒やタバコを禁止され管理された環境ではあるが、常に誰かがそばにいる安心感の持てる生活が良いのか。
一人暮らしで自宅に帰れば何の制約も無いが頼れる誰かがそばにいない不安定さの中で生活するのが良いのか。
一人一人価値観は違えど、やはり決められるうちはどちらの暮らしを選ぶのか自分の意志で選ぶことが正解なのだろう。
そういう意味では、岩田さんの生き方は理想的である。
要介護の状態にありながらも、日本国民として憲法で保証されている基本的人権の尊重を具体化した社会保障制度をフル活用し自己実現を果たしているのだ。
健康状態に問題なく、やる気に満ちている時の自己実現と要介護3の認定を受けた後の自己実現は目標とするものが変わってきてもおかしくない。
1日でも長く自分が納得出来る人生を送ることこそ人間のあるべき姿であるとするならば、酒やタバコを生命活動のモチベーションとする選択肢も十分納得できる。
酒・タバコを絶対止めないという利用者の言い分を僕なりに整理出来たような気がした。
つづく