第1話:新人、田島トオル。
満開の桜が道なりに咲き乱れている。
桜の蕾があらわになり、花びらへと形を変化させている様子が、今日という日の特別感を表しているようだ。
僕の新しい職場は、地元で有名な桜並木の通り沿いにあり、坂道を登り切った場所に位置している。
職場となる介護施設は、「桜パレス」という名の特別養護老人ホームで、4月1日に訪れるのにぴったりの名前だった。
今日が初出勤となることもあり、予め指定されていた午前9:00より少し早く正面玄関へたどり着きインターフォンのボタンを押した。
「はい。どちら様ですか。」
「今日からお世話になります田島と申します。」
「ああ、田島さんですね!ご案内しますので少々お待ちください。」
朝の慌ただしい雰囲気を感じさせる甲高い声がインターフォン越しに響いた。
玄関で2~3分ほど待っているとエプロン姿の50代程度と思われる女性が姿を見せた。
「どうぞお入りください。」
靴箱の中に置かれたスリッパを手に取り僕の足元へ丁寧に並べた。
僕は、自分が履いてきた靴を脱ぎ、代わりに目の前のスリッパへ履き替えて靴箱の空いたスペースに自分の靴を置いた。
女性職員に案内され、応接室の扉奥へ入り長ソファの右側へ腰掛けた。
5分ほど待ったところで、施設内を案内してくださる生活相談員の川田さんが応接室へ現れた。
「お待たせしました。相談員の川田です。田島君だったね。今日から宜しくお願いします。」
「はい!こちらこそ宜しくお願いします。」
川田さんの丁寧な挨拶に敬意を覚えながら、すこし上ずったような声で挨拶を返す。
そして、入職に関する事務的なやり取りを終え、施設内の1階部分から一つ一つ丁寧に案内を受けた。
1階部分は、玄関脇の事務所と応接室。そして奥に広間がありデイサービスとして利用されているスペースとなっていた。
デイサービスでは、丁度朝の送迎時間と重なり送迎車に乗り到着した高齢者が次々にホール内へ移動してくる。顔見知りとなった利用者同士が、お互い元気であることを確認するように挨拶しあう姿を微笑ましく思う。
一通り施設の1階部分について説明が終わると、僕の新しい職場となる2階へ案内された。
2階への階段を登り切った所に簡易的に鍵がかかる横開きの扉があり、川田さんはさりげなく鍵を操作し手際よく扉をスライドさせた。
入所されている方を拘束する目的ではないことをアピールするために鍵は掛かる仕組みにはなっているが実際に鍵は掛けない。ただ蝶番をひっかけていることで横開きの扉は内側からは開かないような仕組みになっていた。
「ここからが特養のユニットになっています。」
ユニットとは、十数名の限られた要介護者が共同生活を営むための単位のことだ。
「桜パレス」には、約50名程度の入所者が生活されているが、50名をひとまとまりで支援してゆこうとなるとどうしても一人一人に目が行きづらくなるといった弊害があり、この施設では50名を3つのユニットに区分けしサービス提供を行っている。
僕は、川田さんに案内され「一番街」「二番街」「三番街」と呼称される3つのユニットを順番に巡っていった。そして僕が配属されるユニットは「一番街」であることを告げられた。
最後に更衣室となるロッカールームへ案内されると、施設内で着用する制服を手渡され、ここで着替えて終わったら一番街へ向かうように指示され川田さんはその場を後にした。
「すみません。今日からお世話になります田島と申します。」
一番街のユニット内を慌ただしく行き交い、手際よく利用者の対応をする青年に声をかけた。
「あ!はい!田島さんですよね!杉田です宜しくお願いしますね!ちょっと落ち着いたら声掛けするんであそこに座って待っててください。」
はきはきとした活舌の良い甲高い声が印象的だった。そして案内されたユニットの片隅にあるテーブルと椅子に腰掛け、初めて目にする新しい職場をぐるっと一周見回してみた。
ユニット内での様子も落ち着いてきたように感じる。食後のトイレ誘導やオムツ交換、10:00に利用者へ提供するお茶の準備などを済ませた杉田さんが、息を弾ませながら僕の座るテーブルへ向けて歩いて来た。
「今日は初めてなんで、私について来てもらえますか。ユニットで生活されてる利用者さんの名前とか本人さんの特徴について説明してゆきますんで。」
僕は、ユニット内を素早く移動する杉田さんになんとかついて行きながら、利用者の方の名前を聞くたび用意したメモ帳に書き込み、その方の介護面での特徴について話を聞き、重要だと思われる点についてはメモを取っていった。
一番街で生活されている利用者は、全部で13名。15床あるベッドのうち残り2床は今空きとなっていて、1泊2日などショートステイの方が利用されているとのことだった。
「トミー、前田さん、よっちゃん!ちょっといいかな!」
3人呼ばれると男性1人女性2人が即座に杉田さんの目の前に姿を現わした。
「今日から入職の田島さん。左から富岡君、前田さん、吉本さん。同じ一番街で働くメンバーなので紹介しときますね。みんなもよろしくね。」
「はい!よろしくお願いします。」
「よろしくお願いします!」
溌溂とした挨拶で迎えてくれた3人に応えるべく僕も大きな声で挨拶した。
初日の勤務は、何がなんだか分からないうちにあっという間に終了し、17:00には退勤して施設の外へ出た。
今朝歩いてきた桜並木を逆方向に歩いて帰る。
今日から新しい職業、新しい職場で新しい生活が始まる。
どんな未来が待っているのだろうか。不安と期待が入り混じる中家路に着く僕がいた。
つづく