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第4話

うやむやのまま彼女を喪ってしまった佐伯君、悲しみに打ちひしがれている暇もないほど、

彼の周りはどんどん変化していくのです。

「こんにちは」


 月守沙希が声をかけてきた。彼女は、バレンタインディに一人だけ先にチョコをくれた女の子だ。あれ以来、カフェで見かけると挨拶する程度の相手だ。あの時は気づかなかったが、ずいぶん前に「彼女に近づかない方がいいですよ」と言ってきた人物でもあった。なんとなく、そのことを聞きだすことが出来ないまま、こんな事態になってしまった。 

今は、誰にも会いたくない気分だ。幸いコーヒーは飲み干していた。僕はなんでもないような顔で返事を返す。


「やあ、今来たの?」

「ええ」

「じゃあ、入れ違いだね。僕はそろそろ帰らなくちゃならないんだ」


 そういいながら手元の本をカバンに片付けた。


「待って! 本能寺さんのこと、聞いたんでしょ」


 関係ないで通そうと思ったが、体が動かない。


「私、そのことで相談に乗ってほしいの。私が初めて佐伯君に声をかけたとき、何を言ったが覚えてる?」

「あ、ああ。彼女に近づくなって」

「覚えていてくれてありがとう。あの時、私ものすごく怒ってたんです」

「確かにそうだったね」


 覚えている。眉を釣り上げ、口を真一文字にして僕を睨むようにしていた。だけど、今はそんなことどうだっていい話だ。僕はそろそろと立ち上がり、カバンを肩にかけた。


「去年の春、私の兄は本能寺さんと付き合っていたの。大学に通いながら家庭教師やスイミングスクールのトレーナーのアルバイトをこなしてがんばっていたのに。

 あの人に出会ってしまった兄はすっかり人が変わってしまったわ。バイト代は全部あの人につぎ込んでた。あの人、自分がお金持ちだから普通の人の経済感覚がわからないのよね。」


 去年の春? では美優はその後に40代の男と付き合っていたというのか? いや、それよりも、僕の知っている彼女はそんな風に金銭感覚のずれた様子は少しもなかったのに。。


「それが、突然彼女が会わないって言ってきて、それっきり。兄はショックが大きかったらしくて、掛け持ちしていたアルバイトも全部やめて、引きこもってしまったわ。ところが、私が大学の近くで見かけたって母に話しているところを聞いてしまった兄はすぐさま家を飛び出して、それっきり帰ってこなかったの。」


 沙希の話に僕は鳥肌が立っていた。僕も付き合いが長くなっていたら、そんな風に自分を見失っていたのかもしれない。それを認めざるを得ない要素は、充分に持ち合わせている。


「で、お兄さんのその後の消息は?」

「それが、分からないままなの」


いつもハキハキとして意思の強そうな瞳をした彼女も、今日はその勢いを失っている。


「じゃあ、もしかしたら。。。」


 沙希はがばっと立ち上がると、僕の両肩をガシっと握り締めた。


「ねえ、貴方もやっぱりそう思う?私、怖いのよ。もしもそれが兄だったらどうしよう」

「まだ消息が分からないままなら、警察に行くべきだと思うよ」

「お願い!一緒に来てよ。私、怖くて。。。」


 僕には荷が重い仕事だった。だけど、こんなにも取り乱している彼女を、放り出してはおけなかった。


 警察に出向くと窓口で事情を説明した。沙希の話を聞いた警官は、僕たちを別室に誘導してノートパソコンを持ってやってきた。


「画像の質は悪くないのですが、なにぶん列車事故なので、遺体の状態はあまりよくありません。覚悟をしてくださいね」

「はい」


 沙希は目を瞑って小さく深呼吸をすると、警官の差し出したモニターに目をやった。


「 うそ…。うそでしょ? 兄さん!!いやぁーーっ!!」

「しっかりするんだ!本当にお兄さんなのか?」


 錯乱する沙希の両肩を押さえ、何とか落ち着かせる。


「佐伯君、どうしよう。やっぱり兄さんだった。右の眉尻にほくろが二つ並んでるの。間違いないわ」

「わかりました。では、書類をお持ちします。少しお時間を頂きますので、ご家族に連絡してすぐにここに来てもらえるよう伝えてください」


 警官は冷静にそういうと、部屋を出て行った。僕はどうしていいのか分からないまま、沙希の背中をさすっていた。



「ありがとう。ごめんね。」

「僕のことはいいから、お家の人に早く電話してあげたほうがいいんじゃない」

「そうね。だけど、…はぁ、なんて言おう」

「そうだなぁ、まずは、それらしい人物が見つかったって、伝えてみたら?ここにきて、確かめてほしいって。」


 沙希は何度も頷いて震える指先で母親に電話を入れていた。


 今日という日はいったいなんて日なんだ。自分のことだけでもいっぱいいっぱいなのに、沙希の兄さんまでこんなことになってるなんて。


 ほどなく沙希の母親がやってきた。じき父親もやってくるということだった。僕は居づらくなって、母親に頭を下げて先に帰ることにした。


「待って。佐伯君ですよね。いつも沙希からお話は聞いています。今日はとんでもないことに付き合ってもらって、ごめんなさい。驚いたでしょ?」

「いえ。そんな」


 悲しみに濡れた瞳の中にも、母親の愛情が篭ってると思った。このお母さんに育てられたのならもっとしっかりと育っているはずだろうにと、僕は不謹慎にも沙希の兄さんを不甲斐なく思った。


「貴方は、どうか元気に過ごしてね。こんな親不孝、するもんじゃないわよ」


 一瞬、小さな肩が自分の母親とダブって、ぎゅっと抱きしめたくなった。なんともいえない気持ちで頭を下げて部屋を出る。僕にはもう、出る幕もない。


 家に帰って、何をどうしていいのかわからず頭を抱えていた。しーんと静まっているのが辛くなってテレビをつけると、ワイドショーのようなものが流れていた。画面ではきれいに髪をセットしたタレントのような中年の夫人が号泣していた。


「娘は、娘はわたくしの宝物でした。どうしてこんなことに。。。娘を返して!」


 搾り出すようにそれだけの言葉を言って、関係者に導かれて車に乗り込む。この人も子どもを亡くしたのか。


「どうしてこういうことになったんでしょうねぇ。本能寺家といえば、高級ホテルやスキー場など多数経営される優雅なイメージですが、ねぇ。」

「そうですよねぇ。企業イメージもクリーンだし、お母様は子育て本の著者としても有名で、講演会もいつも満員だっていうじゃないですか。悪い男にでも騙されたんでしょうねぇ。見てくださいこのお嬢さん。天使のような無垢な微笑みじゃないですか」


 ばっと大写しになった写真を見て、僕は画面にしがみついた。「天使のような無垢な微笑」を浮かべていたのは、美優だったのだ。


「ばかだなぁ。目が笑ってないじゃないか。」


 僕は画面で微笑んでいる美優に向かってつぶやいた。



 その日の夜。僕は沙希からの電話でたたき起こされた。


「佐伯君、テレビ見た? 貴方も早くどこかに隠れた方がいいわよ。兄さんの身元が分かったというので、マスコミがバタバタしているわ。貴方の事も探りを入れてるって大学の事務局に勤めている先輩から連絡があったの。」


 なんのことだか理解するのに時間がかかった。


「私達、何も悪いことなんてしてないわ。だけど、このマスコミの動きは異様だって、警察の人が先回りして身を隠すことを勧めてくださったの。不本意だけど、しばらく消えるわ。貴方も気をつけて。」


 時計を見ると、夜中の2時だった。訳が分からないが、沙希の緊迫した声に推されて、僕は数日分の着替えをカバンに詰めて、とりあえず家を出た。繁華街までタクシーで移動して、ネットカフェで朝を待つ。

 こういうところには来たこともなかったが、意外に盛況なんだなとちょっと驚いた。


 朝になって実家に電話を入れると、母さんが怒鳴り声をあげた。


「アンタ!いったいどこをほっつき歩いてるの! 心配するでしょう!」

「母さん、僕、そっちに帰っても大丈夫かなぁ。」

「バカねぇ。当たり前でしょ。今日は母さんが休みを取ったから、家でゆっくりしていきなさい。春休みもゆっくりできなかったし、ちょうどいいじゃない」


 後半はいつもの母さんに戻っていた。やっぱり親って有難いもんだと思う。


とうとう実家にまで騒ぎは広がりをみせています。

さて、佐伯君はどうする?

次回はシーズン1最終話です。

コメント、ぜひ、よろしくお願いします。

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