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第3話

真面目過ぎる佐伯君には、彼女の噂は重すぎる。だけど、世の中は思わぬ方向に動き出すよ。


 深夜の冷え込みは厳しい。ダッフルコートの上からぐるぐるとマフラーを巻いて鼻まで防寒すると、僕は部屋を出た。ドアの鍵をかけて外を見ると、まるで見慣れない風景と今まで嗅いだ事のない夜の匂いがたち込めていた。学生時代の塾帰りの時間より、さらに遅い時間になると、こんなにも街は静けさを取り戻すのか。そのまま小走りにコンビニまで行く。遅い時間なのに、意外にもコンビニは混み合っていた。


 食料を買い込んでレジに並ぶ。2台のレジはフル稼働だというのに、客の列は店の後方にまで伸びていた。客はいろいろで、酔っ払いの男性やごく普通の大学生、僕もその一人になるのだろうけど、あと妙に派手な服装の女の子達とその取り巻き風の男たち。今から仕事に行くような感じの人もいた。

 やっぱり世間知らずなんだな、僕は。こんな時間に外にいる人のことなど、想像すらしたことがなかった。



 僕の後ろに並んだカップルが、抱き合うような格好でいちゃついているのが、店のウインドウに映っている。美優はどうしているだろう。いつものようにあのカフェで、僕を待っていてくれたのだろうか。

 店の時計を見上げると、12時を回っていた。カフェはもうとっくに閉まっている。どんな思いで席を立ったのだろうか、想像しただけで胸が痛んだ。


「ねえ、最近ミユが付き合ってる男って知ってる?」

「ミユ?ああ、うまいこと金づるを見つけたって言ってたよなぁ」

「ああ、そんなの古い古い!今は美形の眼鏡君なんだってよ。あの子ったら、彼にあわせて真面目に勉強してるんだってぇ。」


 斜め前に陣取っていた派手な女の子たちがはしゃいでいる。


「健気だねぇ。ちょっと前のあの子からは考えられないね」

「でも、いつまで続くのかしらね。プラトニックラブなんだってよぉ、あのミユが!」

「ひゅう~♪ 泣けるねぇ。俺がなぐさめてやりたいよ」


 男達も一緒になって盛り上がっていた。ミユ…。眼鏡君?金づるか。いやでも美優と重なってしまう。やっぱりそういう人だったのか。僕の視線は手元にある売れ残りの弁当から動けなくなってしまった。


 レジを済ませて部屋に帰ると、大きなため息が漏れた。しばらくは考えたくない。頭が冷えるまではそっとしておいてほしかった。

 コンビニの弁当を温めて食べる。野菜がほとんどなくて、どうにも味気ない。明日からはまた、きちんと自炊しよう。


 それからしばらく僕はカフェには行かず、図書館に通い詰めて資格試験に向けての勉強に精を出していた。そう、僕は勉強するために大学に来ているんだ。決して遊ぶためでも彼女を作るためでもない。


 あっという間に年が明け、試験が終わった。彼女のことを放り出したまま、こんなにも日が立ってしまっていることに愕然とする。

 そうか、僕は、あまりのショックに逃げ出してしまったんだ。彼女に何の説明もせず、サヨナラも言わないで。


 授業が終わって大学の門を出ると、目の前を伊藤が歩いているのを見つけた。


「伊藤!」

「おっと、めずらしいねぇ。佐伯君の方から声を掛けてくれるとは」


 相変わらずの明るさに救われる。


「あのさ。頼みにくいお願いなんだけど。。。」

「本能寺美優のことか? 俺もちょっと気になってさ、昨日彼女に聞いたところなんだ。ちょっとのどが渇いたなぁ」

「分かった、コーラでいいか?」


 まったく伊藤ってヤツはちゃっかりしてる。だけど、その分いやらしさがなくて、僕はそんな伊藤がなんとなく気に入っている。


「サンキュウ! 彼女の答えなんだが、どうも本能寺美優は落ち込んで暗くなっているらしい。誰ともしゃべらなくなって、ぼんやりと窓の外を眺めている事が多いんだそうだ。可哀想と思うかもしれんが、今までの派手な遊び方はすっかり有名になってるし、知らないでいたのはお前ぐらいのもんだったんだよ。」


 伊藤はコーラを一気に飲み干して、ぷはーっと声を上げた。


「あの子だって自分のことぐらいわかってるだろうから、覚悟は決めてたと思うよ。自業自得だからな。お前は常識から逸脱するぐらい生真面目だし。最初っから無理な組み合わせだったんだよ」

「そうか」

「気に病むなよ。女の子紹介してほしいなら、今度合コンに連れてってやるよ」

「ありがとう。でも、今はいいよ」


 伊藤はちょっと残念そうな顔をして、じゃあなと元気に街に飛び出して行った。今日もデートなんだそうだ。僕は自分の手元に残った缶コーヒーを飲みながら、門にもたれかかってぼんやりと考え込んだ。


 ぼんやりと窓の外を眺めている彼女の姿は容易に思い描ける。彼女にとって僕との出会いはほんのつまみ食い程度のものだったのだろうか。落ち込んでいるということだけど、学校にちゃんと顔を出しているってことは、そんなに大きな出来事ではなかったんだろうか。

 自嘲的な笑いがこみ上げてくる。僕は、バカか。


 2月のある日。大学を出ようとしたところで、呼び止められた。前に声をかけてきた女の子だ。


「あの、これ! 受け取ってください!」

「え?これ、何?」

「あの、帰ってから開けてください。じゃあ!」


 女の子は顔を真っ赤にして逃げるように走り去った。渡された紙バッグの中にはリボンをつけたハート模様の包みがあった。そうか、今日はバレンタインディだったんだ。

 気を取り直して歩き出すと、駅の改札の前にカフェで見かけるいつもの女の子達がたっていた。


「ほら!やっぱりこの駅で間違いなかったじゃない!」

「わぁ、久しぶりねぇ」


 みな口々に、好きなように騒いでいる。僕は気付かないふりで通り過ぎようとしたが、やっぱり呼び止められてしまった。


「佐伯さん! これ、私達からのプレゼントです。」


 差し出された大きな包みを受け取る。さっき一人で来た女の子も一緒に笑っていた。そっか、さっきのは別なのか。


「ねえ、どうして最近カフェに来なくなったの?マスターも寂しがってますよ」


 グループの中の一人の女の子が問う。


「ん、資格試験を受けようと思って、ちょっとがんばってたんだ。やっと終わってほっとしているところだよ。」

「じゃあ、またカフェに寄ってくださいね」

「ん、まあ。そのうちね」


 女の子達は嬉しそうにそれぞれ手を振って帰って行った。あの様子だと彼女はカフェに顔を出していないらしい。僕はほんの少しほっとした気分になった。またもとの生活ができそうだと思ったからだ。


 明日からまた、カフェに寄って読書が出来そうだ。


 学校の帰りにカフェに寄って、その後スーパーで買出しをして帰る。部屋に帰ると炊飯の準備をしてシャワーを浴びる。僕の一人暮らしの基本的生活が戻ってきたような気がした。

 夕刊を取りに行くと試験の合格通知が届いていた。嬉しいというよりも、本当にこれで1つ完結という印象だけが残った。


 春休みの間、僕はカフェでアルバイトをした。休みの日には実家にも帰ったが、弟はクラブが忙しく両親も仕事に追われているので、家にいても殆ど一人になる。それなら自分の部屋にいるのと同じだった。

 アルバイトをしたお陰で知り合いも増えた。新しい年度が始まっても、僕はもう後ろを振り向くことはなくなっていた。


 日差しはじりじりと強くなり、梅雨の始まりを感じる強い雨が降る日が何日か続いたある日。僕はいつものカフェである知らせに愕然となった。


 彼女が、美優が亡くなったというのだ。


「お前も一応知らない人じゃないわけだし、伝えておくよ。隠してもそのうち分かるだろうから言うけど、男と心中したんだってさ」

「まさか。。。」

「今年度になってから、あまり学校にも顔を出さなくなっていたそうだ。大学には親しい友人がいなくてなかなか分からなかったらしい。5月の終り頃、避暑地に向かう路線で電車の脱線事故があったの、覚えてるか? あの時、線路に男女が横たわっていたって話があったんだが。」


 珍しく居心地悪そうな伊藤が、彼女からの情報だと言って教えてくれた。確かにそんな話をニュース番組で見た覚えがあった。列車事故の原因は線路への置石だったらしいが、そのすぐ先に若い男女が横たわっていたと。


「その女っていうのが本能寺美優だったらしい。男の方はまだ身元が分かっていないんだそうだ。警察が俺の彼女や同じ学部の連中に聞きまわっていたそうだが、誰もあの子の交際相手については知らなかった。」

「まだ…」

「え?」

「まだ、あれから半年しか経っていないのに。どうして…」


 僕は体中の血が逆流するような悪寒を覚えていた。視界の端に気の毒そうに佇む伊藤の姿が見えて、なんとか気力を振り絞って礼を言う。


「ごめん。とりあえず、教えてくれてありがとう」

「もう、終わってしまった事だ。忘れた方がいい。気を落とすなよ」

「ああ」


 伊藤は心配げに席を立ち、じゃあなっ、と店を出た。僕はそんな伊藤の後姿を静かに見送った。目を落とすと手元のカップにはまだコーヒーが残っている。僕はゆっくりとそれを飲みながら、読みかけの本を読んだ。


 いや、正直に言うと、コーヒーの味なんてまったく分からなかったし、本を開いてそのページを見ていただけだった。何度同じところを読んでも意味が分からない。


現実は、あまりにも残酷で。。。

佐伯君、この事実をどう受け止める?

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