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第2話

やっと出会った理想の女性に浮足立つまじめな大学生佐伯。

こんな女性に慣れてない大学生男子って、今どきいるのかなぁ。。。と思いつつ、

あ、でも意外といるかも。

「やあ、久しぶりだね」


 店長は、いつもどおりの屈託のない笑顔で迎えてくれた。軽く会釈をしていつもの席にむかう。天井のCGもどこかたそがれた色味に変っている。季節の移ろいすら人工的に作られているのか。

 深呼吸すると、どことなく懐かしい秋の気配を感じる。胸が急に締め付けられる感覚に戸惑った。


 平常心を取り戻したい。僕はすぐさまいつもの席に座り、読書を楽しもうと試みた。しかしそれは徒労に終わる。心に秘めているものが、読書することすら許さないのだ。


 かすかな甘い香りが漂い、彼女が店を訪れたのがわかる。妙な胸騒ぎがして顔を上げると、目の前の席に彼女と40代半ばの男が座っていた。男は、マスターがコーヒーを運んで下がっていくと、すぐさま体を乗り出して聞こえよがしな小声で彼女を責めた。


「何考えてるんだ。あんな時間に電話なんか掛けられたら迷惑だろ」

「だって。困ったときにはいつでも相談に乗るよって言ってたじゃない」

「はぁ?それは言葉のアヤってもんだろ。君には充分な報酬を支払っているはずだが?」


 まるで彼女の言う事など聞く耳を持たないらしい。


「報酬? ひどいわ。私、そんなつもりじゃ。。。」

「そんなつもりもこんなつもりもないよ。潮時だな。これで終りにしよう。言っておくが、こうなったのは君の電話のせいなんだ。文句はお門違いだよ」

「あっ。。。」


 彼女が驚いている間に、男はさっさと席を立った。どういう関係だったか分かりたくもないが、彼女を一人店に残して、代金も払わずに出て行くとは、随分ひどい男だ。

 二人が座っていた席が僕の席から丸見えになる位置だったことが辛かった。


 僕に背を向けてぽつんと座っている彼女は、身じろぎもしない。泣いているのかもしれない。声をかけるべきか、それともそっとしておいてあげた方がいいのだろうか。僕は本の真ん中をじっと睨みながらしばらく考えていた。

 そのうち、すすり泣くような声が聞こえてきた。やっぱり泣いているんだ。


 僕の中の決意は、波打ち際の砂の城のようにあっさりと崩れ落ちた。本を閉じて立ち上がり、彼女のテーブルの横を通り過ぎるとき、そっとハンカチを置いた。

 彼女の泣き顔は見たくなかったが、そんな姿さえきっと美しいと感じてしまうだろう。


「ありがとう」


 彼女が力ない声で言う。こういうとき、どんな言葉が適切なんだろうか。言葉が出ないまま、僕は小さく頷いてその場を離れた。


 それから10日ばかり彼女の姿を見ることはなかった。よほど悲しかったのだろう。もしかしたら僕のやったことは余計なことだったのだろうか。

 それからも学校帰りに、僕はカフェで本を読む。ふと顔を上げると、目の前に彼女が座っていたイスがぽつんとそこにある。あの日、僕が胸に秘めていた決意は、あの場面には到底そぐわないものだった。

 言わぬが華ということか。



「佐伯!ここだよ!」


 その日、いつものカフェに行くと、なぜか伊藤が待っていた。まるで約束していたような口ぶりに鼻白む。


「ここに来れば会えると思ってたよ。再びなんだが。。。その」

「ノートか?」

「悪いねぇ。恩に着るよ。」

「どうしてそんなに抜け出してばかりなんだよ?」

「しょうがないじゃないか。彼女がね、どうしても会いたいってうるさいんだよなぁ」


 わざとらしく髪を掻きあげるのは、どこかのタレントの受け売りか?


「まったく、いい気なもんだな」

「そう言うなよ。今度埋め合わせしてやるからさ。じゃあ」


 ノートを受け取ると、さっさと立ち上がった。


「あの、こんにちは」

「あ、あなたは…」


 突然の事でうまく言葉が出ない。伊藤は突然やってきた彼女を後方からにやにやと眺めると僕に向かって眉毛をあげて見せ、さっさと店を出て行った。

 舌打ちしたい気分だったが、彼女の前ではそれもはばかれる。


「この前は、ありがとう。かっこわるいとこ見られてしまって。。」

「ああ、いや。そんな。。。」


 ああ、こういうとき伊藤だったらどんな風に返すんだろう。

 オタオタしていると、彼女がハンカチを差し出した。それは、前に僕が彼女に手渡したハンカチだった。受け取るとかすかなフローラルの香りがした。きちんとアイロンがけもされている。彼女の人柄が出ている気がした。


「あの、よかったらどうぞ」


 言った本人が一番驚いた。まさか自分の口からこんな気の利いたセリフが飛び出すとは思わなかった。そして、彼女は嬉しそうに微笑むと、「じゃあ、お言葉に甘えて」と僕の隣に腰を下ろした。


 彼女の名前は本能寺美優というそうだ。3人兄妹の末っ子で、今は家を出て一人暮らしをしているという。話をしていくうちに、僕との共通点もいくつか見つかった。両親が共稼ぎだという点、一人暮らしをしている点。そしてこのカフェの常連である点もだ。


 一人暮らししているというが、彼女には世間ズレしたところもないし生活感も感じない。なんというか、あまりにも無防備な印象が残るのだ。放置できない何かをいつもその瞳に宿している。ただ、良家のお嬢さんだろうことは、身につけているものでなんとなく判断がついた。靴もカバンも、流行のブランドではないが、老舗の上質なものを選んでいる。

 まるきり自分の価値観と似ていることに、僕は気持ちが高ぶるのを自覚した。


 翌日も、その翌日も、カフェに行くと彼女に会うことができた。少しずつ意思の疎通がなめらかになっていく。いつのまにか、彼女に会うことが当たり前のことのように感じていた。

 そんなある日。僕は見覚えのある女の子に呼び止められた。


「彼女にこれ以上近づかない方がいいですよ」

「…どういう意味かな。」


 僕はその女の子のことを思い出そう頭をめぐらせながら答える。女の子はちょっと怒ったような不機嫌な雰囲気を漂わせたまま、一旦顔を背けた。


「君は本能寺さんのお知り合い?」


 しょうがないのでこちらから話を切り出した。女の子はキッと僕を睨む。余計なことを聞くなと言う事か。


「とにかく、伝えましたから!」


 それだけいうと、あっという間に立ち去った。その後姿を見てふと思い出した。そうだ、あのカフェでいつも楽しそうにおしゃべりしている女性陣、マスターが、僕が店に来るとメリットがあると言っていたあの時のグループの一人だ。


 だけど、どうしてそんな人が本能寺さんのことを知っているんだろう。ただの嫉妬か?それとも何か、本当に知っているのだろうか。僕の脳裏に40代の男の姿が浮かんだのは言うまでもない。思い出したくない彼女の過去の片鱗は、僕の心の奥に小さなひっかかりを作っていた。


 その次の日、僕は思い切って彼女を食事に誘った。これが一晩考えた結果だ。僕が求めているものは彼女の過去でも評判でもない。

 彼女はとても優雅に食事をする。ちょっと困ったのはタバコを吸うことだった。だけど、それもこちらの要望を聞き入れて、僕の前では吸わないでいてくれる。これは結構無理なお願いだと思っていたので、僕は随分と浮かれてしまった。


 それからも、僕は彼女にいくつかのアドバイスをした。そのたび、彼女は真面目に聞いてくれたし、時に議論に発展することもあったけど、お互いの譲歩で合意点を見つけ出すことが出来た。


 僕はいつの間にか彼女のことを美優と呼ぶようになり、彼女はシュージと答えるようになっていた。


 街中にクリスマスソングが流れるようになった頃、カフェの3軒手前の店から伊藤が飛び出してきた。


「佐伯! ちょっと待って。」

「なんだよ。僕に用があるならカフェで待っててくれればよかったのに」


 伊藤はちょっと息を整えてから僕の肩をわしづかみにして言った。


「悪いけど、カフェにはいけないんだ。ちょっとここの店に寄ってくれないか」


 事態が理解できないまま、伊藤の腕に引っ張られる形で手前の喫茶店に連れ込まれた。店内にはすでに飲みかけのコーヒーと本がおいたままになっていて、伊藤がさっきまでここで僕が来るのを待っていたのが分かった。


「佐伯、あれから彼女と付き合い始めてるのか?」

「彼女?」

「そうだよ。ちょっと前にあのカフェでハンカチかなにかをお前に返していたあの彼女だ」


 伊藤、お前もか。それが僕の気持ちだった。しかし伊藤の話はちょっと違っていた。


「本能寺美優っていうんだろ? 実は俺の彼女と同じ大学なんだ。なんでも裕福な家のお嬢様だそうだけど、親がいそがしくて子どもの面倒を見ていないらしいぜ。」

「子どもの面倒って言っても、彼女はもう20歳だよ」

「まあ、そう焦るな。そう、今は確かに20歳かもしれないが、彼女にだって子どもの頃があった。そしてその頃も、やっぱり親は忙しくて彼女に構っちゃくれなかったとしたらどうだ?」


 伊藤と言う男はこんなに回りくどいことをいう男ではなかったと思っていたが、何が言いたいのだ?


「はっきり言えって顔だな。俺の彼女によるとだ。本能寺美優と同じ高校出身の人物からの話では、彼女は高校時代から随分と派手で乱れた生活をしていたらしい。付き合う男に合わせて雰囲気を変えていくが、長くは続かなくて、結局はあれた生活に戻っていくそうだ。」

「本当に彼女のことなのか? 僕にはそうは見えないが」

「そう、そこなんだ。本能寺美優は派手で乱れた生活を送っていたのに、ここ数か月ほどの間に随分と大人しくなってきたって言うんだ。ケバケバしい服装もしなくなったし、最近はタバコも吸わなくなった。それに、真面目に勉強する姿も見られるようになったんだそうだ。」

「で、それが僕と付き合い始めたからだってわけか?」


 バカバカしいにもほどがある。ケバケバしい服装など見たこともない。彼女は、出会った時から清楚で上品な女性だった。いつだって…。 僕は、頭の中で伊藤の言う美優の虚像を1つ1つ打ち消していった。しかしどうにも何かがひっかかる。

そうだ。あの40代の男との関係だ。あれだけは、消したくても消す事ができない。


「どうやら思い当たる点が見つかったようだな。14、5歳の中坊相手の話じゃないからこれ以上は言わない。だけど、よく考えろよ。女の子の噂はとかく尾ひれがついてくるが、自分の目で見たもの、感じたものはごまかせないだろ」


 悔しいが否定する事ができなかった。彼女をさりげなくリードしているつもりだった僕は、後頭部をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。

 思い上がりだった。危なっかしくふわふわとした印象の彼女を優しく安全な場所に誘導しているつもりだったのだ。危なっかしく世間知らずだったのは僕の方なのに。


 伊藤は僕の肩を軽く二度ばかり叩くと、静かに店を出て行った。目の前には飲みかけのコーヒーカップ。まだ穏かな湯気が上がっている。しかしそれを口に持っていく気力は、今の僕には残っていなかった。ましてや、カフェに足を伸ばす事など出来るはずもなかった。


 その店から、どこをどうやって帰ったのか、自分でも覚えていない。とにかく、気が付くと僕は自分の部屋に戻って机に向かっていて、目の前には何冊かの本が並んでいた。


 こんな時でも勉強なのか、佐伯修司よ。


 自嘲しながらも、僕は勉強に集中しようと試みた。進学校で叩き込まれた学習の習慣のおかげか、僕はあっさり勉強に没頭し始めた。1月には資格試験がある。僕のレベルではまだ無理かもしれないが、受験は申し込み済みだ。


 ふと我に返ると、深夜になっていた。考えてみれば夕食も摂っていない。しょうがない、コンビニにでも行ってみるか。

 僕は重い腰を上げた。


なんだか雲行きが怪しくなってきました。

佐伯くーん、頑張って。

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