55 仮処分
「悪かったわ」
皇太后から引き出した言葉はそれだけだった。
東宮や父様から問い詰められ発した言葉は間違えただけだと言い張っていた。
その言葉に弘徽殿女御や太政大臣、他の大臣たちまでもお怒りになり詰め寄られた結果やっとその言葉を言った。
東宮は私にどうするかと聞いてくれたが、やはりやり方が汚く間違いだと言い訳をすること自体到底許すことなどできない。
そんな私の気持ちを理解してくれたのか東宮と宰相は仮処分として謹慎の継続。更に女房は三人まで減らされて女房たちも殿舎から出ることを禁じた。他に仕えていた女房や下女、下男たちすべては東宮の監視下におかれ別の建物に移された。
皇太后の行動には近衛騎士たちが厳重に監視し、外部との接触を断った。
おそらく皇太后は後宮に入ってからここまでの待遇は初めてだろう最後まで東宮や宰相に暴言を吐いた。
「よくも、私をこんな目に! お前どもみんな後悔させてやる。覚えておくがいい」
皇太后は東宮と私、そしてこの場いる大臣たちに向かって叫んだ。
近衛騎士たちに連れられて部屋を出ていく皇太后は去り際、私を睨みつけてきたがこちらも負けじと睨みつけたが嫌な気分は晴れることはなかった。
「東宮様」
宰相が東宮に声をかけていた。
二人は何か話し込んでいるが、そこへ近衛大将が近づいていき三人で話し合っている。
その様子を他の大臣たちが遠巻きに眺めている。
ある者はいつもの通り皇太后の処分はなくなるだろうと話すものや中には東宮失脚間近と話す不届き者までいた。
宰相の言葉で審議は解散となり自分も部屋に戻ろうとすると東宮が付添ってくれた。
「ありがとう」
部屋について女房がお茶を出してくれて二人で寛いでいるとき突然言われた。
どういうことだろうかと顔を見上げるとそっと抱きしめられた。
東宮から爽やかな香りがした。その香りを嗅いでいると少しずつ先ほどの不快な気分は和らいだ。
「そなたがあの場で言ってくれたおかげで周囲の者も言いやすくなったのだ」
「私は言いすぎたのではありませんか?」
東宮はあの場で皆のうっ憤を出したかったようだ。それくらい、いつも帝は皇太后の所業を有耶無耶にしてきた経緯がある。
反皇太后派や中立派の中には何度も煮え湯を飲まされた者もいる。その者達は既に終わったことで蒸し返すことなど出来ない内容もある。その為、皇太后を追い込むことが出来ずにいたのだ。
あの場を利用しなければ皇太后を追い詰めることすら難しかったのだと告げられ更に深く思い悩んだ。
今回のことは綾自身に関わることなので綾や東宮、左大臣が声を上げても問題ないと判断したらしい。
そこへ他の大臣たちが賛同すれば御の字でそれを狙ったものだった。
今まで我慢しなければならなかったもの、これから自分の身に起こりうるかもしれない者たちは帝が皇太后の所業を見過ごすことを良としていない。綾はそこをうまくついたと言ってくれた。
「すまない、そなたを利用するようなことをして申し訳なく思う」
「どうかお気になさらないでください。あの言葉は私自身、ずっと思っていたことですから」
それは本心からだった。
先日の皇太后の言動は到底許せることではない。あの場にいながら、皇太后を窘める唯一の存在の帝は自分を庇うことすらしなかった。
今後、同じようなことがあっても同様のことをするのかと腹立たしさがあったのは確かだ。
「皇太后様の処分はなしには出来ない。ただ、帝はあのような行動をとるとしばらく部屋から出てこなくなる」
「どういうことですか?」
今までも皇太后のことで何か問題が起きると帝は今日のように退出してしまうのだという。そうすると数日は部屋から出てこなくなり、その間の会議や審議を行えず、承認すらも滞ってしまうのだと言う。
そうなると大臣たちがこぞって帝の元へ行き説得すると言っていた。そして皇太后は帝を部屋から出す代わりに自分の問題を不問にするようにと大臣たちに交換条件を持ち出すこともあったという。
帝は部屋を退出する間際、東宮と自分を見ていた。その顔が少し曇っていたのだ。今回も有耶無耶にされてしまうのかと心配していたが、どうやら違っていて既に皇太后の処分はいくつか決まっていたようだった。
いつものように有耶無耶にされないため、帝にはその中から選んでもらおうとしていたようだったがその話をする前に退出してしまった。
その為、急遽、帝と皇太后が接触を計れないように謹慎処分と外部との取次も一切禁止したという。
今日の場で宰相と東宮が帝の許可がなくても出来る処分が謹慎。それも外部との接触は一切禁止を考えると帝の許可が必要な処分は何だろうと気になった。
しかし、東宮はそれを言及しなかった。理由は反対する者からの妨害を防ぐためだと言っていた。
暫くして兄の左近中将がやってきて東宮に何やら話をして帰っていった。
「急ぎの仕事が入った。一度ここを離れるが今夜、こちらに来てもいいだろうか?」
夕餉でも一緒に摂るのだと思って深く考えずに返事をしたら、東宮が口元に手を当てて少し考えてから笑いながら部屋を出ていった。
直後、香奈が部屋に飛び込んできた。
「姫様。先ほど東宮様に何を言われましたか??」
「え? 今夜、来るって言っていたけど……?」
「あ~っ! みんな急いで準備して!」
「なに? どうしたの??」
香奈の声に女房達が数人なだれ込んできて綾の衣を剥ぎ取り、新しい衣へと着替えさせられた。
別の女房は奥の部屋を整え始めている。
「えっ? あれ? もしかして今夜来るっていうのは……」
「そうですよ。今夜、東宮様はここにお泊りになられるとのことです」
どうやら綾が気づいていない様子だったので東宮は部屋を出てから香奈に今夜泊まることを伝えていったらしい。
何となく気恥ずかしさもあって女房達に言われるまま準備をして夜を待った。
陽が落ちてから東宮付きの女房、紅葉がやってきた。
以前ここに訪ねてきた女房だ。東宮付の女房と言われ緊張したが顔見知りなので少し安心した。紅葉からは今夜の手順などを聞かされて夜を待った。
香奈は紅葉が来てから交代するように綾のことは紅葉の指示ですべての準備が行われた。
その日の夜、遅くに東宮様がやってきた。
落ち着いた深緑の束帯を身に着け部屋に入ってきた姿を見て急に緊張してしまった。
夜のお召は自分が東宮のお部屋を訪ねるものだとばかり思っていたがそうではなかったのね。
それにしてもこんなに急に?
心臓がバクバクなりだすが、紅葉に言われた通り東宮と軽い食事を摂っていると部屋の明かりが落とされたのを合図に東宮に手を引かれて奥の寝所へと向かった。
「急で申し訳ない。よかったか?」
「私は覚悟をもって東宮様の元へ来ました。今更、嫌だと言って許されるのでしょうか?」
「あっ、いや。やはり、嫌なのか?」
急に慌てだす東宮を見て思わず吹き出してしまった。
「そなた、私を揶揄ったのか?」
東宮はそういいながら私の体を押し倒した。
「ずっと傍にいてほしい。そなたのことは必ず守るから」
「自分の身は守れますわ」
「そうであったな。それでも守らせてほしい」
懇願するような表情をされてここは折れることにした。
「それではお願いします」
東宮はそれが嬉しかったようで破顔している。その表情を見ていて気が緩んだのか急に眠くなってきた。瞼が開けてられない。温かい腕の中はこんなに安らげるのかと考えながら意識を手放した。
「ええっ? おい、こら!」
「東宮様、どうされましたか?」
「あっ。いや、その…」
紅葉が部屋のすぐ外から声をかけてきたが何と言っていいのか、焦っていた。
仕方なく、先ほど脱いだ衣を羽織って寝所からでた。
「寝てしまった」
「え??」
「だから、疲れたのであろう。寝てしまった」
どうしたものかと頬を書きながら紅葉に事情を説明する。紅葉のため息が聞こえるようだ。自分もなんだか拍子抜けしてしまった。かなり意気込んでここまで来たのに。まさかこんなことになるとは想像すらしていなかった。
部屋の中には紅葉が、部屋の外には数人の護衛までいるのに何もなかったとは言いづらい。
その時、部屋の外から声がした。
「どうした!」
「お待ちの者、来ました」
外の護衛とは違う者の声だ。自分の本来の部屋、昭陽舎付の護衛だ。
予想通りの展開に笑いがこみあげてくる。
「東宮様」
紅葉に窘められる。
コホン。コホン。
「怪我人はいないか?」
「女房殿たち含めこちら側の者はかすり傷一つありません」
「ご苦労。夜明けまでにすべてを吐かせろ」
「はっ。」
上手くおびき寄せることが出来てよかったと思うのと同時にまた面倒なことが起きたという苦々しい思いがわいてくる。
「かすり傷一つないとは」
周囲には今夜、東宮妃を昭陽舎へ召すと言う噂を流していた。
東宮妃の身代わりは女房の香奈。香奈には東宮妃の衣を着てここの女房達数人を連れて昭陽舎へ行ってもらった。そこには頭中将が私の身代わりとして東宮の衣を着て待機してもらっている。部屋の奥には左近中将や麗景殿の女房が潜んでいるはずだった。
皇太后か皇太后派の誰かが強硬手段に出ることを予測して予め手を打っておいた。
無防備ともいえる夜伽を狙ったのだろうが、まさか手練れの女房達が潜んでいるとは思ってもいなかっただろう。
「流石としか言いようがないですね」
紅葉の感心する言葉に改めて思う。
「左大臣の北の方の教えだそうだ。自分の身は自分で守れるようにと」
「それにしても、武術以外も教え込ませていますよね」
東宮は両腕を組んで考える。
「北の方は母君の妹君だ。後宮でのことを少なからず聞いていたのではないだろうか」
「東宮妃様はかなり幼いころより北の方自ら教え込まれていたようですが、もしや東宮妃になることも予想していたのでしょうか」
「いや、それはない。東宮妃はいずれあの家の総領姫として家を継ぐつもりでいたようだ。その為の教えだと左近中将も言っていた」
「それでも、すごいことですわ」
「そうだろうな。他の貴族ではそんな話は聞かない。私は綾姫を手に入れただけでなく、優秀な武人も手に入れたことになるのだからな」
「護衛の者達が褒めていました。麗景殿の女房達は賊が現れても声を上げることなく一糸乱れぬ動きで賊たちを拘束してしまうと」
以前、藤壺に賊が押し入ったとき隣の殿舎の梅壺の女房が公達に抱きついてきて、賊を追いかけるのが遅れたと言っていた。女房はその公達に懸想していたようで女房の行動がワザとであると気づいた。
麗景殿の女房達はそんな行動は一切見られないが公達の方が女房達を気に入り東宮に相談を持ち掛けてくるほどだ。
ここで護衛をしてくれている者達の殆どは貴族の三男や四男と言ったところなので身分とかを厳しく言われることもないことから本気でここの女房を妻にと考えている者達だ。今回の件で、更にここの女房達の人気は間違いなく上がるだろう。
「恋愛相談が増えそうだな」
「ふふ。よいではないですか。東宮妃様の女房たちでしょう。確固たる絆が出来ます」
それもそうかと納得してしまう。それよりも明日、帝のことを何とかしないといけない。そちらの方が大変だ。どうして賊の拘束の方が簡単なのだろうかと別の疑問がわいてくる。
優秀な部下を持つと自分の出番が少なくなるというのは本当だな。嬉しい限りだ。
「このままここで休むことにする。朝になったら起こしてくれ」
「分かりました」
落胆にもとれる紅葉の返事を背にもう一度、寝所へ戻った。
翌朝目覚めると、隣に東宮はいなかった。
外の部屋からは微かな話声が聞こえる。慌てて傍にあった衣を羽織って寝所を出た。
「起きたか。もっとゆっくりしていていいのだぞ」
東宮は紅葉に手伝ってもらいながら着替えをしていた。
慌てて座り頭を下げた。
「昨夜は申し訳ございませんでした」
東宮が折角泊まりに来てくれたのに寝てしまったのだ。大きな失態だ。顔を上げられずにいると東宮が目の前に座った。
「気にしなくていい。最近色々あって疲れていたのだろう」
やっと顔を上げることが出来た。東宮はいつもと変わらず微笑んでくれる。
「あの……」
何か言わなければと思うが言葉が浮かばない。
「大臣たちと話をしてくる。後でまた来るからゆっくりしていなさい」
「はい」
東宮と紅葉を見送り振り返ると香奈が仁王立ちで待ち構えていた。




