40 帥宮の告白 前編
「私はこれから東宮様のところへご報告に行きます。東宮妃様もくれぐれもお気を付けください。誰もこの麗景殿に近づかせないように護衛に言い含めておきます」
頭中将が立ち上がり部屋を出ていこうとするのを呼び止めた。
「頭中将様。昨夜の話を香奈にしてもいいでしょうか?」
頭中将は香奈を見る。
「いいでしょう。ただし、他言無用です。もし、この話が漏れたら東宮妃様のお命さえも危ぶまれます」
「分かりました」
綾と頭中将の話を横で聞いている香奈の表情は固まっている。
当然だ。命を狙われると言われて平気なものなどいるわけがない。
頭中将が部屋から出ていくのを見送って綾はまずは腹ごしらえをしようと思った。
部屋の奥で控えていた者に綾と香奈の食事の用意を頼んだ。
「姫様?」
「お腹がすいたでしょう。先に昼餉にしましょう」
不安そうな香奈の気を紛らわせるため明るく言う。
「ここに書かれているのと香奈たちが調べてくれたことはこれからのことにとても役立つわ」
部屋に運ばれてきた食事を香奈と一緒に摂る。
初めは主人と一緒に食事を摂るなんてと香奈は遠慮していたが、食べながら話したいこともあるからと無理を言った。
「あの部屋で見たことですよね。誰がどの方にご挨拶に伺っていたのか。それと私たちが調べたのは女房や下男、下女たちの噂ですね」
「そう。今日はその噂について少しだけ分かったわよね」
「噂を流していたのは左中弁様でしたね」
香奈も左兵衛督の言葉を聞き逃さなかったようだ。
「その目的は、新右近中将が言っていたことと繋がるはずよ」
「姫様を側室にと言っていたことですか?」
「東宮様を廃位になれば、私は実家に戻されるかもしくは同じく廃位となって東宮様と宮中から出されるわ。もし、実家に戻されてもどこかに嫁ぐことなど出来ないはずだけど何か大きな力が働けば私は拒否することは出来ないわ」
「新右近中将様は東宮様を廃位して姫様を側室にするのですね。弓で負けた仕返しといったところでしょうか」
「多分ね。しつこそうじゃない?」
「確かにそうですね。あの時も、一度の戦いで納得されなくて結局三回も姫様に挑まれましたから」
綾も香奈も当時のことを思い出して笑い出す。
食事が終わり、お茶を飲みながら綾は香奈に向き合った。
「この間、桜子様にお会いしたあと帥宮邸に行ってきたの。これは東宮様が望んだことらしいのだけど……」
〇〇〇
式部卿宮邸を出た後、頭中将に連れられて帥宮邸に向かった。どうやら東宮から話を聞いてくるようにと言われたことらしい。
「お待ちしておりました」
帥宮は濃い緑の直衣を着て出迎えてくれた。
病弱だと聞いていたが顔色もよく、それでいて白い肌に緑の直衣がとても似合っていた。
「お聞きになりたいことがあるとか」
「はい。先々帝の女御様がお産みあそばされた内親王様についてです」
帥宮は一瞬驚いた表情を見せたがすぐに目を伏せた。
「美和のことですか」
今度は綾が驚いた。
知っていたのか。それなら柾良親王の病気のことも気づいていた可能性がある。
「その美和という女性のことを教えてくださいますか?」
頭中将はわざとこちらから情報を出さない様子だ。綾は静かに成り行きを見守った。
「先々帝の御代の時、宮中で大火事があり後宮を含む多数の建物が焼け落ちました」
帥宮の話は約二十年前に起こった宮中の大火事の出来事だった。
「当時の東宮様とその母君、ほとんどの女御様が亡くなり当時の女御様で生き延びたのは式部卿宮の北の方、桜子様の母君と美和殿の母君だけでした」
火元から離れたところに部屋を賜っていた桜子の母と美和の母は何とか逃げることが出来た。内裏が焼失したことにより、当時親王の妃であった皇太后の実家が里内裏となったが本来であれば、東宮を産んだ女御の実家が里内裏となるはずだった。しかし、東宮を産んだ女御は宮中で焼死、親王は火傷を負って助け出されたが数日後に亡くなったため、穢れを避けるための理由だった。
「美和の母君はその後どうしたのですか?」
頭中将の言葉に帥宮はそっと目を伏せた。
「桜子殿の母君と美和殿の母君は当時、ご懐妊中で出産間近だったためお二人ともご実家に戻られて出産されました。ですが、宮中の焼失に女御様たちや親王も亡くなって混乱していたのです。当時の帝も心労がたたって倒れられたことで、美和殿が生まれたことすら人々に知らされることはありませんでした」
綾は美和の境遇を思い浮かべるにつれ涙が溢れてきた。
「数年後、美和の母君も亡くなり、桜子様の母君が引き取りました。ですが帝がお認めになっていない美和殿の立場はなく宮家の庶子として生きることになりました」
「帝はどうしてお認めになられなかったのですか?」
どうしても腑に落ちなくて綾は聞いた。
「ご実家で出産されるときでも帝から医師が送られます。ですが、美和殿の母君だけはそれが行われなかったと聞いています」
「桜子様の御母君の出産は?」
「桜子様の母君は宮家の姫君だったため、いち早く医師が送られました。しかし、美和殿の母君は一臣下の姫君だったため……医師は送られることはなかったと」
「誰も助言しなかったのですか?」
綾は我慢できずに、帥宮に詰め寄った。
「自分の身に降りかかる災いを恐れて誰も口にすることもなかったのです。それに先々帝も病に倒れてしまって。その話題に触れることもなくなりました」
「どんな禍なのですか?」
「東宮妃様はご自分の命と引き換えに誰かを助けることが出来ますか?」
「どういうこと?」
当時の者たちが口裏を合わせて美和を存在しないものとして扱ったということだろうか?




