39 噂の出どころ
渡殿を見ていた頭中将の表情が厳しくなっている。
「例の方たちがやってきましたね」
部屋に緊張が走る。
綾は更に居住まいを正し、香奈は背筋を伸ばし御簾の先に視線を送る。頭中将の視線は鋭くなる。
現れたのは帥宮の部下、大弐などの中堅どころの言った役職の者たち三名だった。
右大弁に左兵衛督ね……。
綾は三人の話をじっくりと聞いている。
一向に本題に入らない三人に苛立ちを覚えて、会話の糸口でも探さないといけないのかと思っていた矢先、相手から待ち望んでいた言葉がでた。
「東宮妃様のお体もあまり丈夫ではないご様子。東宮様もさぞや心落ちされているでしょう」
そういうのは大弐。それに便乗するかのように右大弁と左兵衛督が話を続ける。
「最近では部屋に籠り切りとか、ご実家に戻られて養生された方がいいのでは?」
「そうですな。このままでは東宮様の御代に傷がつきますから、早いほうがいいでしょう」
綾が例の部屋で弘徽殿、承香殿さらには常寧殿へ訪れる者たちを調べている間、香奈たち女房も別の情報収集を行っていたのだ。
そこで分かったのが、東宮妃は重い病のため、近々後宮を辞すると言う噂だった。
思わず兄や頭中将に詰め寄り、東宮がそのようなことを考えているのかと問い詰めてしまったが、返ってきた言葉は否。
東宮はそんなこと微塵も考えていないのと、やっと念願の姫を東宮妃にしたのだから簡単に手放すはずもないと言われた。なにより、綾はいたって健康でピンピンしている。
誰がどんな目的で重病説を流したのか、調べてもはっきりとした出どころが分からなかったようだ。ただ、目の前にいる三人がよく話していると言うことだけ。そこで、綾の元へ挨拶に訪れた時に何か聞き出せないかと考えていた。
綾は大きく息を吸い、逸る気持ちを落ち着かせた。
「どこでそんな話になっているのかしら?私が部屋に籠っているのは東宮様、承香殿女御様が最近の後宮での物騒な事件を心配されて、部屋に居るようにと配慮してくださっているからですわ」
「ですが、寝込まれていたという話がありましたが。それはどう説明されるのですかな」
なおも食い下がる大弐。
「慣れない後宮生活で少しばかり疲れがでただけです。今はすっかり良くなりました」
「後宮生活に慣れないとはお労しい。さぞやご実家に帰りたいでしょう。私がお力添えします。どうぞご安心を」
右大弁が嬉々として綾の追い出し作戦を実行しようと試みる。
「まさか後宮に賊が出るとは思いもよりませんでした。それも検非違使たちを撒くとは。どなたかが手引きしているように思えてなりません。右大弁殿はどのようにお考えですか?」
綾は三人の表情の変化を見ていた。大弐がほんの少し眉を動かしていた。他の二人も明らかに動揺している。
「東宮様も後宮の問題や東宮妃様の体調を気遣いとても大変でしょうな」
右大弁が更に嫌味を言ってくる。どうやら綾が入内したことで後宮内の問題が大きくなったかのような言い方だ。
「私がいないほうがいいとおっしゃるのですか?」
「いえ、とてもそんなこと。ただ、これ以上東宮様のご負担を考えると東宮妃様にはご実家に戻られた方がよろしいかと」
「そうね……」
三人の表情が明るくなったのを確認してから綾はつづけた。
「先日、東宮様から梨をいただきましたの。それなのに東宮様を見捨てるようなことをこの私が出来るとでも?」
「な、梨ですと?」
「あの昭陽舎の梨ですか?」
三人の表情は一気に青ざめていく。ここで一気に畳みかける。
「一体どなたがおっしゃったのかしら、私が重病だと。東宮様から信頼もされている私が後宮を辞するなんておかしな話よね」
「いやだが、左中弁が……」
「左兵衛督殿、ここでは!」
動揺した左兵衛督が口走るのを慌てて大弐が止めているが既に遅い。
犯人は眠りの弁輔か!
あいつは一生眠っていろと怒鳴りたくなる。
綾は頭中将を見ると笑顔を見せてきた。さあ、どうやって締め上げようかと意気込んだとたん、三人は慌てて用を思い出したと席を立った。
「あ~っ」
思わず声が出ていた。
「東宮妃様、これだけ分かれば十分です。ここからは私たちの仕事ですから。それより、もう一人面倒な方が来られたようです」
三人が帰っていき緊張の糸が緩んでいた綾は御簾の向こうにやってきた人物をみて固まった。香奈の顔は強張っているが綾が見ると心得たと言うように頷く。
「綾姫様とこのような場所で再開できるとは思ってもみませんでした」
そういうのは新右近中将だ。
幼いころ綾が弓の試合で負かした相手で出家したはずのものが還俗して戻ってきた。聞くところによるとかなりのお金を積んで還俗して皇太后の力で官位を手に入れたらしい。綾は再開を喜ぶつもりもないので無視を決め込む。
「ぜひ昔話でもと思い尋ねてきました」
綾の無視を気づいていないのか一人で話を続ける。
香奈を見ると小さく頷く。
「東宮妃様はどのような昔話か検討もつきかねるとのことです」
綾は話をするもの気分が悪いので香奈に代弁してもらった。
「綾姫様に求婚をした私をお忘れですか?」
はぁ~っ?
弓の試合で賭けの対象にされただけで、求婚されたわけではない。賭けの対象だけでも不届き者なのに綾に負けたではないか。
「東宮妃様は新右近中将様より文をいただいた記憶もありませんし、お返事を書いた覚えもないとおっしゃっています」
「そうでしたね。では今度、文でも書いてみましょう」
「断りします!」
香奈が速攻断っている。
「いつまでそのようなことを言っていられますかな」
香奈も断りも意に返さない様子で更に言ってくる。
「東宮妃様が他の殿方の文を受け取ることはしません」
「これは手厳しい。ですが、いずれ私の側室にでもして差し上げましょう」
側室だと?
なにを言っているのだと憤慨している綾を気にもしていない新右近中将が立ち上がろうとした。
「お待ちを」
それまで静かに聞いていた頭中将が突然、声をかけていた。
御簾を扇で少しずらし、新右近中将に姿を見せる。
「お立場を弁えていただきたい。こちらの方は東宮妃様です。ことと次第によっては東宮様にご報告いたします」
頭中将が出てきたことに少し驚いた様子だが、一瞬で笑みを湛えて礼を言って帰っていく。
「先程の言葉はどういいことですか?」
香奈が頭中将に聞いている。
「東宮様を廃しようとしている動きが活発化したのでしょう」
頭中将は拙いなと呟いていた。




