38 招かざる客
御簾の向こうに現れたのはでっぷりとした体型の少し年のいった男だった。
源忠光といって右中弁だが、ここに来てからひたすら一人で喋りまくっている。頭中将を見ると諦めろと言う顔をしていた。噂通りの男だ。
その名も眠りの弁輔。
会議中は眠り続け、会議が終わると色々な部署で他人の迷惑を顧みず話し込み嫌がられているのだ。
役職に見合った仕事はしていない。というか出来ないという噂だ。それは周知の事実で仕事の話をこの男にする者はいない。
特に手柄を立てているわけでもなく、家柄も中の下だが右中弁でいられるのも皇太后が後ろ盾になっていると噂がある。
正五位なので頭中将や兄の左近中将よりも下の身分なので年齢から考えてもこれ以上の出世は望めないのは分かり切っているが後ろ盾が皇太后ということで皆が気を遣う存在になっている。表向きは。
はぁ~。
ため息が出る。脇息を近づけそこに右腕を乗せ、体を預ける。
「おや、お疲れ様ですか。おかしいですな~。東宮様のお渡りはないと聞いていますのに」
はぁ?
ため息と気配から綾の疲れた様子を悟ったらしい。ただし、その疲れは誰のせいだと怒鳴りだしそうになるのをぐっと抑える。
体を起こし、扇から目だけを出し綾は笑顔で言い返す。
「東宮様のお渡りはなくとも東宮様のなさろうとしていることに気を配っておりますの。ご存じの通り柾良親王様のご病気も気にしておりました。どこかの誰かのように手柄もたてないのに高い地位にのさばっているわけにはいけませんでしょう」
「なっ。それはどういうことですかな」
わなわなと体を震わせながら聞き返してきた。
「あら、別に右中弁殿がとは言っておりませんよ。どうされたのですか?」
わざと右中弁と大きな声で言ってみた。
御簾の向こうにいる右中弁は顔を真っ赤にして立ち上がった。
「気分が悪いのでこれで失礼する!」
「二度とくるな!」
どかどかと大きな足音をさせながら立ち去っていく後姿に怒鳴りつけていた。マズいと思ったが我慢できなかった。そっと頭中将を見ると笑っていた。
「お気になさらずとも大丈夫ですよ。東宮様は御簾越しにしか会うことを許さず、さらに本人が話している間に部屋を抜け出していますから」
上には上がいた。
そうか。その手があったのかと綾は部屋の後ろの襖を見た。あそこから隣の部屋に行けば外に出られるわね。
「次はご一緒に抜け出しましょう」
頭中将が面白いことを提案してきた。
今度来た時はみんなで抜け出してものけのからにしてしまおう。誰もいないのに話し続ける右中弁を思い浮かべ笑い出す。
「東宮妃様。今度は厄介な者たちが来ましたね」
「え~。また誰か来たの?」
香奈に睨まれ、綾は座りなおす。
今度は誰だろうかと扇で顔を隠し目だけを御簾の先へと移す。
「東宮妃様にご挨拶できこの上ない幸せにございます」
「東宮様からやっとお許しをいただきこうして参ることが出来ました」
新内大臣の橘清惟と右衛門督の藤原兼久と名乗る二人が来て妙に媚びてくる。
この二人って……。
「東宮様が止められていたのは私との面会だけですよね」
綾は冷静に確認をする。
「え、ええ。そうです。以前から東宮妃様にお会いしたいと申し上げていましたが、なかなか東宮様からお許しがいただけませんでした」
「きっと、東宮様自身も東宮妃様にお会いできていないので嫉妬されていたのではないでしょうか」
下品な笑みを浮かべながら二人は綾へ視線を投げかけてくる。御簾と几帳がなければ二人の顔を見なければいけなかったのかと思うと更に扇で目を隠した。視線すら気持ち悪い。
「承香殿女御様のところへは毎日行かれているようですけど、弘徽殿女御様へのご挨拶は済まされましたか?」
綾は二人の行動はとっくにお見通しだとさりげなく伝えると二人は狼狽えだした。
数日前から承香殿と弘徽殿、常寧殿を訪ねる者たちを監視していたのだ。そこで誰が東宮派か反東宮派かを見極めていた。のんびり昼寝をしていただけではないのだ。
「東宮様は弘徽殿女御様へのご挨拶まで禁止されていたわけではないのでしょう」
綾は何食わぬ顔で追い打ちをかける。
「そ、それはこれから伺おうと思っていたところですよ。ね、内大臣様」
「そうですとも。東宮妃様とのご挨拶は次いつできるか分かりませんからな」
「いつできるか?」
東宮妃を降りろとでも言いたいのか。それとも東宮を廃太子にでもするつもりなのか。わざとすっとぼけてみた。
「いや、それはですね。また、東宮様がお許しになられないのではと危惧しているのですよ」
必死に弁明する右衛門督に気まずそうに口を閉ざす内大臣。
二人が反東宮派だということは調べがついている。今更取り繕っても無駄だと……教えてやるわけがない。
あくまでも気づかないふりをする。
「そうですね。ですが、柾良親王様のご病気もよくなっているようですし、藤壺の物の怪騒動も収まったようですので、私も近いうちに東宮様にお会いできるでしょう」
東宮が尽力したから後宮内に入り込んだ賊を捕まえることが出来たのだ。物の怪はその賊のせいだとして片付けていた。柾良親王の病気もよくなっていると聞いたし、藤壺の物の怪ももう二度と出ることはない。
後宮内の問題は粗方片付いたのではないかと綾は思っている。これ以上何か言われる前に先手を打った。
「そうでした。そうでした。柾良親王様のご病気は東宮妃様が原因を突き止められたとか。さすが東宮様自らお選びになられた方です」
「東宮様はしっかりとお役目を果たされていますわ。そうでしょう」
「はい。そうです」
「ですから、東宮様ももう反対などしないはずですわ」
綾が笑顔で言うと二人は顔を引きつらせながら逃げるように帰っていった。
頭中将は走り去る二人を横目にそっと唇の端を上げている。
「お見事です。あの方たちは自ら反東宮派だと言っているようなものでしたね。それに、後宮の問題もしっかりと二人の言質を取っておられましたね」
「これ以上、文句は言わせないわ」
見張り役の頭中将は特に小言を言うわけでもなく、ただ傍で聞いているだけだ。これの意味することは何だろうと疑問に思ったが、綾は新たな目標の為に戦うことを誓った。




