33 謎の男
綾は薙刀を握ったまま去っていく公達を見ていた。
真新しい束帯に身を包み、渡殿を歩いていく姿はこなれた感じだ。最近、宮中に上がった者ではないだろう。こちらを見ていたのは偶然か、それとも何か理由があってのことか。姿が見えなくなってから、綾は手にしていた薙刀を床に置いた。
殺意や敵意は感じられなかったが、なぜか綾は胸騒ぎがした。いまだ、おさまらない心の臓は激しく鳴っている。
いまはここから出ることは叶わない自分にとって、何かあった時に役立つのはやはり母の教えだと改めて感謝した。
力では敵わないかもしれないが、助けが来るまでの間のしのぎくらい何とか出来る。その為、香奈は敵を怯ませるための小道具として脇息を置いていったのだ。
その香奈は何かあってはと隣の部屋で母から手ほどきを受けている侍女と交代で綾を見張っているのだ。そして、東宮妃である綾に何かあったらそれこそ反東宮派の思うつぼだ。綾は胸元の衣をぐっと握った。
〇〇〇
翌日からも綾は人の流れを観察し続けた。
兄や頭中将からそろそろ綾が飽きたころで何か仕出かすのではないかと思われていたらしく。お目付け役として香奈も同じ部屋で過ごすことになった。
「この方たちが東宮派ですね」
昨日、弘徽殿を訪れた公達を書いた紙を見て頷く。それと同時に承香殿へ訪れた人物も確認している。
「中納言様のお姿が見えないけど、何かあったのかしら?」
「確か、物忌みだと護衛の者たちが話しておりました」
「そう」
今回の除目で中納言は当初の予定では大納言に昇進するはずだったが叶わなく、据え置きとされた。別の力が働いたためだともっぱらの噂だ。その噂を流したのが中納言本人との話も出てきているからこの話が帝の機嫌を損ねないかと心配ではある。
自分が流した話ではないと証明するためか、それとももっと別のことがあるのか。除目の正式発表目前にして変な噂が流れて万が一、中納言に二心あるととらえられては不都合だ。これも宮中でうまく立ち回るための手段なのか。
「そういういえば、桜子様からお話はどうなったのかしら?」
「それが……はっきりとしたお話が伺えなかったようです」
「話してもらえなかったの?」
綾は驚いた。文の内容からかなり切羽詰まった様子なのにどうして話してくれないのか。
「姫様しか頼めないと言われたそうです。それで、東宮様も困惑しているようで、決めかねていると」
「私、行ってもいいわよ」
綾は何の気なしに呟いた。
自分にしか話せない内容なら自分が出向けばいいだけの話だ。話の内容を聞いて自分に出来ることなら手を貸したい。そう思った。
「あっ」
「どうかされましたか」
綾は昨日の男を見かけた。承香殿から渡殿を通り常寧殿へと向かっている。香奈も綾の視線の先を見たが一瞬遅かったようで、顔を見ることが出来なかったようだ。
「後姿からではよくわかりませんが、見かけない方のような」
香奈は後姿から何人かの公達を思い浮かべたが当てはまらなかったようだ。
「あの方がどなたか分かったら教えて」
「姫様。また、何か企んでいませんよね」
さりげなく言ったつもりが香奈に気づかれてしまったらしい。
「企んでなんかいないわ。見かけない方なので気になっただけよ」
嫌な予感がする。そんなことをいえばこの部屋すら取り上げられかねない。自分の部屋より、断然この部屋の方が楽しいのだ。
「それより、先ほどのお話の続きですが、姫様は式部宮様のお屋敷に行ってもいいと言うのですか?」
「うん。私にしか話せないのなら仕方がないわよ。桜子様が後宮に来ることは難しそうだから、私が女房のふりでもして話を聞きに行くことくらい出来るはずよね」
少し前に、極秘で後宮に舞い戻った綾はその反対も出来るはずだと考えていた。
「頭中将様にお話してきます」
香奈は頬を赤らめて部屋を飛び出していく。
あの二人はどうなっているのかな。香奈が嬉しそうに出ていくということは上手くいっているのか。
(羨ましい!!)
足をバタつかせ自分と東宮のことを考えていたら部屋の外に人影が見えた。
綾は動きを止める。顔だけ几帳の先の御簾を見ると昨日の男が立っていた。その男の視線は昨日と同じ部屋の中、綾に注がれていた。
綾は起き上がり傍の脇息を手にした。
外の護衛も部屋の中を見ている公達に気づき、警戒を強める。数人の護衛が公達を見ている。それに気がついた公達は何事もなかったかのように渡殿を歩いていった。
綾は公達の姿が見えなくなってから部屋の入口まで行き、扇で御簾を少しずらし、外の護衛に声をかけた。
「今の公達はどなたですか?」
「はっ。先ほどの方は新しく右近中将になられる予定の方だと聞いております」
「名は?」
「藤原彰将様です」
「ありがとう」
聞いたことのない名前だ。
綾は礼を言って部屋の奥へと戻り新右近中将、藤原彰将と紙に書いた。
後宮に上がる前に兄に教えられた公達や公卿たちの名前を思い出す。藤原彰将という名はなかったはずだ。
バサッと勢いよく御簾があげられる。驚いて一瞬身構えるが入ってきたのが香奈だと分かると一気に脱力した。
「香奈。驚かせないでよ」
香奈は綾の目の前に滑り込むように座り、表情を曇らせた。
「姫様。あの男がまた現れました」




