28 承香殿の女房 後編
「あれほど、申し上げたはずです。どうして我々のお願いを聞き入れてくださらないのですか!」
只今、綾は兄、良智に猛烈なしっ責を受けている。
兄、良智が珍しく怒鳴り声をあげているが良智の言葉は綾の耳に入らない。
それより、眠い。
綾は扇で顔を隠し、大きなあくびをする。
昨夜、冬香を呼び出していた。子の刻まで起きて待っていたが結局、来ることはなかった。
夜遅かったのもあり、今朝は遅めの朝餉をのんびり食べているときに兄の良智と頭中将がやってきて朝餉は半分も食べないうちに片付けられた。
お腹もすいたな~。乾飯でも忍ばせておけばよかったとぼんやり考える。睡魔と空腹に耐えながら兄の小言を聞き流す。
今朝、御所内の池に人が浮かんでいるのが発見され、検非違使たちの捜査でその人物は承香殿の女房、冬香だと判明した。
検非違使からその報告を受けて、すぐさま良智と頭中将が飛んできたのだ。
二人は昨日、綾が承香殿に出向いたことを知っている。その為、事情を聴きに来た。
初めはただの見舞いだと交わしていたが、優秀な検非違使たちは昨日、冬香が清佳から叱られたことを承香殿の女房たちから聞き出していて、その原因が綾だとすでにバレている。
「人を自害に追い詰めた東宮妃様と後ろ指さされますよ」
頭中将が澄ました顔で言うのを聞いて、一瞬で目が覚めた。
「あの冬香がそんなことで自害するはずないわ。それに、あの者は藤壺の噂話をしていたのよ」
思わず言い返したことで、自分のやったことを白状してしまった。
頭中将がニヤリと不気味に笑う。
「やはり、そうでしたか」
「いえ、えっと。その、ですね。賊が逃げ込んだ部屋のことは誰かが知らせなければ出来ないでしょう。それを確かめたかったのよ」
必死に言い訳をするが、兄の怒りは収まらず。
「その女房は殺されたよ」
「えっ、でも。さっき自害だって」
「自害に見せかけた他殺だ」
冬香の部屋から見つかった遺書は少し太めの筆で書かれたものだった。しかし、冬香はいつも細身の筆を愛用しており、その類の筆は一切持っていなかった。その為、誰かが冬香を殺害して自殺に見せかけるため遺書を残したのだと結論づけられた。
「冬香は表に出ていないことまで知っていたのよ」
「それは承香殿の女房達に聞いた」
良智と頭中将も冬香の噂話を聞いたのだろう。
藤壺の物の怪騒動は、藤壺の女房が常茂を追い払うために仕掛けたものだ。だから常茂が部屋に入り込もうとする直前に女房達がわざと大きな悲鳴をあげて追い払っていたそうだ。
冬香が以前言っていた寝所までたどり着くことも出来なかった。それを密通の話と一緒に寝所に物の怪が出たと言う話をすれば人は勘違いを起こすよう仕向けた。
藤壺女御が密通をしているらしいと。
もっと言うなら、密通の投げ文はなかった。
香奈が護衛たちに聞いて回ったところ、綾が後宮から連れ去られる前も後にもそんな文は出ていないことが分かった。
巧妙に噂話として話を広め、疑惑を募らせ、言い逃れの出来ない状況を作り上げるのだ。もし、藤壺の女房達が常茂を寝所まで入れてしまっていたら、その時、他の者が部屋を訪れていたら藤壺女御様がどれだけ弁明しようとも密通の嫌疑は拭い去れなかっただろう。
誰が手を引いているのか。
藤壺女御は密通の証拠をでっち上げれば排除できる。
柾良親王の病気は以前より体調は良くなっているように見えたが、承香殿の女房が自害したことで東宮の責任になるのは必然だ。それだからこそこうして朝早くから兄たちがやってきたのだ。
東宮は後宮の問題を解決できなければ東宮を排せられる。それは兄たちも無事ではいられない。自分は東宮の足を引っ張っているのではないかと落ち込んだ。
「東宮妃様。冬香を呼び出しませんでしたか?」
頭中将が聞いてくる内容に体が反応してしまう。
綾はお腹を押さえる。空腹なのか精神的なものか分からないがお腹が痛くなってきた。
「亥の刻に、ここに来ると連絡がありました」
「亥の刻ですね?」
念を押される。
綾はお腹が痛くて返事が出来ないでいると、代わりに香奈が答えてくれた。
「昨夜、冬香から届いた文です」
香奈が昨夜、綾宛に届けられた文を見せる。
頭中将と兄が確認している。
「聞きましたか?」
頭中将が部屋の外に声をかけている。
「はい。確かに」
部屋の外から声が聞こえる。
やはり、これは形式的な尋問だろう。綾はお腹をさすった。
「この文はお預かりしてもいいですか?」
「どうぞ。それで、私の疑いが晴れるのなら」
綾はやはり後宮は大変なところだとつくづく感じた。
「東宮妃様は常に護衛たちが見張っていますから、疑いもなにもないですよ」
平然と言う頭中将を見た。
なに?
じゃあ、あの文は……。
既に声すらも出す気力がない。
「あの文は、冬香の筆跡を調べるために使うのです」
冬香の遺書と思われるものを調べるために使われるらしい。
もっと、早く言って!
綾は左手で体を支えている。既に座っているのも限界で倒れそうなのをかろうじて耐えている。
「我々はこれで失礼します」
呑気に帰っていく兄と頭中将。
帰り際、二人はそれぞれ言葉を残していった。
「東宮様から、姫様は昨夜遅くまで起きられていたのでゆっくり休むようにとお言葉がありました。後程、贈り物が届けられますよ」
頭中将は笑みを浮かべている。
初めから、綾たちが夜更かしをして冬香を待っていたことを知っていたのだ。
なんてことだ。
「綾。もう、勝手なことをしないでくれよ。父上は心労が溜まっているのだから」
兄、良知は最後まで忘れずに綾にクギを指していく。




