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あの子の面影を



「綺麗なところじゃない」

そう言って千咲は改めてリビングを見渡した。結局その後、美都もそのまま付いていく形になり現在同じ空間に佇んでいる。今朝家を出ていくときよりも片付いて見えるのは、恐らく四季がこの為に部屋を掃除したんだろうなと容易に予測できた。

キッチンに立って茶を淹れる準備をしていると、四季が落ち着かない様子でこちらに向かってきた。

「悪いな」

「ううん。わたしやるよ? 向こうで座ってなよ」

「いや……それこそ悪いだろ」

「だってやることないんだもん……」

実際美都の方はリビングにいたとしても所在が無い。茶を淹れ終えたら部屋に戻るのも有りかもしれないがそれはそれで気が引ける。うーんと唸りながら多加江に持たせてもらった茶葉を取り出した。お茶受けも彼女の作った菓子があるのでちょうど良い。数も十分にある。

「それは?」

「和真のお母さんの手作りだよ。たまたま会ったからもらったの」

「へぇ。じゃあ実家の方行ってたのか」

うん、と頷きながらティーカップに湯を注ぐ。紅茶を淹れる前はカップを温めた方が良いと多加江に教わった。ポットに茶葉をセットし、後は湯を入れ抽出するだけになった時、急に思い出したように千咲が声を上げた。

「あらやだ。駅前のお店でプリン予約してたのに受け取るの忘れてきちゃったわ」

「あ、じゃあわたし行きますよ。控えとかありますか?」

紅茶の準備は整っているのでこの先は四季に任せても大丈夫だろう。そう思って名乗りを上げたが千咲はニコリと微笑んで美都の提案を制した。

「女の子に行かせられないわよぉ。お父さん、四季と行ってきて」

「はいはい。ご指名だよ四季」

名指しされた透がソファから立ち上がり四季の名を呼ぶ。一連の流れに四季は顔を顰めた。

「なんで俺も……」

四季の顔には思い切り『不安』と書いてある。実のところ美都もそうだった。透と四季が出れば、リビングには千咲と二人きりになる。先程千咲の正体を知る前までは良かったが、知った後ではどうにも恐縮してしまう。それでなくとも四季にあんな紹介をされた後だ。気が気でないというのが正直な気持ちだ。

渋々と父親の元へ足を向け、スマートフォンを手にしながら「何かあったら鳴らして」と言付け四季は透と部屋を後にした。

(どうしよう……)

ひとまず予定を変更して日本茶を出そうと思い至り、棚から茶器を取り出す。湯は既に沸いているので急須に入れるだけだ。

「美都ちゃん」

「は、はい!」

「そんなに恐縮しないで。こっち来て座って?」

恐縮しなくていいとは言うものの、やはり緊張してしまう。知らなかったとは言え、付き合っている人の母親だ。何を話せば良いのやらと口籠もる。ひとまず千咲の指示通りにしようと、淹れた茶をリビングへ運んだ。

「どうぞ……」

「あら、おかまいなく」

おずおずと粗茶をリビングテーブルへ置く。千咲は尚もニコニコと「座って座って」とソファの布をポンポンと叩いた。彼女に促されそのままソファへ腰掛ける。いざ千咲を前にすると目が泳ぐ。何か話題を、と頭で考えていると先に彼女が口を開いた。

「ごめんなさいね。本当は気を遣わせちゃうなって思っていたんだけど……」

「い、いえ全然!」

彼の母親だ、と確かに気にしてしまうもののそれは千咲が謝ることでは無い。だから美都は否定し首を横に振った。しかし彼女は困ったように微笑んでふっと息を漏らした。

「ううん、そうじゃないの」

心なしか、千咲は先程よりも落ち着いているように見える。その雰囲気を感じ取り美都は首を傾げた。どうかしたのだろうかと少し心配になる。そうじゃない、と言う意味を考え頭を巡らせていると答えは次の千咲の言葉で判明することとなった。

「私たちね、────あなたのご両親の同級生なの」

「…………!」

心臓が、ドクンと一つ大きく鳴った。美都は目を見開き、身体を硬直させる。しかしすぐに冷静さを取り戻すと千咲から目を逸らした。

「そ──そう、だったんですね……」

動揺を隠し切れない。その話題を他人から触れられるのは初めてでは無いのに。恐らくは千咲が、今までの誰よりもその存在に近しい位置にいる人物だからだろう。胸の前で強く手を握り締める。

「まだあなたが小さいときに一度会ってるの。覚えていないくらいのときにね」

「……だから、わたしの名前聞いたときに──」

「えぇ。びっくりしちゃった」

そう言うことだったのか、と納得した。苗字を名乗っただけでなぜ名前まで分かったのか。もちろん自分は覚えていない。しかし会った途端に名前まで分かったと言うことは、それなりの仲だったのだろう。

「透さんも、……なんですよね?」

「そう。透くんは高校からだけどね」

美都の質問に答えながら、千咲は目を細めた。まるで過去の記憶を懐かしむように。わざわざ高校からと言うことは彼女はそれ以前にも付き合いがあったのだ。透はそれを察知して千咲と二人にしたのかもしれない。

「……ごめんなさい。わたし、親のことあまり知らなくて」

極めて冷静に言葉を紡いでいく。その実、心臓は先程から煩いくらいに鳴っていた。警鐘音のように自分の内側から強く叩かれているかのようだ。

「美都ちゃん。言いたくなかったら言わなくていいわ。事情はわかってるから」

俯いて唇を噛み締めた。ただ、ただ怖い。忘れていたものを呼び起こされるのが。どうせ半月後には否が応でも思い出すことになるのに。それでも忘れていられる間は、何事も無くいつも通りの生活を送りたいと思ってしまう。

「──知りたいとは、思う?」

千咲からの問いに肩を竦ませる。しばらく反芻した後に首を横に振った。瞬間こめかみがズキンと痛んだ。向き合わない自分を責めているかのように。

「……わかったわ。とは言っても私も──今の詳しいことは知らないの」

「そう……ですか」

声が震えそうになるのを必死で抑える。過去よりも現在のことの方が自分にとっては繊細な内容となるからだ。千咲が知らなかったことについ安堵してしまった。否、知っているのだとしてもそう答えてくれたのかもしれない。

「四季にはこの話、してないのよね?」

「──はい。これまでお互いの家庭のことは話してきませんでしたから」

それは同居当初に互いに過干渉するべきでは無いと言う意識が働いているからだ。自分がこうして彼の家庭事情を知ったのは正真正銘今日が初めてだ。自分は彼に何も話していない。常盤の家のことを実家だと思っている程には、彼に余計な情報を与えないようにしている。個人の境遇を、他人に知らせるべきでは無いと考えているのだ。

「じゃあ私も内緒にしておくわね。美都ちゃんが大丈夫になったときに話してあげて」

「すみません。ありがとうございます」

「あの子、あれで心配性だから。特に美都ちゃんみたいな子には世話焼きになるわよ」

四季の話題が出てようやく心が落ち着いて来た。千咲の話す彼の姿が手に取るように思い浮かぶ。現状でも彼は十分世話焼きだからだ。眉を下げてクスリと笑みを零した。

「実家、って言うのは?」

キッチンでしていた会話が聞こえていたのだろう。千咲は自分の境遇を知っているからこそ不思議に思ったはずだ。

「伯母の家です。これまでお世話になっていたところで……育ての親、ですね」

「そう……。素敵な伯母様だったんでしょうね。今の美都ちゃんを見ればわかるわ。こんな良い子、早々いないもの」

包み隠さずに話すと、千咲は優しく笑みを浮かべた。彼女からの評価に顔を綻ばせる。自分に対することでは無く円佳に向けられたものが嬉しかった。もちろん円佳だけでは無い。伯父である司もそうだ。血縁関係は無いが彼もまるで自分を実の娘のように接してくれた。大切な、代え難い存在だ。常盤家では十分すぎる程のものを貰ったのだな、と改めて感じる。

「お役目の方は大丈夫?」

「はい。すごく助けてもらってます」

「あらぁ。あの子意外とちゃんとやってるのね」

やはり、と言うべきか千咲は守護者の役目のことを知っているようだ。そうであるならばあの予知夢のことも彼女なら何か分かるのでは無いかと考え、ふとその疑問を口に出した。

「千咲さんも守護者だったんですよね?」

「いいえ? 守護者なのは透くんよ。私はただの一般人」

「えっ、でも予知夢みたいなのを見たんじゃないんですか? だから四季が守護者になる可能性を知ったんじゃ……」

四季が教会でそんな話をしていた。だから千咲は彼にあらかじめ「何があっても動じないように」と話したのではなかったのかと首を傾げる。

「あれはね、透くんの勘。でもまさか本当にこうなるとは思ってなかったわ」

「そうですか……」

予想が外れ、美都は思わず息を吐いた。あの妙な夢のことが少しでも分かれば、と思っただけに残念でならない。しかしつまり四季の所感は当たっていたと言うことだ。

「どうして予知夢だなんて思ったの?」

「あ……えっと、わたしが不思議な夢を見て……。もしかして千咲さんもそうだったのかな、って思いまして」

とは言えあの教会での話し合いで菫には歴代の守護者の中にそういう夢を見た者はいなかったと告げられていた。彼女が守護者でないなら尚更か。千咲は透から聞いたことを単に四季に伝えただけなのだ。

「美都ちゃんが、予知夢を見たの……?」

千咲は美都の説明に目を見開いている。その反応に首を傾げた後、肯定の意味で頷き、

「予知夢というか……夢の中で声を聞いただけなんですけど」

と付け加えた。確かにそう考えると予知夢ではないようにも思える。あれは誰かの声による注意喚起だった。実際に何かが起こる夢を見たわけではない。そう言うと千咲は「そうなのね」と少し安堵したような表情を覗かせた。

「何かありましたか……?」

急に口数が少なくなった千咲を不思議に思い、不意に問いかける。すると彼女はハッとした後首を横に振っていつも通りの笑顔を見せた。

「いいえ、気にすることじゃないわ。それより美都ちゃん」

「? はい」

「お顔に触れても良い?」

「え⁉︎ あ……えっと、は──はい」

突然の申し出に驚いて思わず声を上げる。彼女の言い方はまるで、初めて四季に触れられたときと同じような文言だったのだ。加えて同じこのソファの上で。だから必要以上に驚いてしまった。美都は顔を赤くして彼女の申し出を承諾する。

千咲は柔らかく微笑むとそっと美都の傍に近づいた。女性らしい細く長い指が、美都の頬に触れる。その温もりに少し驚いて、ピクリと顔の筋肉が動いた。

「ふふ、大丈夫よ。取って食べるわけじゃないんだから」

「う……はい」

恥ずかしくてつい目を逸らした。千咲は美都の反応を気にする事なく、その指で確かめるように彼女の顔に両手を沿わせる。

そう、ただ確かめたかった。今目の前にいる少女が本当に、彼らの子なんだなと。髪、瞳、唇、鼻筋。全部ちゃんと見たかった。ここにいる少女が証なのだ。まだあどけない表情を浮かべ、小さな身体をしているこの子が。己の出生と半生を背負い、必死に立っているこの娘が。ふと心が痛む思いがした。

(……いいえ。今更都合の良い話ね)

自分は何も出来なかったのだから。あの時、自分だけが何も出来なかった。目を逸らしたのは自分だ。だから本来ならそんな事思うことすら甚だしい。それでも。

「──あなたが四季のパートナーで良かった」

心からそう思う。この思いは許されるだろうか。守護者がどれだけ大変かは、間近で見てきたから知っている。だから一概にこの子たちにとって「良い」とは決して言えない。それでもこれは奇跡だ。大好きだった友人達の娘が、自分の息子と巡り会えたこと。他の誰でもない、この娘で良かったと。

瞼の奥ではいつだって、昨日の事のようにあの光景が思い出される。皆が幸せだったあの日々が。

「千咲さん……?」

────『千咲っ!』

そう言って名前を呼んでくれた。目の前にいる少女に似た声色で。もう戻ることのない愛しい日々がふと千咲を襲う。過去には戻れないのだと。今更後悔をしてもしょうがないのだと。そう突きつけられているような気がして。不意に水滴が頬を伝う。目の前の少女が小さく息を呑む音が耳に届いた。ああ、ダメだ。動揺させてはいけない。そう思って彼女の肩を抱き寄せた。

「────ここにいてくれて、ありがとう」

「…………!」

華奢な少女を強く抱きしめる。温もりが確かにこの腕にある。それが何よりの幸福だった。

突然の行動か、それとも放った言葉に驚いたのかはわからない。だが美都は大きく息を吸ってしばらく呼吸を止めた。しばらくしてゆっくりと息を吐き始める。それに呼応するように、彼女の身体も緊張が解けていくようだ。

「そう言って頂けると──ちょっとだけ救われます」

自分の腕の中で少女はポツリと呟いた。彼女はずっと自分の存在意義を考えてきたのだろう。彼女の境遇を思えば理解するのも難しくない。だが本当はそんなことさせてはいけなかった。まだ15年弱しか生きていない少女に思わせることではないはずだ。

「本当よ。嘘じゃないわ」

「ありがとうございます」

言い聞かせるように更に強く伝えると、少女は肩を竦めてクスクスと笑った。この笑顔を見ると、どちらが本当の彼女なのかと思ってしまう。今のようにあどけなく笑う姿。先程話しているときに見せた困ったように笑みを浮かべる少し大人びた表情。無意識、なのだろうか。無意識に使い分けているのかもしれない。だが彼女の半生を思えば納得も出来る。

名前を呼ぼうとしたとき、玄関から「ただいま」と言う声が響いてきた。美都も声に気付いたようで首だけ動かす。彼女は自分の腕の中にいるためあまり身動きが取れないようだ。

「あの、千咲さん」

体勢を整える間もなく足音が近付いてくる。美都の言いたいことは分かってはいるが、久しぶりに会った息子を少しからかいたくなってしまった。ふふっと彼女に微笑みかける。

「な──……なに、やってんすか……」

思わず敬語になるくらいには動揺してくれたらしい。四季は目に入ってきた光景に声を詰まらせていた。

「スキンシップよ♡」

千咲が語尾にハートマークを付けながら四季の呆然とした問いに答えると、彼は思い切り溜め息を吐いて頭を抱えていた。後から部屋に入ってきた透がおやおやと言う表情で肩を竦めている。視線を下にずらすとどうしたものかと戸惑って目を瞬かせている美都の姿が確認出来た。愛らしくて離れがたくなってしまう。

「美都ちゃん可愛いー」

「ち、千咲さん……!」

先程よりも俄かに強く抱きしめると、自分の胸に顔を埋めて動揺している。それに比例するように四季の顔は険しくなる一方だった。まさか我が子に嫉妬される日が来ようとは思わなかった。その新鮮さが楽しく、嬉しくもある。この少女が息子を変えてくれたんだなと。

「それ以上小さくなられると困る」

「な……! まるで今も小さいみたいに!」

ポツリと呟いた四季の言葉に美都が千咲の腕の隙間から顔を覗かせて反論した。

「あらぁ。小さいの可愛いじゃない」

「──っ、平均です……!」

美都の言い方からしてこれだけは譲れないという強い意思を感じる。そのコロコロと変わる表情を見ているとどうしても重ねてしまう。彼女もそうだったから。そんなことは決してこの少女には言えないけれど。

「ほらほら、お茶飲んだら帰るよ母さん」

母子の攻防戦を静観していた透が不意に声を挟んだ。確かに間もなく夕暮れだ。身内と言えど長居するのは良くないか、と渋々腕を解いた。

「わたしお茶淹れますね」

お茶という単語に反応して、自由になった身体ですくっと立ち上がると美都はキッチンへ歩いた。その姿を目で追いかける。すぐに四季が彼女の後について同じように進んでいった。

「四季にやらせればいいわよぉ」

「まぁやるけど……」

名指しされて渋い表情を見せる息子に、少女は隣でクスクスと笑っている。その間に透が隣に腰掛けた。諸々把握したような顔で眉を下げて微笑む。彼には後でちゃんと話さなければ、と千咲も肩を竦めた。そして透にも訊きたい。久々の我が子とどんな話をしたのかを。同性は同性にしか話せないこともあるはずだ。四季が素直に話したのかは分からないが面白そうな話を聞けそうだなと感じる。

それは四季の方も気になっていたらしい。自分が不在の間の母と恋人の会話の内容が。だがひとまずは帰ってきた瞬間目に入った光景についての成り行きを問いたかった。

「……なんであんなことになったんだ?」

声を抑えて、隣に立つ美都に訊ねる。再度湯を沸かす準備をしながら彼女は何かを考えるように一度目を宙に置いた。

「──内緒」

「は?」

「女子同士の話だもん」

そう言われてしまうとこれ以上追及は出来ない。向こうは女子というのかという疑問は残るがそれを口にしたところでどんな反撃に合うか分かったものではない。腑に落ちないがここは聞き分けるかと息を吐いた。

──内緒に決まっている。今はまだ、彼に話すときではない。我が儘なことは解っているがこの関係を少しでも長く続けたい。

(……なんて、ずるいよね)

美都は隣で渋い顔をする恋人を見ながら、気づかれないように一人で苦笑いを浮かべた。




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