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グンマー大戦  作者: WW
第3章
9/31

グンマーの民 3

 落ち着いたと言っても、ユリが死んだ事実をまだ上手く整理出来ていない。彼女のことを思う度に胸が痛み、目頭が熱くなる。

 けれど、泣くことは許されないとレイは思った。先ほどは不意を突かれて泣いてしまったが、もう駄目だ。彼女の死を悲しむ資格など自分にはない。


 レイの腹の虫がもう一度鳴いた。何をしていても腹は減る。

 お椀によそられているのは幅広で薄いうどんのような麺だった。人参や里芋などたくさんの野菜と鶏肉が入っている。知っている食材ばかりで、レイは少々拍子抜けした。


「おっきりこみって言うのよ」


 ハルナは幅広の麺を箸で持ち上げて見せる。


「とろっとしてて美味しいから、冷めないうちに食べて」


 勧められるままにレイはそれを口へ運ぶ。味噌の優しい味が広がって、滑らかな舌触りの麺がつるりと入ってくる。うどんとも違った味で、山梨県のほうとうに似ていた。汁を飲むと身体の芯から温まった。


「今回は味噌ベースにしてみたの。どうかしら?」

「うまいよ」


 ハルナは胸の前で両手を包むように握り、とびっきりの笑顔を浮かべた。


「よかったわ。誰かに食べて貰うの……初めてなの」


 恥じらいと安堵の入り交じるその表情は、どこにでもいる少女の顔に見えた。グンマーの民は好戦的で野蛮な種族という情報とはかけ離れている。


「どうしたのかしら?」


 首を傾げるハルナから、レイは思わず目を逸らした。深紅の宝石のような瞳に白銀色の髪。透き通るような白い肌。精緻な人形のような彼女の容姿はとても美しかった。凜とした雰囲気を放ち、大人びた印象のハルナ。さぞ高貴な家柄なのだと思っていたが、それにしては家庭的すぎる。


「おま――ハルナは独りでここに住んでるのか?」


 お前と言おうとした瞬間にハルナの目が鋭い光を帯びたため、慌てて言い直す。穏やかな性格なのだと思っていたが、そうでもないらしい。


「ええ、もう何年も経つわ。レイが最初のお客様よ」

「そうか」


 川の終わりに建っているということは、ここはグンマーの端っこだ。大地の途切れる近辺に人が住んでいるとは思いもしなかった。それも少女一人でだ。もしかすると、グンマーの民の中でも彼女が特別なのかも知れない。


「一人で寂しくないのか」

「最初はとても寂しくて、毎晩泣いていたわ。けれど、もう平気。どんなこともいずれは慣れるものね」


 たわいもない会話を続ける中で、レイはどうしても確かめたいことがあった。ここへ来る途中に見た夢のことだ。あやふやな記憶だが、そのときの少女はハルナのような気がした。もしそうであれば、あの言葉の意味を問いただす必要がある。


『来ては駄目。駄目なの。お願い。でないと、あなたは死んでしまう』


 その言葉はレイの胸をざわつかせた。死ぬという言葉に覚えがある。川に落ちる原因となった化け物――黒ダルマ。もし、ユリに助けられていなかったら、レイは間違いなく死んでいた。それはレイの死を彼女が肩代わりしたことにならないだろうか。


「今日、ここに来る電車の中でハルナと会ったよな?」

「え? 人違いではないかしら? 私はグンマから出たことがないわ」

「そう、か……」


 やはり、あれはただの夢だったのか。あのときチケットを捨てていたなら、ユリが死なずに済む未来もあったのだろうか。


「伸ばさないんだな」

「何のことかしら?」

「グンマーって」

「そう言えば、地上人はそう呼ぶのだったわね。私たち天上人は伸ばさないわ。そもそも、呼び分ける必要がないもの。グンマはこの世にただ一つ。下にある、日本の県の一つとして位置づけられている群馬は存在していないのだから」


 そんなはずはない。群馬県は確かに存在しているし、草津温泉や伊香保温泉は多くの人が訪れている有名な場所だ。存在していないのだとしたら、彼らは一体どこへ行ってきたのか。

 口を開こうとしたレイを先回りするように、ハルナはほくそ笑んだ。


「無理もないわ。実際にあるように認識させているのだから。私たちは|FR《Fictional Reality》――虚構現実と呼んでいるわ。AR(拡張現実)VR(仮想現実)MR(複合現実)SR(代替現実)のさらに先にある技術よ。仮想世界を現実世界に完全投影することで、仮想世界での出来事を現実世界の出来事として体験させることができるの。地上でも、もうすぐ実地試験が始まるのではないかしら」

「そんなこと、できるわけが――」


 ない。そう言おうとして思い至る。


「脳に埋め込まれたチップ……」


 全人類の脳にはチップが埋め込まれている。今は世界倫理規定によって、常時使用できるのは補助的なツールとしてのARだけだ。過度に仮想が現実を侵食すれば、現実世界で事故が起きかねない。例えば、MRで仮想と現実を重ねた場合、仮想を歩いていたら現実の方でトラックにはねられる可能性はゼロではない。そういったものは資格のある特別な施設内のみ許可されている。


 だが、その倫理規定を取り払ったなら。


 虚構を現実のものだと脳に認識させることは可能だろう。

 ただ、それでは説明のつかない部分がある。群馬県は脳にチップが埋め込まれる前から人々に認識されている。また、レイたち虚番は脳にチップが埋め込まれていない。にもかかわらず、虚番のメンバーの中には群馬県に行ったことのある者がいたのだ。


「おしいわ。脳に埋め込まれたチップは、地上人がFRを実用化するためのもの。私たちは――グンマ帝国の初代国王であるグンマソウシ様は、その技術を既に実現させていたのよ。ようやく地上が天上に追いつきかけている、というわけなの」

「いったい、どうやって……」

「魔法よ」


 ハルナはさも当然のことのように言う。

 ファンタジーの世界でしか耳にしない言葉だが、グンマーにはそれが存在することが確認されている。黒ダルマが雷を落とし、空間を渡り歩いたように。グンマーに住む生命体は魔法を使うことができるという。


「とは言っても、地上人が想像するような魔法の仕組みとは異なるわ。科学とは別の視点から世界の理を紐解いたものと言ったら、少しは理解し易いかしら」


 魔法は失われた太古の技術で、神の奇跡を人間が模倣するための方法だとハルナは言う。


 例えば、ライターは点火機構によって瞬間的な高温を発生させ、燃えやすい燃料に着火する。このように人類は火の原理を解明し、その仕組みを道具を用いて再現することにより、手軽に火を使うことができるようになった。

 魔法もそれと同じだ。火の原理を別のアプローチから解き明かし、再現した。方法は異なれど、結果は同じ。ファンタジーの世界でよく見られるような、特別で不思議なものではない。


 古代では誰もが魔法を使うことができたのだという。しかし、現在ではグンマー以外に残されておらず、魔法の足下にも及ばない魔術が細々と研究される程度になった。


 その原因となったのは遙か昔のこと。人類は神に近づき過ぎたせいで神の怒りを買い、滅ぼされた。その生き残りの末裔がグンマソウシ。魔法という技術を受け継いでいた彼はグンマ帝国を作り、天に浮かせたという。

 何故、そんなことをしたのか。


「ソウシ様は再び人類が滅亡しないように、グンマを世界の監視役としたそうよ。だからグンマは日本に属する県ではなく、国としての位置づけを保ち続けている。そういう風に言い伝えられているわ。今ではその役目を自覚している人はほとんどいないのだけれどね。地上がその域まで達する頃にはこの銀河系が消えている計算なの。訪れることのない未来を考えても仕方がないものね」


 レイは洪水のように流れ込んでくる情報量に頭を抱えた。ファンタジーやSFの小説を聞かされている気分だ。頭のいかれたホラ吹きだと一蹴したい気持ちに駆られる。

 けれど、簡単にそうできない理由がある。現にグンマーは空に浮いている。どんな機器を使用しても地上から観測することはできないが、グンマーから地上を観測することはできる。レイも自らの目で日本を見下ろした。


「もし、その話が本当だとして」

「本当なのよ、レイ」

「分かった。その点は理解した。だが――」


 レイが躊躇っていると、ハルナが先を促した。

 この天上世界から出たことのない彼女に言ってもいいのだろうか。その問いを飲み込んで、レイは意を決する。


「ここが――グンマがFRだという可能性もあるんじゃないか」

 言ってから少しだけ後悔する。だってそれは、彼女が仮想の存在だと言っているのと同義だからだ。どんな反応をするのか不安だった。怒りを買っても不思議ではない。けれど、それなら空に浮いていることも、魔法があることもすべて説明がつく。


 だが、レイの心配は杞憂だった。ハルナはお腹を抱えて笑い始める。


「確かに、そういう考え方もあると思うわ。けれどね、レイ」


 ハルナは子供に言い聞かせるような口調で、椀の中から鶏肉を持ち上げた。


「体験できる時点で、認識できる時点で、仮想と現実という境界線を引くことに何の意味があるというの?」

「……仮想は仮想だろ。存在していない、偽物だ」

「レイが今食べているのは偽物?」

「…………本物、に見える」

「だったら、それは本物でしょう?」


 未だ納得いかない様子のレイ。ハルナは視線を宙にさまよわせると、顎に指をあてて唸った。


「じゃあ、地上のものは本物?」

「本物だ」


 当たり前だろう。そう言おうとしたレイだが、ニヤリと笑うハルナを見て言葉を飲み込んだ。


「それこそFRかもしれないじゃない。レイは生まれた瞬間から仮想を見ているの。レイが今まで会った人も、食べたものも、思い出も、記憶も、全部が作られたものなの。レイ、あなたこそ――」

「黙れ!」


 レイは声を荒らげ、テーブルに拳を叩きつけた。

 偽物のはずがない。血反吐を吐いた日々も、初めて人を殺したときの感触も、ユリが作ったクソ不味い料理も、ユリと過ごした青春とは到底言えない血生臭い思い出も、ユリの笑顔も、そのどれもが本物だ。偽物であってたまるものか。それでは誰も報われない。誰も救われない。


 作り物だったなら、どうしてこんなにも苦しい思いをしなければならない。どうしてユリは死ななければならなかった。


 どうして。どうして――。


「ごめんなさい」


 肩に触れた温もりにハッとする。顔を向けると、ハルナが思い詰めた表情で顔を青くしていた。


「悪ふざけが過ぎたわ。レイは本物よ。レイが出会ったすべてのものが本物。偽物は群馬県だけ。私が保証するわ」


 だから――。


 ハルナの細い指がレイの目元を拭う。


「泣かないで、レイ」

「え?」


 彼女の触れたところをなぞると、指先が濡れていた。


「大丈夫よ、レイ」


 レイの額にハルナの額が触れる。彼女は静かに瞼を閉じた。

 鼻先が触れ合うほどの距離。ハルナの息遣いを間近で感じて、レイは柄にもなく心臓が高鳴った。胸に手を当てる。拍動はどんどん速くなる。身体がおかしい。熱が溢れるような感覚。けれど、その異変はハルナの一言で収まった。


「あなたはもう、悲しい思いをする必要はないわ。レイの悲しみはすべて、私が取り除いてあげる」


 それはとても甘美な囁きだった。心地よく、優しさに溢れた言葉。不思議な安心感が心を包み込んでいくようだ。


 瞼を開いたハルナと視線が結ばれる。

 深紅の瞳は迷いも汚れもない透き通った光を宿していて、彼女が本気で言っていることが痛いほど伝わった。


 今すぐ彼女の言葉に身を委ねたい。

 けれど、何かがおかしいと思う。


 今日会ったばかりの、地上から来たよそ者に対して彼女がそこまでする理由がない。偶然が重なって出会っただけなのだ。


 そんなレイの思考を読んだかのように、ハルナはレイの頬に片手を添え、唇を重ねた。


「だって私は――あなたのために存在するのだから」


 彼女の瑞々しい唇の感触は、その言葉によって掻き消された。

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