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グンマー大戦  作者: WW
第3章
8/31

グンマーの民 2

 *


 温度を感じた。冷えた身体を包む込むような優しい温もり。それとともに、鼻腔をくすぐるいい匂いが漂う。


 瞼を開くと木目のある天井が見えた。おぼろげな意識のまま視線を巡らせると、ここが民家の中だということが分かる。背中の柔らかな感触から、自分はベッドに寝ているようだと理解したところで、レイの意識は覚醒した。ガバッと掛け布団を撥ね除けるようにして起き上がり、湯気の立つ鍋の方へ顔を向ける。


「お前は誰だ!」


 おたまを傾けて味見をしようとしていた白銀色の髪の少女が、驚いた様子でレイの方を振り向いた。


「――あちっ」


 その拍子に掬った汁を一気に流し込んでしまったようで、彼女は涙を滲ませて舌を出した。痛みを紛らわすためかその場で足踏みを繰り返し、スースーと息を吸って火傷のケアに努める。


「ひょ、ひょうひゃく、ひぇをさまひたのれすね」


 涙と舌を出したままこちらへ駆け寄ってくる少女に対し、レイはその後ろを指した。


「鍋が吹きこぼれてるぞ」

「ひぇ!? あ、あわわあぁぁ!」


 慌てふためいた様子で彼女は鍋に駆け寄ると、あわあわと右往左往し始める。ようやく火を消すことに思い至ったのか、宙を撫でるようにその手を滑らせる。すると鍋を熱していた火が消えて、沸騰したお湯が引いていった。

 安堵の息を漏らした彼女は、気を取り直したようにレイの下へ駆け寄った。


「お怪我は大丈夫でしょうか?」


 彼女はその深紅の瞳を不安そうに揺らす。間違いない。彼女はグンマーの民だ。出会ったら即行で殺す。それが教えだが、敵にしては不可解だ。


 身体を見下ろすと、いたるところに包帯が巻かれていた。試しに一つ外してみると、怪我は見当たらない。他の包帯も取り除き、身体を動かして負傷がないことを確認する。


「あ、そ、その……み、見ていませんから! 目を瞑ってやりましたから!」


 耳まで真っ赤に染めた彼女は、身振り手振りで否定を示しながら顔を背ける。

 包帯を取り除いた身体は一糸まとわぬ全裸だった。


「問題ない」

「そ、それなら、よかったです……」


 チラチラとレイの身体を盗み見る彼女は、誤魔化すように笑みを浮かべた。


「ここはどこだ? 俺はどれくらい寝ていた?」

「邑楽郡の板倉町です。寝ていたのはほんの数時間ですよ」


 板倉町というと、群馬県の南東の端、ちょうど鶴の嘴あたりだ。


 レイが落ちたのは鏑川(かぶらがわ)だ。鏑川は南東に流れて烏川(からすがわ)に合流し、神流川(かんながわ)、最終的に利根川へと合流する。利根川は河川の規模として日本最大級で、その流れは太平洋まで至る。首都圏の水流として非常に重要な位置にある川だ。

 それらの川は群馬県の県境の辺りをなぞるように流れており、最南東にある鶴のくちばしを通る。

 合流地点であるクラガノはここから直線距離でも徒歩一一時間。地上の群馬県とグンマーは地形が異なり、魔物も出るため、実際にはもっとかかるはずだ。


「もうすぐお食事ができますので、そちらにあるお洋服を着てお待ちになってください」


 枕の脇に置かれていたのは、上下の肌着と純白の法衣。随所に施された金糸の刺繍が上品さを演出している。どれも肌触りの良い絹で、かなり上質なものだった。彼女も同じ法衣を着ている。


 レイは着替えてテーブルに座る。部屋は木造で、一人暮らしにしては広めのゼロワンルーム。飾り気はないものの、どの調度品も控えめだが確かな格を感じさせた。

 レイの荷物はどこにも見当たらない。そもそもこの部屋にある武器になりそうなものは包丁くらいだった。


 治療をしてくれことや、食事を振る舞おうとしていることから考えて、敵ではないのかもしれない。だが、警戒を怠って足下を掬われてはかなわない。再び気を張り始めたところへ、彼女がやってきた。慣れた手つきでテーブルに料理を並べていく。


「たくさんありますから、遠慮なく召し上がってください」


 武器がないのは万が一のことを考えると不安だが、華奢な彼女であれば素手でも殺れる。人間を殺すなど手慣れたものだ。

 とても上機嫌な様子で鼻歌交じりにテーブルへ着いた彼女は、手を合わせると食べ始めた。

 笑みを浮かべ、とても美味しそうに食べる彼女を見ていると、レイの腹の虫が鳴いた。それが聞こえたのか、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべて小首を傾げる。


「どうしたのですか? 敵の作った料理は召し上がれませんか?」

「っ――」


 本性を現したか。レイは咄嗟に飛び退いて距離を取る。素早く周りに視線を配らせ、自分の中の警戒レベルを最大まで引き上げる。ここは相手の領域だ。何が起きても不思議ではない。

 その様子に目を丸くしていた彼女は、急に声を上げて笑い始めた。


「何がおかしい!」

「ふふふ……も、申し訳ありません。……けれど、その……ふふっ」


 歯噛みして睨みつけていると、彼女はようやく落ち着いた。


「失礼いたしました。そんなに警戒なさらないでください。私はあなたをどうにかしようと考えてはおりません」


 そもそも――。彼女はそう言って立ち上がると、窓を開けた。すぐ向こうに川が流れていて、その先は空が広がっていた。


「私が敵であれば、あなたを助ける必要などなかったと思いませんか?」


 彼女の言うことには一理あった。確かに殺す目的であれば、意識のないまま流されていたレイを助ける道理はない。

 納得したところで、レイは自分が流された原因を思い出した。


「ユリ……そうだ、ユリが!」


 こんなところで油を売っている場合ではない。部屋を出て行こうとしたところへ、暗い声が届いた。


「亡くなったお仲間のことですか?」


 レイは足を止めて振り返る。その表情から読み取ったのか、彼女は続けた。


「うなされていましたから。『俺のせいで、俺が守れなかったせいで、死なせてしまった』……何度もそう呟いていましたよ」


 そうだ。もうユリはいない。死んでしまった。


 いや――俺が殺したんだ。


 レイはその場に膝を突いた。自然と涙が頬を流れる。どうしようもなく胸が苦しくて、震えが止まらなかった。胸にぽっかりと穴が空いたような虚無感に襲われる。込み上げる熱に喉を焼かれ、独りでに吐息が漏れる。

 この感情が何であるのか理解できなかった。それでも、自分がこの世界で独りぼっちになってしまったということだけは分かった。

 心に亀裂が入り、砕けていくのを感じた。このまま身体も壊れて、死んでしまえばいい。そうすれば、ユリにまた会える。


 消えかけていた命の灯火。そこへそっと寄り添う温もりに、レイは顔を上げた。

 白銀色の髪が頬を撫でる。絹よりも滑らかな肌触りの白銀糸がふわりと揺れて、甘い香りが漂った。女性らしい柔らかい感触が、バラバラになった心をかき集めるように包み込む。

 レイの手が彼女の背中に伸びた。そうしていると何故か心が安らいでいく。収まるところへ収まったような安心感。


 それが急に怖くなって、レイは彼女を突き飛ばした。


「きゃっ!」


 尻餅をついて痛みに顔を歪める彼女に、レイは眉尻を下げた。


「わ、悪い……」

「い、いえ……こちらこそ、急に抱きついてしまって申し訳ありません」

「いや、お前が善意でしたのは分かる」


 好意を無下にしてしまったことへの罪悪感を抱いていると、弱々しい声が耳に届いた。


「……ナです」

「今、なにか……」

「ハルナ、です! 私のことはハルナとお呼びください」


 意を決したような眼差しに圧倒されるレイ。すぐに気を取り直し、自らも名乗る。


「レイだ」

「レイ様」

「様はいらない」


 ハルナは頬を染め、恐る恐るといった様子で言った。


「レ、レイ……」


 呼ばれたので目を合わせると、彼女は声を漏らして俯いた。


「何だよ」

「い、いえ……何でもありません」

「敬語もいらない」

「分かりまし――――分かったわ」


 ハルナに促され、レイはテーブルに着いた。

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