表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
グンマー大戦  作者: WW
第3章
7/31

グンマーの民 1

 レイがユリと出会ったのは物心つく前だった。だから、最も古い記憶を掘り出してきても、必ずそこにはユリがいた。


 窓のない、打ちっぱなしのコンクリートで覆われた教室。常時四〇名程度の子供がいて、毎日のように新入生が加わった。それと同じ頻度で人がいなくなった。

 昨日まで埋まっていた前の席が、その翌日には空席になることに最初は驚きと戸惑いがあった。けれど、すぐに慣れた。


 弱者に生きる価値はない。そのことを理解するのに時間はかからなかった。この世界では高い成績を収め続けなければ、生きていけない。


 レイは必死に学んだ。誰よりも真面目に講義に臨み、努力を怠らなかった。けれど、隣に座るユリは真逆だった。講義中に居眠りしたり、タブレット端末に絵を描いて遊んだりしていた。


 こいつもすぐにいなくなるんだろうな。そう思っていたレイだが、ユリはずっと隣にいた。それどころか、レイの何倍も優秀で、常にトップレベルの成績を収めていた。


 ユリには才能があった。それも、圧倒的な。凡人の努力では決して埋めることのできない差。それだけの実力があるにもかかわらず、怠けている彼女のことがレイは大嫌いだった。


 嫌悪を露わにしても、ユリは知ったこっちゃないという様子で踏み込んでくる。近づくなオーラを彼女の笑顔はいとも容易く切り裂くのだった。


 自分より強い女子といつも一緒にいることは、男子にとって情けないことだという空気感が教室にあった。レイはいじめられることがしばしばあったが、決まってユリがいじめっ子をけちょんけちょんにした。


 レイにとって彼女の存在はヒーローでもあったし、災いの元でもあった。ユリにとってレイは守るべき対象で、その逆はなかった。守られる度に、自らの価値が喪失していくように感じた。そのことはレイの中の劣等感を大いに育んだ。


 次第にユリに対して辛辣な言葉を吐くようになった。それを受けた彼女は一瞬だけ表情を硬くして、すぐに憂いを帯びた笑みを浮かべた。その顔を見る度に胸が痛くなったが、どうにもできなかった。


 その関係が好転したのは七歳――――初めて人を殺したときだった。


 デジタルホワイトボードの前に立った教官が、作り物の笑みを浮かべて言った。


「明日、クラス統合を行います。ですので、今日中に教室の人数を二〇名にしてください」


 みな戸惑いの声を上げる中、教官は思い出したようにつけ加える。


「達成できない場合、全員廃棄処分です。それでは、始めてください」


 教官が教室の外に出ると、前のディスプレイに四〇という数字が表示された。その下でタイムリミットを示す八時間が、一秒ずつ減り始める。


 ざわめきが起こる中、すぐに誰かの悲鳴が響いた。視線が声の元へと集まる。

 クラスで最も血の気が多かった男子が、前に座っていた女子をナイフで滅多刺しにしていた。何度か響いた悲鳴はすぐにかすれた呼吸の音だけになって、何も聞こえなくなった。


 ディスプレイの表記が三九に変わる。


 血だまりの中に立つ彼が、返り血に染まった顔で振り返る。狂気に染まった笑み。それを見て、全員が教官の言葉の意味を悟った。


 クラスメイトを殺すことに躊躇いを覚えた者から死んでいった。

 着実に数字が減っていく中で、ある男子と目が合った。いつもレイをいじめていた男子だ。彼の取り巻きは床に伏し、既に事切れていた。刺し傷は全員背中にある。

 彼は返り血で真っ赤に染まっていて、血振りしたナイフをレイへ向けた。


 ナイフを握り、応戦の構えをレイが示すと、彼は獰猛な笑みを浮かべて吠える。


「ブス女に泣きつかなくていいのか?」


 それがユリのことを指していると分かり、レイはグリップを強く握り締めた。冷静であれと言う理性を無視して、怒りがわき上がる。


「黙れ!」


 先手を取ったのはレイだ。相手の喉元に鋭い突きを放つ。相手はそれを軽々といなし、返す刀でレイの手首を切りつけた。レイは強烈な痛みにナイフを取りこぼしてしまう。拾い上げる暇は与えられず、次々と繰り出される攻撃を避ける度にじりじりと後退させられた。背中に冷えたコンクリートが触れ、追い詰められたことを知る。


 彼は一際狂気を帯びた笑みを浮かべ、そのナイフを振り上げた。

 死ぬことへの恐怖よりも、無価値だと証明されることへの恐れの方が強かった。


 世界からの存在否定。それは生まれたこと自体が間違っているということだ。今まで重ねてきた日々も、努力も、そのすべてが必要のないことだった。無駄なことだった。

 絶望に心が蝕まれる中で、一筋の光が差し込んだ。


「レイ!」


 ユリが跳び蹴りを見舞い、男子は軽々と蹴り飛ばされた。


「大丈夫? 怪我はない?」


 彼女はレイの右手首から血が流れているのを見て、大袈裟に声を上げた。


「ちょっと見せて!」

「問題ない」

「駄目だよ。レイは治りが遅いんだから、応急手当しないと出血多量で死んじゃうかもしれないじゃん」


 ユリは服の裾を切って、それを包帯代わりに使った。


「これでよし」


 安堵の笑みを浮かべたユリは、蹴り飛ばした男子の方を振り返る。


「ブスおんなああ! てめえは絶対に殺すっ!」


 歯をむき出しにして、彼は地を蹴った。


「大丈夫、レイは私が守るよ」


 そう言って、ユリはナイフを逆手に構える。飛び込んで来た男子のナイフをさばき、足を浅く切りつける。怯んだところで鳩尾に掌底。彼の身体が浮き上がり、動きが一瞬だけ止まる。そこへナイフのグリップを顎目掛けて振り抜いた。

 流れるような攻撃は綺麗に決まり、彼は床に這いつくばった。


「もうやめなよ。お前じゃ私に勝てないから」

「うるせえんだよブスがあああ!」


 唾を飛ばし、雄叫びを上げながら突進する男子。ユリは呆れたように嘆息すると、ナイフのバック――刃のない方を向けた。


 ユリの身体には血の一滴も付着していない。廊下には気絶した生徒が二人重なっていて、彼らの分のカウントはしっかり減っていた。彼女だけが殺す以外の方法で課題を達成しようとしていた。


 獣のように吠えながら向かってくる彼も、すぐに廊下の仲間入りをする。そう思っていた矢先のことだ。


 彼の突き出したナイフをユリがさばこうとした瞬間、彼は血だまりに足を滑らせた。彼の身体がユリに覆い被さり、二人は倒れた。

 どちらもなかなか起き上がらず、嫌な予感がよぎったレイが駆け寄ろうと足を踏み出す。それと同時、ユリが彼の身体を退けて起き上がった。振り返った彼女は、硬い表情でレイの名を呼んだ。


「どう、しよう……」


 立ち上がった彼女の手や胸は赤く染まっていて、仰向けに転がる彼の胸にはナイフが深々と突き刺さっていた。

 寄りかかってくるユリの身体を支える。震えの止まらない彼女を、レイは無意識に強く抱き締めた。


「ユリは悪くない」

「私が、殺し、ちゃった……」

「事故だ」

「どうしよう……どうしよう……」


 何を言っても彼女は聞く耳を持たなかった。どうにか宥めようとしていると、視界の端に何かが映った。顔を上げると、死んだと思っていた彼が立ち上がり、今まさにユリへナイフを振り下ろすところだった。


 背を向けるユリは気づいていない。

 誰も彼を止めようとはしない。


 何をしても間に合わない。

 それでもレイは何とかしたかった。


 初めて見る彼女の弱り切った姿。

 今この瞬間、守られるべき存在は彼女だった。


 あのナイフを防がなければならない。レイが手を動かそうとしたそのとき、異変が起きた。

 振り下ろされるナイフの速度が急激に落ちたのだ。それだけではない。クラス中の人間の動きが止まり始め、ユリの震えも止まっていた。前のディスプレイに視線を移すと、ミリ秒の数字が体感で一秒くらい経ってようやく減る。

 何が起きたのか、理解が追いつかない。それでも、ユリを救えることだけは分かった。


 レイが手のひらをナイフの刃先にかざすと同時、時間の流れる速度が元に戻った。

 鮮烈な痛みが手に走り、レイは呻き声を噛み殺す。腕の中でユリがびくりと震え、振り返って悲鳴を上げる。

 ナイフを引き抜こうとした彼の手を、それが突き刺さった方の手で掴む。彼が振り払おうとするせいで痛みが増したが、放してやる気などなかった。

 ユリを横に退かして、レイは相手の顔面を殴りつける。同時に押し倒すと、彼の胸に突き刺さっていたナイフを引き抜いた。馬乗りになり、彼の喉に刃先を向ける。


「ま、待て! た、たすけ――」


 レイはその言葉を最後まで聞かず、思い切り刃を振り下ろした。傷を広げるようにナイフを捻ってから引き抜く。血が噴き出て、レイの身体を温かく湿らせた。

 眼下で悶える彼の喉からヒューヒューと空気の漏れる音が聞こえる。呻き声を発することなく、すぐに彼は動かなくなった。


 背中に何かがぶつかって、首に腕を回される。まさかユリに絞め殺されるのかと思ったとき、肩にじんわりと温もりが広がった。


「ごめん……レイ、ごめんね…………」


 涙声で言う彼女の腕に、レイは手を当てた。

 ユリが謝る理由が、レイには分からなかった。


 レイはユリを助けたのだ。それは喜ぶことであって、悲しむようなことではない。


「問題ない」


 そう答えると、ユリは堰を切ったように泣き始めた。

 ディスプレイの表示が二〇になり、課題達成の文字に変わる。


 死に彩られた教室では、誰一人として爽快な表情を浮かべる者はいない。みな自らが辿る道を察し始め、複雑な面持ちで沈黙していた。


 *


 年齢を重ねるごとに任務は過酷になっていき、殺した人数は数え切れなくなった。最初は胸を痛めることが多く、殺す度に心が擦れていった。だが、それも次第に慣れた。


 回数を重ねるごとに殺しの技術は熟練し、人間をバラすのはただの作業に成り下がった。

 摩耗し切った心は感情をなくし、人殺しの機械になる者も多くいた。その中で自分を保っていられたのは、ユリがいたからなのだとレイは思った。


 大嫌いだった彼女はいつの間にか、かけがえのない存在になっていて、守るべき対象だった。


 今になって思う。


 何より大事だったのは、ユリを守り抜くことだった。

 あのときのように、彼女の涙を見ないために。

 けれど、何もかもが遅かった。


 ユリは死んだのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ