紫電迸る災いのダルマ 4
誰かが、逃げろと叫んだ。
次の瞬間、大地が揺れた。凄まじい紫の閃光が地面を砕く。荒れ狂う暴風が吹き抜け、すべてを攫おうとその猛威を振るう。
レイはユリの身体に覆い被さると、地面にダガーを突き刺した。後頭部を瓦礫に叩かれ、飛びそうになる意識を辛うじて踏み留まらせる。自分が飛ばされれば、ユリも谷底へ落ちてしまう。それだけは避けなければならない。今の彼女はただの女の子に等しい。落ちれば命はないだろう。
ようやく風が収まり、爆心源に視線を向けた。
直径五〇メートルほどの巨大なクレーター。その中心に黒い外套を纏う何者かが立っていた。フードを被っているせいで顔は見えない。その姿が揺れたかと思うと、次の瞬間にはクレーターの外にいて、こちら側に近づいていた。
全身の温度が急激に下がったように感じた。冷や汗がこめかみを流れ落ちる。
講義でその現象を教えられた記憶が蘇る。
『いいか。くれぐれも黒ダルマには近づくな。あれは個人でどうにかなる相手じゃない。天災だと思え。台風も地震も刀じゃ切れないだろ? 間違っても倒そうなんて考えるな。もし、遭遇したら――』
その場の全員が、顔を色変えて駆け出した。
「総員、全力で逃げろ! 三時間後にC地点で合流!」
レイはユリの身体を抱えようとするが、彼女はそれを拒んだ。
「ユリ! 早く逃げないと死ぬぞ」
「じゃあ早く逃げなよ!」
「お前を置いて行けるわけないだろうが!」
自分の声が驚くほど大きくなってしまい、レイは戸惑った。だが、すぐに頭を振って気持ちを切り替える。何と言われようが連れて行く。この先、ユリの力は絶対に必要だ。
ユリの両脇に腕を入れて、抱き締めるように持ち上げる。
「まだ走れないか?」
こくりと頷いて、ユリは唇を尖らせた。
「ばかレイ」
「つべこべ言ってないで早く――」
油断していなかったと言えば嘘になる。
逃げるときは被害が最小限になるように、全員が別々の方向へ逃げる決まりになっている。完全に相手を捲いてから、予め決めておいたポイントで合流するのだ。
敵に補足される確率は八分の一。しかし、手負いの二人が同じ場所で動きを止めているとなれば、確率は一になる。
ユリを逃がすことに気を取られていたレイは、黒ダルマが目と鼻の先まで迫っていたことに気づいていなかった。
黒い外套が風に嬲られ、フードが外れる。
レイは目を見開き、息を呑んだ。
本来の白目が血のような赤に染まり、顔全体に紫色の模様が走っていた。黒々とした点の瞳からは感情が一切読み取れない。
その異様さに、レイの対応が遅れる。
「レイ!」
「えっ――」
ユリの手がレイの胸を押した。倒れまいと足を後ろに出すと、そこに地面はなかった。
「ユリ!」
精一杯に伸ばした手を、ユリは掴まない。
代わりに淡く微笑んで、呟いた。その瞳から綺麗な滴がこぼれ落ちる。
「――大好きだよ」
彼女の胸に鮮烈な紅の花が咲いた。口から血を吐き、弱々しく苦笑する。
「ユリ、ユリ!」
ユリの胸から生えた茎の先に、拍動するものがあった。管から赤い液をまき散らし、伸縮を繰り替えす。
「そんな……」
「生き、て……レイ……」
五指がその果実に食い込み、握り潰した。
花は散り、ユリの身体が力を失ったように崩れ落ちる。
「ユリイイィィィ」
落ちていく中でレイは叫び続けた。
――どうして。
――どうしてお前は、そんなに幸せそうな顔をして死ぬんだ。
身体が水面を叩くと同時、レイの意識は弾け飛んだ。